これはニューヨーク滞在中に読んだ。出張中に、類書「勝手サイト 先駆者が明かすケータイビジネスの新機軸」も読んだのだが、本書はよりケータイ世代側に立った書籍。
ケータイのインターネットの歴史を知る筆者が異なる2つのネットが出来上がった背景を語り、ケータイを知る世代と知らない世代の壁について解説する。「勝手サイト 先駆者が明かすケータイビジネスの新機軸」のレビューでも書いたのだが、私はあきらかにPC世代であり、ケータイは使いこなせていない。ただ、知らない世界があることが許せないので、背伸びして(背を屈めて? また同じことを言っているが (^^;;;)、ケータイのネット世界を覗いてはいる。
ケータイの世界の代表コンテンツであるケータイ小説などについては、多くはその内容の薄さや品質の低さなどを酷評されることがあるようであるが、それらの声はPCからのネット世界からのものであり、ケータイのネット世界では逆にPCのネット文化が嫌われる。これはどちらが優でどちらが劣でという問題でなく、異なる価値観を持つ世界があると認識したほうが良いと筆者は説く。ケータイのネット世界を体験しようとしている私自身も心のどこかで、彼ら(ケータイしか使わない人たち)をいかに救済し、PCでの本来のネットのすばらしさを理解してもらえないかと考えていたところがある。だが、筆者は逆にケータイのネットだからこそできている多くのものがあるという。
たとえば、自己表現の場としてのネットというのは以前から言われていることであるが、クリエィティブなものは実はケータイ側のほうが多いようだ。プロフなどもいかに凝ったものにするかなどで高校生は競いあっている。匿名が暗黙のルールになっているPCのネット世界とは異なり、プロフなどで安易に個人情報を公開してしまっているのも、もちろんリテラシの低さというのも原因のひとつだったが、それ以上に自己アピールというものに積極的な世代であると本書は解説する。
さらに、このようなケータイ世代が社会に進出してきた場合、今までの暗黙の仮定は、彼らもケータイを卒業し、PCをネットデバイスの中心として使うようになると考えられてきた(少なくとも私はその考えを支持していた)が、必ずしもそうではなさそうだ。若い世代は極めて合理的にその2つのデバイスとさらにはデバイスの裏に広がるネット世界を使い分ける。PCやPCでのインターネットのリテラシがないわけではない。学校教育で下手すると、その上の世代よりもPCの操作には長けている。コミュニケーションの内容によって、デバイスとネットを使い分けているのだ。
ケータイのことを解説した書籍はいくつもあり、私も何冊か読んできたが、どちらかというと、あくまでも現象としてケータイを捕らえるものが多かったと思う。また、「ケータイ下流論」に代表されるようなケータイ世代を卑下するような内容のものもあったかと思う。本書はケータイ世代の優れている点を解説し、さらには単なるマーケット情報の紹介ではなく、文化論として、コミュニケーション論としてケータイの立ち位置を解説する。
今後ケータイ世代が社会に進出するようになったときに、筆者の読みがあたるかどうかがわかるだろうが、自分としてはむしろ積極的に本書で解説されているようなポジティブな態度でケータイ世代を見て、彼らの極めてオープンな自己表現の欲求を支えられるようなネット社会/IT社会の構築ができればなぁと思う。というか、むしろ仲間に入れてくれ (^^;;;
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佐野 正弘
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