2008年12月31日水曜日

佐伯祐三とフランス



少し前に近くまで行く機会があったので、ポーラ美術館で開催されている「佐伯祐三とフランス」展に行ってきた。



ポーラ美術館は初めてだったのだが、サンフランシスコのde Young Memorial Museum(デヤング美術館)のように、自然光を取り入れた、ゆったりとした作りで、入った途端に気に入ってしまった。パンフレットを読むと、自然との調和を保つために、あえて地上部分に施設を作らず、地下に展示するようにしているらしい。







佐伯祐三は昔から好きだったのだが、彼のフランスでの滞在中の行動をトレースする形での展覧会というのには行ったことが無かった。このポーラ美術館での展示では、佐伯が渡仏する前、そして渡仏後に渡っての彼の変遷を、彼が影響を受けた画家の作品とともに見ることができる。彼の作風からは想像も出来なかったのだが、ルノワールやセザンヌ、ゴッホなどにも大きく影響を受けたようだ。彼が尊敬するそれらの画家と彼の同時期の作品を並べてみると、良くわかる。

今回の展示会で一番の収穫はフォービズム(野獣派)の代表格であるブラマンクの作品や彼とのエピソードを知ることができたことだ。最初の出会いのときに、ブラマンクに酷評されたが、そこから佐伯独自の作風が確立できたのだろう。

送信者 Yuzo Saeki


アンドリューワイエス(Andrew Wyeth)展

送信者 AndrewWyeth


ちょっと前になるが、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていたアンドリューワイエス(Andrew Wyeth)展に行ってきた。

アメリカのペンシルバニア州とメイン州の、おそらく住んでいる人からするとごく一般的な代わり映えの無い生活を、いきいきと描かれた風景画と人物画が展示されていた。写真かと思わせるほどの緻密な描写が有名であるが、今回の展示ではその完成度の高いテンペラ画や水彩画を仕上げるまでの習作の多くを見ることができる。どのように彼が素材を見て、最終的な作品に仕上げていったかもわかり大変興味深い。

存命中の彼へのインタビューもビデオで流されており、そこで彼が「絵を感情と精神で楽しんで欲しい」と語っていたのが印象深い。

送信者 AndrewWyeth




<追記>
日本経済新聞(2009年1月11日)の「アート探求」で、森田芳光監督の「わたし出すわ」が解説されていて、そこでアンドリューワイエスについての記述が。
 撮影中、麻耶の部屋に掛かる一枚の絵に気付いた。孤高を貫いた米国の画家アンドリュー・ワイエスの「クリスチーナの世界」。草原の丘を見上げる女性を背後から描いた有名な一枚だ。「アメリカの資本主義社会の中の静寂とか空洞を思わせるワイエスの風景は麻耶にふさわしい」と森田。その時、寂しげな絵だと思っていた画面が凛と輝いたように見えた。

「アメリカの資本主義社会の中の静寂とか空洞」。なるほど、そういう見方もあるのか。この映画も見たくなる。ただ、「孤高を貫いた米国の画家アンドリュー・ワイエス」って、まだ死んじゃいないのだから、この書き方はどうだろ。

2008年12月24日水曜日

インドへ馬鹿がやって来た

いや、まったくわけがわからない。

ダカーポ特別編集 今年最高の本 2008で紹介されていたからという理由で買ってみたのだが、紹介文にも書かれていたように、何度読み返してみてもわからない。途中で読むのを止めようかとさえ思ったが、ついついまた戻されてしまうのは、何か魅力があるからというよりも、ここまで褒める人がいるならば、きっと今に何か展開があるはずと思っていたからに過ぎない。展開はない。最初から最後までわけのわからないゆる~いペースが続くだけ。

作者は突如、海外でマンガを売ることを考える。検閲が無いからという理由だけでインドをターゲットにするのだが、事前のリサーチは一切なし。単身インドに乗り込むものの、ヒンドゥー語はもとより英語もまったくしゃべれない。海外旅行も初めて。現地で住むところを探し、翻訳者を探し、印刷所を探し、ついに発売にこぎつけるのだが、何故、わざわざ現地で行わなければいけないのか、英語ではダメだったのかなど、疑問は尽きない。言っておくが、その疑問は本書を読み終わっても解決しない。

不条理とはこのことか。

インドへ馬鹿がやって来た
山松 ゆうきち

4537255676

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2008年12月18日木曜日

新宗教ビジネス

多くの宗教関係の本の感想を書いているためだと思うのだが、このブログに宗教関係のキーワードの検索結果からたどり着いている人が、少なからずいる。残念ながら、個別の宗教については、ここでは取り上げない。小心者なので、この方針は変えないつもりだ。この間の酒席で、仏教系の某宗派を批判してしまったのは反省している。その団体の公称信者数を信じれば、あの席に1人くらい信者がいてもおかしくなかった。もうしない。批判できるほど詳しくもないし。

私が宗教に興味があるのは、1) 人が宗教を信じるようになる、そのメカニズムを知りたいからであり、2) そのメカニズムを応用したいからだ。その意味では、在来宗教よりも新宗教のほうが参考になる。

この新宗教ビジネスでは、宗教が資金を集める手法が解説されている。著者はおなじみ、私の好きな島田裕巳氏。

まず、宗教法人についての誤解が解かれる。もしかしたら、私と同じように誤解している人もいるのかもしれないが、宗教法人は認可されるものではない。認証されるだけだ。認可は国により規定された基準に照らし合わせ審査されるものだ。学校法人などがその例だ。一方、宗教法人はもっと単純な手続きにより認められる認証に過ぎない。そのための法律が「宗教法人法」で、ここでは「礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資する」ことが謳われているくらいだ。

宗教法人というと、税制優遇があるため、豊かな活動資金を有していると思い勝ちかもしれない。だが、それは多くの檀家を抱える大寺院や新宗教、観光客を集めるような歴史的な寺院などに限られる。もともと寺院(仏教)や神社(神道)というのは、その土地の住民や有力者に請われて設立されていることが多く、昔は設立時に小作付きの農地が与えられたりしていたらしい。だが、近代化や政教分離により、土地との結びつきが弱くなり、経済基盤も失った結果、税制優遇があっても、少なからぬ宗教法人は実はいつ廃業してもおかしくない状態らしい。昔は住民が自らのために、経済援助を行っていたその土地の宗教というものが、いまやあるイベント(仏教の場合は不祝儀、神道の場合は祝儀)でしか請われなくなっている。

一方、新宗教の場合は事情は異なる。必要以上に活動資金が集まったために、美術品や骨董品を買いあさったり、シンボリックな建造物を建立することが多い。そのビジネスモデルが本書で詳しく解説されている。

本書で紹介されているビジネスモデルは以下の4つだ。
  1. ブック・クラブ型 - 出版物(新聞や雑誌、書籍など)で収入を得る仕組み
  2. 献金型 - 「お布施」に代表される信者からの献金で収入を得る仕組み
  3. スーパー・コンビニ型 - いくつものサービスを用意し、それぞれを販売することで収入を得る仕組み
  4. 家元制度型 - 徒弟制度のように弟子が指導に対して師匠に授業料を払うことで団体に収入があがる仕組み
この中で献金型は従来の宗教にも用いられているモデルであるが、時代遅れになってきている。少子高齢化や二世信者などが増加する中でビジネスを継続させることを考えた場合、その他のモデルやハイブリッド型が必要となっているようだ。

本書の中でも語られるが、宗教のビジネスモデルは他の心理を操作する営業手法と類似する。テレビショッピングで時間を制限し、在庫を少なめにし、飢餓感をあおって在庫を一掃する手法などは、献金を行う際に宗教団体が行うものと同じだ。また、宗教団体が新規信者獲得のために行うイニシエーションやエンロールメントは企業が新人研修などでも使われている。私は企業、特に創業者のカリスマ性が強い会社というのは、宗教だと思っている。本書にも何社か紹介されているが、日本では宗教に対して帰属意識を持つ人が多くないが、それは企業が宗教の代わりをしてきたからかもしれない。自分には宗教は関係ないと思っている人も、自分の属している企業の「宗教的なもの」を感じるようであったら、読んでみても良いかもしれない。

新宗教ビジネス (講談社BIZ)
島田 裕巳

4062820951

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民族化する創価学会 ユダヤ人の来た道をたどる人々
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本書の中に、(宗教ではないが)ヤマギシ会の話が出てくる。著者の島田氏は以前この団体に属していたのだが、最後は信じられなくなり、脱退している。だが、本書の中では、どこかまだこのヤマギシ会のコミューンに対しての憧憬のようなものを抱いているように思われる部分がある(第7章)。氏は、また再評価しているのだろうか。

参考:

2008年12月14日日曜日

ミステリー

ミステリーってほとんど読まない。いや、昔は読んだ。相変わらず古臭い話ばかりで恐縮だが、松本清張や森村誠一、アガサクリスティなどを学生時代は良く読んだ。ミステリー小説と推理小説の違いさえきちんと説明できないので、もしかしたらミステリーじゃないよとか言われるかもしれないし、松本清張はミステリー小説家/推理小説家の領域を超えていると思うが、彼の代表作はほとんど読んだ。だが、彼に限らず、いわゆるミステリー作家と呼ばれている人の作品を、少なくとも、ここ10年間は読んでいない。理由は特に無い。と思う。

ダカーポ特別編集 今年最高の本 2008とかダ・ヴィンチ 2009年 01月号を読んでみて、今年は多くのミステリーの傑作/秀作があったらしいことがわかる。来年にかけて読んでみようかと考えるのは以下のミステリ―。

新世界より 上
新世界より 上

新世界より 下
新世界より 下

黒百合
黒百合

完全恋愛
完全恋愛

この中でも、特に新世界より 上/新世界より 下は多くの評論家/批評家から最大限の賛辞を浴びている。1,000年後の日本を描いたものらしいが、緻密に積み重ねられたらしい、詳細にいたるまでの描画を是非味わってみたい。

黒百合完全恋愛は恋愛小説としても面白そう。特に、後者は別のペンネームで有名な作家が書いているらしく、それもストーリーと関係あるとか。

読んだことがある人もいると思うが、私が読むまで、ネタをばらさないように。

結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日

ダカーポ特別編集 今年最高の本 2008で薦めている人がいたので、読んでみた。

結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日
結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日

30代後半の独身女性の結婚するか/できるかという状況を描いたコミック。

遺言書の書き方の本を買ってしまったり、見合い(友人からの紹介)による男性との出会いに浮かれてしまったり、実家からの独立しマンション購入することが現実的な話となったり。主人公と友人のいろいろなエピソードが書かれる。

多くの女性に支持を受けているらしいことにちょっと驚く。私の好きな香山リカさんも号泣したと帯に言葉を寄せていた。

まだ独身女性が生きにくい世の中か。だが、結婚したものが必ずしも勝者ではない。ちょっと前に「負け犬」という言葉がはやったときにも違和感を感じたが、結婚したほうが背負うものが出来たり、依存する/されるものが増えることも事実だ。もっとこの国が多様な生き方を認められるようになれば良いのだろう。結構好き勝手している私でさえ、息苦しく感じることがある。

でも、結婚していない/異性と付き合っていないっていうことだけでそんなにも劣等感を持ったり、将来を悲観することはない。将来を悲観するかしないかを左右するのは、結婚/未婚やパートナーの有無ではなく、自分への自信であったり、飽くなき向上心(あまり好きな言葉じゃない)とかじゃないのか。

女性じゃないので、よくわからない。失礼なこと言っていたら、ごめんなさい。

でも、将来への不安は、女性も男性も既婚も未婚も関係ないように思う。

そうか、もう君はいないのか

ダ・ヴィンチ 2009年 01月号のBOOK OF THE YEAR 2008で総合36位に選ばれた城山三郎氏の遺作。この作品、うかつにも知らなかったのだが、ダ・ヴィンチを読んだ後に、是非読んでみたいと思った本の1つ。

そうか、もう君はいないのか
そうか、もう君はいないのか

先立たれた妻の想い出を語ったエッセイなのだが、人を愛することのすばらしさがわかる。文学としての出来やストーリー展開などは関係ない。ただひたすらに甘い夫婦生活を描いただけのものが、ここまで人の心を揺さぶる。これは、愛することの素晴らしさゆえか。

ドラマチックな出会いからほのぼのとした夫婦の日常などが書かれた後、本書の中の妻は突然病魔に襲われ、先立っていく。筆者、城山三郎氏の悲しみは氏の言葉よりも、次女によって書かれた後日談(妻が死んだ後の城山氏のことを綴ったあとがき)からわかる。

30分程度で読み終えてしまう。本当はもっとエピソードがあったろう。だが、この程度のあっさりした感じのほうが良い。

あと、本書に出てくる、次の言葉も素敵だ。

静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く

深く考えさせられる。

2008年12月13日土曜日

「はげちょびん」ではなく、「はげちゃびん」

前回の投稿に対して、「はげちょびん」ではなく「はげちゃびん」だろうというどうでも良いありがたい指摘をいただいた。

確かに。ぐーぐる先生もそう言っている。



さらに、はげちゃびんで検索すると、関連検索語として「どびん ちゃびん はげちゃびん」が出て来る。あー、そういやそういう言葉もあった。

だが、検索結果を見ると…

はげちょびん: 136,000件
はげちゃびん: 18,000件

ということで、世の中的には、はげちょびんで良いと認定された。なんといっても、「首ちょんぱ」と同じ語感を持つためには、「ちゃびん」ではなく「ちょびん」でなければならない。

ちなみに、「はげちゃびん」と「首ちょんぱ」のどちらも死語だそうだ orz

2008年12月12日金曜日

週刊東洋経済 それでも強い! マイクロソフト

東洋経済って数週間前には某社を担いでいなかったっけっていうような野暮な突っ込みは無しにしよう。で、今週号の東洋経済はマイクロソフト特集。マイクロソフトOBの方々、これは買い。永久保存版にして、家宝にして飾っておこう。もちろん、飾るのは読んでから。

調布技術センターに勤めているとき、ダウナーな自分を鼓舞するには、社内で公開されているスティーブバルマーのビデオを見るのが一番だった。あの大声。ちょっと逝ってしまったようにも感じる時折混じるハイトーン。ブライアンバレンタインの役者ぶりにも感銘を受けたが、やっぱり最後はスティーブバルマーだった。彼の有無を言わさぬ圧倒的なカリスマ性が救いになることは多かった。

今回の東洋経済の特集では、そのような男芸者的なバルマーではなく、緻密に論理を積み上げる彼を見ることができる。一応、今の立場からのコメントも入れておくと、必ずしもクラウドへの見通しなどに関してすべてに賛同できるものじゃない。だが、マイクロソフトのCEOとしての仕事は完璧にこなしている。彼を単なる体育会系のはげちょびん爆弾と思っている人は考えを改めたほうが良い。

特集の最後にマイクロソフトOBにウェブアンケートした結果が載っている。これもまたバルマーとゲイツの心温まる(ちょっとクレイジーなところも愛せるのがすごいところ)エピソードに触れることができる。何人かの人に聞かれたが、私の回答は入っていない。ウェブアンケートの存在を知ったのが締め切り当日だったのだ、いつものように飲みつぶれていて、思い出したら日付変更線を超えて、締め切り後だった。私ならもっときわどいエピソードも提供できたのに(嘘 ;))。
週刊 東洋経済 2008年 12/13号 [雑誌]

実は、今でも1ヶ月に1度くらいの割合で、現在のマイクロソフトの社員の人から、辞めようと思うんだけどという相談を受けることがある。自分もマイクロソフトを辞めた人間だから、辞めて社外に活躍の場を求めるのは賛成だ。だが、辞めようと思っている人も、辞める前に、もう一度この特集を読んでみても良いのではないかと思う。外はそんなに甘くない。何を身に着けたかを振り返ってみてから、今後を考えるのが良いと思う。

2008年12月7日日曜日

西の魔女が死んだ

そろそろ年の瀬も押し迫ってきたので、巷では1年を振り返るような催しや特集が組まれることも増えてきた。

そんなときに本屋で「2008年総合ランキングトップ50~あなたが選んだ今年最良の本は」と表紙に書かれていたダ・ヴィンチ 2009年 01月号を衝動買いした。

ダ・ヴィンチ 2009年 01月号 [雑誌]

総合ランキングだけでなく、分野ごとのランキングも出ているが、知らない本がいっぱい。まぁ、ダ・ヴィンチの読者とは人種が違う気もするので、あまり気にはならないが、それでも自分が普段読んでいる本はちょっと偏っている気がする。新書やビジネス書が多すぎる。小説は好きだったつもりだけど、改めて考えてみると、最近あまり読んでいない。

別にほかの人と同じ本を読まなければいけない理由はないが、紹介されていた本のいくつかは興味を持ったので、年末年始の休暇にでも読んでみようかと考えている。もちろん、その前に買っただけでまだ読んでいない10冊を超える本をどうにかしなければいけないのだが。

ところで、このダ・ヴィンチの中に「復活 百人書評」というコーナーがあって、読者からの書評が紹介されている。今月号では「西の魔女が死んだ」が取り上げられた。若い人からの声が多いが、結構ベタボメ。児童書と思って馬鹿にしちゃいけないという声もある。そんなに褒められているなら、読んでみようか。

確か家にもあったはずと探してみると、この間、ブックオフに持っていこうと思って、思いとどまった一冊だった。捨てずに良かった。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
西の魔女が死んだ (新潮文庫)

身も蓋もない言い方をすると、良質の説教。自然への回帰や軟らかな死生観などを交えて、癒されながらも、いろいろと考えさせられるものとなっている。説教臭さはあまり無い。

私は劣等感を引きずるほうで、またその劣等感をバネに成長するのを良しとしているのだが、最近、そういうのに疲れてきてしまっていた。次の言葉が胸に響く。隣人を疑う主人公のまいを魔女が諌める場面だ。
「<略> まいの言うことが正しいかもしれない。そうでないかもしれない。でも、大事なことは、今更究明しても取り返しようもない事実ではなくて、いま、現在のまいの心が、疑惑とか憎悪とかいったものでしはいされつつあるということなのです」
「わたしは……真相が究明できたときに初めて、この疑惑や憎悪から解放されると思うわ」
まいは言い返した。
「そうでしょうか。私はまた新しい恨みや憎悪に支配されるだけだと思いますけれど」
おばあちゃんはまいの手を優しくなでた。
「そういうエネルギーの動きは、ひどく人を疲れさせると思いませんか?」
そう。マイナスエネルギーは心も体も不必要に疲弊させる。

もうひとつの癒される会話が以下の部分だ。まいが過去の自分を思い出し、そこから逃げた自分を悔いているときの、魔女との会話だ。
「わたし、やっぱり弱かったと思う。一匹狼で突っ張る強さを養うか、群れで生きる楽さを選ぶか……」
「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
他人だけでなく、自分さえも許す限りない優しさは、弱さではなく、強さの上にこそ持てるものと教えてくれる小説だ。

この作品の映画の予告編をYouTubeで見た。映画も見に行けば良かった。清里にあるロケセットはまだ見れるみたいだ。年末年始にちょっと足を伸ばしてみようか。その前に、まずDVDで映画のほうを見ないと(年末年始って、そんなに休日あったっけ? (^^;;;)。

西の魔女が死んだ 特別版 【初回限定生産2枚組】 [DVD]
西の魔女が死んだ 特別版 【初回限定生産2枚組】 [DVD]

エグゼクティブが身体を鍛える本当のワケ

渋谷のブックオフで購入し、そのままランチを取りながら30分で読み終わり、すぐに売り戻した本。

身体に(良い意味での)変化を起こすことで、メンタル面にも影響を与えられることは良くわかった。内容としては、それ以上でもそれ以下でもなし。モチベーションをあげるには悪くないかも。

でも、「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」のほうが参考になった。

エグゼクティブが身体を鍛える本当のワケ
吉江 一彦

4766211529

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知っておきたいわが家の宗教

書店で平積みにされていたので購入。

結構、宗教には興味あって(でも、勧誘は結構です)、いろいろと本を読んでいるにも関わらず、基本的なことを知らなかったりする。学生時代にいかに日本史をサボっていたかがバレるほど。

知っておきたいわが家の宗教 (角川ソフィア文庫)
知っておきたいわが家の宗教 (角川ソフィア文庫)

以前読んだ「日本の10大新宗教」でも指摘されていたが、日本人は「無宗教」ではない。年中行事に宗教は根付いているし、不祝儀の際にはなんらかの宗教を拠にする。神仏習合は日本人独自の信仰形態であると著者は説明する。ちょっと長いが、第一章の一部を引用しよう。
 日本の宗教の二大潮流といえば、言うまでもなく神道と仏教である。神道は神社を中心とする信仰で、太古の昔から固有の宗教として日本人の精神のバックボーンとなってきた。そして仏教は六世紀の前半(五三八)に朝鮮半島を経由して大陸から伝えられた。
 仏教が伝来したとき、神道との間で争いが生じたが、やがた仏教が根付くにしたがって両者は互いに歩み寄るようになった。そして、平安時代の中ごろから神仏習合、つまり、神と仏をともに仰ぐという日本独自の信仰が定着していったのである。江戸時代までは神社の境内に三重塔や阿弥陀堂、観音堂などが建つなど、まさに仏教と神道は渾然とした状態で信仰されていた。
 このような信仰形態は罰末まで続いたが、明治維新を迎えて政府が神道が国教と定めると、神と仏を明確に区別する必要が出てきた。維新政府は神仏分離政策を強化して、仏教と神道の引き離しを図ったのである。その結果、神社の境内にあった阿弥陀堂などの仏教的施設は撤去され、神社は神社らしく、寺院は寺院らしいすがたに整備された。
 しかし、一〇〇〇年以上にわたって培ってきた神仏習合の政策によって形式的に神仏は分離したが、日本人の心の中には神と仏が同居し続けた。今も仏壇と神棚とをまつる家庭は少なくない。また、お祝い事は神社で、葬儀などの不祝儀はお寺で行うというのが通り相場だ。神仏習合はまさに日本人の精神の中に深く刻まれているのである。
 無宗教であるとか、信仰心がないといわれる日本人。しかし、その実態は神と仏の両方に守られるという豊かな信仰形態を実践してきたということができるのではないだろうか。
まさにそのとおりだと思う。ここにさらにキリスト教の影響もあるが、信者ではない一般人へのキリスト教の影響は主にイベントのものにとどまっているように見える。その意味では、日本はやはり神道と仏教の国だ。本書の中で仏教に割かれるページ数が多いのも理解できる。
目次
第一章 わが家の宗教の基礎知識
◆人口を大きく上回る日本の宗教人口
◆日本にはどんな宗教があるのか?
◆わが家の宗教の基本は祖先崇拝だ!
◆神仏習合―日本人独自の信仰形態
◆仏教の誕生とその広がり
◆大乗仏教と小乗仏教
◆仏教の宗派はいくつあるのか
◆檀家制度とは?
◆密教抜きには語れない日本の仏教
◆もっとも身近なわが家の宗教
◆わが家の宗教としてのキリスト教
◆わが家の宗教としての神道
第二章 仏教編
奈良時代から続く三大宗派
天台宗
◆開祖・最澄のプロフィール
◆天台宗の教え
  五時八教/最澄が主張した法華一乗思想
◆天台宗の主要経典
  根本経典の『法華経』とは
◆総本山・比叡山延暦寺
◆比叡山の分裂
真言宗
◆開祖・空海のプロフィール
◆真言宗の教え
◆真言宗の主要経典
 『十住心論』(全一〇巻)
◆総本山・高野山
浄土真宗
◆法然上人と浄土宗
  ◆浄土宗の教え
   聖道門と浄土門/念仏は何回となえるか/自力と他力
  ◆浄土宗の主要経典
    浄土三部経/『一枚起請文』
  ◆総本山・知恩院
◆浄土真宗
  開祖親鸞の生涯/親鸞以降の浄土真宗/浄土真宗中興の祖蓮如
  ◆親鸞の思想
    非僧非俗/同胞同行/悪人正機
  ◆浄土真宗の教えと主要経典
    『教行信証』/『歎異抄』
◆時宗
  開祖一遍の生涯
  ◆時宗の歴史
  ◆時宗の教え
  ◆賦算と遊行
  ◆時宗の主要経典
禅宗
◆菩薩達磨
◆達磨以降の禅宗
◆禅の教え
◆公案
◆日本の禅宗
◆臨済宗の歴史
  ◆日本臨済宗の開祖・栄西
  ◆臨済宗の教えと主要経典
◆曹洞宗
  ◆開祖・道元のプロフィール
    禅の思想に触れる/入宋/帰国/永平寺の創建
  ◆道元の思想
  ◆生死即涅槃
  ◆曹洞宗の主要経典
    『典座教訓』/日本人が書いた最高の思想書―『正法眼蔵』/坐禅の指南書―『普勧坐禅儀』
  ◆二大本山―永平寺と総持寺
    永平寺/総持寺
  ◆栄西の禅と道元の禅
◆黄檗宗
  ◆開祖・隠元のプロフィール
  ◆黄檗宗の教えと主要経典
  ◆黄檗宗独特のお経の読み方
日蓮宗
◆開祖・日蓮のプロフィール
  辻説法と法難/佐渡に流されて
◆日蓮宗の教え
  『法華経』こそ最高の教え/国家・国民一丸の信仰
◆日蓮宗の主要経典
◆日蓮宗の本尊―大曼荼羅
◆総本山―身延山久遠寺
第三章 神道とキリスト教
◆神道とは何か?
  ◆変化した神社の信仰
  ◆国家神道
  ◆戦後の宗教の崩壊
  ◆祝詞とは何か?
  ◆神道の行事―祭り
  ◆日本の神の特徴
◆キリスト教の歴史
  ◆キリスト教はいつ日本に伝えられたか?
  ◆聖書とは
  ◆唯一絶対の神とは
  ◆三位一体とは
  ◆カトリックとプロテスタントの違い
  ◆キリスト教の行事
  ◆洗礼とは何か?
第四章 実践編
◆戒名とは
◆戒名のつけ方
◆宗派によって異なる戒名
◆戒名料とは
◆位牌とは
◆年忌法要は何階営むか?
◆祥月命日と月命日
◆お盆
◆彼岸
◆葬儀のいろいろ
◆仏式の葬儀
  通夜/葬儀/お焼香の回数は宗派によって異なる/将校の順番は?
◆神道の葬儀
  神葬祭/通夜際/葬儀/玉串奉奠の仕方/神道の葬儀後の行事
◆キリスト教の葬儀
  通夜(カトリック)/通夜(プロテスタント)/葬儀(カトリック)/葬儀(プロテスタント)/キリスト教の葬儀後の行事
◆なぜ寺には墓地があるのか?
◆お墓はいつごろから普及したのか?
◆墓地を求めるには?
◆御香典、玉串料、お花料
◆仏教徒になるには?
◆神道の信者になるには?
◆キリスト教の信者になるには?
◆仏式の結婚式
◆神前結婚式
◆キリスト教の結婚式
目次を見てもらえるとわかるが、第四章は大人のためのマナー本のようだし、ほかの章は子供のための入門書みたいになっている。だが、すべてにおいて、日本人が現在のような形で宗教に接するようになったかの説明をベースにされているため、単なる知識を吸収するためだけの読み物とはなっていない。

日本の宗教を改めて理解したい人&日本社会の宗教行事の歴史的背景を知りたい人にはお勧め。

2008年12月1日月曜日

追悼 樋口宗孝

レイジー(Lazy) -「赤頭巾ちゃんご用心」の印象が抜けきらないバンドではあったが、実はすごいうまいらしいぞと同級生の間で話題になり始めたころに出たアルバムがこれだ。

宇宙船地球号
宇宙船地球号

その後のラウドネス(Loudness)はヘビィメタルの王道を歩むバンドではあったが、私としてはレイジーのメロディアスなロックのほうが好きだった。

正直、最近の活動はあまり良く知らない。ドラマーの樋口宗孝氏が今年の夏ごろにファンに癌で闘病中であることを告白していたことは知っていたが、先ほど亡くなったことを知った。

自分が音楽に一番熱かったころのアーティストが亡くなるのはやはり悲しい。合掌。