2015年1月22日木曜日

ルーツ


2011年の震災以降、宮城県や岩手県に行くようになった。

実は、福島県には震災前から会津大学での講演などがあったので、訪問したことがあったのだが、それより北には足を踏み入れたことがまったく無かった。

震災からもうすぐ4年となるが、石巻市には何度も伺った。宮城県だと、他に女川町、南三陸町、そして岩手県は釜石市や陸前高田市、一関市、それと観光で平泉などを訪れた。

驚いたのが、宮城県北部から岩手県南部にかけての沿岸部に「及川」が多いことだ。南三陸町でお話を伺ったときなどは3人連続して及川さんが出てきてびっくりした。

父と母が東北出身で、親戚が岩手にいることは聞いていた。少なからぬ枚数の年賀状が花巻から来ていた。だが、その親戚を訪れることもないまま父は他界し、母も病気になってしまった。

そんなとき、母の家から父の学生時代の卒業証書が出てきた。尋常小学校と高等学校。調べてみると、高校は今の花巻北高等学校のようだ。文武両道の厳しい学校(だった?)とか。父の厳しさはそこから来たのか。

家の家紋が笹竜胆だったことから、勝手に清和源氏に由来があるのかと思っていたが、そんなにはずれてはいないらしい。Wikipedia情報(http://ja.wikipedia.org/wiki/及川氏)だが、出典が書かれていないので、詳しいことは不明だ。だが、これを信じるならば、全国の及川の53%が岩手県もしくは宮城県に、13%が北海道に、7%が神奈川県に、同じく7%が東京都に、6%が千葉県に住んでいるという。南三陸町でたくさんの及川さんに会うはずだ。

こんなことを調べていたら、もっと名前についての由来に興味が出て、「日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと (光文社新書)」を買ってしまった。歴史をたどる形でさまざまな苗字の由来を紹介する。

日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと (光文社新書)
日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと (光文社新書)

結果から言うと、及川のことにはこの本では触れていなかった(それくらい前もって調べてから買えば良かったと言われても仕方ない)。だが、それを抜きにしても、いろいろと名前のことがわかって面白い。

例えば、源という苗字は嵯峨天皇が皇子を臣籍に降下・分家させる際につけた名前だそうであるが、そんなことをしなければいけない理由は、なんと50人も子どもがいて、とても全員を皇統に残すことが(皇室の維持費などを考えても)できなかったからという。ちなみに、50人の子どもを産んだのは、29名の配偶者たちだという。これまたびっくり。

さらには土地に由来する苗字もあれば、逆に使用が制限された苗字もある。歴史の見方がまた変わりそうだ。

先日、仙台で飲んだ時、そこの店のマスターが名前に詳しかった。今度、人に会うときには、前もって、その人の苗字の由来を調べてみようかとも思った。人にそれぞれ歴史あり。

2015年1月18日日曜日

2014年4月〜2015年1月のマラソン結果(長野マラソン、湘南国際マラソン、つくばマラソン、千葉マリンマラソン)

マラソンの結果をしばらく公開するのを忘れていた。昨シーズン(昨年春までを昨シーズンとしよう)は長野マラソンで自己記録を更新し、気持良く終わらせることが出来た。一昨年の同じ大会は、4月にしては珍しい雪となり、不満足な結果となってしまったのだが、昨年は天気にも恵まれ、ネットで3時間55分17秒という記録を出すことが出来た。17秒どっかで短縮すれば、初の3時間55分切りが実現出来たので、若干悔しさも残ったが。

その後、11月に一昨年に引き続き、湘南国際マラソンとつくばマラソンを走った。1ヶ月にフルマラソンを2つも走るというのは普通でないが、一昨年に同じようにこの2つの大会でどちらもネットでサブ4を実現出来ていたので、今回もどうにかなるかと思ったのだが、それが甘かった。

2013年の湘南国際マラソンの結果のブログ
2013年のつくばマラソンの結果のブログ

湘南国際マラソンは、ネットで4時間28秒とほぼサブ4だったので、まだ良かったが、つくばマラソンはあまりのショックに完走証をどっかに無くしてしまったほどひどかった(記録としてはグロスで4時間24分19秒だった)。最初から足が重かった。そりゃ、3週間前にフルマラソンを走っているので当たり前か(一昨年が例外的に良かったと考えるべき)。当初はネガティブスプリット(後半にペースを上げていく走法)を実現し、ちょうどサブ4になるくらいを考えていたのだが、途中からペースをあげるどころか、歩かないように努力するのがやっと。もうサブ4は無理だとわかった途端に、モチベーションが続かず、最後は無理して怪我するのは避けないといけないからと自分に言い訳しながら歩きまくってしまい、なんとも後味の悪いレースになってしまった。

マラソンは「ネガティブスプリット」で30分速くなる! (ソフトバンク新書)
吉岡 利貢

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(本ブログでの記事 → 玲瓏: マラソンは「ネガティブスプリット」で30分速くなる!

長野マラソンと湘南国際マラソンの成功(2013年の湘南国際マラソンは、前年よりも記録は悪かったとはいえ、練習が不足していたわりには悪くないタイムだった)は後半の粘りがあったおかげだ。綺麗なネガティブスプリットには程遠いが、大きく落ち込んでいない。これを実現するためには、前半を我慢しながらペースを抑えることももちろんだが、後半に自分を追い込む精神力も必要だ。これには他者の目が効果的であることに気づいた。

長野マラソンでは知人が移動しながら、応援してくれ、ゴールまであと数kmという一番きついところにも立っていてくれた。どこで応援されているかわからないので、カッコ悪い姿を見せないようにと、できるだけペースを落とさないようにしたのだが、それが後半の粘りにつながった。

昨年の湘南国際はニューバランスがソーシャルマラソン in 湘南国際と銘打って、希望すれば参加者のFacebookやTwitterに10kmごとにタイムを投稿してくれるサービスを行ったのだ。仕事がら興味を持って希望したのだが、これだと一種衆人環視の元で走っているようなものなので、最後まで恥ずかしくない走りをしようと懸命になる。結果、後半が多くく落ち込むことなく走り切ることが出来た。

つまり、マラソンの難関である後半の走りは、日頃の練習とペース配分、そして友人たちからの声援に後押しされる精神的な粘る力により決まるところが多いのではないか。少なくとも、私はそうであるように思う。

今はスマホのアプリなどでも、走っている最中の場所や時間をFacebookやTwitterに投稿することが実現できているようであるが、課題の後半を自分に厳しくいくには、このようなサービスの利用も有効かもしれない。



さて、本日(2015年1月18日)は新年明けて初めてのレースに出てきた。例年だと、一週間前に行われる谷川真理ハーフマラソンに参加しているのだが、今年は間違って別の予定を入れてしまったので、そちらには参加できなかった。その代わりということで急いでエントリーしたのが、千葉マリンマラソン

海風が冷たく強く坂も続く後半が地獄だったが、蓋を開けてみると、ハーフマラソンの自己ベスト(完走証を無くしてしまったので、正確には覚えていないのだが、1時間44分台だっと思う)には届かないものの、練習不足としては十分なものだった。ネットで1時間45分38秒。最初から最後まで見事なまでにほぼフラットなペースで走れた。1kmを5分ちょうどペースだ。TwitterやFacebookにランニング途中経過を投稿するようなことはしなかったが、ハーフマラソンくらいで歩くとか恥ずかしいという意識が、最後まで緊張感を持って、ペースを落とさず走り切れた理由ではないかと思う。



Runkeeperの記録

自己新更新にはほど遠かったが、練習不足の中での時間としては十分ではないかと思う。

今シーズンはあと2つの大会の参加が決まっている。両方ともフルマラソンだ。人に積極的に公開することによって自分を追い込むメソッドをなんて名付けることになるかわからないが、今年はこの積極的に露出する、仮称露出狂作戦で行ってみようかとも思う。

2015年1月17日土曜日

神戸在住

昨年末に関西を旅行した際、旅館で見たテレビで新春の映画特集をやっていた。年末年始に上映される映画の紹介がされていたのだが、放映していたのが神戸のサンテレビジョンだったこともあって、この「神戸在住」も紹介されていた。


「阪神・淡路大震災から20年・・・。震災を知らない女子大生たちが織りなす、神戸へのオマージュ。」と番組のサイトでは紹介されているのだが、その通り20才前後の女子大生が神戸を舞台に自らの生き方を模索するというストーリーだ。

阪神・淡路大震災のことを正面から描いた映画ではないが、舞台が神戸ということもあり、震災が起きた土地として神戸が紹介される。

震災20年を迎える本日、サンテレビジョンでドラマとして放映された。また劇場公開版の映画も兵庫を中心とした映画館でも上映されるというので、都内で唯一上映している渋谷に観に行ってきた。

正直、映画としては微妙だった。見ているものに冷や汗をかかせかねない主人公たちの演技やわざとらしい台詞、現実離れした設定などが気になってしまった。神戸が関係無かったらおそらく見なかったろう。竹下景子や田中美里という脇役陣の演技になるたびに救われた思いをした。

と、酷評してしまったが、20年前の震災を想起させる神戸の美しい今と20才前後の女子大生の人生への戸惑いが重なり合う展開自体は悪くない。震災の逸話が織り込まれたところでは思わず泣きそうになってしまった。隣にいた女性は神戸出身なのだろうか、彼女も泣いていた。



「大丈夫だった? きつかったら、途中で出ていいよ。平気?」

昨年末の関西旅行では、阪神・淡路大震災で得た教訓を後世に継承するために設立された「人と防災未来センター」も見学したのだが、そこの4階で1.17(阪神・淡路大震災が発生した日)を追体験する 「1.17シアター」を見終わり、次の「大震災ホール」に移ったとき、一緒のグループにいた若い女の子が友人にこう声をかけられていた。

1.17シアターはテーマパークほどではないが、迫力のある音と映像で発災当時の状況を再現する。そのため、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの恐れがある人などを心配してであろう、具合が悪くなったら途中退出して良いことが冒頭に説明されていた。

この女の子たちは誰だろう。

最初は阪神・淡路の被災者かと思った。だが、神戸在住の主人公のような年齢の女の子たちだ。おそらくまだ生まれていなかったろう。親から話を聞いたりしているのだろうか。


メリケンパークの一角に神戸港震災メモリアルパークという、震災当時の状況を保存している場所がある。当時はおそらくこの写真の奥にある高速道路も大きな被害を受けていたのだろう。

神戸在住の中でも東遊園地にある「1.17希望の灯」に主人公たちが手を合わせるシーンがある。

このような震災遺構や語り部、人と防災未来センターのような施設、これらは記憶を風化させず、教訓を後世に残していくために用意された。


人と防災未来センターはフロアーごとにテーマが決まっているが、2階はボランティアのスタッフが防災についてワークショップ形式で教えてくれるフロアーだ。

私が2階を歩いていると、さっきの女の子たちとボランティアスタッフの方々が話しているのが聴こえてきた。

「この子たち、東北から来たんだって」
あるスタッフの方が仲間のスタッフに声をかけていた。

「へー、そう。大変だったなぁ。ご家族も被害に遭われた?」
「ええ、みんな流されちゃいました」

そうか。東日本大震災の被災者の子たちだったのか。

東日本大震災もいつかは、阪神・淡路大震災と同じように、その後に生まれた子どもたちが住民の半分を占めるような時代が来るだろう。

自分が直接経験したことでなくとも、その記憶をいろいろな形で紡いでいく。

人と防災未来センターや震災遺構、そして神戸在住のようなドラマ/映画。形はいろいろあるけれど、しっかりとつないでいきたい。



神戸在住はコミックが原作となっている。この原作はずっと絶版状態になっていたが、ドラマのサイトに載っている情報によると、今回全10巻が再販され、兵庫を中心に入手できるようになっているらしい。コミックはまたテイストが違うようだが、一度読んでみたい。
神戸在住(1)
神戸在住(1)



2015年1月16日金曜日

そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか

本書は「そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか」というタイトルではあるのだが、別に私が「そろそろ会社辞めようと思っている」から買ったわけではない。かと言って、絶対に辞めようなんて思っていないわけでもない。というか、そもそもこの本は買った本ではない。一時、株式会社KADOKAWAの株主だったことがあるのだが、その際に株主優待として角川グループからの出版物を貰えたので、本書を選んだのだった。

そんな経緯もあったので、正直たいして期待していなかったのだが、読み始めたら、引き込まれるように読んでしまった。それくらいに読みやすい。ただ、1,500円の価値があるかどうかは読者次第か。

本書のターゲットは(表紙からはわからないかもしれないが)就活生もしくはその少し前の学生だろう。社会人1〜3年目の若者も対象になるかと思うが、少なくともそろそろリストラの対象にされそうな中高年をターゲットにはしていない。

本書が言う「一人で食べていける」とは起業し、自らが企業のオーナーになることだ。したがって、内容は利益をあげるための考え方と起業に向けてのステップだ。

序章では、年功序列や終身雇用という高度成長期を支えた日本株式会社の枠組みが崩れた現在の状況が説明される。ここで「一人で食べていく」ことの重要性が謳われる。

1章と2章では利潤をあげるビジネスシステムの肝を解説している。事業を考えたことがある人であれば知っている内容だとは思うが、もう一度リキャップしたい人やそれこそ就活生には良い内容だろう。3章が具体的に起業に向けてのステップであり、4章と5章は心構えのようなものだ。

後半になればなるほど、起業しない人にとっては直接は関係ない内容になっていくが、読みやすいので、起業に現時点で興味ない人も最後までは読んでしまって良いだろう。また、対象ではないけど間違って手にとってしまったリストラ対象の中高年も起業しなかった自分を悔やむために読んでみても良い。

本書の中心は2章と3章だが、その3章では、独立前に丁稚奉公やプロに弟子入りすることを進めている。

最近、以前話題になった以下のブログ記事を読んだが、そこで書かれている派遣社員と共通する部分も感じられる。

新卒で就職する以外の選択肢 - UEI shi3zの日記

石の上にも三年とか言って炎上した経営者の発言が数年前にあった。学ぶことのない仕事に三年もついている必要はないと思うが、類まれなる才能も突飛なアイデアも無い場合は、組織や人について働くことで、まずは社会を理解するというのは手段としては悪くない。

Amazonのレビューでは、このご時世に簡単に起業を勧めてということで厳しい評価をしているのも見受けられる。その通りだと思うが、雇われた立場だとしても、一人で食べていく場合のことを意識して働いていくことは意味があるだろう。会社としてもそのように起業家精神を持った社員を求めていくようになるだろうし、実際に一人で食べていかなければならなくなったときに生きてくるだろう。

日本は70年代から80年代を中心に機能した雇用モデルが未来永劫続くものとの幻想を抱き続けていたが、もうそれが通じなくなっていることを皆知っている。本書のようなものが多く出ることで、多様な生き方を考えるきっかけになれば良いと思う。

それにしても、タイトルはミスリードを呼ぶだろう。ちょっと惜しい。

そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか
山口揚平

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2015年1月15日木曜日

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学

正常性バイアスという言葉がある。人間は「ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理するようにな心のメカニズム」(本書より)を備えているが、これを正常性バイアスと呼ぶ。

2003年に韓国で発生した地下鉄火災において、煙が侵入してくる車内においても静かに辛抱強く待っている人々の姿が撮影された写真を見たことのある人も多いかと思うが、このような(結果がわかってから見ると)いかにも奇妙な行動も正常性バイアスによるものである。
正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、Normalcy bias)とは、社会心理学災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。 自然災害火事事故事件テロリズム等の犯罪などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価したりしてしまい、「逃げ遅れ」の原因となる。「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言う。
正常性バイアス - Wikipedia
人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学」というタイトルから、主にこのような災害心理学について書かれたものかと思ったが、本書は災害心理学だけでなく(もちろんそれが中心ではあるが)、人類が避けることのできない災害に対してどのように取り組むべきか、さまざまな観点から述べられた社会学の本である。

発災後の人間の心理、防災の本質、避難行動、パニックについての誤解、日本には存在しないサバイバー(何故存在しないのかは本書を読んで欲しい)、ボランティアについてなど、本書でカバーする内容は幅広い。そのいずれにも新たな気付きがある。言われてみないと思いもしなかったことが、実例とともに示される。

実例と書いたが、本書の内容を豊かにしているのが、その豊富な災害例だ。過去の災害の記憶が、特に恐怖の記憶が早期の避難など災害時に生き残る行動につながる。その意味でも、本書に多く書かれている事例は貴重だ。

最後の第7章「復活への道筋」は避けられない災害に対して社会がどう対峙すれば良いのか参考になる。本書は2004年の発行のため、東日本大震災の話はまったく含まれていない。しかし、書かれている内容は東日本大震災後の日本においてもまったく色褪せない。

社会的な変化はそのライフサイクルに準じた内的要因と当該社会の外部から与えられるポジティブもしくはネガティブな力という外的な要因から発生する。東京という都市は、その成長期において、関東大震災および第二次世界大戦という2つの災害があったにも関わらず、そのライフサイクル的なタイミングと一極集中を進めるという国家の意思により、復興が災害前の状況に戻るというレベルにとどまらず、真の日本の中心に、世界の経済の中心に発展するというイベントとなり得た。と本書は書く。同じことはヨーロッパにおいても、たとえばロンドン大火災後の都市設計においても見て取れたようだ。復興後のロンドンは衛生面が大幅に改善し、ペストの流行が無くなったとも言う。

さらに、ペスト禍により人口が減少したヨーロッパでは、労働力不足を補うために、技術革新への社会的モチベーションが高まった(本書より)そうだが、ライフサイクル的に成熟から停滞期に入った日本においての災害からの復興はどのような変化を起こすことができるだろうか。それを決めるのは、まさに外的要因である我々日本人の意思ではないかと思う。

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学 (集英社新書)
広瀬 弘忠

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2015年1月6日火曜日

コルビュジエさんのつくりたかった美術館

コルビュジエさんのつくりたかった美術館
コルビュジエさんのつくりたかった美術館

正月にNHK Eテレで放送された「建築は知っている ランドマークから見た戦後70年」は大変面白かった。戦後70年を振り返る番組は正月三ヶ日ににも多く放送されたし、これからも多く放送されると思うが、焼け野原からの復興とバブルという儚い繁栄を経ての今にいたるまでを建築という観点から振り返るこの番組からは、身近にあるランドマークが作られた背景とその時代を知ることができた。

以下、NHKの番組案内から。

建築は知っている
ランドマークから見た戦後70年

建築は、時代を語る。
東京の代表的な昭和建築と、戦後のエポックメーキングな出来事とを重ね、時代に、時に寄り添い、時に戦った建築家の思考の跡を辿りながら、日本という国の歩みも浮かび上がらせる。
例えば東京タワー→霞ヶ関ビル→貿易センタービル→新宿の副都心摩天楼→サンシャインシティ→六本木ヒルズ…。今も東京を彩る代表的な建築物は、いかなる時代の空気の中生まれたのか?時代のランドマークとなる巨大ビルの変遷は、その形状そのものが、時代を語る、歴史の証人だ。マンションやホテル、ショップ、オフィスという、日本的総合開発の歴史も興味深い。誰でも訪れることのできる社会的な建築物から、戦後史を見直すと・・・?
高度成長期に語られた途方もない夢の計画、バブル前夜の東京新都庁建設の背景にあった攻防戦など、様々なエピソードを織り込み展開。戦後70年となる年に、敗戦の焼け跡から現代日本の混沌まで、時代と共に変化してきた建築の醍醐味を味わう。戦後ニッポンを支えた建築家たちの、その建築にかけた“思考”や“願い”を見ることで、日本の未来への想像力を見いだす、新春特集。



番組を見ながら、どこかデジャヴ感を抱いていた。広島記念公園と広島原爆ドームが直線で並んでいる話などはどこかで聞いたことがあった。2011年の秋に六本木ヒルズ森美術館で開かれた「メタボリズムの未来都市展」で見たのかもしれない。

以前に読んだ「コルビュジエさんのつくりたかった美術館」のことも思い出し、本棚から探しだして読んだ。数年前に建築家の友人からもらったこの本はわずか68ページ。しかも、イラストがその大半を占める。だが、建築を知らない人にそのエッセンスを伝えるにはこれ以上には無いほどの形はないのではないかと思わせるほどのものになっている。

番組の中にも登場した、近代建築の巨匠と呼ばれるル・コルビュジエが上野の国立西洋美術館を設計する際に込めた思いが暖かいイラストとともに説明される。ただ絵を展示する場所としてだけでない、美術館という建築物を提案し、それが世の中に受け入れられていく。本書を読むことで、国立西洋美術館だけでなく、他の美術館や一般の建築物に対しての見方も変わるだろう。

同じく番組で紹介された神奈川県立近代美術館にも訪れたことがあるが、観光地でもある鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の横に、意識しないと行こうとは思わないかもしれない場所に位置するこの美術館もコルビュジェの精神が生きている(詳細は神奈川県立近代美術館の建築の説明へ)。象徴的な存在はピロティだ。

ピロティフランス語Pilotis)とは、建築用語では2階以上の建物において地上部分が柱(構造体)を残して外部空間とした建築形式、またはその構造体を指す。まれにその地上部分の構造体のみの空間自体を指すこともある。フランス語で「」の意味。
1926年ル・コルビュジェピエール・ジャンヌレが提唱した近代建築の五原則「ピロティ・屋上庭園・自由な平面・自由な立面・連続水平窓」の一つとして取り上げられた。
Wikipediaより)

ピロティは意識すると多くの建築物で見ることができる。広島原爆資料館もその1つだ。このピロティだけでなく、建築物に込めた建築家の思いを知ることで、どこかに訪れるときも、そこがただの人や物を収容する場所だけでなく、その場所を、地域を、社会を、そして歴史を形作るものであることを知ることができるかもしれない。

ペーパークラフト 重要文化財 国立西洋美術館 本館 904
ペーパークラフト 重要文化財 国立西洋美術館 本館 904


参考:番組に関係したいくつかのツイート。






2015年1月5日月曜日

僕らのヒットパレード

ボビーに首ったけ (角川文庫 緑 371-11)

「俺のことはボビーって呼んでくれ」

文化祭がそろそろ始まるというころ同級生の1人が急に言い出した。どうせ女の子が絡んでいるんだろう。僕らはわかったと言いながら、当日はしてやったりと「サブロー」と呼んでやった。

ボビーとはもちろん「ボビーに首ったけ」のボビーだ。みんな片岡義男の小説を読んで、バイクとサーフィンに憧れた。

彼が描く世界は映画の中の世界のようでいて、でもちょっと背伸びすれば自分でも届く世界でもあった。ただ自分ごととしての現実感は乏しく、それよりもバイクを盗み、夜中に窓ガラスを割るようなことのほうが身近だった。その後、カリフォルニアの乾いた世界からきらびやかなバブルの世界に時代は移る。

僕らのヒットパレード

片岡義男の文章をちゃんと読んだのはそれ以来だから、もう30年ぶりくらいだろう。「芸術新潮」に連載されていた、片岡氏と元ピチカートファイブの小西康陽のリレーエッセイと対談などで構成された「僕らのヒットパレード」を読むと、彼の文章を高校時代に深みが無いなどと一瞬でも思ってしまった(そして、これが片岡ファンの友人との口論の原因になった)ことが恥ずかしくなる。途方も無いほどの分量の文化の蓄積があることが、この本で述べられているレコードコレクションからわかる。蒐集家というわけでなく、本当に音楽が好きで、それを俯瞰的に眺めたいという貪欲な好奇心があるのだろう。普通の人よりは音楽を聴いているつもりの私でも知らない楽曲も多く紹介されている。知らないにも関わらず、音楽が一緒に流れているわけでないにも関わらず、読んでいるだけで心躍る。音楽の本でこんな感情を抱くのは久しぶりだ。願わくば、レコードジャケットが挿絵として紹介されていて欲しかった。

酔醒

本書を読んでいて、聴きたくなった楽曲は何曲も、アーティストは何人もいるが、ここでは2つほど紹介しよう。1つ目が古井戸だ。もちろん古井戸は知っている。私も大学ノートの裏表紙にさなえちゃんって書いた。RCサクセションに入ってからの仲井戸麗市(一説には私に似ているという話もある)の活躍はまさにリアルタイムに見ていた。だが、この「酔醒」は知らなかった。本書での紹介(小西氏による)で興味を持ち聞いてみたら、素晴らしいブルースだ。スタジオでの空気というのだろうか、生と静の空気感が感じられる。小西氏がべた褒めするのもわかる。

CRAIG HUNDLEY TRIO ARRIVAL OF A YOUNG GIANT vinyl record

Craig Hundley Trio

もう1つがCraig Hundley Trioだ。アルバムとしては"Arrival Of A Young Giant"なのだが、日本ではそれこそ中古レコード店を回って探すのでもしない限り入手不可能なようだ。iTunesでさまざまなオムニバスアルバムなどに分散された曲を集めれば、このアルバムの楽曲を全部聴くことはできそうだ。iTunesで何曲か試聴(ここからどうぞ)をしてみたが、確かにこれも素晴らしい。

ぼくが愛するロック名盤240 (講談社+α文庫)

10年位前からロック談義をしながら、ただダラダラ飲むという会を催している。最初はごく少数の仲間内での会だったのだが、数年前に思い立って、Twitterで飲み仲間を募った。

仕事の話禁止。
ロックを愛する人だけ来てください。

そんな呼びかけで集まった人たちと歌舞伎町のシャッフルビートで盛り上がった。好きなジャンルは違えど、音楽という共通の価値観があったので、話はいつまでも尽きない。震災前年まで数回続いたが、毎回終電を逃した。

本書の片岡氏と小西氏の対談は、この会の理想の姿のように思う。昔のジャズ喫茶のように肩肘張ったりすることもなく。

昨年、久しぶりにこのロック飲み会を再開したのだが、今年もまたやってみようかと思う。今度はアルコールは控えめにして。