2012年4月30日月曜日

震災と情報――あのとき何が伝わったか


 昨年の3月11日以降、何が起きていたのか。 日本を離れていなかった人ならば、実体験として、それを知っているはずだ。だが、改めて時間軸に沿って眺めてみると、いろいろと課題が見えてくるものである。送られてくる情報が錯綜する中でいったい何が起きていたのか。後から公開された情報をすべて見ている人ばかりではない。一度公開された情報が数度となく取り消され、変更される。よほど注意深く追っていた人でないと、誰がどのような経緯で公表し、それが変更されたのかはわからない。

時間を経過した今だからこそ俯瞰できる。

震災と情報――あのとき何が伝わったか (岩波新書)」は情報工学の専門家である徳田先生(東工大教授)がまさにそれを行ったものだ。

徳田先生は「デジタル社会はなぜ生きにくいか」という著書もあり、デジタル社会の課題についても警鐘を鳴らされていた。だが、この震災に関しては、ITの力を次のように評価する。
2011年6月に国連では、インターネットのアクセスは基本的人権の1つであるという考えが生まれている。2011年初頭にいくつかの国で政府による一方的なインターネットの遮断が行われたからである。この考えを2011年の日本に適用してみよう。災害時のインターネットのアクセスは基本的人権である。そしてさらに放射線の測定データとその判断基準へのアクセスは基本的生存権である。
本書の中でも触れられているが、SPEEDIによる放射線拡散シミュレーションデータは公開できたにも関わらず、公開されなかった。浪江町で測定されていた放射線量は測定場所を明らかにしない形でしか公表されていなかった。筆者の言葉を借りて言うならば、基本的生存権に反する行為が行われていたことになる。

実際、SPEEDI相当のデータは海外の研究機関からは提供されていた。オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)やノルウェー気象研究所(NILU)、ドイツ気象庁(DWD)フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)などだ。

国内と国外の情報格差は、原発事故の予測一般についても言うことができる。国内のメディアは公式発表を繰り返すだけであり、最悪のケースについては口をつぐんでいた。思考停止状態に陥っていたと言われても仕方あるまい。一方で、ウォール・ストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズ、CNNなどは政府からの情報だけではなく、各種情報にあたり、最悪のシナリオも含めた報道をした。原発事故直後に欧米政府が行った自国民に対する避難勧告などを当時は不快に感じた人や大げさに感じた人も多かったかもしれないが、当時の状況が明らかになった今からみると、極めて正しい姿勢だったと思える。
本書の中でも以下のように書かれている。
日本のテレビ放送と国外放送の違いは明らかであった。日本のテレビ放送は、大きな原子力事故ではないこと、そしてただちに健康に影響はないことを強調した。これに対して国外の放送は、厳しい状況になる可能性があることを説明し、日本から国外に脱出する人々や東日本から西日本に批難する人々の様子を伝えていた。そしてもし福島第一原子力発電所で「最終的事態」が起こった場合、放射性物質が、日本の首都圏には約10時間前後で到達し、アメリカ西海岸へは1週間前後で到達することを説明し、しばしば現在の福島第一原子力発電所周辺の風向きを伝えていた(もし、日本のメディアが首都圏までの放射線物質の到達時間に言及していたとしたら、不謹慎な発言として非難されたと思われる)。
果たして、今現在、この時のことを踏まえて、日本の報道は変わっているのだろうか。人々は(本書の言う)「情報空白」をどこまで埋めようとしているだろうか。たとえば、福島第一原子力発電所四号機のリスクをどこまで把握しているだろうか。

本書で、筆者は自らの考えを強く言うでもなく、極めて冷静に、時系列に沿って、事実を積み重ねる。だが、その淡淡とした手法の中に筆者の意思が見え隠れする。そして、それは「あとがき」の最後の一節で明らかにされる。

情報工学の専門家として、通信やソーシャルメディアに対する考察などはもちろんのこと、情報を取り扱うメディアの姿勢に対しても極めて理的に考察、いや批判する、この筆者の姿勢に共感を覚える。

読み物としては、やや文章が読みにくいが、3月11日以降に起こったことを確認するには、コンパクトながら充実した内容である。お勧め。

2012年4月22日日曜日

ランニングのすゝめ

TwitterとかFacebook、Google+を見ている人はすでに知っているように、すっかりランニングの虜になっている。

Runkeeperというモバイルのアプリで記録を録っているのだが、それを見ると、2009年の5月頃から走っていたようだ。だが、2009年は月に1度とか2度しか走らないという時期もあり、本格的に走り始めたのは2010年の春ごろだ。

それから2年経ち、今では、人を捕まえては、ランニングしませんかと誘うほどになった。

ランニングの何が良いのか。

まず、気持ち良い。走るのが苦手という人がいるが、それは速度をあげた走りのことだろう。自分が無理なく走れる速度まで落として走れば良い。人間は汗をかいて快感を感じるように出来ている。しばらく続けたら、きっと走った後に気持ち良いと感じることだろう。

それに関係するが、走ることにより、ストレス解消となる。どんな人でも何かイライラすることがあるだろう。仕事関係だったり、家族や知人とのいざこざだったり。走ることにより、それらすべてが魔法のように解決するとは言わないが、走ってしばらくすると、少なくとも走っている間は忘れることができる。

体に良いというのは当たり前の効用としてあげられるだろう。私は痩せているにも関わらず、高コレステロールと言われていた。薬まで処方されるくらいだったのだが、走り始めてから、すっかり正常値に落ち着いた。もともとダイエットは必要ない体質だが、それでも余分な贅肉はとれたように思う。肌荒れなども無くなった。今では、どうも調子が悪いなと思うときは、だいたいしばらく走れていない時だ。

また、走ることを習慣化するために、時間を有効活用するようになった。金曜日夜の深酒は少なくなった。平日普通に働いている人にとって、週末というのは距離を走るのに貴重な時間だ。以前は金曜日に呑み過ぎ、土曜日を二日酔いで苦しむことが少なからずあったが、走るようになってから、激減した。平日も2回か3回は朝か夜のどちらかに走るようにしているので、同じく深酒は避けるようになったし、仕事なども効率良く進めるようになった。

始めるために、あまりコストが掛からないのも良い。実際には、凝り始めるといろいろと買うものが増えるが、ゴルフなどに比べれば、微々たるものだ。また、いつでもどこでも走れるというのも素敵だ。出張にもランニング道具一式を持っていくようになってしばらくたつが、サンフランシスコ市街、シンガポール、上海、台北などなど、いろいろな都市を走った。実は走るスピードが知らない街を探索するのには一番向いている。車では速過ぎるし、歩くのでは遅すぎていろいろと見れない。ゆっくりと走ることで、街のいろんな姿が見えてくる。

人を理系と文系に分けるのは嫌いなのだけれど、ここではあえて使わせてもらうと、ランニングというのは理系な人に向いていると思う。

ランニングは自分との競争である。前回よりも長く、前回よりも遠い距離を。このように、自分と戦う。大会などに出るとき、4時間を切れるようにと、時間をゴールに置くことも多いだろうが、これも結局自分との戦いだ。自分という肉体とそのときの状況(レースだったら、レースコンディションなど)を見極め、作戦を立てる。

理系の学問は、仮説を立て、それを実行し、その結果を検証するというループを回すことで真理に近づいていく。ランニングも同じだ。

次のレースに向けて、自分の課題は何かを洗い出し、それに向けての対策を練る。

もし完走を目指すならば、完走するだけの距離を走るための筋力をつければよく、そのための練習を行う。ある時間内でのゴールインを目指すならば、そのための課題を考える。

レースまでの間の週末などに、課題に対して行った練習の成果を、ある程度の長距離を走ることで検証できる。その結果を踏まえて、また練習方法を変えれば良い。

自分の肉体がパラメータとなる。そうなると必然的に摂取するものにも工夫を凝らすようになる。レース近くになると、カーボローディングと言って、炭水化物を大量に摂取することが知られているが、レース直前だけでなく、普段からどのようなものが必要かを考えるようになる。体型の変化や普段の練習の結果などで、その成果も検証できる。

レースコースを事前に確認し、高低差や途中の給水所の場所や出されるものを確認しておく。今シーズン最後のレースが先週末にあったのだが、私は5kmごとのペース配分と給水所で補給すべきものをすべてメモし、それを確認しながらレースに臨んだ。もちろん、予定通りに行かなかった場合には、適宜、それを修正しながら、与えられた状況下で最善の結果となるように努力した。

自分の体、自然環境、レースコンディションなど、複数のパラメータに対しての係数を変化させ、その結果を検証する。まさに、理系的な作業だ。実に楽しい。

すでに、ランニングはブームになっていて、レースのエントリーなどはいつも大変だし、人気の練習コース(皇居など)は混んでいて、これ以上、ランナーが増えるのは本当は困るのだけれど、良いことずくしなので、少しでもそれをおすそ分けしたくて、このブログを書いた。参考になれば。

参考ブログ記事: