2007年12月31日月曜日

ジョンレノンとオノヨーコ

今月、ジョンレノン関係の映画を2本観たこともあって、ジョンレノンやビートルズの音楽を聞きなおしたり、本を改めて読んだりした。

映画はPEACE BEDチャプター27を観たのだが、PEACE BEDではジョンの活動家としての一面を詳しく知ることができた。

映画を観てパンフレットを買うことは珍しくないのだが、この映画ではパンフレットだけでなく、ロッキングオン発行のCutまで買ってしまった。表紙を見てもわかるように、特集は「ジョンは何と闘ったのか」。ピーターバラカン氏と渋谷陽一氏の対談や監督のジョンシャインフィルド氏のインタビューなどが掲載されている。

ジョンシェインフィルド氏のインタビューからは、この映画の素材の多くがオノヨーコにより極めて計画的に集められていたことがわかる。

これだけの素材が残っている理由は主にふたつあるんだ。ひとつは、'60年代にビートルズよりもビッグなバンドはいなかってこと。ジョンは世界で一番有名な人物で、みんな彼が何をしているか知りたがったし、彼が何を考えているのか知りたかったんだ。もちろんパパラッチなんていなかったから、この素材を見るだけでも、いかに彼が重要な存在だったかを物語ってると思う。ふたつめは、ヨーコのおかげで、彼女は自分たちがやっていることがいかに重要なのかわかっていたから、特に'60年代、'70年代にカメラマンを雇ってすべてを記録させていたんだ。だから、映画で使ったNYタイムズの記者とやりあってる場面とか、あの記者の態度は当時のメディアが彼らの活動にいかに疑いを持っていたのかを的確に表していたと思うけど、小さくてもああいう大事なシーンはカメラが毎日追いかけてなかったら観ることはできなかった。
正直に言うと、私が学生(中学/高校)のころ、オノヨーコというのは前衛的でジョンの親しみやすいポップな面を阻害する変な女性というイメージしかなかった。殺害する直前のアルバムであるダブルファンタジーでもオノヨーコの曲は私にはよくわからなく、テープにダビングする際にはスキップしたりもした。このPEACE BEDやその後の発言などを見て、ジョンが愛した理由もわかってきた気がする。いまだに音楽面については正直あまり好きになれないが。

そういえば、ダブルファンタジーのジャケット写真は篠山紀信氏撮影なのだが、アルバム発売後に当時発売されていた写真誌「写楽」にジョンのインタビューと小冊子で簡単な写真集がついていた。私は友人から安く購入したのだが、いまだに私の宝物として保管してある。

今回改めて中を見てみると、良い感じに肩の力の抜けたジョンの姿を見つけることができる。

当時は、活動停止になる前とのギャップにがっかりするファンも多かったように記憶しているが、「もし生きていたら」と今なら考えたくなる。




最後にPEACE BEDのオフィシャルサイトやパンフレットに書かれていたメッセージを載せておく。
もし変えようと思うなら。
本当に変えようと思うなら。
世界は変えられる。

2007年12月30日日曜日

ぼくを探しに & ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに

柳美里氏の「」の中に出てきたのでAmazonで購入した。正確に言うと、「ぼくを探しに」を購入しようとしたら、Amazonから「ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに」も薦められた。「続」って付くとつい購入してしまいたくなる。

ぼくを探しに

ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに

絵本(イラスト物語というのか?)なので、あっと言うまに読み終わる。どちらの話もひどく単純だ。これから何を思うのかは読者に任されている。自由への追求を感じる人もいるだろうし、不完全であることのすばらしさを感じる人もいるだろう。

柳氏の「」で紹介される東由多加氏のコメントはそのどちらでもなかった。葬儀の弔辞で最相葉月氏が次のように故人のエピソードを語る。
あのとき、なにがきっかけだったか、ある絵本の話になりました。シルヴァスタインという人の『ぼくを探しに』という絵本です。東さんはご存知なかったので、私はそのストーリーを説明しました。
<略>
完全ではないいまの自分を愛すべきだという寓話でした。数年前にはじめて読んだとき、とても感動したのでした。でも話し終えると東さんはこういわれたのです。
「最相さん、ぼくはそうは思いません。主人公が最後にかけらを棄ててしまうという終わりかたには疑問を持ちます。だって最後の最後くらいは、自分にぴったり合うかけらが見つかることを信じて生きていたいじゃないですか。いつの日か完全な自分になれる、どこかに絶対的な幸福が待っている。そう思うから、つらく苦しい毎日でも生きていこうと思えるのではないですか」
「蒼い」とさえ言えるようなこの理想主義。いつまでもピュアな心を持っていたからこそ他人とぶつかり、それでも他人から愛される存在だったように思う。

個人的にはこの2冊とも、Amazonでの高い評価ほど心を揺さぶられるものは無かった。時期が来たら、感じ方も変わるのかもしれないが。

地球よとまれ、ぼくは話したいんだ

柳美里氏の命四部作(「」、「魂」、「生」、「声」)を読んでから、無性に東由多加氏という人物が知りたくなり、Amazonのマーケットプレイスで購入。1977年出版の著作だから、ちょうど30年前になる。

1960年後半から70年後半までの東京キッドブラザースの歴史と重ね合わせる形で、東氏の半生と『夢』が語られている。全共闘、べ平連、フラワーチルドレン、コミューン。当時の若者が夢見た世界が語られている。世代が違う私でも憧憬の念を抱かされずにいられない。だが、この本が発売された1977年でさえ、その「夢」はすでに「幻想」となっており、共有できたと思われた精神さえ失われてしまっていた。東氏は冒頭の「はじめに」で次のように語る。
あの夢も希望も、はかない青春の一ページに過ぎなかったのだろうか? ぼくは夢を貪りつくしたあとの苦い思いで、ひっそりと年老いていく自分を感じていた。「聖戦」から「生活」へ転向しようとしていたぼくに、ある演劇ジャーナリストが言った次の言葉が胸にしみた。

「七〇年代のはじめに愛や平和を高らかに歌うことはたやすかった。だが、七〇年代の後半の今も、それを頑固に歌いつづけることはドン・キホーテのような勇気がいる」
柳氏の命四部作から読みとる限り、東氏は後半生でも「聖戦」から「生活」への転向はしなかったようだ。酒を浴びるように飲み、信頼できる人も1人また1人と彼の周りから去っていく、他人との対立を厭わずに、自分の信ずる夢を実現しようとしていたであろう彼の姿が想像できる。

本書の中に出てくる多くの著名人(寺山修司、下田逸郎、小椋佳、内田裕也、山口小夜子、吉田拓郎など)のエピソードも東京キッドブラザースの当時の勢いを感じさせる。それもただの人気劇団というだけでなく、あの小椋佳氏さえも、あとがきで「東君が率いる東京キッドブラザースという集団、人に言わせれば技術の伴わない汗だけのミュージカルゲリラと評するかも知れない。しかし、彼らは何よりもミュージカルを愛している。気違いと言ったほうが適当か。十年以上も気違いのままでいるのだから本物の気違いと信じる。」と「気違い」と言わしめてしまうほどの存在だったのだ。

東氏のこの著作だが、今読んで良かったと思う。これを10代で読んでいたら、感受性の強いほうだった私はどうなっていただろうと。と書いていた気づいた、その「どうかなっていた」かもしれない自分よりも今の自分のほうが幸せだと私は今、思っている。だが、本当にそうなのだろうか。

地球よとまれ、ぼくは話したいんだ
東 由多加


参照:

2007年12月27日木曜日

起業家2.0―次世代ベンチャー9組の物語

たまに自分の生まれるのが早すぎたと思うことや遅すぎたと思うことがある。なんとも中途半端なときに生まれてしまったのではないかと。私はいわゆるバブル世代。若いときには新人類と呼ばれていた。日本経済の発展を背景に青春を謳歌したのは事実だが、何も生み出していない世代という感も否めない。

ちょっと上の世代を見ると、学生運動に身を投じた人間が多い。学生運動に身を投じた人たちも大学卒業とともに日和ってしまい(意味がわかるだろうか? Wikipediaによると死語らしいが)、その意味では高度経済成長という流れに結局乗っているだけではないかとも思うが、それでも一時的ではあったにせよ、自分たちの力で世の中を変えよう/変えられると思っていた世代という一種の憧憬に似た感情を持つ。誤解されるのを覚悟で言うと、安田講堂紛争あさま山荘事件などを振り返るテレビ番組などを見ると、世代としてはずっと後の世代にも関わらず、何か懐かしく感じるものがある。

一方、今、私が働く業界は、いわゆるネット世代もしくはナナロク世代と呼ばれるような連中が活躍しており、私などはいわゆる旧石器時代のような存在だ。私は良い意味でも悪い意味でも年齢というものをほとんど意識することが無い(ゆえに、ガキっぽいといわれることも多いのだが)。だが、それでもときに思う。もう少し後に生まれてきていたらと。学生時代からインターネットが普及していたら、自分は何をしていたろうか。もともと組織に帰属することを必ずしも良しとせず、就職した会社も自由闊達な企業風土を持つ会社だったので、今までの社会人人生に大きな不満があるわけではない。だが、今の若い世代のように、卒業と同時に起業を考えるようなことはなかった。最近は大学生と話す機会も増えたのだが、大学生の中にはすでに起業している連中も多い。

本書は新しい世代によるベンチャーを紹介した1冊だ。すでにいろいろなメディアで取り上げられている企業も多いが、このように同じ視点でいろいろな企業についてまとめられた書籍は貴重だろう。

紹介されている企業の中には、ビジネスプランは秀逸のものであっても、それを実現する技術者がおらず、外注に出すなどしたために、失敗した例がいくつか書かれている。この部分を読むと、まだまだ本当の意味でベンチャーが成長する土壌が日本に育っていないことがわかる。シリコンバレーを手放しにほめることはしたくないが、彼の地ではスペシャリストがごろごろしていて、有望なベンチャーには必要な人材が集まってくると聞く。日本では、まだまだ寄らば大樹の陰ではないが、優秀な人材がベンチャーに流れない。本書の中のビジネスプランの中には「マッチング」をアイデアの素としたものも多い。ベンチャーが生まれ育つためのスペシャリストのマッチングもうまくいく仕組みづくりはできないものか。

起業家2.0―次世代ベンチャー9組の物語
佐々木 俊尚

起業家2.0―次世代ベンチャー9組の物語
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687) ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点 (文春新書 595) 3時間で「専門家」になる私の方法 iPhoneショック ケータイビジネスまで変える驚異のアップル流ものづくり フラット革命
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佐々木さんおよび小学館様、贈呈ありがとうございます。

2007年12月26日水曜日

チャプター27

ジョンレノンを殺害したマークチャップマンのニューヨーク滞在中の3日間(最後の日にジョンを銃殺)を再現したドキュメンタリー映画。

チャプター27


ジョンを殺した男がどのような男で、どのような行動をとっていたかを知るには良いが、それ以上は情報も感動も特に与えてくれたようには思えない。事実を調べ上げることは大事だとは思うが、So What? という気持ちはぬぐい切れない。

ちなみに、チャプター27とは、マークチャップマンがニューヨークで購入した「ライ麦畑で捕まえて」が26章(チャプター26)までだったので、その次の章という意味からつけられたものだそうだ。

3時間で「専門家」になる私の方法

このブログでも何度も著作を取り上げているITジャーナリストの佐々木俊尚氏が自身の情報収集・整理術を惜しげもなく公開している一冊。

現在、インターネットは情報を発信する者にとって低コストで多くの読者にリーチできる基盤としての位置を確立しており、たとえば著名ブロガーの記事は時として一般ニュースサイトのそれよりも影響力を持つようになっている。

一方、情報を収集する側にとっても、インターネットの登場により、それ以前とは比べ物にならないくらい容易に、また効率的に情報を収集することができる。ただ、漫然と検索エンジンで検索しているだけでは、本当に必要な情報にたどり着くことはできないし、またどのような情報を収集すれば良いのかもわからないことが多い。検索ボックスの前で「いったい何を検索すれば」と悩んでしまうことも少なくはないだろう。

佐々木氏は、あるトピックの専門家になるための情報収集および整理術を、ある調査を実際に行った結果をインターネットを使った情報活用のケーススタディのような形でまとめ、読者に提示する。巷には、「グーグル仕事術」のような書籍や雑誌記事にあふれているが、単なる検索オプションの使い方だったりすることも多い(それはそれで使いこなして欲しいが ;-))。この書では、検索テクニックではなく、いわゆる情報リテラシを高めるためのヒントが書かれている。自分でも同じようなことをしていたつもりではあるが、プロの術はやはり参考になる。お勧め。細かいことを書くと、本書のネタバレになってしまうので書かないが、私はこれに加えて、Googleニュースでの記事比較を行うことを勧める。同じ記事でもトーンが違うことがわかったりして、結構参考になる。これについてはまた機会があったら書いてみようと思うが。

3時間で「専門家」になる私の方法
3時間で「専門家」になる私の方法佐々木 俊尚

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佐々木さん、毎度、贈呈感謝です。

ちなみに、ページ19で以下のように書かれているところは単位換算がちと間違っているかと思いますが、大勢に影響の無い範囲かとは思いますです。
新聞1部の情報量は、おおむね50万~70万文字だといわれています。コンピュータの単位でいえば、25~35万バイト。つまり25~35メガバイトですね。フロッピーディスクでいうと、30枚前後。CD-Rであれば、20部ぐらいは収まる計算になります。

2007年12月25日火曜日

柳美里 命四部作 - 魂、生、声

柳美里の命四部作のうち第一幕の「」を以前に読んだときに、次のように書いた。
私はいろいろなものに影響される傾向にあるのだけれど、この「命」も結構重く心の中に残った。四部作なので、あと三幕ほどあるのだけれど、読むタイミングを選ばないと。
そう。タイミングを選ばないといけないはずだったのに、並行していくつかの仕事が走っていて、本を読む時間があまりないはずの今-一番タイミングの良くないはずの今!-、一気に残り三作を読んでしまった。良く考えると、今までも忙しい時に限って、いろいろと読んでいる。仕事も並行して何個か進めているのだが、読書まで並行だ。文学小説と同時にビジネス書も読んだりしている。やれやれ。

魂 (新潮文庫) 生(いきる)―命四部作〈第3幕〉 (新潮文庫) 声―命四部作〈第4幕〉 (新潮文庫)

闘病中であった東氏が亡くなるまでが書かれているのがこの三作なのだが、読んでいて、大学生のころに父親を亡くしたことを思い出した。当時は告知が一般的でなかったので、本人には病名さえ伝えていなかった。自分の死ぬまでの時間がわかっていたなら、父は何を言い残しただろう(参照:「今、誰に逢いたいですか」)。この三作の中にも柳氏をはじめとして、東氏を看病する者たちがうそを突き通す場面が出てくるが、私の一年以上の父の看病のときにも、本当に役者になったように演じていた。本書の中でも、もしかしたら東氏は知っていたのではと振り返る場面があるが、私にも本当は父はすべてを知っていたのではないかと思われることがあった。時間が戻るなら、聞いてみたい。息子である私に何を言い残したかったですかと。

本書の中で柳氏は、週単位でしか生きられないとわかることはあまりにも残酷だ、精神が崩壊してしまうと、東氏に最後の病状は伝えていない。私はそもそも治癒の可能性がない状況で告知を受けられるだけの神経を持っているかどうか疑問なので、死が間近に迫ったときのことなど今は考えることもできない。キューブラーロスは著書「死ぬ瞬間」で死を許容するまでのステージを書いているが、果たしてすべての人がこのように許容することができるのか。

今年亡くなった私の元上司は告知を受けていて、自分で治療法を選択していた。私が最後に見舞いに行ったときには、「及川さん、2週間単位で今生きているんだ」と話していた(参照: 「恩人との別離」)。彼は少なくとも私の前では、死を許容しているように見えたが、彼の本当の心の中はわからない。

まとまりが無く恐縮だが、学生のころの愛読誌「朝日ジャーナル」で連載されていた千葉敦子氏の「死への準備」日記も急に思い出した。いろいろと共通して思うところは、生と真正面に向かい合うのは、結局、死が自分や自分に近しい人の目の前に迫ったときなのかもしれないということ。その意味では、今年は私は生を与える機会を与えてもらったことは感謝すべきだろう。

ちょっと考えることの多い夜。
クリスマスなのに。

「カルト」の正体。

私が別冊宝島が好きなのは、このブログでも数多く紹介していることからもわかるだろう。本書もその一冊。ブックオフで安価で購入。ブックオフ好きな私。

「カルト」の正体。 (宝島社文庫)
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新宗教(新興宗教)を中心に、カルト現象を紹介していて面白い。結構、新宗教の本はほかにも読んでいて、いっぱしの宗教おたくくらいには宗教を語れるのだけれど、ブログで個別の宗教について何か書くと大変なことになりそうなので、ここではそれには触れない。

普段から思っているのだけれど、結局、社会というのは個人と団体との関係で成り立っていて、団体というのは多くは個人に対する忠誠を求めるために宗教的になりがち。その意味では、中でも書かれているが、某宗教団体からの脱退を助ける団体がカルト的になっているのは象徴的か。

カルトの定義をこの本では、いくつかの項目とともに「反社会的」かどうかで判断するようにしているが、「反社会的」かどうかというのも、マジョリティである「社会」という巨大な団体が決めたに過ぎない。つまりは、社会における団体のすべてがカルトではとさえ思えてくる。極論だけど。

私ならば、カルトかどうかの判別は子供が幸せかどうかで決める。カルトと呼ばれている団体に属している人の子供は決して幸せではない。それは「カルトの子―心を盗まれた家族」を読むとわかる。この本は5年以上前に読んだが、涙なしでは読めなかった。ちなみに、この本、今は文庫でも出ているみたい。

カルトの子―心を盗まれた家族 (文春文庫)
米本 和広
4167656930

2007年12月11日火曜日

色彩のファンタジー シャガール展 写真家イジスの撮ったシャガール

今年はシャガール生誕120周年。



シャガールといえば、あの独特の色使いと作品に良く出てくる動物が(少なくとも私の中では)有名だが、今日(12/11)まで上野の森美術館で開催されている「生誕120年記念 色彩のファンタジー シャガール展 写真家イジスの撮ったシャガール」では、彼のいくつかの作品と彼を追い続けた写真家イジスが撮った彼の写真を見ることができる。

写真は白黒からカラーまである。カラー写真を見ると、ついこの間まで彼が生きていた(少なくとも私から見れば)ことを思い起こさせる。写真の中では晩年のシャガールしか見ることができないが、体は老いていても、精神は研ぎ澄まされたままのように写真からは見える。実際はどうだったのだろう。

パリのオペラ座の天井絵を描くところ写真では、最後の最後まで調整を続ける彼の姿を見ることができる。天才であると同時に、職人としての厳しい側面も感じ取れる。

絵のほうでは、聖書をモチーフにした作品がなかなか新鮮だった。これは有名な作品集だった模様だが、私は初めて見た。いつものシャガールの色使いながらも、聖書の場面場面を再現しているだけあって、人物の描写などは普段のシャガールの童話を彷彿させるものとはやや異なり、聖書の登場人物を再現するかのようにリアルに描かれている。

今年の最後になかなか良いものを見れた。

色彩のファンタジー シャガール展

2007年12月9日日曜日

PEACE BED アメリカ VS ジョンレノン

12/8はJohn Lennonの命日。なので、本当は昨日行きたかった。

JohnがFBIから監視されていたというのは有名な話だが、このドキュメンタリー映画ではアメリカから国外退去を命じられた1973年からグリーンカード取得の1976年までを中心に、Johnとアメリカ政府との闘いを観ることができる。

私はJohnが暗殺されたときは中学生だったので、まるっきり世代が違うわけではないが、この映画で観ることのできる映像の多くは初めて観るものだった。私がちょうどロックミュージックに目覚めたころは、彼は主夫(ハウスハズバンド)として活動を休止中であり、私の知っているJohnはBeatlesのポップな音楽の作者であり演奏者である彼だった。

名曲、"Give Peace A Chance"にしても、詳しい背景までは知らなかった。ベトナム戦争のことは映画-たとえばKilling Field(そういえば、この映画はWingsのBand on the Runで始まり、エンディングがImagineだった)-や書籍などで知っていたが、Johnの発言と重ねることで、当時のアメリカの状況とそれに反対する若い世代などが映像の中で見事に再現される。

今は平和が当たり前のように感じるかもしれない。私も日々の生活で平和に感謝することは無い。だが、平和というのは何だろう。自分の身近に戦死者がいないことではないだろう。映画の中のJohnは静かに、「平和」について語りかけているようだった。

平和を訴えるJohnとそれを敵視する国家権力との闘いがこの映画のテーマではあるが、Johnがグリーンカードを取得した日-それはJohnの誕生日であり、さらには息子Seanの生まれた日でもある-にJohnが本当に幸せそうだったと語るYoko Onoの姿が妙に印象的である。Johnのその後を知っているからかもしれないが。

あと、映画館でパンフレットも購入したが、その中に日本の著名人のこの映画へのメッセージが書かれている。ロックミュージシャンなどのメッセージも多いが、最も印象的だったのが、樹木希林氏の次の言葉だ。
同時代に生きていたのに私のような無関心が彼を殺す。
ジョン・レノンの孤独はオノ・ヨーコが支えてる。昔も今も。
さらに、逆の意味で印象的だった(というよりも衝撃的だった)のは、同じくパンフレットに載っていた一枚の写真と文章。ニクソンと握手するあるミュージシャン。「大統領、お気をつけください。ビートルズはアンチ・アメリカ勢力に巨大な影響力を持っています。そして彼らはアメリカの若者に悪影響を及ぼします。~エルビス・プレスリー」

ちなみに、その写真はWikipediaで見ることができる。

2007年12月1日土曜日

日本「怪死」事件史

小説よりも実際の世の中のことのほうが不思議が多いこともある。実際、未解決事件や解決されたとされている事件でも真実がほかにあるのではないかと思われるものもある。

不謹慎かもしれないが、そのような井戸端会議的な話題が結構好きだ。そんな噂話好きの私にぴったりの本。ブックオフで100円だったので購入。1時間くらいで読了。

日本「怪死」事件史 (宝島社文庫 587)
日本「怪死」事件史 (宝島社文庫 587)


尾崎豊の死についての話を始めとして、自分の記憶の中でも鮮やかに蘇る事件も多く掲載されている。1つ1つについて深く掘り下げているものではないが、当時を振り返った事件簿としては良くまとまっている。万人に進められるものではないが、こういうのが好きな人はどうぞ。