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2015年1月16日金曜日

そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか

本書は「そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか」というタイトルではあるのだが、別に私が「そろそろ会社辞めようと思っている」から買ったわけではない。かと言って、絶対に辞めようなんて思っていないわけでもない。というか、そもそもこの本は買った本ではない。一時、株式会社KADOKAWAの株主だったことがあるのだが、その際に株主優待として角川グループからの出版物を貰えたので、本書を選んだのだった。

そんな経緯もあったので、正直たいして期待していなかったのだが、読み始めたら、引き込まれるように読んでしまった。それくらいに読みやすい。ただ、1,500円の価値があるかどうかは読者次第か。

本書のターゲットは(表紙からはわからないかもしれないが)就活生もしくはその少し前の学生だろう。社会人1〜3年目の若者も対象になるかと思うが、少なくともそろそろリストラの対象にされそうな中高年をターゲットにはしていない。

本書が言う「一人で食べていける」とは起業し、自らが企業のオーナーになることだ。したがって、内容は利益をあげるための考え方と起業に向けてのステップだ。

序章では、年功序列や終身雇用という高度成長期を支えた日本株式会社の枠組みが崩れた現在の状況が説明される。ここで「一人で食べていく」ことの重要性が謳われる。

1章と2章では利潤をあげるビジネスシステムの肝を解説している。事業を考えたことがある人であれば知っている内容だとは思うが、もう一度リキャップしたい人やそれこそ就活生には良い内容だろう。3章が具体的に起業に向けてのステップであり、4章と5章は心構えのようなものだ。

後半になればなるほど、起業しない人にとっては直接は関係ない内容になっていくが、読みやすいので、起業に現時点で興味ない人も最後までは読んでしまって良いだろう。また、対象ではないけど間違って手にとってしまったリストラ対象の中高年も起業しなかった自分を悔やむために読んでみても良い。

本書の中心は2章と3章だが、その3章では、独立前に丁稚奉公やプロに弟子入りすることを進めている。

最近、以前話題になった以下のブログ記事を読んだが、そこで書かれている派遣社員と共通する部分も感じられる。

新卒で就職する以外の選択肢 - UEI shi3zの日記

石の上にも三年とか言って炎上した経営者の発言が数年前にあった。学ぶことのない仕事に三年もついている必要はないと思うが、類まれなる才能も突飛なアイデアも無い場合は、組織や人について働くことで、まずは社会を理解するというのは手段としては悪くない。

Amazonのレビューでは、このご時世に簡単に起業を勧めてということで厳しい評価をしているのも見受けられる。その通りだと思うが、雇われた立場だとしても、一人で食べていく場合のことを意識して働いていくことは意味があるだろう。会社としてもそのように起業家精神を持った社員を求めていくようになるだろうし、実際に一人で食べていかなければならなくなったときに生きてくるだろう。

日本は70年代から80年代を中心に機能した雇用モデルが未来永劫続くものとの幻想を抱き続けていたが、もうそれが通じなくなっていることを皆知っている。本書のようなものが多く出ることで、多様な生き方を考えるきっかけになれば良いと思う。

それにしても、タイトルはミスリードを呼ぶだろう。ちょっと惜しい。

そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか
山口揚平

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2012年12月19日水曜日

東電帝国―その失敗の本質

出版社(文藝春秋)より昨年すでに献本いただいたいたにもかかわらず、やっと今になって読んだのが、この本、「東電帝国―その失敗の本質」だ。

読んでみて、あまりにも自分が無知であったことに情けなくなった。

私は資源工学科というちょっと珍しい学科を出た。

私が在学当時でも同じような学科を持つ大学は全国でも10も無かったのではないだろうか。今は学部名も学科名も変わってしまったようだが、当時はエネルギーや材料資源の探査から開発、加工、それに付随する安全工学までを網羅していた学科だった。

このような学科だったので、卒業後の進路としても石油開発会社や資源採掘を行う会社が多く、その中に動力炉核燃料開発事業団(動燃)も含まれていた。現在の日本原子力研究開発機構だ。同じ研究室で1つ上の院生の先輩が動燃に入り、人形峠だったか、東濃だったかの事業所に配属なったのを覚えている。

私の同期にも動燃から内定が出ていたのが1人いたのだが、彼はしばらくして辞退してしまった。直接理由を聞く機会は無かったのだが、噂では当時ベストセラーになっていた広瀬隆氏の「危険な話」を読んで気が変わったと言われていた。

危険な話 チェルノブイリと日本の運命
危険な話 チェルノブイリと日本の運命

私が小学生のころは、中国が核実験を行うたびに、放射能汚染された雲が日本にやってきて、放射能の雨が降るとか言われていたりしたころだった。今日は外に出ちゃだめよと母親に言われたりした。また、今よりも広島や長崎の原爆のことを取り上げた映画やドラマも多かった。

そんな環境の中で育った私だったので、学科にあった原子力研究をやっている研究室にも、あまり近づかないようにしていた。この「危険な話」が出たときは、すぐに読んだ。

広瀬隆氏はこの本より前に「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」という本も出している。

どちらも原発へ警鐘を鳴らすものだ。後者はハリウッドスターが晩年癌で亡くなるのだが、それがネバダ州での核実験の影響を受けたためであることをデータを元に指摘したものである。当時は戦慄を覚えながら読んだのだが、引用されているデータはその解釈も含め、間違いがあるのではないかということが後に指摘されている。

同じ頃、DAYS JAPANという雑誌が講談社から出版された。私が今でも所有して創刊号を見ると、広瀬隆氏と広河隆一氏による「四番目の恐怖」と題する記事が掲載されているのがわかる。これは、ソ連(当時)のチェルノブイリ、米国スリーマイル、英国ウィンズケール、そして日本の青森県六ヶ所村における原子力の危険を訴えるものであった。

このように、1980年代から1990年代にかけて、原発への不安を訴える情報はそこかしこに見られた。

それがいつからだろう。危険なものではあるかもしれないが、日本経済の発展には必要なものだと思わされるようになったのは。人間により制御可能なものであると信じるようになったのは。

そのような巧みな宣伝を行ったのが東電であり9電力会社だ。

この「東電帝国―その失敗の本質」では、日本のエネルギー政策の変遷とどのようにして9電体制が生まれたかを紐解く。また、唯一の被爆国でありながら、原子力発電を実現するに至った経緯を解説する。

自分が無知であったことを恥じると書いたが、私は、あの正力松太郎氏が原子力発電の父と呼ばれるような存在(原子力委員会初代委員長)であることさえ知らなかった。

著者の意図とは異なるかもしれないが、この本から私は日本での安定したエネルギー供給を実現する野望に燃えた人物たちのドラマを感じた。歴史を振り返ると、犯罪に近いと言える行為や、とてもフェアとは言えないような形で権利をもぎ取った人たちが見えてくる。だが、それも私利私欲のためだけでなく、日本の将来のためを考えての行動と思えるものが多くある。

この本で紹介される過去の東電の幹部たちは皆曲者ぞろいだ。だが、自社のためだけでない大志がそこからは垣間見れる。それは自社が日本経済にエネルギーを供給しているのだという誇りかもしれない。

過去の幹部たちのエピソードの紹介のたびに、著者も書いているのが、現在の東電にはその気概さえ見受けられないところだ。過去を礼賛するのではない。クリーンな企業運営でもない。隠蔽体質が無かったわけでもない。だが、いくつかの失敗があっても、当時の幹部やもしくは管理職たちが、プライドを持って事にあたった様子が紹介され、現在の東電にはその片鱗すら見られないと綴られる。

現在も福島原発事故の復旧に懸命にあたっているのも東電社員やそのグループ会社社員、下請け会社社員である。彼らこそはヒーローだ。だが、それを支えなければいけない東電という会社はどうなんだろう。そんなことを強く感じさせる一冊だ。

現在の東電や福島原発事故の原因などを知りたいとすると、本書の内容はちょっとがっかりするかもしれない。東京電力社史ではないかというレビューも見たが、良くも悪くも日本の生き死にさえ左右させかねない大企業の沿革を政治史とあわせて紹介しているこの本は貴重だ。

考えてみると、私は原発を斜め横ぐらいのところに感じながら生きてきているのかもしれない。生まれた年に東海村の原発が日本第一号の原発として運営開始され、中学時代にスリーマイル島事故が起き、大学時代にチェルノブイリ事故が起きた。そして今、福島原発事故だ。来年は年男、そんなときに原発の再稼働を進める自民党が与党に復帰。

直接に関わることはないと思うが、もはや他人ごとではなくなった。もう見ないふりは止めよう。

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志村 嘉一郎

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2012年12月18日火曜日

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか

今から7〜8年前だったと思う。当時のソニー会長の出井伸之氏が報道ステーションでのインタビューで「サムスンから学ぶことは何もなかった」と語っていた。WEGAという平面ブラウン管技術を持つがあまり、薄型液晶への投資が遅れ、サムスンと提携したことを振り返っての発言だったと思う。

技術面では確かにその通りだったのかもしれない。しかし、きっとソニーはほかに学ぶことがあったのだと思う。その後のサムスンの躍進のヒントがそこにあったはずだ。

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか」はサムスンに電子常務として10年勤務した経験を持つ著者が書いた世界首位を走り続けるサムスンの秘密だ。

サムスンや韓国企業は日本ではまだあまり評価されていないように感じるし、下手をすると、褒めた人間が売国奴扱いされかねない。だが、ここまで成長していることは紛れもない事実であり、そこから生ぶことは多いはずだ。本書が真実を語っているかどうかはわからないし、書かれていない恥部もあるのかもしれない。だが、参考できるところはしたら良い。

と少し冷静に書いてみたものの、実は本書で書かれていることは私が常日頃考え、そして発信している内容と重なるところが多い。

本書のタイトルになっているように、著者はサムスンの成長の秘密はその意思決定の速さにあると言う。

日本では「石橋を叩いて渡る」慎重さが尊ばれる風潮がありますが、いまはそれが許される時代ではありません。韓国の人たちは、腐っている橋でも渡り、渡り終えたあとにはその橋を壊してしまうような感覚を持っています。

また、韓国の格言には「始めたら半分終わったも同じ」というものがあります。
日本では「百里の道を行くのも九十九里をもって半分とせよ」という格言があるのですから、発想は正反対です。
どちらの言葉にも深い意味はありますが、“とにかく始めることが大切”という韓国人の発想のほうが、現在のトーナメント戦に向いているのは間違いありません。

“とにかく始めることが大切”というのは、Facebookのマーク・ザッカーバーグが言う「完璧を目指すよりも、まず終わらせろ」とも通ずるところがある。完璧なことよりも、迅速に動くこと。アジリティ(Agility)、リーン(Lean)などの今のキーワードも思い浮かぶ。

日本の事例主義との違いについても本書は次のように紹介する。

どこのライバル店もまだこの商品を扱ってはいない。あるいは他の国では売れているけれどもこの国ではまだどこも扱っていない。
そういうときにこそ、その商品でビジネスを展開する決断をします。

誰もやっていないからこそ、自分がやる―。

実際はチャンスといえることではなくても、すぐにチャンスだと思い込んでしまうほど、未開拓分野の発見を重視しています。そして、そこに進出したことで失敗しても、どうしてダメだったのかという反省をすることも基本的にはありません。そうやって過去を振り返るのではなく、“前向きに次を考える”という発想が強いからです。

ある日本企業の方とお話させていただいたときに、やたらと先行事例に拘ることに違和感を覚えたことがある。最初は他社がまだやっていないのだったら、日経一面を飾れるかもぐらいの前向きな話かと思ったら、社内を説得するのに、他社の事例があると助かるという。あまりの意識の差に脱力したのを覚えている。日本企業同士、仲良く横を見て進んでいたら、世界では多くの企業が全く異なるスピード感で動いていた。そんな感じなところもあるのではないだろうか。

ほかにもいくつも刺激的な言葉が続く。
今日と明日とでは何もかも違うという考え方をするのが韓国人ですが、日本人の発想はそれとは逆です。
明日も明後日も、今日と変わらないでほしい。

「静かに暮らしたい」という名言を残されたのは、私の一番最初の会社の尊敬する先輩だ。そのときは、彼は特定の管理職を指して、そのように言ったのだが、今やこれが社会に蔓延してしまっているのか。

仕事の進め方についても、私の考えと共通する部分が多い。私は何かを伝えようとしたときに、伝えたかではなく、伝わったかで考えるようにする。同じと思われるかもしれないが、相手にそれが伝わらなければ、伝えたという行為は自己満足でしかありえない。本書では、IT活用としての「見える化」と「見せる化」という言葉でそれを説明している。

「見える化」というのは、必要な情報をいつでも見えるようにしておくことです。一方の「見せる化」は、その情報が、相手にとって有益なものになるように加工することです。
たとえば、「見える化」では、株価に関するデータを提示できる限り羅列しておくようなことがあります。いつでもそのデータを見られるのは便利ですが、そのデータから有意義な情報を受け取れるかはその人次第です。そこで、その株価のデータを折れ線グラフにしたうえ、複数のデータの関連性をわかりやすく視覚化します。それが「見せる化」です。

この例くらいのことはやっていると思うかもしれないが、意外とやれていないものだ。データをどのように活用するかによって、決定は大きく異る。裸のデータを用意することは大事だが、あることを進めたいと思うならば、そのドライブする側の人間が加工し、その判断材料となる状態にまでしておくことが意思決定を速めることとなる。

日本企業が陥りがちな「過剰品質」についても本書では言及している。

実は、私は日本品質について話すことにはちょっとトラウマがある。以前、MITメディアラボ副所長の石井裕教授と対談(石井裕×及川卓也が語る「イノベーションの流儀」とは/リクナビNEXT[転職サイト])をさせていただいたときに、「一秒で直せるものならば、ユーザーから言われて直すので十分だ」と言ったのが近しい人も含めて不快な気分にさせてしまった。これはさすがに言い過ぎだったと今は反省しているが、前から「品質とはユーザーの期待値よりもちょっと上を目指すことだ」と思っている。必要以上の部分にまで拘ることは、職人芸としては尊敬されるが、製品の競争力につながらないことも多い。本書の中でも次のように書かれている。

メーカー側がこだわる品質が消費者の要求を超えていて、それによって価格が高くなるようであれば、それは「過剰品質」ということにもなってきます。
消費者が決めるこの消費品質は、〇か一のどちらかです。
つまり、お客さんが実際に使ってみて、アフターサービスの面も含めて、“また買いたい”と感じたなら一になり、なんらかの不平不満を持って“もう買わない”となった場合は〇になります。ここで〇になれば、設計技術や製造品質でどれだけ高いポイントを稼いでいても、その消費者にとってはその製品に対する評価は〇になるのです。
サムスンでは、“品質は顧客が決めるものであり、メーカーが勝手に決めるものではない”“顧客は購入価格によって品質を追求するものだ”という考えが徹底されています。

日本品質こそが国際標準になるべきところも多く、他国の品質基準まで下げる必要はないが、品質の定義、ここで言う、顧客から見た場合の価値という基準は忘れないようにしないといけないだろう。

サムスンが嫌い、韓国企業が嫌いという人も多いだろう。繰り返しになるが、それでも彼らが成功しているという事実を真摯に受け止め、学べるところは学ぶと良い。本書でも、もともとサムスンは松下幸之助氏の教えから学んだのではないかとの推測が書かれている。日本が失ってしまった精神を再度海外企業から学ぶというのもあるのかもしれない。

本書では、ほかにもデザインへの考え方、多品種少量生産を実現する仕組み、世界各地で成功するための現地法人のあり方、トップダウンとボトムアップからなる組織運営などなど、考えさせられるネタが満載だ。批判精神を持って読み、自分の会社ならばこうすると考えるもよし、そのまま参考にするのも良し。もし読む機会があったならば、是非じっくりと考える材料としてほしい。

最後に、これまた気に入ってしまった名言を引用して終わる。

「卵の殻を自ら割れば、生命を持った鳥になるが、他人が割れば目玉焼きにしかならない」

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか (角川oneテーマ21)
吉川 良三

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追伸:「東日本大震災、その時企業は」でも書いたように、あの非常時下、日本企業はスピード感をもって意思決定を進めることができていた。今も非常事態は続いている。原発事故や次の震災ということだけではなく、グローバルな経済の中での生き残りという意味においても。是非、あの時の気持を思い出し、企業改革を進めてほしいと思う。

2012年12月14日金曜日

東日本大震災、その時企業は

昨年3月に起きた東日本大震災。

震災と津波、その後に襲ってきた原発事故。

被災地の倒壊した工場、海外からの風評被害にあえぐ日本製品などを見て、日本はどうなってしまうのだろうと不安を抱いた。サプライチェーンの崩壊は多くの企業に影響を与え、消費者心理の冷え込みにより内需も縮小した。

だが、そこで見たのは、お互いを支えあう日本人の優しさや強さであり、混乱の中で安全を確保し、すぐさまに復旧・復興に向けて動く企業だった。不安は強かったが、日本全体が優しさに包まれているように感じ、確かな復興の手応えを感じた。わずか数週間で復旧した東北自動車道を始めとした、日本社会の底力が世界からも称賛された。

東日本大震災、その時企業は」は日本経済新聞および日経産業新聞に連載されたルポとインタビューを再構成したものだ。昨年7月の発売だ。

震災直後から5月ごろまでの記事で構成されている本書を今読むと、当時の状況が思い起こされる。自身が当時どこで何をしていたかと重ね合わさる。

同時に、今も当時の気持ちを持ち続けているかを問いたくなる。自分に対してもそうであるが、本書で取り上げられている企業人の方々にも。今もあの時と同じですかと。

本書では、数多くのヒロイックな活躍が紹介されている。実際には、こんなにドラマチックな展開ばかりではなかっただろうが、日頃の官僚的な組織とはまったく異なる、権限移譲された一人ひとりが素早く行う意思決定や組織の枠を超えての協力など、日本企業が弱いと指摘されている部分を克服した活躍が書かれている。

岩手県宮古市の宅配便営業所では、「配達員たちは誰に頼まれるでもなく、本社の了解を得るのも待たずに救援物資を避難所に運ぶのを手伝い始めた」し、自動車メーカーは生産再開をやみくもに急ぐのではなく、相互に連絡をとりあって、部品メーカーの復旧を支援した。全日空は2002年に撤退していた山形空港への臨時乗り入れを、約2週間という短期間で実現した。いわき市に本社を持つ、カーナビのアルパインは工場の1階にすべての設備を下ろすことで、余震が続くなかでも操業を再開した。

共通するのは、現場の裁量で、短期間に決断し、実行すること。

企業トップが震災直後に社員に呼びかけたメッセージも記載されているが、どれも胸打つものだ。日立製作所社長の中川氏は「家族、街、そして社会を守りぬくのだという強い決意を持つことが求められています」と呼びかけ、日産自動車社長のゴーン氏は自社工場(いわき工場)の早期復旧の見込みに対して、「これはひとえに“現場力”によるものだ。このような危機では新聞に名も載らないような多くの無名のヒーローが登場する。彼らを称賛し、勇気づけるのが私たち経営者の責任だ」と話す。阪神大震災の際に全国から支援を受けた関西を中心とする企業は「今度は自分たちの番だ」と語る。

あれから1年と9月。今も同じ思いでいるだろうか。選挙戦も終盤だ。原発に対しての将来構想が争点にはなるものの、それ以外の震災復興についての話題はあまり聞かない。

日本経済の先行きも不透明だ。大手家電メーカーの中には目を覆いたくなるような業績のところも多い。

今こそ、当時の思いを思い出すと良いのではないだろうか。

東日本大震災、その時企業は (日経プレミアシリーズ)東日本大震災、その時企業は (日経プレミアシリーズ)
日本経済新聞社

東日本大震災 復興への提言―持続可能な経済社会の構築 大震災のとき!企業の調達・購買部門はこう動いた―これからのほんとうのリスクヘッジ (B&Tブックス) 図解 統合リスクマネジメントの実践 6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録  角川SSC新書 (角川SSC新書 130) 世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア

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2012年5月6日日曜日

ソーシャルゲームのすごい仕組み

ソーシャルゲームで導入されている「コンプガチャ」が景表法(景品表示法)の懸賞にあたり、規制対象になるということが昨日報道された。

ソーシャルゲームどころかゲームさえ全くやらないので、あまり詳しくないのだが、コンプガチャとは街にあるガチャガチャ(100円とか200円でカプセルに入ったオモチャが出てくるあれだ)のような感覚で、安い価格で買えるアイテムのことらしい。どのようなアイテムが出てくるかわからないところもガチャガチャと同じ。コンプガチャのコンプとはComplete(完成させる)の略で、購入した複数のアイテムである組み合わせを完成させると、さらに希少なアイテムを入手できる。

ソーシャルゲームの社会的意義については、自分がゲームをやらないこともあり、まったくわからない。このコンプガチャにしても、そもそもゲームのしくみにしても、出玉調整を意図的に変えられていて、しかも規制がない悪徳パチンコ店で遊んでいるようにしか見えず、昨年にはその思いを「ソーシャルゲームの社会的意義」とブログ記事にしたほどだ。

ソーシャルゲームに人が夢中になる原理や業界、そしてメジャープレイヤーであるGREEやDeNAなどについて、極めてわかりやすく解説した本が「ソーシャルゲームのすごい仕組み」だ。

ソーシャルゲームのすごい仕組み (アスキー新書)
ソーシャルゲームのすごい仕組み (アスキー新書)

本書はソーシャルゲームを俯瞰するところから始まり、ソーシャルゲームが人気を博するまでの道程、ソーシャルゲームのマネタイズ方法、そこに隠された影の部分など、恐らく、現在ソーシャルゲームについて知りたいと思っていることがすべて網羅されている。

私は(繰り返しになるが)自分でゲームをやらないため、どのようなゲームがあるか、どのような人たちがゲームをしているか(30代以上が40%を占める。またゲーム内アイテムを買っているのも可処分所得の多い40代以上だ)の紹介から始まってもらったのは大変ありがたかったし、日米のゲームの違いについて知れたのも大変役立った。日本のRPGはJRPGなどと呼ばれて、海外ではあまり人気がないことなど知らなかった。また、これは自分の仕事柄知ってはいたが、海外でのソーシャルゲームといえば、PCからブラウザで行うものがほとんどで、携帯(スマートフォン)で行うものはまだ少数である。

ソーシャルゲームのマネタイズは、今まで無料が当たり前のWebの世界で、初めてと言って良いほど、コンテンツでの課金でビジネスを成立させることに成功している。それは、アイテム課金だ。そこに至るまでには、ゲームが高機能化を進めるのと並行して、当初持っていた「物語性」を分離していったことなどがある。

先ほど、悪質なパチンコ店で絶対に店舗側が最終的には儲かるように出玉調整が行われているような感覚だと話したが、それは「プレイヤーのゲームへのモチベーションをいかに刺激し、高め、維持していくか」という「ゲーミフィケーション」と呼ばれる手法によって実現される。

Richard Bartleによると、ゲームプレイヤーはアチーバー/Achivers(ゲームのミッションをクリアすることを目的とするタイプ)、エクスプローラー/Explorers(ゲーム内を探索し、好奇心を満たすことを目的とするタイプ)、ソーシャライザー/Socializers(ゲーム内で生まれるコミュニケーションを楽しむタイプ)、キラー/Killers(ほかのプレイヤーとの対戦などを通じて勝ち上がっていくことを目的とするタイプ)の4種類に分類されるが、それぞれのタイプのプレイヤーの欲求を満たすことがソーシャルゲームに求められていることである。
http://www.chickgeekgames.com/2011/01/know-how-healthy-player-base-ecology-or.html より
従来のゲームにおいて、プレイヤーの興味を引きつけ、プレイ開始後も完了まで遊び続けてもらうようにゲームを制作するのはかなり難しいことであり、ゲームクリエイターの能力に依存するところが多かった。しかし、ソーシャルゲームではWebの手法を用い、リリース後にユーザーの行動を分析し、適宜ゲームを最適化していく。

今流行している「ビッグデータ」の有効活用であるが、一方で、それが故に事業者側に行き過ぎを防止するようなしっかりとした指針なり仕組みが必要である。

本書では、規制が入ると昨日報道されたコンプガチャを始め、現在のソーシャルゲームの社会的な問題も解説している。執筆時には、「ゲームの利用規約で禁止されているもので、違法性を持つものや国による規制が求められる要素というのは限られてくることがわかる」と書いており、コンプガチャが景表法の懸賞に当たるのではないかとの指摘は行われていない(ただし、筆者のFacebookなどのコメントを見ると、なんらかの情報は得ていたが、執筆時には明かせなかったように見受けられる)。

筆者は海外展開において、日本よりも規制の厳しい国が多いことをあげ、マネタイズをソーシャルゲーム本体と一体で考えないほうが良いのではないかと次のように指摘する。「ソーシャルゲームそのものと、マネタイズの手段であるアイテム課金やガチャシステムをワンセットで考えていいのか、という疑問がでてくる」。最終章である第5章「ゲームの未来」では昨年南相馬で行われた「福島Game Jam」を紹介し、ソーシャルゲームそのものの可能性を言及する。

結局、本書では、マネタイズとして健全な形は、では何かという疑問には答えられていない。しかし、これはそう簡単に出るものでもない。むしろ、これから考えなければいけないことであろう。特に、昨日以降、違法性があることが指摘された今であれば、なおさら。

なお、本書は、著者のまつもとさんから献本いただいた。まつもとさん、ありがとうございました。

2012年5月4日金曜日

ブラック企業、世にはばかる



かなり前に献本いただきながら、放置してしまっていた。改めて読んでみて、その内容に頷くところが多いことに気づく。

Amazonのカスタマーレビューではあまり評価が高くないようだが、その理由はタイトルと内容に違いがあるところに依るところが多いようだ。この本で筆者はブラック企業(中ではブラック職場との呼び方で統一される)が存在する理由を日本経済そもそもの構造にあると指摘し、その上でどのように解決できるかを提案する。

本書でブラック職場と呼ばれるものは、法的に問題のある活動をしているものは除外されている。つまり、日本経済を支える上で重要な役割を果たしていながら、そこで働く従業員にとってはブラック、すなわち、さまざまな条件において理想とされるものに程遠いような職場を指している。

その上で、このようなブラック職場を生み出しているのは、その職場だけに問題があるのではなく、むしろ、そのような構造を生み出している発注者であったり、元請けであったり、最終的には消費する一般消費者であると指摘している。

ついこの間、深夜バスの不幸な事故が発生したが、それに対して藤野さんが次のような指摘をしている。
デフレ経済に対応をするためには、消費者に対する価格を下げるための企業努力が必要になります。それは「消費者がのぞんでいるから」です。生産者や販売者は売値を安くしたい動機はあまりありません。売値を下げるのは厳しい経営努力が必要になるからです。売値を下げるには、相当なビジネスモデルの工夫が必要ですし、原価を下げるか、従業員やアルバイトに長時間労働をお願いするか、賃金を引き下げるか、従業員の数を減らすしかないわけです。

高速バス事故の事故の責任は、あなたにも私にもあるかもしれない。ブラック企業を生み出す「ブラック消費者」という問題  | ふっしーのトキドキ投資旬報 | 現代ビジネス [講談社]
ここでは「ブラック消費者」と一般消費者にも責任の一端があると指摘しているが、本書においても、同様の理由により、ブラック職場が無くならない理由を日本経済そして日本社会全体の責任であるとする。

前半の第一部では、ブラック職場をそのタイプにより3種類に分類する。

深夜残業や休日出勤も当たり前の「肉食系」。新卒を大量に採用し、過半数が辞めていくことも構わないような確信犯的な職場。もう1つが勤務は厳しくは無いが、賃金は高くなく、自身の成長が見込めないような簡単な業務しかない「草食系」。最後が一般にはブラックと思われないような、大手人気企業だけれども激務であり、時給換算するとマックやコンビニ以下(本書内で、これは誤解であることが示されるが)の「グレーカラー系」。

それぞれの職場の特徴となぜブラックから抜け出せないかを示した上で、後半の第二部でその解決策を示す。

筆者は、ブラック職場が存在する理由を、日本の従来からの伝統的な雇用システムにあると指摘する。年功序列と終身雇用。ありきたりの結論と思われるかもしれないが、筆者の説明は明解かつ説得力がある。

まず、新卒採用中心主義を改めるように提案している。日本で生まれ育った場合、学歴形成から社会に出るまでには、実は何度か再チャレンジのチャンスがある。中学入試で失敗しても、高校入試があるし、そこで失敗しても大学入試がある。大学院に行く場合には、そこでも再度挑戦できるし、社会人になる際にも再度の挑戦ができる。もちろん、後半になればなるほど、挑戦できる範囲は狭くなったり、難易度は上がったりする。だが、それでも挑戦できる可能性はあるし、回数も確保されている。それが、社会人になるという段階においては、まさに1回のみの挑戦となる。一度、職場選びを間違ってしまうと、その失敗を取り返すことが不可能だ。筆者は、この問題の解決策として、1) 若年者採用中心主義と 2) 中途採用中心主義にすることを提案する。

もちろん、机上の空論となりかねないことを筆者も知っているため、まずは 1) の若年者採用中心主義を勧める。これはこれで難しいが、実際に日本で出来ている団体があり、それを模倣してはと言う。それは公務員だ。筆記試験というハードルを課すことにより、20代後半までの比較的幅のある範囲で募集をかける。一般企業も就職浪人や第二新卒まで含めて、採用を検討してはどうだろうか。採用にかける手間を軽減するために、資格試験などを利用することも可能だと言う。

2) の中途採用中心主義に関しては、雇用の流動化やさらには解雇規制の緩和を言う。これに関しては日本に馴染まないという声も多いだろうが、私も同意する。日本社会全体で見た場合に、優秀な人材を適材適所に配置できないことが日本の成長を著しく阻害し、競争力を削ぐことになる。本書でも書かれているように、日本にさまざまな事情があることは承知している。年功序列と終身雇用に最適化された職場において、中途を採用することや解雇を積極的に行うことなどは、激しい軋轢を生み、また痛みも伴う。だが、ブラック職場の存在を知りながら、見て見ぬ振りをしないためにも、さらには激しい勢いで変化する社会構造に対応するためにも、戦後積み上げてきたシステムそのものの見直しをしないといけないのではないだろうか。

筆者は中途採用が進まない理由の1つとして、年齢に対するこだわりがあるのではないかと指摘する。つまり、年上部下と年下上司の関係に代表される、職場における年齢のダイバーシティの問題である。日本においては、年齢が社会的な地位と密接に結びついていることもあり、年齢がその職場の年功序列モデルの中に収まらない人を採用することが難しい。筆者はさまざまな実例もあげながらその課題を解説しているが、1つ重要な視点でこの問題に対する提案をしている。

年齢差があっても気心が知れるような人は次のような人だと言う。
生物学的年齢にかかわらず好奇心やチャレンジスピリットにあふれ、雑用などもいとわないフットワークの軽さを持ち、謙虚で、決して『最近の若いものは』的な発言をせず、さらに自分の過去の(成功)体験をひけらかさず、またそれにとらわれないといった行動特性を持つ人が、年を感じさせない(若々しくみえる)のではないだろうか。
さらには、こうした考えを「心のアンチエイジング」と呼び、中高年がこの心のアンチエイジングに努めれば、年齢のダイバーシティを実現する職場環境が実現できると言う。

簡単だとは思わないが、雇用対策法における年齢制限をかけた募集が禁じられているのが、掛け声倒れに終わっていることを考えると、このような根本的な職場における年齢のダイバーシティを実現することを進めないといけないであろう。

特に、この後半の第二部に共感する部分も多く、ちょっと前の書籍ではあるが、お勧めしたい。

光文社様、献本ありがとうございました。


関連記事:




2011年1月4日火曜日

I/O

ランニング時の呼吸法で良く言われるのが、吸うよりも吐くことを意識しろということ。

吐かないと吸えない。

実はこのことは前にもこのブログで書いたことがある。

吐いて 吐いて 吐いて 吸う

なんというタイトルだ。もう3年前だから、時効か。タイトルも中の文章もちょっと恥ずかしい。ただ、内容については今も同じことを思っている。

人の話を聞くときなど、質問をするつもりで聞くと良い。質問をするには、その人の話を集中して聞かなければならない。「それは先ほどもお話ししましたが」と回答の際に言われるような恥ずかしいことがあってはならない。「良い質問ですね」で始まったら素直に喜ぼう。このように回答が始まる場合は、本当に良い質問か、回答者が答えるのに窮していて回答を頭で組み立てている時だ。いずれにしてもあなたの質問は話を聞いた上でないと出来ないものであるはずだ。質問じゃなくコメントするのでも良い。

「話を聞く」ということはアウトプットを意識した上でインプットをすることだ。

実はこのアウトプットを意識した上でインプットをするということが外国語学習で重要だ。良く英語学習などで、リスニングやリーディングばかりでなくアウトプットであるスピーキングやライティングを重視すべきだ、日本の英語学習はそこが欠けているなどと言われる。だが、第二言語習得の研究においては必ずしもアウトプットを増やすことが能力の向上に寄与するわけではないことがわかっている。やはりインプット、それも多量のインプットが必要である。ただ、どこぞの教材にあるように、単に流しっぱなしにして浴びているだけでは効果はない。アウトプットする可能性がある状態でインプットすることが必要だとされている。そうすることでインプットの質が高まる。集中して聞くことになるし、わからないものは文脈から推測し補うなどして理解しようとする。実際にアウトプットしても良いし、しなくても良い。

一方、アウトプットのための基礎的な訓練は必要であるが、一昔前に流行ったひたすら単純な文型を単語を置き換えて繰り返すことはさほど効果がないと言われている。言語間の距離のある他言語を発音するための訓練としては意味はあるため、日本人が英語を習得するために基礎訓練として必要なものではあるが、それさえ行えば十分というものではない。

外国語学習の科学」の書評でこの本を勧めておきながら具体的な外国語学習方法については一切触れなかったら、苦情 ;-) が来たので、1つだけ紹介した。これ以外については是非本を読んでみて欲しい。

繰り返しになるが、外国語学習だけじゃなく、すべてのことでアウトプットを意識すること。これお勧め。


2010年7月11日日曜日

Visionなき世界

個人や組織のゴールを考えるときに良く行うやり方として、VisionからMission、そしてObjectivesとAction Itemsに落としていく方法がある。

VisionとMissionは違いが分かりにくいし、その区別や使い分けも人によって違うことがある。

私は、Visionはどういうものを創りあげたいと思っているか、どういう世界や社会、または会社にしたいと思っているかを表したものだと思っている。夢と共通する部分もあるかもしれない。

Missionはそれを実現するために、あなたやあなたの組織が行うべきことを表したものだ。「使命」という訳語がぴったりくるかもしれない。

ObjectivesやAction Itemsはそれを実際に遂行可能な単位に落としたものだ。

Visionは出来るだけ、その世界観が分かるようにするのが良い。絵にしてみたり、映像にしてみたりするのも良い。Appleが1987年にKnowledge Navigatorというコンセプトをぶちあげたときにもビデオを用意した。


残念ながら見つからないのだが、Microsoftが2001年に.NETを発表した際の一連のビデオも秀逸だった。Tablet PCやWindowsベースのMobile、どこでもつながるネットワーク環境、今で言うARなどが連携した世界が映し出されていた。

これらのような世界を実現するために、Appleはこのようなものを研究します、Microsoftはこのような技術を開発します、というのがMissionだ。.NET FrameworkやVisual Studio.NETというのがObjectivesやAction Planになる。

繰り返しになるが、このようなVision、Mission、Objectives/Action Planの考え方は人によってそれぞれだし、AppleやMicrosoftも私が説明したように使い分けていないかもしれない。

重要なのは言葉ではなく、そのようなBig Pictureを持っているかだ。

今日は参議院議員選挙だ。各党のマニフェストなどを見ていても、どうもこのVisionが伝わってこない。

税制、財政、外国人参政権、少子化対策など、個別に論じている。だが、それらが実現出来た場合に、どのような日本になっているのか、それを想像しづらい。

VisionにはTimelineを付けることが大事だ。つまり、「いつ」までにそれを実現しようとしているのか。

2050年(これは別に2030年でも2020年でも良い)に日本はどうなっているのか?

たとえば、外国人参政権を認めるならば、それにより2050年に日本には移民がどの程度いることになるのか。法人税が下げられるならば、外国からの企業の参入も増えるだろうし、少子化対策が進めば日本人の人口減少も歯止めがかかることになるだろう。ボトムアップで考えても良いが、本来はこれらはトップダウンもしくはBig Pictureから落としこんでいうほうが良い。つまり、2050年の人々の暮らしをこうしたいというところから、それを実現するためには各政策がどうあるべきかを論じる。

今日の選挙では限られた情報からでも、各政党が考えているVisionを想像し、それを支持できるかを判断基準にして一票を投じてみたい。

2009年11月15日日曜日

ニコニコ動画が未来をつくる ドワンゴ物語

著者の佐々木俊尚さんからの贈呈。佐々木さん、いつもありがとうございます。

ニコニコ動画が未来をつくる ドワンゴ物語 (アスキー新書)

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今ならニコニコ動画、昔は着メロで有名なドワンゴのドキュメンタリ。知っている人が何名か出てくることもあって、ぐいぐいと引き込まれるように読んでしまった。ドワンゴ物語となっているが、MS-DOSからWindows、そしてインターネット、携帯サービスへと広がってきた業界の縮図がドワンゴの歴史に重ね合わせるように紹介されている。私くらいの年齢の人にはその歴史が、また最近のドワンゴを知っている人には今のドワンゴからは想像も出来ないかもしれない彼らの成り立ちがわかる。その両方がわかる人は2倍おいしい本と言えるかもしれない。

ただ、正直、私くらいの年齢の人で業界の歴史的なところまではわかるだけの人が後半の携帯サービスやニコニコ動画の今の仕組みが生み出されるまでの話のところをどの程度理解できるかは不安だ。本の中でドワンゴの人が語っているとおり、サービスが生み出された当時でさえ、作り手とユーザーの間にゼネレーションギャップが生じており、ドワンゴは意識して若い人を雇うことさえしていたほどだ。ニコニコ動画を知らないと、この本の後半を理解するのは難しいだろう。本の中で、事細かにニコニコ動画のサービスを解説していることはない。

だが、それで良いのではないかと思う。本の中に書かれている吉本興行社長が語るように、触ってみればその魅力がわかってくる。吉本の社長大崎氏は、心斎橋筋2丁目劇場で客席の女の子の表情から読み取れたのと同じような客の対応がニコニコ動画のコメントからわかるという。このように貪欲に自分から新しいメディアやサービスの真価を把握しようと努める人だけが生き残っていくだろう。そもそも、ニコニコ動画をわかろうともしない人は、このベタなタイトルの本を買うことさえないのだから。

この本はもう1つ重要なことを伝えている。それはコンテンツの権利問題の複雑化だ。ニコニコ動画に上げられているMADと言われているような作品は作り手とユーザーという簡単な構造では語れない。ある人が音を作り、ある人が動画を作り、ある人はそれにクールなタイトルを付ける。それをさらに別の人が別の作品のモチーフとして使う。場合によっては、これで「振り出しに戻り」、再度作品の生成過程が始まる。これはJASRACのようなモデルでも、Creative Commonsのようなモデルでも対応できない。

しかし、これは本来の人間が行っていた作品を作り上げる際の工程だ。

私はジャズが好きだが、マイルスディビスもジョンコルトレーンも、みな偉大な先人をパクッてきた。さらに、自分もパクられることを良しとしていた。パクリというと不必要にネガティブなトーンがあるので、”Inspired by"と言っても良い。ただ、権利関係で言った場合には、大きな違いはない。ある楽曲のアドリブ(インプロビゼーション)に別の曲のフレーズを入れることなどは良くあることだし、セッションの開始が有名な曲のテーマであることも多い。さらには、そうして作られた/演奏された曲からさらにInspireされて生成される曲もある。ニコニコ動画で起きていることと同じだ。

著作権という枠組みが出来たことにより、アーティストやミュージシャン、小説家などの権利が守られ、文化が発展したという側面は否定しないものの、ネットを利用することにより原点回帰した複雑な著作の考えをスケールするモデルを考える時期に来ている。ニコニコ動画はそれを象徴し、我々に考える機会を与えてくれている。

<蛇足>
ニコニコ動画を知りたい人はまずは使ってみると良いし、ニコニコ大大会に一度は行ってみると良い。

ニコニコ大会議2008

2009年11月10日火曜日

就活って何だ 人事部長から学生へ

就活って何だ―人事部長から学生へ (文春新書)
就活って何だ―人事部長から学生へ (文春新書)

著者の森健さんから頂いた一冊。森さんありがとうございました。

今の会社に入って新卒採用にも多少関わるようになったり、学生向けのキャリアトークのようなものに参加させていただくことが多くなったりしたためか、大学生の方と話す機会も増えた。そこで聞く話はなんとも大変な就職活動の話ばかり。

私が学生のころは就職活動を始める時期になって、やっと社会や会社を意識し始めるという感じだった。就職活動を始める時期も4年生になってから。就職協定がまだ残っていたので、本当は8月20日から会社訪問開始なのだが、各社いろいろな名目で実質その前から採用活動は開始していた。それでも、4年生の春からの開始でほぼ十分だった。

業界/会社研究などはするが、インターネットを使うことは一般的ではなかったため、先輩に会うしかないし、その際のアポイントメントも電話でお願いするので、メールでお願いできる今ほど簡単ではない。情報も知識も不足したまま面接に望むということもたびたび。企業側もバブル期だったこともあり大量採用が必要なところも多く、おおらかな面接で済むところも多かった。企業によっては学生を絞り込むというよりも、どうにかして内定をとった学生に逃げられないかということに頭をひねっていて、内定者懇親会とか合宿という名目で泊り込みで他社への就職活動をさせないようにする会社もあった。ハワイやグアムに連れて行ったという会社もあったほどだ。

そんな経験しかしていない身からすると、昨今の就職活動の状況は本当に学生にとって気の毒としか言いようがない。私の時のように高度経済成長をまだ前提としたおおらかなのが良いとは思わないし、学生が社会を早くから意識し真剣に自分のキャリアを考えるのを悪いとは思わないが、エントリーシートを1人で50社とか多い人になると100社近く出しているとか聞くと、もう何かが狂っているとしか思えない。私に相談をしてきていたある男子学生などは、マスコミとITの2つの業界を狙っていたが、IT系は第2次志望のためか、ほとんど研究が出来ていない。あまりにも基礎知識も無いままエントリーシートを書いていたので、なんで自分でもっと調べないのかと聞いてみたところ、100個近いエントリーシートを書く必要があり、1社にそんな時間がかけられないという。時間がかけられずにいい加減なエントリーシートになってしまい、それで落とされてしまうのならば、数出しても仕方ないだろうにとは思うのだが、そんなことも冷静に考えられないくらい彼は焦っているようだった。

この「就活って何だ―人事部長から学生へ」は以下の15社の人事部長からのメッセージをまとめたものだ。
  • 東海旅客鉄道
  • 全日本空輸
  • 三井物産
  • 資生堂
  • 東京海上日動火災保険
  • 三菱東京UFJ銀行
  • サントリーホールディングス
  • 明治製菓
  • 武田薬品工業
  • 日立製作所
  • NTTドコモ
  • バンダイ
  • フジテレビ
  • ベネッセコーポレーション
  • 電通
各社の人事部長(会社によっては人財部という名前のところもあった、人が財産と考えているためだろう)から、採用活動の方針や実際の進め方、学生に望むものが生の声として語られる。方針や日程、各社の特徴などは各社のウェブサイトや説明会などでも情報を得ることができるのかもしれないが、本書では、人事部長の経歴などにも絡めて、本音での「採用」、学生から見ると「就職」に対する考え方を知ることができる。発言は会社を代表する立場としてのものもあれば、個人の価値観に基づくと思うものもあり、どれも興味深い。

誰もが言っていたのが、就活マニュアル通りに行っている人はすぐわかるということ。話せば、演じているのか、本当にそう思っているのかなどはすぐにばれる。また、ビジネスのことについては、いくら勉強しても所詮はにわか知識であり、インターンシップをやっていても自分でプチ起業をしていても、多くの場合はその会社のプロの社員には叶わない。なので、あまり背伸びをせずに等身大の自分で臨むのが良いのだろう。

日本を代表する会社としてのこの15社に共通していたのが、いまだに終身雇用を前提とした採用を考えているところだ。採用する側も失敗を極度に恐れているようだ。この場合の失敗とは、「優秀な人材を採用できない失敗」と「優秀ではない人材を採用してしまう失敗」だ。人材の流動化を前提としていれば、中途でいくらでも優秀な人材は採用できるだろうし、社に向いていない人に社外での機会を検討してもらうことだってできるだろう。終身雇用を前提としていることも、今の新卒時の就職活動をここまで過熱化させてしまっている原因ではないか。

面白いのは、何社かの人事部長が私と同じようなことを言っていたことだ。つまり、「自分のときは、こんなに大変じゃなかった」、「自分は本当にいい加減に就職を決めた」と。みんな自己矛盾を抱えながら、採用活動を行っている。そんな中で救われたのは、フジテレビ河野雄一氏(執行役員人事局長)の次の言葉。
人生の目的はいろいろとあるわけで、入った会社だけで人生が決まるわけではない。結局のところ、自分が棺桶に入るときに「あぁ、いい人生だった」といえればいい。どこの会社に入れるかも大事でですが、そのスタート時点だけで自分の人生を評価してしまうようではあまりにも寂しい。長い視点で仕事と人生を考えることが、人生も仕事も楽しくすると思います。ある意味で、仕事なんて暇つぶし。そういう風に考えることも大事なのかもしれません。
そう。仕事なんて暇つぶし。私が「紐になりたい」というと呆れる人がいるが、仕事が生活を支える手段になっているのにたまに本当に息苦しくなるのだ。その息苦しさを今の学生はすでに就職活動の時に感じていることがあるのかもしれない。

最後の章「マニュアルから脱するための就活五ヶ条」で以下の5つを挙げていた。
  • グローバル
  • 多様性
  • ストレス耐性
  • ビジネス感覚
  • 自分と向き合う
どれも当たり前のことばかりだが、「ストレス耐性」というのがわざわざ取り上げられる(=各社が共通のキーワードとしてあげていた)ということが、今の状況を物語っている。今に日本は就職活動でメンヘラーが続出するようになるんじゃないだろうか。

以前に書いた「就活のバカヤロー」の書評もあわせてどうぞ。

2009年9月13日日曜日

仕事するのにオフィスはいらない

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)
仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)

本書は副題の「ノマドワーキングのすすめ」のほうが私にはぴったりとくる。ノマドとはNomad(遊牧民、放浪者)であり、定住する場所を持たず、自由に移動する人々のこと。

コンピュータネットワークの世界でも、ノマディックコンピューティングという言葉がある。これはユビキタスコンピューティングと近い概念であるが、ユビキタスコンピューティングがデバイスやセンサーなどで自律的に協調動作するのに対して、ノマディックコンピューティングはもっとネットワーク側を中心とした考えだ。移動体通信と言っても良い。時と場所と手段、そしてデバイスを選ばずに、通信可能にすること。それがノマディックコンピューティングだ。

この「ノマド」の考えを引き継ぐノマドワーキングは言うならば「どこでもお仕事」。時と場所を選ばずに、どこでも仕事をするそのようなワーキングスタイルだ。こう書くと、四六時中仕事に縛られているのは嫌だと思うかもしれない。デジタル社会の弊害だと。だが、違う。ここで言う、「どこでも」というのはある会社に縛られているのではなく、それこそ遊牧民のように、自ら最も適切と思うところに所属し、そこで自分の価値観に基づいて仕事をするスタイルのことだ。

このような考えは以前から私も持っていた。このブログでも、「看板を背負わない生き方と看板を彩る生き方」というエントリで個人としての生き方を考えた。また、「ICという生き方」の中では会社組織に所属しないという生き方を紹介した。

そう。ノマドワーキングは自分主体の生き方を取り戻す大事な考え方なのだ。

本書では、このノマドワーキングについて、ノマドワーキング概要(「ノマドワーキングのすすめ」)とノマドワーキングの方法論(「アテンションコントロール」、「情報コントロール」、「コラボレーション」)、ノマドワーキングで使えるツール(「クラウドを使いこなす」)、そしてノマドワーキングが象徴する社会について(「ノマドライフスタイルの時代へ」)に分けて解説している。

1人で仕事する場合、どうしても他人の目がない分、自分をコントロールすることが課題となる。そこで本書では、どうやって集中力/注意力を維持するか、どうやって洪水状態にある情報と付き合うか、どうやって他人と協調するかをそれぞれの章を設けて解説している。ここで書かれているいくつかの方法はたとえ、一般企業でデスクワークしている場合でも非常に役立つだろう。

「クラウドを使いこなす」は実際のツールの解説。同じものをそのまま私が使うことは無いが、ほかの人がどのようなツールを選択し、どのように使いこなすかを知ることができ、参考になる。残念ながら、ブラウザはFirefoxをお使いのようだが、しばらくしたら私が使っているGoogle Chromeで同じことができるようになるだろう(すでに一部はUserScriptsなどで可能だ)。

本書は、著者の佐々木さんの前著、「ひと月15万字書く私の方法」や「3時間で「専門家」になる私の方法」などと合わせて読むことをお勧めする。

今までも主体を個人に戻すことは提唱されてきた。だが、今は社会がそれを要求し、仕組みがそれを支えつつある。あとは個人が変わるだけだ。本書はそのための良いきっかけになるだろう。

最後になるが、本書は佐々木さんから贈呈いただいたものだ。佐々木さん、毎回、本当にありがとうございます。

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)

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2009年5月25日月曜日

ウェブはバカと暇人のもの

久しぶりにネット関連の本を読んだ。「ウェブはバカと暇人のもの」というタイトルが微妙に座りが悪い。インパクトはあるのだけれど、なんかもうちょっと言葉としてリズム良く出来なかったのだろうか。このリズムに乗れなかったモヤモヤのようなものが最後まで解けなかった。

ネット関連の本というと、「将来成長が見込めるネット vs. 旧メディア」とか「未来のITのあるべき姿であるクラウドコンピューティング vs. レガシーコンピューティングとなる既存システム」というような形で、今後はネットが中心になるという論調のものが多い。私もそれを信じており、そのような将来が実現されるように公私に努力しているのだが、この本はそのような通り一辺な論調を一貫して否定するもの。

著者もこの業界の人なので、ネットの将来性を否定しているわけではないのだが、「既存メディアを凌駕する」などの美辞麗句を並べたようなものからは程遠い、サイト運営者としての生々しい経験を元にした、ネットの現状を暴露する。

実際の利用者や業界で手を動かしている人から見ると、すべて当たり前のことであるが、書籍として書かれているネット関連の本の多くが、泥臭い現状については触れないか、もしくは現状に触れたとしても、未来の社会基盤の萌芽となりうるようなエピソードの対比として触れられるだけである。

どこまで著者が本気でこの本を書いたのかわからないが、アンチテーゼとしてはこの本は傑作だと思う。PV至上主義。そのためにはジャーナリズムも何もなく、いかに民衆がクリックしたくなるような見出しと内容にするか。ソーシャル機能などをつけたがために、コメント欄でのクレーマー対応に追われるはめになる。すべて事実だ。バラ色のネットの話は、著者の言う、「コンサルタント・研究者・ITジャーナリスト」の書籍を読むと良いので、それらを一通り読んだら、この本を読むと良いだろう。今のメディアがネットに軸足を移すまで、まずはネットでの収益を上げなければいけないのだから、それにはこのくらいの生々しく、泥臭い話をきちんと理解しておいたほうが良い。読んだ上で、とてもじゃないがネットなどに自分の貴重なコンテンツを載せられないと思うのならば、サイトを閉じてしまえば良いだろう。数年後にどうなっているか知らないが。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

2009年5月11日月曜日

外資系企業で成功する人、失敗する人

「外資系で成功する人はここが違う!」と書かれた帯にあった表。



外資系3社目になる私がいつまでもぱっとしない理由がわかった。どう考えても、私は「評価されない人」に分類される。外資系企業で成功する人、失敗する人 (PHP新書)の帯だ。

というのはさておき、この本はこの表に象徴されるように、多少ステレオタイプな外資系でのサバイバル術を書いたものだ。「ステレオタイプ」と書いたのは、この本で紹介されている外資系が 1) 営業/マーケティング系であり、2) 日本のトップが日本の組織をすべて束ねており、本国の本社にレポートするという形態の企業を念頭においているようだからだ。

たとえば、本書の中では、コミュニケーション能力やプレゼン能力の高さが求められることが強調される。それも微妙な力関係を意識した上で振舞うことが要求され、そのようなことが出来ない人間はいくら実務能力が高くても外資系では評価されないとしている。これは技術者には当てはまらないことも多い。企業によって違うだろうが、技術志向の強い会社の場合、たとえばソフトウェア企業の場合、ほかの能力が劣っていても著しく高い能力を持つエンジニアはそれだけで評価される。たとえ、英語でのコミュニケーションが劣っていても、書くコードだけでそれを凌駕することはあるのだ。

また、私がいた外資系もその類だったのだが、日本法人に営業とマーケティングのトップはいるものの、それ以外の部署は直接本社にレポートする形をとり、日本法人のトップにはドットラインレポーティングという形態しかとらないこともある。本書では、日本法人のトップの影響力が強大であることが書かれているが、このように部署ごとに直接本社にレポーティングする形態の場合は、日本法人のトップの影響力は基本的には自身が直接管理している部署だけである。そのため、本書で書かれているような、日本法人トップを頂点としたドライな人間関係だけではない。

このように、私が勤めてきていた会社と違うところが多いため、いくら外資系の厳しさを知っているつもりの私でも、この本の内容はちょっと言いすぎ、もしくはデフォルメしすぎという感じだが、それでも多少強調されるくらいのほうが外資系と日本企業の違いを際立たせるには良いだろう。日本の標準だけしか知らないと、本書にも書かれているが、自分の会社が急にある日外資系になっていたときに戸惑うだろうし、外資系企業と取引が発生したときに、その会社のやり方に困惑するかもしれない。

このように、本書の前半はちょっとステレオタイプもしくはデフォルメしすぎの外資系の紹介が続くが、後半は一転して、国際文化論のように国や地域ごとの特徴の解説になる。この後半が秀逸だ。どうしても日本からは外国人というと米国人ばかりが意識されるかもしれないが、実際には米国企業でもさまざまな地域出身の人間がいる。また、米国企業以外の外資系企業の活躍も目覚しい。それらの国の特徴を知っておくは、ビジネスコミュニケーションとして損なことはない。また、国際文化や企業文化として、身の回りを見回すときにも参考になるだろう。

このブログでも何回か書いていると思うが、私は外資系しか勤めたことがないので、日本企業の仕事の進め方などには戸惑うことが多い。日本企業しか努めたこと無い人はきっと逆の思いが強いことだろう。そんな人には、ちょっと刺激が強いかもしれないが、この本はお勧めだ。ただし、外資系企業にもさらにいろいろあることは頭の片隅に入れて、この本とは違う会社もたくさんあることを忘れないでいるほうが良い。

外資系企業で成功する人、失敗する人 (PHP新書)
津田 倫男

4569707327

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2009年3月23日月曜日

クラウド グーグルの次世代戦略で読み解く2015年のIT産業地図

シリコンバレー在住のジャーナリスト小池さんから贈呈いただいた一冊。小池さん、ありがとうございました。

本書の内容とは関係ないところから入っちゃうが、アマゾンの書誌データが間違っている。著者が石田先生と國領先生になっちゃっている。アマゾンさん、直しておいてください。この2先生は素晴らしいまえがきを寄せてはいるが、執筆者ではない。

クラウド グーグルの次世代戦略で読み解く2015年のIT産業地図
小池 良次 石田 晴久 國領 二郎

4844326783

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さて、本書を読了した後、来日していた著者の小池氏と朝食を一緒にとらせていただく機会があった。米国の景気の話などを聞かせていただいた後、本書の話にもなったのだが、思いのほか盛り上がったのが、ゼネラルマジックの話だ。1990年代前半、ネット時代(当時はまだインターネットがどこまで主流になるかはわからなかったが、ネットワークが一般的になるとは誰もが考えていた)のマルチメディア技術を提供する会社としてもてはやされた企業だ。アップルの伝説的な技術者や技術者がほれ込むアーキテクチャ。いわゆるエージェント技術なのだが、すぐに日米の企業が、まだ実装が無い段階にも関わらず、提携をしたことから一躍時代の寵児となった。実は私もこの企業のビジョンにほれ込み、まだ日本法人ができる前から、知り合いのエージェント(このエージェントは人材紹介エージェント)に、もし日本法人が設立されるようだったら、情報を持ってきて欲しいとお願いしていたくらいだった。実際には、日本法人設立が準備されるようになって、このエージェントが私のところに話を持ってきてくれたときには、すでに業界でも将来が危ないというのが噂になっており、私も資料を拝見させていただいただけで特に何もアクションは起こさなかった。そのときの資料は今でもどこかにあるはずだし、また、日経コンピュータだったと思うが、その付録かなんかでNTTの研究所の人が執筆したテレスクリプト(ゼネラルマジックのスクリプト言語)の解説書もとってある。もはや何の価値も無いだろうが、私にとっては宝物だ。本書では、エージェント技術は非力な端末と帯域幅の狭いネットワークだからこそ必要な技術だったと書かれている。確かに、インターネットの普及とともに、会社も技術も消え去ったことを考えるとそのとおりだ(会社自身はその後も業態を変え、2002年まで存続していた)。だが、エージェント技術そのものの価値は今のインターネットの上でも失せてはいない。個人的には、いまだにエージェント技術にはこだわりがある。

話を戻そう。小池氏は本書のことを「ヨタ話」本と笑いながら話していた。失礼ながら、まさにそのとおりだと思う。正直言うと、この本に書かれている事実を書くだけならば、小池氏でなくとも出来る。私でさえ知っている内容が少なくなかったし、いざとなれば知人から話を聞いたり、自分で調べれば、多くはどうにかたどり着くことができるだろう。だが、本書の真価はそこではない。シリコンバレーで暮らし、日々をそこですごしている小池氏だからこそ知るトリビア。たとえば、シーベルシステムズの入っていたビルが今はセールスフォースが入っているとか、本質には関係ないかもしれないが、このような何気ない1つ1つの小さなトリビアが本書の魅力だ。実際に、イノベーションが起きているシリコンバレー。私も3年前に転職してから、出張で良く行くようになった。シリコンバレー万歳などと言うのは恥ずかしいし、悔しいのだが、それでも、ここでイノベーションが起きている理由が良くわかった。企業を超えた人材の交流。体制に対する批判やサブカルチャーがまだ生きている土地柄。私なんかは、せいぜい出張で滞在するくらいなのだが、それでも感じるものがある。そこに住んでいる人が肌感覚で得るものは大きいだろう。そのような現地の息吹を感じたものしか書けないものが本書にはある。時代を語るときに、当事者しか伝えられないものがあるのと同じだ。

本書の内容を調べればわかると上で書いたが、実は調べても簡単には同じ内容にたどり着くことが難しい部分も多くある。自社のことなので、さらっと流させてもらうが、アンドロイドのキーマンであるアンディルビンの紹介部分などは、米国で流行したサイドキックなどをきちんと追っていないと書けない内容だろう。

最後に、また手前味噌で恐縮なのだが、本書でもコンテンツとフォーマットの独立を訴えている。私が、別ブログでコンテンツ/コンテナ(フォーマット)/コンベヤという戦略を訴えているのと同じだ。
 日本が米国の失敗を繰り返すことはない。本書で繰り返し述べているように、コンテンツとアプリケーションの融合を促進するのは、オープン戦略であって、囲い込みではない。いま、テレビ端末メーカーに求められているのは、アクトビラのようなプロジェクトではない。また、NHKや民法もオープン戦略をとるべきだろう。ウィジェットなりガジェットなりをひとつで、テレビ端末の種類を問わずにコンテンツを配信できる「オープンなプラットフォーム・フォーマット」こそ模索すべき方向のように思える。また、多様なコンテンツプロバイダーの提供する番組を網羅的に検索できる機能も、そうしたオープンプラットフォームに付け加えるべきだろう。
アクトビラは前職の時の同僚(本当は後輩なんだけど、ちっとも先輩として慕ってくれない)が4月から副社長になってしまうし、私自身使ったことがないので、コメントは控えるが、ここで言うようにフォーマットとコンテンツを独立させ、ユーザーの望む形で配信するというのはまったくそのとおりだ。むしろ、それができないコンテンツプロバイダに未来はないだろう。

結構難しい内容が書かれているにも関わらず、それを感じさせないのは、「ヨタ話」本としてうまくまとめている著者小池氏の力量か。横文字が多いので、横書きでも良かったのではないかとか、もっと図を多くしても良かったのではないかなどと思うが、重箱の隅をつつくようなものであり、本書の価値を大きく損なうものではない。過去の流れから将来のIT像を読み解きたい人にはお勧め。



2009年3月22日日曜日

次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの

著者の湯川さんより昨年冬に(!)贈呈いただいた本。レビューをあげるのが激遅になってしまったことをお詫び申し上げるとともに、贈呈感謝いたします。

次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの
湯川 鶴章

4797348844

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広告の話については、現在の私の雇用主との関係があるので、あまり詳しくはここでは話せない。この種の本のレビューを載せる度に同じようなことを書かなければいけないのが残念だが、この本については、ちょうど私がもう1つのブログで展開している「ネット時代のメディアのあり方」と近いこともあり、広告としてだけでなく、一般的なメディアテクノロジーとして考えてみたい。なぜならば、この本は広告の未来を考えるものであるとともに、タイトルに「プラットフォーム」とあることからも推測できるように、テクノロジーについて語ったものであるからだ。

さて、本書の中で、湯川氏は広告の未来はパーソナライズされた「三河屋」であると言う。
IT革命の本質の一つは、20世紀後半のマス文化の中で失われたきめ細かなサービスを、テクノロジーの力を持って取り戻すことだ
「三河屋」とはサザエさんに出てくる出入りの酒屋のことだ。パーソナライゼーションの本質をわかりやすく示す言葉だと思う。本書では、この「三河屋」に喩えて、メディアや広告の今後のあり方を説明するが、このように身近なメタファでテクノロジーや未来を語るのは、なるほどわかりやすい。特に、本書が対象とするのは私のような業界人ばかりではないだろうから、そのような人に向けての解説としては秀逸だ。

広告が三河屋になるためには、複数のシステムやデータとの連携が必要となる。このためのプラットフォームがタイトルにもある「マーケティングプラットフォーム」だ。本書では、その構成要素として、1) 効果測定、2) CRM、3) 広告配信の3つが必要とされている。1) の効果測定はウェブではアクセス解析であり、Omnitureが紹介されている。また、2) としてはSalesforce.com、3) としてはDoubleClickが紹介されている。これらの複数の異なるプレイヤーのサービスを連携させることで、広告がより効果的な形でユーザーに配信されるようになる。ここで取り上げられているベンダーも自身がプラットフォームのビルディングブロックになることを想定しており、積極的に他社のサービスとの連携を図る。インターネットという上でAPIが自然と標準化されていくかのようだ。

本書ではさらに、デジタルとリアルの融合として、デジタルサイネージとモバイルが紹介される。デジタルサイネージとは、「街頭や店舗、公共の空間などで表示されているポスターや案内表示、看板などを、紙ではなく薄型ディスプレイに置き換えたものである」(本書より)。日本でも街頭で大型薄型ディスプレイを使った広告を見ることがあると思うが、それなどがデジタルサイネージだ。コンビニのPOS端末でCMが流れているのもデジタルサイネージになる。このデジタルサイネージは設置場所や時間帯などを考慮することで、ターゲットに最適された広告媒体となりうる。しかも、今ではその広告を見ている人間の性別や年齢などを自動識別することも可能であり、リアル店舗であればその場で効果測定もできる。ただし、標準化がされていないため、未だに大きな広がりをみせるには至っていない。

モバイルについては、日本が主導できる可能性のある分野だ。今はまだモバイルもキャリア主導の公式サイトモデルが主流だが、広告媒体として、携帯デバイスを利用できるメリットは大きい。位置情報を取得するためのGPSが組み込まれており、さらにはペイメントシステムとしても普及しつつある。

本書では、このように複数の広告媒体の可能性を説明しつつ、一貫して三河屋モデルを実現するための技術を解説する。そこには、広告というものを神聖化して考える従来の広告業界へのアンチテーゼがある。
 新聞業界にとっての中核業務は言うまでもなく紙の新聞の発行である。そして広告業界にとっての中核業務は、クリエイティブな広告の創造ということになるだろう。
 「広告は多くの人に共通する価値観を伝えている」「アテンション(認知)獲得の手段として、今なおテレビCMに勝るものはない」「広告はもっと楽しくなれる」など、テレビCM崩壊が叫ばれる時代にあってもなお、広告の意義を叫ぶ主張は根強くある。そして、それらの主張は概ね正しいのだろうと思う。
 でも、最終的な利益を重視するならば、消費者の感性に訴えるような印象深いメッセージを何度も何度も見せることよりも、顧客のニーズを正確に把握し適切な商品を適切な価格で供給する関係を築くことのほうが、これからはより重要になるのだ。
 クリエイティブな広告はなくならない。しかしその重要性は低下せざるを得ないのだ。
まったくそのとおりだと思う。私ももう1つのブログで紹介しているように、広告も情報の1つだから、情報という商品を顧客に適切なタイミングで適切なフォーマットで届けることが重要だ。ただし、広告には人の潜在意識に訴えかけるものがあるのも事実だ。その場合の広告はよりアートに近くなるのかもしれないと考える。そのようなクリエイティブ重視の広告の配信方法や配信場所についても、本書で述べられているマーケティングプラットフォームが利用できるのではないだろうか。

私がもう1つのブログで展開している論理は、コンテンツ/コンテナ/コンベヤという考え方だ。コンベヤを分離する考えは本書でも言及されている。
 従来型メディア企業には、情報経路こそ自分たちのコアコンピタンス(事業の核)ととらえている人が多いが、そこにこだわるべきではない。テレビ局が雑誌を出してもいいし、出版社が動画ビジネスに乗り出してもいいのである。ターゲット層のイメージを明確に持ち、その層に向けて情報経路の最適な組みわせを選択すればいいのだ。現在のようなメディアの大変革期において「そんなの出版社の仕事じゃない」「そんなの新聞社の仕事じゃない」といった議論ほど不毛なものはない。メディア企業のあり方自体が大きく変わろうとしているのだから。
完全に同意だ。

何度も自説を展開してしまうが、これからのメディアは水平統合時代において、いかに生き残るかを考えるべきであろう。

この他にもパーソナライゼーションを追求するときに常についてまわるプライバシーとのトレードオフ、「顧客の声を聞く」という言葉の魔力とその実効性(つまり、マーケットインとプロダクトアウトの兼ね合い)などについても、大変示唆に富んだ考えが示される。

メディアやウェブに関係する人は是非読むことを勧める。

2009年3月16日月曜日

転職する人、できない人

「こういうもんだから」という大上段で構えられるのを見ると我慢できない。日本人だけ見たって、1億以上いるわけだし、世界は広く、世の中は激動だ。

そんな中で、上位何%の人間がほげほげで、何歳までにそれは決まるとか言われちゃっても、機嫌悪くなるしかない。しかも、私はその何歳までを超えちゃっているし、そもそも人間の器は成長期で決まるみたいなこと言われちゃっても、過去には遡れない。

という感じで、私みたいに好き勝手に戦略も無く(本当はちゃんとある。わかんないだろうけど、これでもあるのさ)、生きている人間には、なんとも機嫌を保ちながら読むのが辛い本だった。

転職する人、できない人
古田 英明

4104769010

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ビジネスマンの値段―転職で高くつく人、安くつく人
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本物の社員になれ! 時代が求める“5%”リーダーとは
by G-Tools

ヘッドハンターというかエグゼクティブサーチ業界では有名な縄文アソシエイツの古田氏の本の悪口を書いているのだから、この後の転職でこの会社のお世話にはなれないだろうと覚悟しなきゃいけない。ブログ1つで人生棒に振っていいのかとも思ったが、そもそも縄文アソシエイツのような会社から声がかかるわけはないので、うぬぼれるにもほどがある。

それはともかく、この本だが、実は良いことがたくさん書いてある。従来の日本企業の構造がいわゆるピラミッド型だったものから、文鎮型に変わって来たこと。その中で、上意下達型のリーダーはもはや不要であり、これからのリーダーは「心技体」のうち、「心」の割合が重要になるというような話はすごく心に響くメッセージであり、特に日本のリーダーが仕事ばかりで、人間としての魅力が無いことが多いことを感じている自分の考えと近い。

また、中で「自責」と「他責」についても述べている。
「自責の人」とはすなわち、何か失敗をした時に自らを振り返って反省することができる人です。これに対して「他責の人」は、それを他人のせいにして自分の責任をできるだけ回避しようとする。
非常に耳が痛い。外資系という会社は日本以外の本社機構を持つ。そのため、どうしても日本のユーザーや顧客の要求とずれが生じてしまうことがあり、その狭間に立たされるのが現地法人の社員なのだが、このときにどのように振舞うかでその人の器が知れてしまう。外資系が長いと、この部分にあきらめが生じてしまう。というか、達観してしまうところがあるのだが、それはすなわち「他責の人」であることにほかならない。常に自分が目指す「看板なしの生き方」を標榜するならばこそ、この「他責」グセを直さないといけない。

そのほかにもこの本には、心に訴えるリーダー論(「感動」の持つ力について)なども書かれており、非常に参考になる。

だが、冒頭に書いたように、以下の2点で私は読むことに苦痛を覚えた。
  • 人間を%でレベル分けをし、そのトップ5%を目指す人にのみに対してメッセージを送っている。中で、それ以外の生き方を認めることを書いているので、著者が残りの95%もしくはいわゆる出来ない人としてくくらられた20%の人の生き方を認めていないわけではないのだが、この本は一貫して上位5%を目指すために書かれているため、途中から違和感を超え、選民主義に通じる嫌悪感さえ抱いた(選民主義に通じるように感じたのは私だけであり、著者はそのような意図は無いと思う)。
  • また、本書では、何歳までに何をしておかないと手遅れだという解説が繰り返される。その多くは30歳台までへのメッセージである。自分個人のことを考えた場合、すでにその年齢を超えているので、指をくわえてポツーンというか、「俺にどうしろと言うのか」感は否めなかった。特に、年齢を加えてからの人間としての魅力、すなわち「心」の部分の魅力というのは、「どんな子供だったかということ」と最後の最後に締めてくれる。
    人をマネージメントしたり、リーダーになったりする上で大切なことは、実は正直さとか義理堅さとか、親が子供に言って聞かせるようなことばかりなのではないでそうか。ですから、子供時代に親が教えてくれたことをすべて実行できれば、本当に良いリーダーになれると思います。
    って、最後の最後に、親から受けた教育のことを言われても、困るのだが。アル中の父親に育てられた人はその後いくら本人が頑張っても著者の言うトップ5%には入れないっていうことなのか?
後者の部分に関しては、キャリア転機の戦略論でキャリア後期の人間に貪欲なまでの成長意欲があることを考えると、考え方が古いというか、硬直していると思わざるを得ない。

特に、著者がピラミッド型の上意下達を良しとする日本の従来の組織構造に限界を感じると言いながら、結局のところ本書では、レガシーもしくはトラディショナルな日本的な会社におけるキャリアしかロールモデルとして示せていないところに限界があるように感じる。会社を超えたところでのキャリアの道があったり、起業という道が日本でも一般的になるなど、いくつもいろんな選択肢があることを考えた場合のキャリアというのはこの本で書かれているものがすべてではないだろう。

ただ、すでに述べたように、ここ書いた2点を除くと(実は、この2点が結構本書全体の柱になっているので、除くことが難しいのだが)、本書で書かれていることに同意できる点は多い。古典にあたることの重要性。これは安岡正篤に学ぶでも書いたことだが、私自身、最近意識し始めている。また、逆三角形の下にいるのがリーダーだという考え方。すなわち、ホスピタリティ/サービスアビリティなどを駆使して、如何にして組織や部下、メンバーをモチベートしてゴールを達成していくかの考え方などはまったくそのとおりだと思う。外資で言う、エンパワーメントというやつだ。この概念も非常にわかりやすく解説している。

あ、言い忘れたが、転職しようと思っているわけではないので、変な勧誘電話はお断り。単に、いつものようにブックオフで仕入れて、サクサクって読んでしまったものの1冊だ。

2009年3月9日月曜日

キャリア転機の戦略論

念のため言っておくが、転職するために読んだのではない。

私の積読コーナーに結構ある、「ブックオフで100円だったから買っちゃったよ本」の中の1冊。正直、あまり期待していなかったのだが、これがなかなか良い。

私は外資系3社を渡り歩いていて、外資系の良いところも悪いところもわかっているつもりだったが、甘かった。良く考えてみたら、当たり前で、私の知っている外資系というのはアメリカ資本の会社だけだし、しかもコンピュータ/ソフトウェア系の会社だけだ。

本書はLBS(ロンドン大学ビジネススクール)での教鞭の傍ら、現地の世代と性別の違う社会人にインタビューした結果わかった英国のキャリアデザインをまとめたものである。アマゾンのレビューなど見ると、タイトルと内容が違うということでがっかりされていらっしゃる方もいたようであるが、私から見ると、米国とも日本とも違う英国の考え方や歴史などがわかり、大変参考になった。たとえば、日本より転職が多いとは言え、戦略なき転職はジョブホッパー(Job Hopper)と呼ばれ尊敬されない。これなどは、シリコンバレーで3年おきに会社を変わるのさえ珍しくないというのとはまったく異なる。

本書では、世代と性別の違う12人が登場する。
  • キャリア初期(20歳代から30歳代前半): 男性3人
  • キャリア中期(30歳代半ば40歳代まで): 男性3人+女性3人
  • キャリア後期(50歳以上): 男性2人+女性1人
それぞれのキャリアヒストリーはそれだけでドラマになるほど大変興味深いのだが、本来は挑戦するはずのキャリア初期の男性3人が守りに入っており、逆に本来ならばすでに老成の域に入っているはずのキャリア後期が積極的にさらなる成長と挑戦をしていることに驚かされる。なんとも皮肉なものだが、これには彼らの育った経済や社会状況、さらには学習の機会の有無なども影響しているようだ。英国の話とは言え、似たようなものを日本にも感じてしまうのは私だけだろうか。

最後に登場する日系英国人女性は40歳を過ぎてから大学に入り、その後、大学院の修士課程、そして博士課程まで進んでいる。本書執筆時に、すでに65歳を過ぎているのだから驚きだ。彼女に限らず、キャリア後期の方々の学習意欲には刺激を受けた。

また、同じくこのキャリア後期に属する別の男性のリストラを生き延びる方法は参考になる。彼曰く、1) 信頼できる友人・知人を持っていること、2) 精神的な若さを保つこと、3) 自分自身の能力開発に常に務めること。どんな国でも会社でも、この先少なくとも2年くらいは厳しい状況が続くと予想される今、サバイブし続けていくために、この3つのポイントは重要だ。

最後に、筆者は一般の戦略論の際に必要となる、次の5つの視点が必要と説く。
  1. 短期よりも中長期
  2. 後手後手ではなく先手
  3. ビジョンや使命や目標が必要
  4. メリハリをつけ選択
  5. 自然な流れ
今のように世知辛い世の中になると、ついついこの視点を忘れがちになるが、戦略的にキャリアデザインをするためには忘れずにいたい。

100円で良い本に巡り会えた。いつもながらブックオフに感謝。

キャリア転機の戦略論 (ちくま新書)
榊原 清則

4480061991

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2009年3月4日水曜日

年下の女性

産経新聞に次のような記事が掲載されていた。

【2030年】第1部 働く場所はありますか(3)希望なき「希望退職」 「正社員に優しい」企業が変わった

内容はあの会社かなと思うあの会社の退職勧告の話だ。記事内容についても意見がないこともないが、実際の現在の雇用環境の厳しさを知るには良い記事だと思う。

ただ、それよりも、次のような記述。
世界的なコンピューター会社日本法人の係長、右近広治さん(51)=仮名=は昨年秋、年下の女性課長に「個別面談したい」と呼び出された。

<中略>

右近さんが「定年まで勤めたい」と断ると、今度は同年代の女性部長に呼ばれ「GBS&GDEビジネス推進」という新設の部署への異動を命じられた。
「年下」、「女性」って、この記事の本質に何が関係あるんだ。

ちょっと気分が悪くなった。

2009年3月3日火曜日

就活のバカヤロー

就活のバカヤロー (光文社新書)
大沢仁

4334034810

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就職活動、略して就活。私の時代には略さなかった気がする。

私はいわゆるバブル世代のため、わがままさえ言わなければ、就職先には困らなかった。むしろ、企業側の囲い込みが話題になったような時代だ。早めに内定を出した学生がほかに逃げないように研修という名前で海外旅行に連れて行くなど、ちょっと考えれば、あの時代でも異常だと気づくだろうことが普通に行われていた。

ただ、その時代でも、私はそんなに楽に就職は出来ていない。確かに、わがままさえ言わなければどこかには就職できたのだが、5月くらいに見学に行った某大手電機メーカーの工場で正午になると同時に社員が社員食堂めがけて走り込むのを見て幻滅し、某大手プラント会社からは「お前のような奴は作業員に舐められるからデパートの店員にでも成ったほうが良い」と言われ、6月になることにはすっかり何をして良いかわからなくなってしまっていた。

そりゃそうだ。3年生まではレジャーランド化した大学でサークル活動(ロックバンドをやっていた)と読書や映画にばかり時間を使っていたのだから、社会人になることなんて考えていない。周りのみんながすっかり日和って(読めますか? 「ひよる」と読みます)、サラリーマンまっしぐらなのを馬鹿にしていたくらいだし。

焦りだしたのは、今でも就職人気ランキングで上位に入る某大手電機メーカーに電話だけで断られたころからか。技術系は電気系学科出身しかとっていない。はぁ、そうですか。さらに、某シンクタンクからも院卒しかとっていないと言われたころから、焦りだした。

同じ研究室の院の先輩が私も受けかけていたYHP(横河ヒューレットパッカード。今の日本ヒューレットパッカード)の内定を貰って、「じゃあ、及川君はここにしなよ。2人しか就職しない研究室で2人とも同じ会社ってまずいし」と言われて、そのまま素直に受けて入ったのが最初の会社の日本DEC(ディジタルイクイップメント)だ。こんな具合に、なんとも主体性のない就職活動だった。それでもどうにかなってしまうくらいに、いい加減、良く言えば、のんびりした時代だった。

ちなみに、最後は、某テレビ局の技術職員と某石油会社を受けていた。内定が早く出たところに行くと決めていたので、ちょっとでも運命が違っていたら、どうなっていただろうかと今でも考える。

さて、本書は、企業、大学、学生、就職情報会社という4者が繰り広げる、現代の茶番劇(失礼!)を解説したものだ。家に何故か置かれていたので、2回風呂に入る間に読んでしまった。

どんな茶番かは冒頭の「焼肉の生焼け理論」を読めば一発でわかる。
みんなで焼肉をするとき、十分焼いた方がおいしいことは誰もがわかっている。ところが、さっさと食べないと他の人に食べられてしまう危険性がある。

そこで、誰かが抜け駆けして、多少生焼けでも食べるようになる。それに煽られて、他の人もみんな生焼けで食べるようになる。

しかし、心の中では誰もが「生焼けじゃおいしくない」と思っている。でも、他の人に食べられるのはおもしろくない。かくて、みんな生焼けのまずさを我慢して食べることになる。結局、満足する人は誰もいない――。

これが、「焼肉の生焼け理論」だ。
つまり、これと同じことが就活では起きている。誰もが、3年生のときから活動するなんておかしいと思いながら、自分だけ引くことができない。結果、意味が無いと思いながらも、年々エスカレートする、本質的には意味の無い就活プロセスを回し続ける。

私は、何故か、学生にキャリアディベロップメントについて話す機会が多い。先に述べたように、実にいい加減な学生時代を過ごし、かつ実にいい加減な就職活動をしたのにも関わらず、今では偉そうに、学生時代にどのように過ごせば良いか、社会はどういう人材を求めているかなどを話す。そんな資格も無いのに。

正直に言うと、今の学生は私のころよりも、真面目だし、勉強しているし、意識も高い。大学生のうちからインターンシップや交流会などを通じて、社会人と接する機会も多い(もっとも、本書では意味の無いインターンシップなども多いことが暴露されているが)。

私に言えることは、会社なんて10年や20年たてば評価も変わるし、そもそも存続していないことをある(私の最初の会社なんて無くなっているし)のだから、どこの会社に入るなんてことよりも、何をしたいかをじっくり考えるのが良いだろう。さらに言うなら、やりたいことだって変わるのだから、社会人としての生命力をつけることにまずは注力するべきだ。私だって、その生命力をつけるために、いまでももがいているくらいなんだから。

で、この本はそれぞれの茶番劇がいろいろなエピソードを交えて書かれているので、お勧め。

2009年2月8日日曜日

エコロジーなんてクソ食らえ!

エコロジーなんてクソ食らえ。このご時世、言うのに勇気がいる。だが、あえて言ってみよう。

「地球を守る」なんて大嘘だ。人類がいなくたって地球は無くならない。「人類が住み続けるための地球」を考えているだけだ。言葉は正確に使おう。言っちまえば、日渡早紀氏の「ぼくの地球を守って」と同じ世界観なわけだ(ちょっと違うかも ;-))。

ハリウッド映画で定番の世界的規模の災害や対戦で人類が滅亡したか、社会文明が崩壊後の世界。あれを見て、美しいと思うことはないだろうか。猿の惑星で砂漠の中に自由の女神を見つけるシーンがあったが、アトランティスの遺跡を海底で見つけたような快感がある。人工構造物が自然に調和する。それは人類が滅びた後の地球しか持ち得ないエロティックな風景なのかもしれない。

あのキースアニアンも言っている。「人間の介在しない自然ほどバランスのとれたものはない」と(竹宮恵子氏の「地球へ」)。

別に刹那的な生き方を追求したいわけではない。でも、理解しておくべきことは、あくまでも環境保護は自分達のためであり、長いスパンであれば人類がどうなろうとも地球から見れば、今の状況は風邪をひいたくらいにもならないだろう。

なんとなく、自然のため、環境のためと言われてしまうと、それに反対するのは難しい。だが、そのような美辞麗句に満ちた環境保護のメッセージ(時には逆に脅されることもある。宗教か?!)に騙されずに、今を生きる我々にとって、もっとも心地よい自然との関わりを考えたほうが良い。マスターベーションにしかすぎない献身的な姿勢を追求することがすべてではない。

昨年買った「論座」の2008年7月号に「ぼくが『反・CO2排出削減派』の翻訳にこだわる理由」(山形浩生氏)という記事が載っている。「特集 なんでも『温暖化』のせいにしていませんか?」の中に収録されている。この号はメディアとジャーナリズムがテーマとなっており、この特集も今の温暖化対策とメディアリテラシという枠組みの中で組まれている。

この記事にはODAの経済分析を行うコンサルタントという本業の立場で筆者の山形氏が体験したエピソードが紹介されている。電力危機を迎えているインド洋の島国の石炭火力発電所建設に反対する環境団体の話だ。「石炭火力は二酸化炭素排出が多いから、地球温暖化を悪化させる」からというのが環境団体側の理由だ。
さて、あなたはどう思われるだろうか。地元の人にきけば、地球温暖化クソ食らえ、いまここにある電力危機をなんとかしてくれ、と言う。当然だろう。地球温暖化で本格的な影響が出てくるのは、今世紀も末になってからだ。それだって100パーセント確実ではない。その影響を避ける手段だっていろいろある。一方で、電力不足のためにいまここにいる人々が停電に苦しみ、雇用のないことに苦しみ、低い生活水準を強いられ――教育も保険もその他すべての点で満足なものを得られずにいるのに、環境団体は、それでもかまわないと言うんだろうか?

<中略>

この人たちは、「温暖化で途上国の人々が被害を受けることが懸念される」なんてことをしゃあしゃあと述べていた。それなのに、いまここにいる途上国の人々を助けようとは思っていない。人々が停電で苦しみ、低い生活水準を強いられることを、この環境団体たちはまったく意に介していない。それどころか「電力があることが本当に人々の幸せにつながるか考えなくてはならない」などとぬかす。大きなお世話だ。それを決めるのは、実際にここで暮らしている人だろう。かれらの口上を聞きながら、ぼくは毎回考えてしまうのだった。いったい、だれのための、何のための排出削減なんだっけ?
当事者が経済的合理性を考えた上で方向を決めれば良いものを、下手に真理を追求するかのように、自然を訴えられるから話がややこしくなる。経済的合理性、つまりはROI(Return On Investment)だ。リターンが見えないものに投資はしない。逆にいうと、リターンが見えれば、それは真理云々などの七面倒臭いことなどを取り出さなくても、黙っていても取り組まれる。

グリーンITが良い例だ。私はグリーンITは純粋にコスト削減のために行うべきだと思う。そのほうが今の経済状況の下、それこそサステイナブル(継続性を持って)に取り組めるものだ。グリーン化によって電力消費を大きく減らせる見込みがあるならば、自然にも良いことがきっとあるのだろうから取り組めば良い。だが、これだって、機器の入れ替えをしてまでして、削減できる電力コストがわずかならば、やらないというのだって構わないのだ。グリーン化というのが命題になってしまっていては、本末転倒だと思う。

グリーンニューディールも良いアイデアだと思う。上で述べたように、経済合理性のある形で行えれば良いが、この場合はそうでなくても良い。(私から見えれば)不幸なことに、グリーン化というのが一人歩きしてしまっている一種の全体主義のような状況だが、ならばそれを利用して経済の底上げを図れば良い。ニューディールの中身なんて、正直なんでも良く、景気回復と雇用確保が出来れば良いのだから、それこそ、穴掘っては埋めを100回くらい繰り返せば、土建屋は皆喜ぶのだろうけど、それだと前時代的な匂いが強すぎ、抵抗がある人も多いだろう。っていうか、おそらく可決されない。せっかく、「グリーン」が錦の御旗のあるキーワードになっているんだから、これを使って、ニューディールしちゃえば良い。

次世代の子どもたちのためというのも、心を惑わせるメッセージだ。「今を生きる自分たちのために」と言った場合、じゃあ、次世代の子どもたちはどうなる、一番被害を受けるのは彼らだということを聞かれるだろう。でも、それはその子たちに考えさせれば良いのではないか。自分たちは文明社会を享受しておきながら、次世代の子どもたちにはそれを抑制する方向で考える。山形氏が経験したインド洋の島国のエピソードと同じだ。

「あなたのためだから」。最近、CMで良くながれているあれではないが、子供に「あなたのためを考えて」とか親が言うのは99.999%は子供のためではない。自分のエゴのためだ。子供や地球に「あなたのためだから」と言い続けるエコロジー。Twitterでこの話をちょっとしたところ、「エコロジーはエゴロジー」という名言を残してくれた知人がいるが、まさにそのとおり。

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