2007年8月31日金曜日

クワイエットルームにようこそ

昔、精神疾患について興味を持ったことがあった。確か、「ドグラ・マグラ (ハヤカワ・ミステリ 276)」を読んでからだったかと思う。

宝島別冊か何かで特集されていたのをきっかけに、いろいろな書物を読み漁った。中には実際の精神病院に病気と偽って入院したのを書いた「新ルポ・精神病棟」などもあった。さらには、その後、精神医学だけでなく、心理学関係の書物も読みまくった。あとから聞いたのだが、母親は息子が何かおかしな方向に行ってしまっているのではないかと心配していたそうだ。

さて、「クワイエットルームにようこそ」なのだが、実は、一度、最初の数ページを読んで、どこからか、「これはお前が今読む本でない」とささやく声が聞こえてきたために、読むのを断念してしまった本だ。

そのため、今回、再度挑戦ということになるのだが、ヘビー(あとから考えると、それほどヘビーでもなかった)なのは、最初数ページだけで、そのあとは軽快なリズムでテンポ良く読める。ただ、読後に何も残らないのはなぜだろう。アマゾンのカスタマーレポートなどを読むと、笑うための本として評価されている。そうなのか。だとしたら、私の笑いのツボにははまらなかった。かといって、じっくり考えさせられるほどの深さはない。

クワイエットルームにようこそ (文春文庫 ま 17-3)
クワイエットルームにようこそ (文春文庫 ま 17-3)

この本、第134回芥川賞候補だったそうだ。けど、ちょっと今の私の趣味ではない。

2007年8月29日水曜日

永遠。

村山由佳という作家は本が平積みになっているのを良く見ていたので、以前から気になっていた。また、私は女流作家というのは嫌いではない。江國香織も好きな作家の1人だし。ということで、今回は村山由佳の本を買ってみた。

字の大きさがストーリーの軽さに比例しているだろうと予想していた。実際に読んでみると、確かに読みやすいのではあるが、単に「軽い」というのではない。しばし考えてみて、気づいた。台詞に現実味がないのだ。この作品だけなのか、ほかの作品もそうなのかはわからないが、この作品の登場人物の台詞がまるでマンガに出てくるそれのようなのだ。これは必ずしも悪口ではない。これが好きな人もいるだろう。ただ、小中学生向けのジュニア小説を思い起こさせられてしまったのは事実だ。

永遠。 (講談社文庫)
村山 由佳
4062755424


想いは永遠。この言葉は素敵だ。ストーリー展開も悪くない。ただ、私はもう少しどろどろしたものを好む。きっとこの小説は足りない部分を自分で補うものなのだろう。そう詩のように。

2007年8月28日火曜日

できればムカつかずに生きたい

「人は二種類に分けられる。寺山を知っているか、寺山を知らないか」と言ったのは誰だったか(ちょっと台詞は違ったかもしれない)。もちろん、寺山とは寺山修司のことだ。今の若い連中はもしかしたら名前も知らないのかもしれない。あしたのジョーの力石の葬儀で葬儀委員長をした人だ(って、この説明だと、余計分からないだろうとわかっていてやってみる確信犯 (^^;;;;)。

田口ランディの「できればムカつかずに生きたい (新潮文庫)」に寺山修司の話が出てくる。この部分だけでも読む価値はあるだろう。寺山の生きていた時代のギラギラした感じ、そしてそのギラギラしたものにあこがれていた若い連中。それらの息吹が聞こえてくるようだ。

できればムカつかずに生きたい (新潮文庫)
田口 ランディ
4101412316


この本は書店で平積みされていた中からタイトルに惹かれて手に取った。実は著者が田口ランディだと分かって、一瞬買うのをためらった。以前に田口ランディの著書を読もうと思っていたときに、盗作問題が発覚し読むのを止めてから、結局今まで読んだことが無かったからだ。一度こういう問題を起こしてしまうと、その汚名はなかなか晴れない。実際、田口ランディで検索すると、今でも彼女の盗作問題を追及しているサイトが上位にランクされる。疑う気になれば、彼女のすべての著作に盗作疑惑をかけることもできるだろう。

ただ、繰り返しになるが、本書の寺山について書いた「寺山修司さんの宿題」という部分だけでも読む価値はある。思わずじーんときてしまったのは、年齢を重ね、涙腺が弱くなったせいだけではないだろう。数年経ったときに初めて人の気持ちがわかることがある。その人がこの世からいなくなってしまっていたとしても、「思い」はいつかは伝わる。ちょっと悲しいけれど、素敵なエピソードだ。

2007年8月26日日曜日

臭いものに蓋

某教育関係者(中学校教師)と話していて、激しく疑問を持った。

いわく、中学・高校の間はお金の貸し借りでトラブルが起きることが多い。親御さんには友人間でお金の貸し借りをしないように指導してもらっている。

いわく、携帯電話のメールでのトラブルも多い。同じく、生徒には携帯のメールアドレスの交換をしないように指導している。

完全に臭いものに蓋。

この通りに生徒がお金の貸し借りをせずに、携帯のメールも使わなければ、問題が起きないだろう。

では、彼らはいつ友人間でお金の貸し借りの際や携帯のメールを使う上での基本ルールを学ぶのだろう。単に、自分の学校に在籍している間にトラブルが無いようにという方針以外の何物にも見えない。大学生になって、いきなり大金の貸し借りに巻き込まれるよりは、中学くらいから小銭の貸し借りを覚えて、徐々に金額を増やしていくのが妥当と思うのは、私が放任主義の学校で過ごしたからだろうか。携帯メールだって同じだ。メールのリテラシがまったく無く、大学や社会に放り出されるほうが、その後トラブルにあう可能性が高いんじゃないか。

いろいろと問題が起きるだろうが、全面禁止するのではなく、利点・欠点を伝え、面倒かもしれないが、トラブルに1つ1つ対応してというような、フレキシブルかつ活きた指導が必要のように思う。自分の学校を卒業した後に、どのようにリテラシを見につけるのか、そのためには在学中にはどこまで何を学んで欲しいかを考えよう。

もっと本音を言えば、中学生の私だったら、金銭の貸し借りとか携帯のメールとか、教師にぐちゃぐちゃ言われるのは大きなお世話と思うだろう。

社会的責任のある(と言われる)立場についた私がこんな乱暴なことを言ってはいけないのかもしれないが、アンチテーゼとしてちょっと言ってみたい。

トランスフォーマー

金曜日に会社の同僚連中と六本木にて「トランスフォーマー」を観た。もっとシリアスな映画かと思ったら、超スーパーB級映画だった。笑える部分も多く、出来は悪くないが、ちょっと長すぎ。途中から敵と味方の区別が付かなくなるし(私だけかと思ったら、一緒に行った同僚のうち何名かもそう言っていた)、トランスフォームする部分のVFXは同じようなパターンで飽きてしまった。

私はCGやらVFXにそんなに詳しくもないし、思い入れも無いのだが、一緒に行った同僚1名は昔テレビのADをやっていたり、CG製作もやっていた。彼いわく、このVFXはすごいらしい。

悪くはないけど、自分の金じゃ観ないなぁというのが私の感想。

ところで、これってもとは玩具から始まったらしい(Wikipedia)。アニメもあったとか。全然知らなかった。

ちなみに、このブログ投稿のラベルに「芸術」とつけたのだが、15秒くらい逡巡したのも事実だ。

2007年8月22日水曜日

モルヒネ

書店に平積みになっていた1冊。女流作家って嫌いじゃないし、裏表紙に書かれていたストーリーに惹かれたので読んだ。読みやすく、1日くらいで読了。

モルヒネ (祥伝社文庫)
安達 千夏
439633298X


Amazonでのカスタマーレビューの評価がめちゃくちゃ低い。薄っぺらだとか、自分勝手な登場人物だとか、酷評されている。

だが、実は、私は結構、感情移入して読めてしまった。主人公の昔の恋人のヒデ。彼の自分勝手ぶりが他人とは思えなかった。素直に自分の感情を表現できずに、回りくどい方法で元恋人(主人公)の気を引こうとするところや最後の最後まで他人の人生をかき回し、自分がいなくなったあとも自分を相手の記憶に刻み込んでおこうとするエゴイスティックな部分。恥ずかしいけど、この餓鬼っぽいところが他人とは思えない。

主人公の現婚約者の描写の物足りなさや日本を発って以降の後半のストーリー展開の薄さは非常に残念であり、特に後半のまとめ方は、「こんな感じ?」とびっくりするほど拍子抜けだったが、それでも悪い作品ではないと思う。安達千夏って初めて読んだのだが、ほかの小説も読んでみたいと思わせるものであった。

思うに、この小説は恋愛小説ではなく、「同志」と呼べるような特殊な-自分のすべてを話し、相手の欠点をも愛せることのできる-関係があった場合のその人間との身の処し方、そして常に「モルヒネ」を必要とするような人間にとっての「死」について書かれたものであると思うのが良いのではないか。

最近、死生観について考えることが多いのか、今の私には考えさせることの多い小説だった。

人はみな、実は「モルヒネ」を必要としている。

2007年8月20日月曜日

アンジェリーナ ― 佐野元春と10の短編

佐野元春を最初に聴いたのは中学生のころだったと思う。AMラジオから流れてきた「Night Life」を聴いて、今考えると失礼な話だが、「和製Bruce Springsteen」と思ったが、その魅力的な声質とおしゃれなアレンジにすぐにとりことなった。

最近は、ほとんど行くことはないが、一時はカラオケでは「Someday」や「アンジェリーナ」が私の十八番だった。

博士の愛した数式」や「妊娠カレンダー」(私はまだ読んでいない)で有名な小川洋子が、その佐野元春の10作品をモチーフとし、小品を発表している。今回、書店で平積みされていたのに気づいて買ったのだが、裏書を読むと、今年再版されたようだが、もともとは14年前に単行本として出版されていたもののようだ。

アンジェリーナ―佐野元春と10の短編 (角川文庫)
小川 洋子
4043410018


取り上げられている曲は次の10曲。
  • アンジェリーナ
  • バルセロナの夜
  • 彼女はデリケート
  • 誰かが君のドアを叩いている
  • 奇妙な日々
  • ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
  • また明日…
  • クリスマスタイム・イン・ブルー
  • ガラスのジェネレーション
  • 情けない週末
小川洋子自身も自分であとがきに書いているが、このように曲をモチーフとして小説を書くということは、本来その曲を聴いて自由なイメージを持てる可能性をつぶしてしまう可能性がある。本短編集もその可能性を否定できない。ただ、1つ1つの作品の持つ不思議な透明感のあるイメージは、想像以上に曲とマッチしている。これならば、曲に対して固定的なイメージを持たせることなく、各人が別の、もしくはこれを元にした新たな自分自身の世界を広げることができるだろう。

2007年8月19日日曜日

Steely Dan@Billboard Live

東京ミッドタウンに開店したビルボードライブ東京。そのこけら落とし公演はSteely Dan。前回来日は7年前だが、そのときにも見に行った。確か、有楽町の国際フォーラム。途中休憩を挟んでのライブだったが2時間以上もエネルギッシュな演奏を見せてくれた。ただ、若干空席が目立っていたのが気になったが。

さて、今回はビルボードライブ。客席とステージがほぼ隣り合わせと言っても良いほど身近だ。こんな近距離でSteely Danを見れることはもう無いかもしれない。それだけでも感無量。

23,000円の自由席だけど、事前に整理番号は入手してある。17時ちょっと過ぎに自分の番が来て、いざ客席に入ってみると、もうすでに主だった席は埋まっている。失敗だったか、もっと早く整理番号を入手すべきだった。結局、向かって左側すぐの席にした。ここからだと、ステージを真横から見るような形になるが、Donald FagenもWalter Beckerも両方見ることはできそうだ。

いざ開演。最初はDonald FagenとWalter Beckerなしのインストルメントで始まる。それが終わるころに2人が登場。威厳がある。すぐ前を通って行ったのだが、ふざけて体を触るなんてことは決してできない。

ステージはあっと言う間。まだビルボードでの演奏予定は数日あるので、ネタバレになるのは良くないだろうから、ここでは曲名については書かないが、すばらしい演奏だった。最初、Donald Fagenの声がちょっと厳しくなってきたかな(特に高音)と思ったが、そんなことは無かったようだ。それにしても、Donald Fagenのキーボードの叩き方など見ていると、いい具合に不良オヤジとして年齢をとったなと思わせる。自分もああなりたい。

ビルボード東京のスタッフもまだ慣れていない点はあったが、接客態度は悪くない。会社からも近いし、このあともLary CarltonやBabyfaceなども予定されているので、BBL会員になろうかと考えている。

Picasa Web Albumへのリンクを貼っておく。あまり写真はないが、それでも会場の雰囲気などはわかるだろう。
Steely Dan@Billboard Live

あと、VOXに載せた写真。こちらは携帯で撮ったもの。

2007年8月15日水曜日

サイドカーに犬


ここ2本ほど観た邦画が悪くなかったので、今日も会社終わってからレイトショーで「サイドカーに犬」を観てきた。

が、どこが良いか分からない。

映画レビューサイトなどでの評判は必ずしも悪くないにも関わらず、私は最初から最後まで入り込めなかった。

竹内結子は綺麗だし、古田新太もなかなか良い味を出している。だが…。

ストーリーがあってないようなもの(と言ってしまうと反論がありそうだが)なので、この映画の持つぬくもりや余韻を好きになれるかどうかなのだろうが、どうにもあわなかった。

2007年8月14日火曜日

怪談


中田秀夫監督の怪談を見た。「女優霊」を見たときから、中田監督は日本的な怖さを撮らせたら世界一だと思っていたが、今回も期待を裏切らないものだった。

で、それは良いのだが、なぜ、この映画を観に行ったかというと、実は中田監督は二の次(ごめんなさい!)で、日本の2大薄幸女優(私が勝手に決めた)である木村多江と麻生久美子が出ているからだ。いやー、本当に美しい。和風美人とはこういう人のことをいうのだ。特に、木村多江はしばらく見られないのが本当に残念なくらい美しかった。

また、この映画を見ていて気づいたのだが、やはりこの間観た「夕凪の街 桜の国」は映画の質としてはあまり高くない。映画レビューサイトで酷評する人がいる理由が良くわかった。たとえば、麻生久美子の撮り方ひとつとっても、カメラワークから何からぜんぜん違う。2時間ドラマと言われてしまってもしかたないかもと思った。

それでも、「夕凪の街 桜の国」は女優(麻生久美子と田中麗奈)の演技が秀逸なのと、有無を言わせぬストーリー展開で私の中では優秀作品には変わりはないのだけれど。ただ、もう少し予算と製作期間を与えて撮らせてあげたかったと、「怪談」を見て思った。

2007年8月13日月曜日

他人と深く関わらずに生きるには

大学に入ったころのことだと思う。ふと思って、親しい友人にこんなことを話したことがある。

「なあ、思ったんだけど、人間って今日考えていることと明日考えていることが変わるだろ。で、1週間とか1ヶ月とか、さらには1年、数年とたった場合、肉体としては同一人物だったとしても、すっかり考えていることが変わっているとすると、それは本当に同一人物といえないよね。そうなると、今、人間が死を恐れているけれど、時間とともに、実は人間は入れ替わっているのだから、本当は人間は生きながらにして、常に少しずつ生まれ変わっていることならないだろうか。これを理解すると、死への恐れって違うものになるよね」

肉体だって、細胞が少しずつ入れ替わって、6年とか7年で全部入れ替わりになると言う。そう考えると、6年前と今とは違う人間だ。良く、人が変わったみたいとか言う/言われることがあるが、そんなのは当たり前なのかもしれない。

今回、紹介する「他人と深く関わらずに生きるには」(池田清彦著)は、他者との関わりを極力避けて、できるだけ個として独立することを書いている本だ。このブログを読んでいる人はわかるだろうが、私は多くの人に支えられて生きてきた。また、同じように他人にもいろいろと自分の意見を真剣に伝えてきた。だが、一方で、自分の考えを押し付けすぎなのか、鬱陶しいとか暑苦しいと言われることもある。また、この間と言っていることが違うと戸惑われることもある。

それぞれ、私にも言い分があるが、少し他者との関わりが必要以上に濃すぎるのではないかと思っていたときに、本書を見つけた。たまたま書店で平積みにされていた。なんと言っても書籍タイトルが良い。すぐに目に飛び込んできた。

4101035229他人と深く関わらずに生きるには (新潮文庫)
池田 清彦
新潮社 2006-04-25
by G-Tools


読み始めると、私の考えていることと近いことが書かれていることに気づく。

人の心は毎日変わる。但し、自分に関してだけは、どんなに変わっても、自我は同一性を主張して、私は私だと言うわけだから、自分の心変わりだけは非難しない。他人に対して、あなたは前のあなたではないといって論難しても、そんなことは当たり前なのだから、非難する意味はないのだ。あなたの自我はあなたの脳の中だけにあって、他人の脳を支配することはできないのである。逆に考えてみよう。あなたの自我が他人によって支配されているとしたら、あなたはうれしいだろうか。
究極の所は、自分の心は自分だけのものであり、他人の心はその人だけのものである。多くの人は、自分のことを理解してもらいたい、認めてもらいたい、と思っている(らしい)。多くの人が言う理解してもらいたい、という意味が私には良くわからないが(自分だって自分のことがよく理解できないのに、他人が理解できるわけがない、と私は思う)、後の二つはよくわかる。
<中略>
しかし、認めたり、ほめたり、というのはほとんどの場合は所詮はフリだから、余り深く付き合うと、ウソであることがバレてしまう。深くつき合わなければ、自分は相手に認められているに違いないという自分の思い込みが破綻する恐れは少いから、幸せな気分でいられるではないか。君子の交わりは淡きこと水の如し、とはそういうことではないか、と私は思う。逆に言えば、ある程度認められていると思っている人は、他人と深くつき合わなくても、幸せでいられる、ということなのかもしれない。

本書はこのような調子で、できるだけ他者との関わりを持たずに生きる方法が書いてある。前半は「他人と深く関わらずに生きたい」という個人への提案、後半は「他人と深く関わらずに生きるためのシステム」ということで社会システムに対する提案となっている。

全体と通じて、かなり筆者の押し付けが強いような気がして、これは反発する人も多いだろうと思っていたら、やはりAmazonでのカスタマーレビューも厳しいものが多かった。後半の社会システムへの提案にしても、いろいろな前提が抜けているものや実現性があまりにも薄いものなどもあり、特にこちらに対する批判が強いようだ。

だが、それでもこの本は読むに値すると思う。筆者の言うことを極端な毒薬として捕らえると良いだろう。毒薬は近くにあるだけで、それを意識した生活をするようになるはずだ。そんな感じで読んでみてはいかがだろう。

少なくとも、私は本書を読んで、自分の今までの行いを振り返ることはできた。

2007年8月12日日曜日

楽しんだものが勝ち

村上龍というのは私の好きな作家の1人だが、彼の69(シックスティーナイン)という小説に、「楽しんだものが勝ち」というフレーズが出てくる(本が手元にないので、正確な台詞がわからないが)。

確か、処分後に学校に出てきたときに同級生の冷たい視線を感じたとき、自分たちの行動に誇りを持つために、あえて笑いをとるような話をしたときに出てきたフレーズだったと思う。

基本的に、私は鈍感なのか、落ち込むということがあまりない。あったとしても、アルコールを呑んで次の日になれば、すっかり忘れてしまっている。ただ、誰かに対しての劣等感や屈辱というのは別だ。これは絶対忘れない。劣等感をバネに跳ね上がるタイプだから、いつまでも覚えている。私の心情は「いつか目に物見せてやる」だから、心当たりのある人は一生びくついているように。

で、話は戻って、私は落ち込むというのがあまり無い人間なのだけれど、ここ2ヶ月くらいはいろいろなことが重なり、結構メンタルダメージが大きかった。いろいろな人に助けてもらったのだが、そのときに、思い出したのが、この村上龍の69のフレーズだ。

「楽しむ」

どんな状況でも、楽しんだやつが勝ち。落ち込んだ表情を見せるのは女性を口説くときくらいで十分。

69(シクスティナイン) (集英社文庫)
村上 龍
4087496287


69 sixty nine
妻夫木聡 安藤政信 金井勇太
B0002UA3M8

2007年8月11日土曜日

夕凪の街 桜の国

「夕凪の街 桜の国」を見に行った。こうの史代の原作を2~3年前に読んだときにも、感銘を受けたのだが、映画もとても良かった。

映画のレビューサイトなどでも高い評判だ。ただ、中には、映画としての出来が悪いと指摘している人もいる。確かに、パンフレット(買ってしまった)を見ると、低予算かつ短期間で製作されたようだ。まるでテレビの2時間ドラマのようだと言う人もいる。

だが、見る人を最後までひきつけるストーリー展開。さらには、麻生久美子と田中麗奈の2人の女優の高い演技力。終わってみると、ほとんどのシーンで涙を流している自分がいた。

麻生久美子という女優の演技は初めて見たのだが、私の好きな薄幸タイプの女優だ。パンフレットの中で、監督である佐々部清も話しているのだが、本当に「凛」とした演技をする。同じく薄幸女優である木村多江がご懐妊でしばらく見ることができない今、この人の演技に期待したい。

ストーリーや人物構成は原作と少し(ほんの少しだけ)異なっているが、映画としてはこちらのほうがあっているだろう。

帰宅してから、再度、原作を読み直した。

夕凪の街桜の国
こうの 史代
4575297445

プレゼンテーションは君のため

たまに「プレゼンテーションが上手ですね」と言われることがある。確かに、話すのは好きだ。

だが、私のプレゼンテーションは決してうまくない。

本当にプレゼンテーションの上手い人というのは、頭の回転が速く、語彙も豊富で、かつ人を引き付けるカリスマ性のようなものを持っている人だ。そう。私の尊敬するスティーブジョブスのように。また、タイプは全然違うがリチャードブランソンのように。

それでも、この6年くらい、比較的大きなカンファレンスでの私のプレゼンテーションは、そんなには悪くないかもしれない。名前を出すと、そのときにいらしていた方に失礼なので名前は特定しないが、いくつかは本当に失敗したのもあるので、打率にしたら、成功に分類できるプレゼンテーションは5割いくかいかないかくらいだろうか。それでも首位打者は確実だ。自分で自分を褒めてあげてもいいかもしれない。

6年とスパンを切ったのは、それ以前の私のプレゼンテーションは完全なマスターベーションだったからだ。自分の持っている知識を限られた時間の中でアウトプットすることだけを考えており、来ていただいた方の期待するもの、終わった後に何を持って帰っていただきたいかなどをまったく考えていなかった。今でもたまにそうなってしまうのだが、特に昔はかなり早口だったし、内容もできるだけ高度なものとしていたので、付いてこれる人だけに付いて来いと本当で思っていた。そして、ほとんどの人が付いてこれなかっただろう。

実はこの6年間で変わったのは、友人Aの影響が大きい。広い意味で同じ業界に属していたAはおそらくこの6年間、私が一般に公開されているカンファレンスで行ったプレゼンテーションにはすべて参加してくれた。

Aとは、お互い自社の秘密保持などに影響のない範囲で仕事の相談なども行っていたが、その一環として、私は自分のプレゼンテーションの構想などを事前に話し、意見をもらっていた。まるでどっかの受験生のように深夜のファミレスで、私がAの仕事の手伝えるところを手伝ったり、逆に私のプレゼンテーションのレビューをAに行ってもらったりしたこともあった。友人というよりも、ゴールを共にする同志のような存在だったかもしれない。

そんな風にAから意見をもらったプレゼンテーションの1つがまだインターネット上で見ることができる。もしかしたら、これはAから意見をもらった最初のプレゼンテーションだったかもしれない。

Computer Telephony World Expo/Tokyo 2002
ユビキタス時代の次世代ネットワーキングとテクノロジー IPv6とP2P
(IE & WMPでのみ閲覧可能の模様)

2002年の段階で、IPv6を今すぐ採用しろと言っているなど、今改めて見ると、ちょっと寒いところはある。そこはご愛嬌で流して欲しい。このプレゼンテーションの話の流れなどは結構考えた。実は、これも最初はまったく違う形だったのだが、Aの意見により修正した結果、この形になったものだ。

プレゼンテーションの後、Aは私にいつもフィードバックをくれた。「斜め前の席の人は寝ていたけど、多分、彼だけだね。ほかは話に集中していたよ」とか「ハンドアウトを配らなかったからかもしれないけど、ほとんどみんな必死にメモを取っていたよ」とか「最後のほうの自社の宣伝めいたところでは、私の周りの人はおしゃべりをはじめちゃってたよ」などなど。プレゼンテーションがどんな結果になろうと、Aは良いところを見つけて、それを伝えてくれた。

いつしか私はプレゼンテーションのとき、会場にAの姿を探すのが習慣となっていた。Aはどこで聞いているだろうか。終わった後、Aはどう感じるだろうか、そんなことを考えながら、プレゼンテーションを行った。今考えると、これは私のプレゼンテーションをより聴衆の目的に沿ったものにするために役立ったのではないかと思う。Aが必ずしも、聴衆を代表する人間となっていたわけではないが、プレゼンテーションのとき聴衆の誰かをアイコンタクトの中心におくのは悪いことではない。また、Aを中心に、聴衆の状況を読み取ることができた。

Aは昨年それまで勤めていた会社を辞めて、新しい会社に転職した。業界が異なるので、もうAが私のプレゼンテーションを聞きに来ることはない。今でもいろいろと相談には乗ってもらっているが、あまり仕事の話になることはない。

私も昨年秋に今の会社に転職した。しばらくは外部でのカンファレンスで話すことは無かったが、今年の5月末に比較的大きめのカンファレンスでのゼネラルセッションを任された。このときは、一番前の席に座っていたLに向けてプレゼンテーションをした。Lと私の関係は現在の会社との秘密保持契約に抵触する可能性があるので、詳しくは書けないが、私が今の会社に入ってから、常に私を見守っていてくれた人だ。今回、Lの前でプレゼンテーションをするのは最初で最後になるかもしれない。カンファレンスに出ていた人はわかると思うが、私のセッションでは予想外の出来事が頻発した。あわてずにそれぞれを対処したが、一番前の席ではLが微笑みながら見守っていた。Lはにこやかにまるで成長する子供を送り出すかのように、見ていた。私もLを見た。ほぼ時間通りに終了し、クロージングの挨拶をしているときに、Lと目があった。思わず涙がこぼれそうになるくらいLへの感謝の気持ちが沸いてきた。このときのプレゼンテーションも比較的好評だったが、これはすべてLのおかげだ。

さて、次からは誰のためにプレゼンテーションを行おう。

2007年8月8日水曜日

日本ロック写真史 ANGLE OF ROCK


昨日、原宿で開催されている「日本ロック写真史 ANGLE OF ROCK」という写真展に行ってきた。これは同じタイトルである日本ロック写真史 ANGLE OF ROCKという写真集の写真を展示したもの。

もっと写真が大きかったら良かったとかあるが、なかなか興味深く見ることができた。私としては、吉田美奈子の若いころの写真やジョニールイス&チャーの最盛期の写真などが見れただけでも感動ものだった。

写真展は8/9(木)まで。興味ある人はお急ぎくださいませ。

2007年8月5日日曜日

国立歴史民俗博物館

千葉県佐倉市に国立歴史民俗博物館という施設がある。不勉強にも千葉の歴史について展示してある施設かと思ったが、そうではない。日本の古代から近代までを網羅的にカバーしたすばらしい施設だ。

本日、無謀にも午後3時半くらいから見学した(午後5時まで)。ターボで回ったので、特別展示を含めて、全部見ることができたが、ここは3時間以上の時間を確保してから望むべきだ。受付でも2時間半くらいを想定した展示をしていると言われたがそのとおりだと思う。

すばらしい点はいくつかあるが、もっとも特筆すべきなのは、展示物の品質の高さだ。オリジナルがそのまま展示されているのは少ないのだが、模型などの品質が極めて高い。また、それらの撮影がほぼすべて許可されているのもすばらしい。いくつかを撮影してきたが、カメラを忘れたので、携帯に付属のカメラで撮ってきた。なので、このレベルではない、すばらしい展示がされていることを忘れないで欲しい。

国立歴史民俗博物館


また、博物館に隣接した公園(?)もまたすばらしい。千葉の緑あふれる自然を満喫できる。

実は、先月亡くなった私の恩人が最後の夏を過ごしたのが、この公園なのだが、彼が聞いたであろう蝉の声を今日しばしゆっくりと聞かせてもらった。

彼が過ごした最後の夏を私も少し共有できたような気がした。