あとがきで高橋源一郎氏が従来の劇作家の小説は舞台での戯曲をそのまま小説にしたのが多かったが、本谷作品は違うというようなことを書いていた。わからなくもなくはないが、私には、この小説はかなり戯曲を意識させるものに感じた。所詮、この世は現実世界も演劇のようなもの。現実においても人は演技をしているし、劇の世界でも生身の人間を見せる必要がある。寺山修司氏が言ったように。
この小説は不幸のエンターテイメントだ。不幸と悪意と憎悪、それらをミックスして、エンターテイメントのトッピングをしたような感じだ。はじめから、著者が劇団も主宰していることを知っていたのでバイアスがかかってしまっているかもしれないが、読みながらも脳内に現団員たちの演技している姿が浮かぶ。
読んだ後に何か大きなものが残るわけではないが、不幸のエンターテイメントを見た後の清涼感が残る。
こんな感想を持つのは私だけかもしれないが、みんな不幸を楽しんでいるところがあるはずだ。
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)
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いや、本当の不幸は楽しめない。だからこそ、「悲しみの愛」。腑抜けの私はそれを見せれるまで強くならなければ。