2010年3月21日日曜日

自分をデフレ化しない方法

自分をデフレ化しない方法 (文春新書)

文藝春秋さんから送られてきた一冊。どういう基準で私に送ってきてくれたのかわからないのだが、文字中毒で特に好き嫌いのなく、読書についてはまったくの雑食である私としては素直に嬉しい。

まず、表紙にびっくり。書店にいても、最近は勝間さんの本をできるだけ見ないようにしていたので、改めて近距離で見ると、あまりの迫力にちょっと怖い。いや、かなり怖い。彼女といい、ほかにも売れっ子になって顔を表紙に入れまくっているほかの人たちといい、書籍の表紙に自分の顔を入れる人ってどういう気持なんだろう。1冊や2冊ならわからないでもないが、ここまで多くあると、出版社から押し切られただけではないんだろうなと思う。まぁ、私も自分のブログとかTwitterとかでしょっちゅう顔写真を変えたりして遊んでいるから他人のことをとやかくは言えないが。

本書の内容は彼女が管さんの国家戦略室に行った提言をわかりやすく説明したものだ。現在の景気低迷の原因であるとする彼女の説とそれを打破するための提案が書かれている。説明は基本いろいろなレポートや書籍などからのデータを元に行う。自然、引用などが多い。そのような書籍はほかにもあるのだが、どうにもなんだか気になってしまう。同じような内容を望むならば、専門書に成りきっていないし(当たり前。最初からそれを狙っていない)、大衆向けの解説書ならば、もっと優れた本がある。まぁ、これは好みの問題なので、彼女の語り口が好きならば、必ずしも悪い本ではないと思う。

ただ、「第2章 デフレ時代のサバイバル術16カ条」はいただけない。当たり前のことしか書いていないし、内容が薄い。これならば、マネー雑誌のほうがまだためになる。
  1. まずは収入の2割を貯める
  2. 蓄財は投資信託を活用する
  3. 住宅ローンは慎重に
  4. パソコンは買っても車は買うな
  5. 教育費は年収の10パーセントまで
  6. 290円弁当は本当にトクか
  7. 安いだけの服は買わない
  8. 究極の節約法はタバコ、酒をやめること
  9. 自分の会社の実力を知る
  10. 日常の仕事自体が自己研鑽につながる会社選びを
  11. 資格マニアになるな
  12. 低コストを生かした将来投資を
  13. どこでもよいから正社員就職する
  14. 結婚はリスクヘッジになる
  15. 結婚リテラシーの必要性
  16. カイゼン方式でストレス解消
それにしても、Amazonでの彼女の著作のコメント欄は面白い。批判するほうも支持する方も。こういう時って、どうしても批判する方が大勢になりがちだが、世の多くのカツマーの人たちにもっとガンバッテ欲しい。

私自身は以前2冊ほど彼女の著書を読み、それなりに考えさせられるものがあったのだが、なんか最近はもうお腹いっぱい。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

生きているだけで、愛。」に続いて、本谷有希子さんの小説を読んでみた。順番から言うと、こっちのほうが先の作品みたい。

あとがきで高橋源一郎氏が従来の劇作家の小説は舞台での戯曲をそのまま小説にしたのが多かったが、本谷作品は違うというようなことを書いていた。わからなくもなくはないが、私には、この小説はかなり戯曲を意識させるものに感じた。所詮、この世は現実世界も演劇のようなもの。現実においても人は演技をしているし、劇の世界でも生身の人間を見せる必要がある。寺山修司氏が言ったように。

この小説は不幸のエンターテイメントだ。不幸と悪意と憎悪、それらをミックスして、エンターテイメントのトッピングをしたような感じだ。はじめから、著者が劇団も主宰していることを知っていたのでバイアスがかかってしまっているかもしれないが、読みながらも脳内に現団員たちの演技している姿が浮かぶ。

読んだ後に何か大きなものが残るわけではないが、不幸のエンターテイメントを見た後の清涼感が残る。

こんな感想を持つのは私だけかもしれないが、みんな不幸を楽しんでいるところがあるはずだ。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

4062757419

関連商品
江利子と絶対〈本谷有希子文学大全集〉 (講談社文庫)
生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)
幸せ最高ありがとうマジで!
ぜつぼう
遭難、
by G-Tools

いや、本当の不幸は楽しめない。だからこそ、「悲しみの愛」。腑抜けの私はそれを見せれるまで強くならなければ。

2010年3月11日木曜日

人を褒めるときの言葉

他人を褒めるとき、特にその人の優秀さを称えるとき、「頭が良い」とか「頭の回転が速い」という言葉を使いたがる人がいる。特定の人というわけでもなく、一般的に誰でも使う言葉だ。

僕はこの言葉が嫌いだ。周りの優秀な人間を見るにつけ、自分の能力の低さに幻滅することが多く、だからこれらの言葉も敬遠するようになった。

その代わりに素敵だなと思ったのが「しなやか」という表現だ。

「あの人はしなやかだよね」

まだしっくりこない。だが、バレエのような柔軟な思考が思い浮かぶ。

あと、「スマート」という言葉も好きだ。

これは、"Work Hard" の代わりに "Work Smart" というほうが良いのではないかと知人に指摘を受けてから気に入っている。仕事だけでなく、人にも使いたい。

「あの人はスマートな人だよね」

言葉を考えるだけでは、そのような理想に近づくことは出来ない。頑張れ自分。

2010年3月2日火曜日

サヨナライツカ

人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる

私はきっと愛したことを思い出す
主人公豊の婚約者(後に妻となる)、光子の詩。中で何度も繰り返される、これがこの小説「サヨナライツカ」のテーマだ。

実際の詩はもう少し長い、最初は次のように始まる。
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい
人間は生まれた瞬間から死に向かって生きている。死に向かう人間にとって、別れは常に必然だ。いつか別れがやってくる。いつかさよなら、サヨナライツカ。この言葉遊びのようなカタカナを冗談のようにリズミカルに口に出している光子の姿が目に浮かぶ。実際には、光子は小説の中ではほとんど登場しない。だが、実はこの光子がすべてを見通した上でこの言葉を口しているのではないか。彼女こそが永遠の愛に生きる夫との別れを意識し、それと背中合わせに生きているのではないかとさえ思う。

ちょうど先月、これが原作の映画が上映されていたので、ストーリーは知られているかもしれない。バンコクに駐在する豊は婚約者(光子)がいるにも関わらず、妖艶な女性、沓子に魅了される。結婚式が迫るなか、人目も気にせずに愛を育む。結婚式の日に別れが来ることを知りながらも。結婚式のために光子とその家族がやってくる日に、沓子は日本へと旅立つ。豊は愛に生きることを選ばない。25年後に二人は再開するが、その先にも別れが待っていた。

ストーリー自体は特にひねりも無い。起承転結があるわけでもない。だが、理屈でない愛の世界を描くには、ストーリーはこのくらいシンプルなほうが良い。辻仁成の語り口は、男視線であるかもしれないが、読むものを離さない。Amazonのレビューでも何人かが男の身勝手な行動というように書いていたが、沓子も身勝手な理由で豊を誘惑した。つまりは、始まりはいつも身勝手。恋愛小説に身勝手云々を言うこと自体野暮だろう。

小説の舞台が南国なのもまた魅力の一つ。日本人は日本人の血として南国に郷愁を抱くように生まれてきている。僕は南アジアは行ったことが無いのだが、それでも想像できる湿度、風の心地よさ。いつかバンコクに行ってみたい。

サヨナライツカ (幻冬舎文庫)

実は、この小説を読む前に映画を見た。これが本当にひどい出来だった。小説を読んでみてわかったのだが、ストーリーが違う。映画にするあたって、端折らなきゃいけない部分が出たというのならまだわかる。根本の、たとえば沓子が豊を誘う理由などが省略されていたり、光子がバンコクに来て、沓子に別れを迫るなど、まったく違うストーリーになっている。

映画のクオリティという面でもひどかった。25年後の豊(西島秀俊)と沓子(中山美穂)のメイクはどこのお笑いコントかと思ったし、航空会社のトップに上り詰めた豊を描くときのビジネスのシーンなどがあまりにも現実離れしているのにも失笑を禁じ得なかった。



だが、それでも南国の雰囲気は映画からも伝わってきたし、中山美穂は綺麗だった。こんなひどい出来の映画だったのに、エンディングで涙が出てしまったのは、きっと中山美穂が綺麗だったから。まぁ、年齢とともに涙もろくなっているというのもあるだろうけど。

小説のあとがきに辻仁成が書いている。
この小説によって、私は一人の女性と運命をともに歩き始めることになった。
そうか、彼にとっても運命的な作品だったのか。

正直、これを読むまで、いや、読んだ後でも、辻仁成という作家はあまり得意ではない。ナルシストの権現みたいな存在そのものを毛嫌いしている。決して、南果歩とか菅野美穂とか中山美穂とか女をとっかえひっかえしやがってとかと思っているわけではない。なんで、江國香織さんは作品のコラボをするんだろうとさえ思っていた。この小説でも、「好青年」というような言い方で豊を形容しているが、その美的センスは私とはずれているし、読んでいてやはり気持ち悪いと思うところもある。だが、この作品で多少イメージが変わるかもしれない。それほどインパクトがあった。
この小説を、愛に生き、愛に苦悩する全ての人々に捧げたい。
相変わらずキザなやつだ。エコーズのころ、オールナイトニッポンのDJをやっていたころと変わらないね。

2010年3月1日月曜日

生きているだけで、愛。

江國作品がある意味、予定調和で安心して読めるのだけれど、この「生きてるだけで、愛。」はその真逆だ。本谷有希子さんの作品は初めてだったので、まだ作風に慣れていないからかもしれないが、パンクなスピード感にのめり込みそうだ。なんと言ってもタイトルが良い。彼女には「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」という芥川賞候補作品もあるようだが、こっちのタイトルも素敵だ。まだ読んでいないが、たぶん遠くない将来に読むことになるだろう。

この「生きているだけで、愛。」はいわゆるメンヘラーの女主人公の極端な形での愛の表現、生の表現がテーマだ。メンヘラー主人公の行動パターンをすべてその病気の所為にしてしまっているようなところは、その病気への理解に疑問を感じてしまうところもあり、必ずしも好きではないのだけれど、それでもそのような背景を持たせることでエキセントリックな奇態を通じての愛から気づかされることも多い。いや、私は好きだ、こういう作品。こういう生き方。

ウオシュレットへの恐怖を理解してもらえないだけで絶望し、それを破壊し、せっかく始めたバイト先を飛び出す。どうやって世間と折り合いをつけようか。そんなでも楽をして生きることには怒りを覚え、最後まで理解を求める。

いや、本当、「生きているだけで、愛。」だよ。

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

4101371717

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江利子と絶対〈本谷有希子文学大全集〉 (講談社文庫)
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)
幸せ最高ありがとうマジで!
遭難、
ぜつぼう
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ぬるい眠り

短編9編が集まった江國香織さんの短編集。最も古いものは89年作で最新のものでも03年。作品の中に登場する小物が少し古いのはそのせい。書かれた時期は違うけれど、どれを読んでもいつもの江國ワールドが広がっていて、安心して読むことが出来る。

「ラブ・ミー・テンダー」では長年連れ添った夫婦の他人には理解できないかもしれない愛が語られ、表題作「ぬるい眠い」では高校生と付き合いながらも前の彼を忘れられない女性が葬る愛が語られ、「放物線」では一時期を一緒に過ごした仲間との間の変わらぬものへの愛が語られ、「災難の顛末」では愛猫についたノミとの格闘を経てわかった自分への愛が語られ、「とろとろ」ではほかの男達と関係を持つことで強まる彼への愛が語られ、「夜と妻と洗剤」ではあるプロトコルで関係が保たれる夫婦の愛が語られ、「清水夫妻」では死という日常のイベントに参加し続けることで感じられる生きることへの愛が語られ、「ケイトウの赤、やなぎの緑」では不思議な人たちとの集まりの中から感じられる彼への愛が語られ、「奇妙な場所」では一年に一度の行われる家族イベントから感じられる日常への愛が語られる。愛に生きる人たちを語る江國ワールド。

「災難の顛末」ではある日自分の体にできた赤い斑点、それは愛猫のノミが原因だと後に判明する、との戦いが書かれる。主人公は、彼よりも、そしてその原因である愛猫よりも、自分の体が愛おしいという事実に気づく。ストーリーを簡単に書いてしまうとこんなものなのだが、このノミとの格闘を通じて、自分以外のものの価値に気づく部分の描写は戦慄とさせる。

「清水夫妻」は赤の他人の葬式に潜り込むことを趣味とする夫婦。その夫婦と一緒に葬式に参加するようになり、死を身近に感じることによって、生の魅力に気づく主人公。その前には現在進行形の自身の恋愛さえ色あせてしまう。「私もいつか死んだとき、愉しく生きたことをまわりの人たちに憶えていてほしいなと思う。だからそのためにも愉しく生きたいと。」主人公の言うこの言葉は私の考えと一緒。

「ケイトウの赤、やなぎの緑」は「きらきらひかる 」の十年後の話。「きらきらひかる」を読んでいない人は読んでからのほうが良いかも。

江國作品は良くも悪くも安心して、予定調和の世界が楽しめるのが良い。

ぬるい眠り (新潮文庫)

4101339236

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