2007年9月26日水曜日

London Calling - The Life Of Joe Strummer


The ClashのボーカリストだったJoe Strummerが亡くなったのは2002年。もう5年が経とうとしている。そのJoe Strummerの生涯をたどったドキュメンタリーがLondon Calling - The Lif Of Joe Strummer。Joeがラジオ番組でDJをした録音を適宜挟みながら、彼の誕生からThe Clashの誕生と解散、さらにJoeの死去までを追っている。

The Clashの楽曲は良く知っていたが、彼の肉声をここまでちゃんと聞いたことは無かった。パンクのシンボルとしての姿とは別のあまりにも生真面目な素顔を見れた。

映画の最後で彼がラジオのリスナーに語りかける部分が印象的だったのだが、残念ながら、ここにすべて書き起こせるほど正確にはメッセージを覚えていない。かろうじて覚えているのは、

"The Future is Unwritten"


「決まりきったことなど何も無い、すべては自分の意思で変えられる」。

ロンドン・コーリング 白い暴動 サンディニスタ! Combat Rock

夜回り先生

以前、九州に滞在していたときに、そこの町役場で「夜回り先生 水谷修氏」の講演会があった。無料かつ予約など無しで参加できるのに、そのときはちょっと時間が拘束されるのが惜しかったので、結局参加しなかった。今考えると大変もったいないことをした。

その後、R30という深夜番組で水谷氏が話すのを聞いた。子供への愛情にあふれたメッセージに心打たれた。そんなに甘いもんじゃないよとか正直思わないでもないが、ここまで信念を持って行動されている人には圧倒される。

その水谷氏の最初の著書がこれ。人と待ち合わせている間にツタヤで立ち読みで読了してしまったほどの分量だが、彼の言いたいことは十分伝わる。子供たちは愛に飢えている。すべてを許し、愛を持って接するのが良いというのが彼の主張だ。わかっていてもできなかったり、実際には血が繋がっているが故にかえって憎しみあうこともあるだけに、この主張どおりにいかないことがあるのも事実。

夜回り先生
夜回り先生

水谷先生のようにはできないかもしれない。表現方法はかなり過激かもしれない。でも、君たちを愛していることだけはいつかわかって欲しいと思う。

2007年9月23日日曜日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序



包帯つながりということで、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」も観て来た。

以前、好きな異性のタイプを聞かれたときに、ほかの人が実在の人間の名前をあげる中、1人「綾波レイ」と答えて、皆にドン引きされてしまったことがあるのは私だ。

10年前に流行したときには、実はそれほどファンではなかった。当時の同僚が面白いから是非見ろと言って、ビデオを貸してくれたので、一応一通り見ているが、別にエヴァに哲学的な意味合いを探すこともなく、わけの分からなかったエンディングに怒ることもなく、ただ一話一話の完成度の高さと次回への期待を持たせるリズムが気に入っていた。

映画レビューサイトで、評価が分かれているのは知っていた。アニメーションとしてのクオリティが格段に良くなっていることが評価される一方、ストーリーなどに新しい展開が見られないことや、始めから連作の第一作目としての位置づけが強すぎることなどが批判されていた。中には、熱烈なファンのための作品に過ぎないと一蹴しているレビューもあったほどだ。

長々と書いてしまったが、私は実は感想を書ける立場にない。直前にランチを食べながらビールを飲んだのがいけなかったのか、眠気に負けて、ほとんど寝てしまっていたのだ。

だが、ストーリーが眠気を負かすほど面白くなかったとは言えると思う。少なくとも、私の琴線に触れるものはほとんど無かった。たぶん、私は次作は見ない。

包帯クラブ

午前中に新宿に行く用事があったので、包帯クラブを観てきた。

朝一番(10:10スタート)の上映だったためか、館内はガラガラ。もっと人気があるかと思っていたのに、少し肩透かしを食らう。

小説やコミックも出ているそうなのだが、それらは読んでいない。したがって、まったくストーリーを知らないまま観たのだが、とても良かった。

おそらく主人公たちと同年齢の連中が観るとまた違った感想を持つのかもしれないが、年齢に関係なく楽しめる映画なのではないか。

主人公二人のコミカルな会話。やり場に困るほどの莫大なエネルギー、そして決して明るいばかりではない未来。コミカルでリズミカルな会話の中に、このような重いテーマが込められている。

「行動しないと変わらない」

「他人の痛みが分かりたい」

このようなことは必ずしも若い連中だけが思っていることではないだろう。「包帯」という普通なら「痛み」のメタファーとして利用されるであろうオブジェを「癒し」のオブジェとする。不思議なことに、最初は痛々しく見えていた包帯をそのうちに愛おしく感じてきてしまう。登場人物それぞれが抱えている心の痛み(トラウマという言葉はあえて使いたくない)が他人のそれを癒す中で、解決されていく様は引き込まれる。歳をとって涙もろくなっているためかもしれないが、人目をはばからず何度も泣いてしまった。その意味では、館内が閑散としていたのに感謝しないといけないのかもしれない。

ちなみに、主役の石原さとみは、以前のNHKの大河ドラマ「義経」で静御前の役をやったときには、抑揚の無い台詞回しに正直ちょっと辟易とすることもあったのだが、この役ははまり役だ。

比叡山

今年は何故か京都づいている。すでに3回も行っている。前回、鞍馬山に行って、心洗われる思いだったので、今回も同じように山岳方面の比叡山に行ってみた。

ホテルをチェックアウトするのが遅くなってしまって、京都駅を出発したのが10:45。だが、京阪バスが速いのか、それとも京都駅からそんなに遠くないのか、1時間ほどで比叡山に到着。まずはバスセンターの周りを見る。鞍馬山に負けずとも劣らない、凹凸のある地形。ただ、こちらのほうが舗装されている道が多い。また、寺も規模が大きく、数も多い。



比叡山延暦寺は、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、そして横川(よかわ)と呼ばれる地域に分かれている。それぞれの間には結構距離があるが、東塔から西塔までは歩いても行ける。横川にも歩いて行けないことは無いようだが、時間がかかりそうだったので、シャトルバスに乗る。いくらだったか忘れたが、結構高い。シャトルバスのフリーパスがあったようなので、それを買ったほうが良かったのだろう。



横川にある元三大師はお御籤(みくじ)の発祥の地だそうだ。だが、いわゆる今普及しているお御籤とは違い、現在の自分の抱えている問題や課題を話し、それを僧侶が祈祷の後、お御籤を引くというものだ。いくつもの問題や課題を抱えてはいるものの、整理してこなかったので、私は今回はパス。次回は頼んでみたい。

比叡山のアルバム

2007年9月18日火曜日

小さいことばを歌う場所

ほぼ日刊イトイ新聞様贈呈感謝。

糸井重里氏の「小さいことばを歌う場所」は糸井氏がほぼ日刊イトイ新聞の「今日のダーリン」(トップページに毎日掲載)や「ダーリンコラム」に書かれたものをまとめたものだ。当初は「ほぼ日手帳」のデイリーページ下段に掲載するために作業が進められていたが、それを独立した書籍としてまとめたものらしい。

というようなことは、後から編集者の方の話を読んで知ったのだが、最初に読むときはこのようなサイドストーリーは一切知らなくて良い。

糸井氏の毎日のひとことがただ書き連ねてあるだけの作品だが、実に深い。本当にシンプルな言葉や文章なのだけれど、ひとつひとつ考えさせられるものがある。糸井氏の目線と私の目線がこんなにも重なるものだとは思わなかった。氏がその言葉や文章を書いたときと、読者の想いは異なるかもしれないのだが、読み手の想いを自由に拡げるその言葉のマジックに感動してしまう。

ここでいくつかのことば(あえてひらがなにした)を紹介しようかとも思ったのだが、ひとつの投稿にまとめてしまうのはあまりにも惜しいので、これから何回かに分けて、ここで紹介していきたいと思う。

ところで、この本は「ほぼ日ストア」のみで販売されている。Amazonなどでの販売もない。編集者の方の話を読んで気づいたのだが、バーコードも価格も書かれていない。さらにはISBNもない(本当に取得していないのか、印刷されていないだけなのかは不明)。糸井氏は企画時に「私家版のような形でなら」と言っていたらしいのだが、その想いが伝わってくる。

Amazonから画像を持ってくることができないので、写真を撮ってみた。写真からはなかなかわからないと思うが、装丁も工夫されている。中のことばに負けない「持つ喜び」を感じさせるものとなっている。ちなみに、二つ目の写真で本の左に緑色の紙が見えるが、私がつけたポストイットだ。短い本なので、全部読み返すのもそんなに時間かからないのだが、いくつかみつけた素敵なことばをすぐに見つけられるように、ポストイットをつけてみている。あとで、本ブログで紹介したら、取る予定。

2007年9月17日月曜日

東京タワー

海外出張中に読んだ本のうちの1冊。あまり詳しく書くと、いろいろな方面で問題が出そうなので、ごくあっさりと済まそう。

東京タワー プレミアム・エディション
東京タワー プレミアム・エディション

それぞれ別の人妻と不倫関係にある大学生2人の話。主人公の男2人の目線で書かれた恋愛小説なのだが、これって女性は読むときに、どちらの目線で読むのだろうか。私はもちろん男性なので、大学時代に戻ったつもりで読んだのだが。

Amazonのカスタマーレビューでは評価は割れている。酷評している人も多く見受けられるが、その中には「あまりにもスノッブ」だとか「庶民には現実離れしすぎている」とか書かれているものもあった。「15年前ならともかく」という評もあったが、そうなのかもしれない。江國氏は私とほぼ同世代だが、私の世代ならば、こういった話が現実味を持った話として受け入れられるのだろう。はっきり言うが、現実離れした話では決して無い。

ちなみに、この本、臭い台詞のオンパレードだ。たとえば、
  • 恋はするものじゃなく堕ちるものだ
  • 一緒に暮らすことと一緒に生きることは、必ずしも同じじゃない
など。

でも、こういう臭い台詞に結構どきどきしながら、私は最後まで一気に感情移入しまくりで読んでしまったわけだ。


東京タワー プレミアム・エディション
東京タワー プレミアム・エディション

伝染る「怖い話」

何度か書いているが、私はB級な超常現象本や心霊怪奇現象本など、いわゆる「トンデモ」系の本が好きだ。子供のころもスペシャル番組などで特集されると、欠かさず見ていたものだ。最近では、UFOものは信憑性が疑われるような情報や手に垢のついたようなふるい情報しか入ってこないためなのか、ギャグに徹してしまっているようで、残念だ。一方、心霊ものはいまだに現役だ。

伝染る(うつる)「怖い話」 (宝島社文庫)

この本では、心霊現象などを含む都市伝説の背景が解説されている。複数の執筆者によって書かれているため、正直玉石混合の感はある。特に、第2章の「101匹目の幽霊」は単なる心霊現象の解説になっているところが多く見受けられた。心霊現象を紹介するのが目的ではなく、その背景を探るのが本書の目的であろうから、ここでの脱線は正直残念だ。と言いつつも、出張中、時差ぼけで眠れなかったため、インターネットで心霊/怪奇スポット情報などを夜中に読みまくっていたのは、第2章に刺激を受けたためだったりするが。

第3章にある「インターネット電脳怪異譚」というセクションは山形浩生氏の執筆だが、ここは考えさせられるものがある。最初はインターネットというサイバーワールドにおいての怪奇話が紹介されているが、最後に書かれている電脳空間における「不滅」の考えは興味を持った。インターネットにおいては、本人が死んでしまっても、電子メールアドレスが残っていることによって、そのアドレスにメールは送ることができる。Webサーバー(今ならばブログか)もそのまま保持することが可能だ。このような状況だと、リアルワールドで死を迎えても、サイバーワールドでは永遠の命を持つことも可能かもしれない。

氏はここまでは述べていないが、ブログやメールなどを元に、個人の発言の癖などをプログラムが学習することは可能だろうし、そのうち発言の元となった思考方法そのものも学習することができるかもしれない。たとえば、どのようなWebを良く見ているか、どのような検索を行っているか、それによってどのような結論を出し、それをどのような人に向けて発信したか-これらの情報を学習するようなサービスをどこかが出したとしたら、本人が死んだ後も、ブログは更新され続けるかもしれないし、メールにリプライできるかもしれない。

そんなことを氏のセクションを元に考えてみた。

それが素敵なことかどうか私にはまだ判断できない。ただ、怪しい霊媒師に頼るくらいならば、本人の行動を元にしたプログラムに相談するほうがましだろう。

Key Take-aways from Firefox Rock Festival

Mozilla24の一環として渋谷BOXXで行われたFirefox Rock Festivalに行ってきた。参加アーティストは左のとおり。

小さい小屋でスタンディングで聴くなんて、すごい久しぶり。正直、少年ナイフ以外は知らなかったのだけれど、とても楽しめた。Mozillaさん、ありがとう。ちょっと思ったのが、全体的に縦ノリのバンドが多いこと。観客を煽り、自らも観客の輪の中に飛び込むパフォーマンスも飛び出す。非常に扇情的。高校の頃以来かもしれない、こういった縦ノリのバンドのライブに来るのは。

出たアーティストの中では、ミドリが気に入ったんだけど、mf247で公開されている「あんたは誰や」を聴いても、ライブでの感動には程遠い。やっぱりライブではじめて本当の評価を下せるアーティストなのかもしれない。あと、トリの少年ナイフは圧巻。ドラムのえつこが特に良かった。

このライブイベントはFirefox Rock Festivalって名づけられていることからも分かるように、Mozilla24の一環としてインターネットとアートの未来を考えるという趣旨で開催された。ライブは全世界にリアルタイムで配信された。さらには、バンド交代の幕間にはKNNの神田氏がMCとして登場し、インターネットを用いてもっとアート/音楽を楽しむための情報やちょっとしたTipsなどが紹介された。

この神田氏のトークからいくつか面白い情報を知った。

まず、イアンギランがインターネット上でボーカリストやギターリストのためのカラオケの素材を提供し、それに自分でボーカルやギター演奏を重ねて投稿してきた人をサイトのユーザーで投票し、優秀アーティストを選ぶということをやっている。

SMOKE THIS (Guillan's Inn)

これは面白い。ギターリスト用カラオケはイアンギラン自身がボーカルを先に入れたものになっている。投稿された完成楽曲にはイアンギランがコメントもつけている。優秀者はイアンギランと一緒に競演できるというおまけつきだ。

もうひとつ似たようなものとして、私の敬愛するCharの楽曲をアマチュアバンドが演奏し投稿できるサイト、the TARGIE SHOWも紹介された。名曲Smokyをいろんなバンドが演奏しているのだけれど、山口県のおかまバンドにはぶったまげた。めちゃうまい。最終的にはグランプリなどが決まるのだが、そこにあるCharの寸評もいかしている。

インターネットは中毒患者のように毎日アクセスしているんだけど、まだまだ知らないサイトがあるもんだということに気づいた。

ところで、FlickrでOfficial Photosが公開されているんだけど、なぜかミドリがない (T_T)。

2007年9月8日土曜日

年齢を重ねる

誕生日を喜んでいたら、私よりはずっと若い同僚に「(この歳になっても)誕生日が楽しいなんてすごいですね」と言われた。

確かに私も少し前までは、年齢を重ねることが苦痛だった。残りが少なくなった夏休みを過ごす小学生のような気分だし、実際悲しいかな肉体的な衰えも認めざるを得ない。「時の流れは時として残酷で」と久しぶりに会った友人にはふざけて言うことも多い。

考えが変わったのは、3~4年くらい前のこと。

敬愛するギターリストのチャー(竹中尚人)がFMの生番組でインタビューを受けていたのを偶然聞いたのだが、その中でインタビュアーに「若いミュージシャンと協演することも多いが、年齢によるハンディを感じることはないか」とい聞かれて、「いや、全然ないね。毎年毎年新しい発見があって、確実にうまくなるのが楽しくてしょうがない」と答えたのを聞いてからだ。

若い連中に絶対に敵わないところはあるだろうが、人間死ぬまで進歩できるところも多い。進化を止めたら、そこが終着点なのだろう。

そんなことを思っていたら、自分が書いた古い日記に次のような記述を見つけた。
風呂上りに冷えたビールを呑みながら、庄司薫の本と一緒に梱包してあった「新人類図鑑」を読む。筑紫哲也が編集長の時代に朝日ジャーナルで80年代の新人類(死語だ)と対談したのをまとめたやつだ。そうそう、これと「若者たちの神々」が好きだった。当時は朝日ジャーナルを毎週買って、バックナンバーもすべてストックしておいたんだっけ。「新人類図鑑 Part2」に西和彦が出ている。「30代、40代、50代と過去を否定して生きていきたい。常にヒットを打ち続けたい」と言っている。今読むと感慨深い。連続ヒットは途中で止まったけど、過去の否定はし続けているんじゃないだろうか。

西和彦氏の今については良く知らないが、この言葉は今でも名言じゃないかと思う。
「30代、40代、50代と過去を否定して生きていきたい。常にヒットを打ち続けたい」
そういえば、私の好きな吉田美奈子の歌にも、「昨日より今日を愛している」というようなフレーズがあった。

昨日より今日、今日より明日、そして来年。時の流れを愛おしみ、自分の弛まぬ成長を信じんて年齢を重ねるなんて素敵じゃないだろうか。そう思えるようになった自分がいる。お前も歳をとったなと言われれば、そのとおりかもしれないが。

誕生日おめでとう。

2007年9月4日火曜日

セックスボランティア

これも以前から書店で見かけていた本。だいぶ前にすでに文庫化されている。今回、やっと読んでみた。

今までタブー視されていた障害者の性について扱ったドキュメンタリーであり、障害者の性の日本の現状とそれを打破しようと試行錯誤する人たち、そしてオランダの現状などが語られている。

多くの人はこれを「障害者の」というコンテキストで読むと思うし、それは正しいと思うのだが、私はこれが障害者の方だけのものとは思えなかった。性と生の問題、障害者の方のほうが課題は多いかもしれないが、この書籍で語られていることは、実は非障害者にも共通したものが多いのではないだろうか。愛と性の関係など、実は共通の問題が、障害者という母体において顕在化したに過ぎないように思われる。

セックスボランティア (新潮文庫)
河合 香織
4101297517


また、純愛と呼んでも良いであろう竹田さんとみどりさんのエピソード(遠く離れ、手紙でしか愛を確認できない中、最後にはみどりさんが亡くなってしまう)には考えさせられるものがあった。一般人でもこのような状況におかれ、愛し合っていていても結婚できない、会うことも出来ないということはありえると思うが、障害者という条件が状況を過酷にしている。愛というものの素晴らしさを再確認させられるとともに、安直な感想になってしまうが、二人を救えなかった社会が残念でならない。

2007年9月3日月曜日

単行本で出版されたときから気になっていたが、文庫になって久しいので、ついに読んでみた。柳美里の命四部作第一幕。

既婚者との不倫し出産にいたる筆者と東京キッドブラザース主宰の東由多加氏の末期癌との闘病を描いたもの、と一言で書くと、極めて軽く感じてしまう。この作品には、こんな簡単な言葉では表せられない情や業というものが込められている。

命 (新潮文庫)
命 (新潮文庫)

Amazonのカスタマーレビューを見ると、絶賛する人とここまでかと思うほど酷評する人に二分されているが、ここまで評価が分かれる作品も珍しいのではないか。作品そのものに対する評価に加えて、柳という人、その生き方を理解できるか、支持できるかがこの極端に別れる評価に現れているのではないかと思う。

柳氏の生き方を自分勝手とか他者に責任を押し付けるということもできるかもしれないが、人間なんて所詮自分勝手なものだ。それよりも、ここまで生と死について向き合って、不安定な精神のままでも懸命に答えを探す姿に私は心打たれた。

さらに、一方の主人公である東氏が柳氏にもまして魅力的だ。東京キッドブラザースは私の世代でロックやミュージカルが好きならば、一度はあこがれた劇団だろう。その主宰である東氏の名前は知っていたが、どのような人物かはほとんど知らなかった。Wikipediaの東京キッドブラザースや東氏の項目も悲しいくらい情報がない(2007年9月現在)。氏のことを知る本ならば、ほかにもたくさんあるのかもしれないが、この作品から氏を知るというのも悪くないのではないか。たとえば、氏が生まれてくる子供のために何ができるか考えて次のような手紙を治療中のニューヨークから日本の柳氏に送る。
初めて言いますが、あなたの赤ちゃんに何をしてあげられるだろうかと考えてきました。ぼくには恐ろしいほど時間がないのですが、出来れば、ですよ、死ぬまでに3人の名前をプレゼントしたいと思っています。赤ちゃんの御守のなかに3人の名前と生年月日と住所と電話番号を書いた紙を入れます。その3人は赤ちゃんの身に何か困った事が起きたときに連絡すると、必ず役に立ってくれる人です。ぼくに代わって助けてくれます。
驚いた。まったく同じではないが、私もこのような考えをすることがある。会う機会が失われた友人がいるのだが、その友人にはCarole KingのYou've Got A Friendの一節を送った。JASRAQが怖いので、歌詞を引用できないが、「もし助けが必要ならば、どんなときでも呼んでくれ」という内容だ。

柳氏が東京キッドブラザースでまだ女優を目指していたときの関連エピソードも東氏の想いを現している(劇団員に真の友人を今すぐここに呼んでみなさいという場面)。まさに、これなど、「友人」というものに対する氏の希望とおそらく予想していたであろう現実が示されている。

私はいろいろなものに影響される傾向にあるのだけれど、この「命」も結構重く心の中に残った。四部作なので、あと三幕ほどあるのだけれど、読むタイミングを選ばないと。

2007年9月2日日曜日

フラット革命

佐々木俊尚氏の最新作。佐々木氏から贈呈していただいた後、すぐに読了していたのだが、ここに載せるのが遅れた。

佐々木氏の著作はこのブログでも何回か紹介している。私が好きなジャーナリストの1人だ。
IT系のジャーナリストというと、技術的な話題だけに終始したり、ネットなどでの2次情報だけでお手軽に記事/書籍にするような人が散見され、正直、あまり「この人はすごい」と思わせる人は多くなかった。一般のジャーナリストと比べても、さらにはアルファブロガーと呼ばれる人に比べても、実際に発信される内容の魅力は乏しく感じることが多い。メディアに知人が多いが、何人かは日本のIT業界に本当のジャーナリズムなど成り立たないと断言していた。企業側から締め出されてしまっては、取材にも影響が出て死活問題となるし、雑誌やオンラインメディアの場合には広告にも影響があるからだ。

佐々木氏に以前お会いしたときに、この懸念をぶつけててみたことがあるのだが、彼は一笑に付した。情報源は必ずしもベンダーだけではないと言う。実際に彼は実績を残している。

前置きが長くなったが、この「フラット革命」、佐々木氏の最高傑作だ。毎日新聞のネット降臨という記事はネット界で大きな議論を巻き起こしたが、佐々木氏はCNETのブログにて取材の可視化の要否、メディアの言う「われわれ」とは誰かという問題を提起している。この佐々木氏のブログのエントリにも非常に感銘を受けたが、本書でもその件が再度論じられている。それ以外にも、既存メディアや既存権力とネットの対峙する状況をさまざまな例を引き合いに出し、論じている。

私はネットによる、すべてがフラットに直接民主主義的に情報発信ができ、世論形成される世界を支持するが、そのような私にも、今の状況はまだ過渡期であり、解決すべき問題が山積されていることがわかる。果たして、ネットによる新たなメディアは本当にバラ色の社会に導くかどうか。ネット側の人間として、傍観者としてではなく、当事者としてこの問題に取り組まなければならないと意識させられた。

1つ残念なのが、タイトルと内容のミスマッチか。「フラット革命」というタイトルからは、ネットによるフラットな意見形成が次世代の社会基盤かのようにミスリードさせてしまう。あと、欲を言えば、日本とほか諸国の状況との違いなども網羅されていると、さらによかったかと(ボリュームを考えると、1冊でそこまで網羅するのは無理とは思うが)。
フラット革命
佐々木 俊尚

4062136597

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佐々木さん、贈呈感謝です。また、いつかお食事でも。

2007年9月1日土曜日

Kurt Cobain - About A Son


Kurt Cobain - About A Sonを見た。会社の同僚と見たのだが、これは一人で見たほうが良い。

Nirvana(ニルヴァーナ)のボーカル兼ギターのKurt Cobainへのインタビューを収録したものだが、見ていて、少しつらくなる。

10年ほど前、Newsweekでシアトルについて特集が組まれたことがあったが、そのとき、Upper Middleが多く、全米でもっとも住み易い街と言われるシアトルだが、実は閉塞感を感じている人も多いということがわかった。雨季の湿気と、山地に近い土地が、私は好きなのだが、人によっては追い詰められる人もいるという。Kurt Cobainの自殺の理由は別にあるのだろうが、もしかしたらシアトルという土地も彼を追い込むことに手を貸してしまったのかもしれない。

映画に出てきたシアトルの町並みを見て、懐かしく感じるとともに、そんな風にも思った。

Nevermind
Nirvana
B000003TA4