2007年11月25日日曜日

林檎コンプレックス―椎名林檎的解体新書

本日(11/25)は椎名林檎さんの誕生日。

ここ最近、すっかり椎名林檎さん/東京事変ばかり聞いている。年甲斐も無く、スタンディングのコンサートにまで行ってしまうし、過去のCDやDVDも集めまくっている。スコアブックまで購入してしまっている始末だ。

4884693280林檎コンプレックス―椎名林檎的解体新書
丹生 敦
太陽出版 2003-08

by G-Tools

Wikipediaなどでもデビュー前から今までのいろんなエピソードを知ることができるのだが、もっと知りたくなって、本書を購入した。

2003年が第1刷発行ということで、東京事変以降については書かれていないが、椎名林檎の生い立ちやデビューまでのいきさつ、さらにはその後を知るには、お手軽(と言っては著者に失礼かもしれないが)な一冊だろう。ただ、惜しむべくは、おそらく本人へのインタビューなどは行わないで書かれていると思われるところだ。多くの一般に公開されている情報を集約させるだけでも意味は大きいと思い、そこに文脈を流し込むというのは立派な創作行為だとは思うが、あえてそこで集大成として本人にインタビューはできなかったものかと思う。

もっとも、彼女のインタビューならば、その後、TVや雑誌などで見たり読んだりすることができたので、個人的にはそれで十分であるが。

林檎さん、誕生日おめでとう。

成功者の絶対法則 セレンディピティ

だいぶ以前に読み終わっていたのだが、感想を書くのが遅くなってしまった。なお、本書は著者である東京理科大学MOT大学院教授の宮永博史先生からいただいたものだ。宮永先生、贈呈ありがとうございます。

成功者の絶対法則 セレンディピティ
成功者の絶対法則 セレンディピティ

成功者の絶対法則というタイトルから安易なマネー術かと思ってしまうかもしれないが、本書は人間が働き、そして生きていくために必要な「偶然」を呼び込むためのヒントを紹介するものだ。

私は恥ずかしながら本書を読むまで知らなかったが、「セレンディピティ」という言葉がある。これは「偶然をとらえて幸運に変える力」のことだ。こう書いても、なにやら怪しい自己啓発セミナーなどを想像してしまうかもしれないが、そうではない。たとえば、ノーベル化学賞の田中耕一氏の研究が失敗による産物であったことは有名だろう。このように失敗という偶然から幸運の種を見つけ出し、成功に結びつけることをセレンディピティと呼ぶ。

3Mのポストイットも有名な例だ。失敗して、通常では商品化できない弱い接着剤を開発してしまった一人の開発者とその使い道を考え付いたもう一人の社員。その二人の組み合わせで生み出されたのがポストイットだ。

これらの例は「偶然」なのであるが、この偶然は日ごろの努力により呼び寄せることが可能だという。正確に言うならば、偶然を見逃さずに、成功に結びつけることができるようにするのは技術だ。

本書ではいくつものセレンディピティの例と、そのための発想法や組織論が解説されている。

いくつ本書より学んだポイントを挙げよう。
  • 成功は「素人発想」+「玄人実行」
  • 「考えてもいなかった市場で、考えてもいなかった客が、考えてもいなかった製品やサービスを、考えてもいなかった目的のために買ってくれること」がベンチャービジネスが成功する要因の一つ(P.F. ドラッガー)→ つまり、「想定外の所で起こりつつある機会」に敏感になることが重要
  • 「見えざる顧客」をいち早く獲得する
あと、本書では、ジェームズ・W・ヤングの「アイデアの作り方」の中で紹介されているアイデアを生むための次の5つのステップを解説している。
  • ステップ1: 情報の収集
  • ステップ2: 集めた情報を頭の中で租借する
  • ステップ3: 問題を放棄する
  • ステップ4: (セレンディピティによる)偶然の発見
  • ステップ5: 論理的な思考を駆使して、アイデアを強化
ここでさらに、著者(宮永先生)はステップ1のために、ポートフォリオ読書術を勧められている。これは、毎月20ジャンル、20冊の読書をするというものだ。今年100冊の読書をゴールにしていたのに、いまだに50冊ちょっとくらいしか読めていない私には耳が痛い言葉だが、確かに意識して分野を広げなければ情報や知識に偏りが生じてしまうだろう。

最後に、社会人として基礎教養となっているロジカルシンキングについてもヒントを披露してくれている。MECE、すなわち漏れなくダブり無くというのがロジカルシンキングの基本であるが、ロジカル構造はピラミッド構造で考え、その上下の関係は「なぜならば」(上から下に下りる場合)と「だから」(下から上に上る場合)のいずれかで結び付けられる。また、MECEにしろその範囲を的確に抑えておかないと、漏れが出てきてしかねない。

このように、「セレンディピティ」という偶然のひらめきをつかむためのヒントが多く書かれているが、それ以外にも働き方や考え方の基本となる情報がわかりやすく解説されている。いろいろな例が示されているのも良い。多くの人に推薦したい一冊だ。

2007年11月18日日曜日

数字の魔法

糸井重里さんの「小さいことばを歌う場所」から。
ほんとうは数字で表せないことを、
なんとか数字で表すようにしていることがあります。
数字って、妙に説得力があるんです。
だから、数字をよくすることが目的になりやすい。
気をつけなきゃなぁと、ぼくみたいなものも思うんです。
いま求めていることは、数字で表せることなのかどうか?
しょちゅう問いかけている必要がありますね。
ゴール設定をするときに、自らにも、周りの人間にも、チームにも、(今はいないけど)部下にも、定量的なものを求める。そのほうがゴールを達成したかどうかがはっきりとするから。

前の会社ではゴール設定の際に常に"SMART"であれと呼びかけていた。ご存知ない方のために説明すると、SMARTとは次の5つの略語だ(いくつかバリエーションがあるので、それも含めておいた)。
  • S : Specific
    具体的なこと
  • M : Measurable
    結果が測定可能なこと
  • A : AtainableまたはAction-oriented、Achievable
    達成可能かつすぐに行動に結びつくこと
  • R : RealisticまたはRelevant
    現実的かつ自分の担当と関連性のあること
  • T : TimelyまたはTime-based
    妥当性のある期日があること
このようにSMARTを念頭に置き、ゴール設定することで自分やチームメート、上司などとの間でも、解釈の違いのない明快なゴールが作成可能となる。

しかし、製品などのいわゆる「作品」を作成する場合や人に向き合う仕事をしている場合、必ずしも数字ですべてが表せるわけではない。数字に表せないもしくは数字にしたらごくごく小さいことであっても、譲れないもの、こだわらなければいけないものもある。組織が大きくなると、現場から離れた人間はどうしても数字ですべてを判断し勝ちだ。

「スプレッドシートマネージメント」という言葉がある。数字計算だけが得意な現場を知らない若い兄ちゃん(姉ちゃんでもいい)などがいきなり組織の長に立ち、数字だけで管理しようとすることを揶揄した言葉だ。と思って、検索してみたら、このような意味でこの言葉を使っているのを見つけることができなかった。もしかしたら、私の造語かもしれない。いずれにしろ、きれいに数字を並べて、それで業績を管理するのは実は楽なのだ。また、組織としても、それになれると、数字を揃えることが最終結果になりやすい。

SMARTは今でもゴール設定する際の重要な考え方だと思う。しかし、糸井さんが言うように、物事すべてが数字で表せるわけではない。数字で表せないところにこそ本質があるものも多いはずだ。そのようなものへのこだわりをいつまでも忘れずにいたい。

2007年11月13日火曜日

Spa & Treatment

私的な時間で昨日の11月11日に、Zepp Tokyoにて東京事変のライブを見てきた。そう椎名林檎さまがボーカルを務めるバンドだ。そう亀田師匠がベースを務めるバンドだ。

多くを語るまい。エンターテイナーというのは彼女のような人のことを言うのだろう。優れた楽曲、すばらしい歌唱力、支えるバンドの力量、会場とのコミュニケーション、手の指先ひとつまでにこめられた彼女の演出。

完全に脱帽。

数多くのミュージシャンのステージを見てきたが、その中でもトップの部類に入る。年齢的には、会場内でちょっと浮いていたかもしれないという気もするが、気にしない。本当に行ってよかった。ファンクラブにでも入りそうな勢いだ。友人/知人/親戚/縁者の方々、呆れないように。


以下、11/24に追加

ツアー終了したので、演奏された曲目を挙げておく。

復讐 (アルバム「娯楽(バラエティ)7曲目)
酒と下戸 (アルバム「娯楽(バラエティ)11曲目)
歌舞伎 (アルバム「大人(アダルト)」7曲目)
OSCA (アルバム「娯楽(バラエティ)5曲目)
MC
ランプ (アルバム「娯楽(バラエティ)1曲目)
ミラーボール (アルバム「娯楽(バラエティ)2曲目)
金魚の箱 (アルバム「娯楽(バラエティ)3曲目)
群青日和 (アルバム「教育」の2曲目)
ピノキオ (シングル「OSCA」2曲目)
MC
某都民 (アルバム「娯楽(バラエティ)8曲目)
月極姫 (アルバム「娯楽(バラエティ)10曲目)
メトロ (アルバム「娯楽(バラエティ)13曲目)
鞄の中身 (シングル「OSCA」3曲目)
丸の内サディスティック (ソロアルバム「無罪モラトリアム」3曲目)
MC
閃光少女 (ニューシングル)
私生活 (アルバム「娯楽(バラエティ)4曲目)
修羅場 (アルバム「大人(アダルト)」5曲目)
黒猫道 (アルバム「娯楽(バラエティ)6曲目)
MC
キラーチューン (アルバム「娯楽(バラエティ)12曲目)
アンコール1回目
体 (シングル「キラーチューン」3曲目)
SS/AW (アルバム「娯楽(バラエティ)9曲目)
アンコール2回目
透明人間 (アルバム「大人(アダルト)10曲目)

2007年11月5日月曜日

ALWAYS 続・三丁目の夕日

1作目を直前に見てから、映画館に向かったのだが、この2作目(2作目で終わりだそうだが)、甘くみていた。

1作目は、悪くは無かったが、正直それほど面白くは無かった。なので、この2作目も途中で寝ちゃうかも~とか思って、見始めたのだが、寝るどころか、終盤に号泣してしまった。1作目は泣かせる場面はほとんど無かったのに。泣かせることを意図した演出に、あまりに見事にはまってしまったとも考えられなくも無いが、それも良いだろう。泣くことはストレス解消になるらしいから。

小雪さんがなかなか良い味を出している。木村多江さん、麻生久美子さんに次ぐ3人目の薄幸美人のタイトルをあげてもいいかもしれない。

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2007年11月3日土曜日

今、誰に逢いたいですか

私の参加しているmixiのあるコミュニティに「今、誰に逢いたいですか」というトピックがあった。

今、一番逢いたい人は? 逢えたら、何と声をかけたいか?

付けられたコメントを読んでみると、現在もしくは過去に付き合っていたパートナーをあげる人が多い。ほかにはまだ見ぬパートナーだったり、生まれてくる子供だったり。みな、それぞれの思いを書いている。

私の場合は、父親だ。私の中で彼の存在はもはや神格化している。おそらく生きていたら、喧嘩もしただろうし、鬱陶しく思うこともあっただろう。だが、私の心の中の彼は、不器用な生き方さえ愛せてしまう、厳しくも優しい魅力的な父親のままだ。

父に関する最初の記憶は、二人で過ごした週末のことだ。私が幼稚園に入る前か入った直後くらいだと思うが、母も働いていた関係で、日曜日に父と二人きりになることも多かった。幼い子供との接し方をしらない父は、ほかに私との遊び方も思いつかなかったのか、いつも近くのおもちゃ屋でプラモデルを買って組み立てた。小さかった私は父の作るプラモデルの接着剤が乾く前に触ってしまい、壊してしまうこともたびたび。そのたびに父からひどく怒られていたのを覚えている。このころは父と二人きりでいることがあまり好きでなかった。父も私との接し方を模索していたのかもしれない。

小学校に入ってからは、父が野球や将棋などを教えてくれた。ただ、これも私から教えてくれと言ったわけではなく、彼から「これを覚えろ」という形で半ば強制されたもの。父に自分から遊ぼうと言ったことはなかったのではないだろうか。いや、たぶん、あるのだろうが、それが思い出せないくらい、厳しい父の姿しか思い出せない。今でも強烈に覚えているのは、学校から帰ってきて、部屋で風船をサッカーボールのようにして蹴って遊んでいたときのこと。珍しく早く帰ってきた父は何か機嫌悪かったのか、いきなりその風船を足で踏みつけて割ったのだ。その前に、母に「止めなさい」と注意されていたような気もするが、いきなり無言でこのような行為をされたことにひどくショックをうけた。

私は中学受験をすることになったが、受験する学校も父(と母)によって決められた。中学だけでなく、文系か理系かの高校での進路、大学の学部など、すべて父によって決められた。反抗しなかったわけではないが、結果的に父の判断は常に正しかった。今でも思う。もし私が文系に進んでいたら、もし私が理工学部に進んでいなかったら、と。

父とちゃんと話をするようになったのは、高校に入ったころだったと思う。

共産主義ではないが、少し左よりの考えに凝ったことがあったが、彼は「お前がどのような思想を持とうが自由だが、私はそのような生き方で幸せになれるとは思えない。友人でそのような方向に進んだ人間を見ているが、自分の息子が苦労するのは見たくない」と冷静に話してくれた。本気でそのような方向に進もうと思っていたわけでなく、ファッションのような感覚で、そのような思想にあこがれたふりをしていただけだった私は、真剣に話してくれる父の姿を見て、自分を少し恥ずかしく感じた。

また、アルコールが入ると父はやたら陽気になる。終電近い地元の電車で帰り一緒になったとき、私は少し前の駅に自転車を止めていたので先に降りることになったのだが、父は私に向かって「お互いがんばろうなぁ!」と私が恥ずかしくなるくらいの大きな声で見送ってくれた。このころから厳しいだけだった父の人間としての魅力もわかるようになった。

その父が私が大学3年のときに亡くなったときには、急に世の中に放り投げられたように思った。バブル期の就職活動だったので、贅沢を言わなければ就職できないということはない時代だった。しばらく前の就職氷河期の連中に比べればぜんぜん楽なはずなのだが、私は自分の進路に迷い、悩んだ。食事も喉を通らなくなり、最後は判断力がなくなり、最初に内定が出たところに就職しようと決めて、そのとおりにした。運よく、自分の能力が活かせる会社に就職することができ、今の自分があるのだが、その後も、「もし父がいたら」と思うことが何度もあった。

実は、私は父とは酒を酌み交わしていない。厳しかった父は、私が成人になるまでは酒を飲まないと決めていて、私が高校くらいから酒を飲んでいることはうすうす気づいていたにも関わらず、「20歳になったら酒を飲もう」と言っていた。残念ながら、私が20歳になってしばらくして、父は病床に倒れてしまって、約束は果たせないままでいる。父は仕事を愛していたのだが、責任感が強すぎたのか、他人の分まで仕事をしてしまったのか、若くしてこの世を去ってしまった。父のそのような部分は真似すまいと思っているのだが、最近の私はちょっと無理しすぎかもしれない。私も自分の子供たちに「20歳になったら、一緒に酒を飲もう」と話している。せめてこの約束だけは守れるように、もう少し体を大事にしないとと改めて思う。

数日前にふと気づいたのだが、今年で彼と一緒に生きた年数と彼がいなくなってからの年数が一緒になった。これからは彼がいなくなってからの時間の方が多くなっていく。何か複雑な気分だ。