2020年8月24日月曜日

楽しんでいるか? 「その仕事、全部やめてみよう」書評

10年ほど前、人間ドックで膵臓に腫瘍らしいものがあると告げられた。幸いなことに膵臓ではなく、しかも悪性ではないらしいことが専門医にかかりすぐわかったが、わかるまでの数日は生きた心地がしなかった。

その時、自分のルールを決めた。やりたいことを優先しようと。

時間はすべての人間に平等に与えられるものだ。その時間を自分が本当にしたいことだけに使いたい。 幸いにして(?)、私はゲームなどのエンターテイメントに興味がない。仕事か趣味の運動や音楽や旅行、そして親しい友人との会食でほとんどの時間を費やす。結果的に、仕事の優先度を大きく変えることになった。 

人は良く「時間がなくて」と言い訳をする。この言い訳は他人にだけではない、自分に対しても行う。「医者に行く時間がなかった」というように。 

時間はすべての人間に平等に与えられる。どんなお金持ちでも、ホームレスでも、24時間×365日しか1年には無い。「時間がない」というのはそれを「優先させなかった」ということなのだ。だから私は「時間がなくて」と言うとき、それを「優先度を高くしていなくて」と置き換えてみるように勧めている。

「医者に行く時間がなかった」というのは「医者に行く優先度を高くしていなかった」ということなのだ。

 時間がないというと、抗えない何かのように思えるが、実態は自分がそれを優先させていないということなのだ。

継続には中毒性がある。また、継続されているものはすでに価値が証明されている。価値が証明されていることを継続することは価値を生み出すための一番確実な方法だ。しかし、確実な方法が一番正しい方法とは限らない。価値の最大化を目指すには、継続しているものであっても見直しが必要だ。

続けることが楽とは言わない。しかし、継続せずに新しいことを考えるよりは脳にとっては楽だ。すでに価値が証明されていることよりも高い価値を生み出すものを考え、そして変化を拒む人と組織を説得することは大変だ。

結果、人は中毒性のある継続行為をひたすら続ける。

その仕事、全部やめてみよう 1%の本質をつかむ「シンプルな考え方 ...
 
小野和俊さんの著書「その仕事、全部やめてみよう」はそのような状況に警鐘を鳴らすものだ。最初から最後まで首肯していたら首が痛くなった。それほど自分の考えと一致するところが多かった。とは言え、自分でも実践できているとは言い難い。章タイトルを書き出し、壁に貼っておこうかと思っている。

第1章「谷」を作るな、「山」を作れ! では、例えば他社製品と比較して足りない機能を埋めることを優先させてしまうような、目に見えてわかりやすい短所の克服ばかりを行うことに対して警告をしている。私も機能比較表で丸がついていない機能をとりあえず埋めるような開発があまり意味無いことをお話することがある。小野さんはこのように谷を埋めることになりがちな理由を社内で話が通りやすかったりする「自社都合」ではないかと言う。私も以前出させて頂いた番組で「作り手のロジックをユーザーに押し付けてはダメだ」と言ったことがあるが、まさにこれだ。

山を作るために、本書では、まだ誰もやっていないことに目をつけることや他業種や他国の成功例を参考にすることを勧めている。誰もやっていないことをやるのは事例を気にする日本企業にはやや難しいところもあるので、他業種や他国の例を参考にするのと組み合わせるのは良いだろう。SCAMPERというアイデア発想法があるので、これなど使うと良い。

アプレッソのDataSpiderがマイクロソフトのBizTalkの攻勢を受けたところのくだりも参考になる(余談だが、その当時、私はマイクロソフト社内にいて、これは売り方が難しいプロダクトだなと思ったのを覚えている)。ここでも小野さんは谷を埋める、すなわちBizTalkが出来ていてDataSpiderが出来ていないところをキャッチアップするのではなく、BizTalkが出来ていなくて、DataSpiderが出来るところはどこかを探す。これはランチェスター戦略の弱者の論理そのものだ。一点突破で強者である大企業では出来ないところを突く。

この谷ではなく、山を作るべきだという話は、作り手だけでなく、利用者側も同じ発想が必要だ。ある手段(プロダクトなどがわかりやすい例だ)を別の手段に置き換えるとき、以前の手段で出来ていたものをすべて置き換えられることを別の手段に求めることがあるが、それは間違っている。新しい手段には新しい手段の山の部分があるので、その価値も合わせて判断すべきだ。また、谷の部分を埋める必要はないことに気付くこともある。手段にだけ頼るのではなく、利用者の利用方法も進化しなければならない。

書籍ではコンサルティングの弊害も指摘している。私の今の仕事もいわゆるコンサルティング的なものであるので、耳が痛い。紹介されているのは、「ユーザーの声に裏打ちされたものしか作ってはいけない」という考えだ。市場調査やユーザー調査などから導きだされる計画はともするとこのような思想になる。自著「ソフトウェア・ファースト」でも、プロダクトアウトとマーケットインについて書いているが、実は今はプロダクトアウトとマーケットインをバランス良く組み合わせるのが重要だ。昔と異なり、わかりやすい需要が見いだせない中、ユーザーの声に頼るのは危険だ。

方法論を取り入れると、自分たちのチームが急に権威づけされたような気分になる

書籍でもこう書かれるフレームワークという手段が目的化した現場は私も数多く見てきた。

下の図は私が講演で良く使うスライドからの抜粋なのだが、ソフトウェア/プロダクトの開発現場でも、リーン開発やデザイン思考、アジャイルやDevOpsなどのフレームワークや方法論は手段であり、これを有効に活用するのは結局は人である。「チームメンバーが自分の頭で考え、同じ方向を向いて進んでいくことだ」(書籍より)


第2章 「ハンマーと釘」の世界の落とし穴 では、この目的と手段の明確化について書かれている。章冒頭の英語のことわざ、私は知らなかったが、これがすべてを語っているだろう。

If all you have is a hammer, everything looks like a mail.

ハンマーしか持っていないと、すべてが釘に見える

手段を使って何をするかを考えた結果、手段自体が目的化する。ハンマーを使って周りのすべてを叩こうとしてしまう。

そして、第3章 「ラストマン戦略」で頭角をあらわせ では成長のための戦略が書かれている。ラストマンとはある領域においてグループ内で一番の人のことだ。「あの人がわからないなら、誰に聞いてもわからないよね」(書籍より)という状態だ。

私が在籍していた外資系企業では、このような人のことを「Go Toパーソン」と呼んでいた。これについては彼に聞けと言われるような人のことなので、小野さんの言われるラストマンと同じだ。

このラストマンになると、情報が自然と集まってきて、さらにスキルが高まる。また、質問されてわからないとは言いたくない(言えない)ので、自分で必死に調べるようになり、これもまたスキル向上へと繋がる。

小野さんも最初は新卒で入社されたサンマイクロシステムズでXMLという領域から始めたという。また、日本法人はハードウェア営業が中心だったため、ハードウェアの会社(肉屋に例えている)の中でソフトウェアのスペシャリスト(野菜の専門家に例えている)を目指すようにしたという。

私も同じような経験を持つ。新卒で入ったDECという会社で、あるソフトウェアについては日本支社で一番くわしいと言われる存在になった。社内にあった、今で言うエンタープライズソーシャルのような掲示板でいろいろと情報発信をし、全国各地の営業やエンジニア(SE)からの質問に回答しているうちに、社内で〇〇と言ったら及川と言われるようになった。

また、当時のDECはVAXというハードウェア(プロセッサ)とVMSという自社OSが稼ぎ頭で、社内のエンジニアの9割以上はこれらを担当していた。そんな中、たまたま私はPCとWindowsを担当することになったのだが、それが結果的にはマイクロソフト米国本社への出向となり、その後の転職に繋がった。

当時はなんか自分は他人と違うことをやることになっちゃったなぁと思っていただけだったが、小野さんの説明で良くわかった。自分はラストマンをどこかで目指していたのだと。

第4章 「To Stopリスト」を今すぐつくるは冒頭の「時間がない」とは「優先させていない」の同義語だという話と同じだ。そして、第5章 職場は「猛獣園」であるは価値観と目指す方向性についての高い同質性の中での多様性を目指すべき(自著「ソフトウェア・ファースト」より)について書かれている。

以上、私が強く共感したところを中心として書籍を紹介した。本当はもっと書きたいが、これ以上書いて、書籍を手に取らない人が出てくるといけないので、このくらいにしておこう。エッセンスが凝縮されていて、短時間で読めるので、本当にお勧めだ。

そして、(私にとって)一番大切なことは、おわりに に書かれていた。是非、最後の一行まで読んで欲しい。

この書籍のおわりにに触発されて思い出したことがある。

村上龍さんは私が大好きな作家の一人だ。初期の作品が大好きなのだが、その中でも「69」という自伝的小説は若い頃何度も読んだ。この小説は分類するならば、娯楽小説になるのだろうが、中には一環して強い主張が込められている。それは「楽しむ」ということだ。

屋上をバリケード封鎖したことで停学になった主人公であるが、決して卑屈にならず、笑うことでクラスメートに対抗する。この小説でもあとがきで村上龍さんが吠える。

楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。 

<中略>数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。 
<中略>唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。わたしはその戦いを今も続けている。退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。

楽しさはすべてにおいての武器である。判断基準となる。
その仕事が楽しいか、一度立ち止まって自問し、有限な時間の使い方を考えてみたい。