2007年1月31日水曜日

塩狩峠

あるウェブサイトで「今までで一番感動した書籍を教えてください」という質問があり、そこでこの本を挙げている人がいたので、読んでみた。

塩狩峠
三浦 綾子
4101162018


裏表紙に書かれているように、
明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。

である。

アマゾンのカスタマーレビューを読んでみるとわかるが、この小説への感想は二分されるようだ。それは作者の強い宗教観が反映されているためだ。

私自身は無宗教であるが、キリスト教とは無縁ではない。また、多くの日本人がそうであるように、慶事において日本古来の神道や仏教とも接してきた。キリスト教徒でない人には違和感や嫌悪感があることもあるようだが、私にはそのようなものはなかった。正直、読み応えのある良い小説だと思った。むしろ、明治の時代の少年~青年がなんと成熟した思想を持っているかに感動した。

三浦綾子氏の小説は今回始めて読んでみたのだが、ほかの小説も読んでみようと思った。

2007年1月29日月曜日

騒ぎすぎじゃないのか

関西テレビの「発掘!あるある大事典」における実験データの捏造が大騒ぎになっている。だが、ちょっと騒ぎすぎじゃないかと思う。

あの番組を見て、「やらせ」がなかったと思っていた人はよっぽど幸せな人だ。どう見たって、最初に結論ありきで番組は作られていただろう。私の周りでは、在庫を抱えてしまった企業などから広告代理店に経由で、あの番組に企画が持ち込まれているんだろうと噂していたほどだ。まさか、言われているほどあからさまなデータ捏造が行われているとは思わなかったが、実験データなどはいくらでも恣意的な解釈は可能だ。そもそも、番組で行われている「実験」と証するものは、科学的な実験だったのか? 実験ならば、統計学的に必要な母集団の数というものもあるだろうし、プラシーボ効果やほかの要素による影響を排除するための配慮が必要だろう。そのようなことが行われているようにはとても見えなかった。(参考: あるある大事典のニセ実験と洗脳

あの番組は所詮バラエティ。データの捏造は確かに良くないが、バラエティでの「やらせ」にそこまで目くじらを立てる必要があるのか? そこまでするのは、もしかして、実はバラエティだと思っていなかった人が多かったってことか。なんだかなー。

2007年1月23日火曜日

押尾コータローがパフォーマーに見えるとき

押尾コータローに最近はまっているのだが、配偶者いわく「一人で弾いているってわからなかったら、DEPAPEPEと変わらないね。いや、DEPAPEPEのほうが耳あたり良いかも」

んー。言われてみると、確かにそうかもしれない。

ということで、いくつかの演奏を改めて聴いてみた。自分がギターを弾くという先入観なしで聴いてみると、タッピング時の指板に叩きつけられる音やハーモニクス、ボディを叩く音など、確かにやや耳障りに感じるかもしれない。Hard Rainのようにそのパーカッシブな演奏が売りとなっている曲の場合は良いのだが、スローでメロディアスな曲の場合は確かにちょっと耳障りかも。

Tuck & PattiのTuck Andressも似たような奏法なのだが、こちらはあまり気にならない。アコースティックギター(しかもスティールギター)とフルアコースティック(エレキギター)の違いか。エレキギターの場合はピックアップでわずかな音でも拾えるので、指板にそれほど強く叩きつける必要がない。

気になりだすとさらに気になって、YouTubeでいくつかの演奏を見てみた。演奏を見てみると、実際にソロであの演奏をしているという事実が突きつけられ、そのすごさがわかる。やっぱり、すごいですわ。

そう考えると、押尾コータローというのは、稀代のパフォーマーかもしれない。…などと思った次第。

COLOR of LIFE -movies-
押尾コータロー
B000KG5EQO

2007年1月21日日曜日

ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る

昨年秋の転職では、間を空けずに今の会社に勤めることになったが、もし今の会社に決まらなければ、しばらく無職になる可能性があった。

前の会社では、私より数年前に入った人たちの中にストックオプション長者になったものも多かったが、わずか数年の差でも私にはそんなチャンスは巡って来ず、リタイアはもとより、しばらくの休暇なども考えることができなかった(生活費を稼がなきゃいけないからさ)。

そんなこんなで、今回の転職活動中、無職になることの恐怖をわずかながら感じた。

ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る
門倉 貴史
4796655336


「働けど、働けど、わが暮らし…」と詠ったのは石川啄木だが、まさに当時の啄木と同じような状況におかれている人が日本にも数多くおり、今もまた増えているという現状。本人に特別な理由がある場合ばかりではなく、誰でもちょっとしたきっかけでワーキングプアに成りうる。このようなことが本書を読むと良くわかる。

ドキュメントという形で、実際にワーキングプアと分類されうる人々への状況が紹介されるが、そのどれもが特殊なケースではない。つい過去や今の自分と重ね合わせてみてしまう。「もしもあの時…」と考えると、正直ぞっとする。

私は今でも競争社会は正しいと思う。また、その競争社会から得るもののほうが今の私は多い。しかし、安倍首相の再チャレンジではないが、競争社会は正しい雇用システムと競争ルールが整備されてこそ成り立つ。一度、通常のパスから外れてしまっただけで、二度と戻れない社会というのは何かおかしい。

今まで、ワーキングプアについて、話には聞くが、身近な問題としては捉えていなかった。しかし、本書を読んで、自分自身のキャリアパスや個人的な安全保障問題 ;-) としても改めて考えさせられた。

ところで、本書には出てこないが、昨年NHKでワーキングプアの特集が2度ほど組まれていたようだ。見てみたかった。

参考

YouTubeで見る超絶技巧プレイ

暇なので、YouTubeで超絶技巧プレイの数々を見る。特に気に入ったものをここに紹介。

まず、ピアノ。スーパーマリオプラザーズを弾きまくっている。


次にギター。あの有名なクラシックのカノンをハードロック風にアレンジ。


Rodrigo Y Gabrielaというアコースティックギターデュオ。YouTube上でいくつかの演奏が見つかるけど、ここではLed Zeppelinの天国への階段をカバーしているものを載せておこう。気に入った人は、ほかも検索してみるとよろし。


山下和仁の演奏もすごい。展覧会の絵がYouTubeに載っている(4つに分割されているので注意)。





んー、いかん。下流社会のチェック項目の1つ「一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある」をまたクリアしてしまっているではないかい(風邪をひいているからだけどね)。

2007年1月20日土曜日

下流社会 新たな階層集団の出現

下流社会 新たな階層集団の出現
三浦 展
4334033210

言うまでもない、一昨年のベストセラーの1つ。ちょっと遅めだけど、読んでみた。
  1. 年収が年齢の10倍未満だ
  2. その日その日を気楽に生きたいと思う
  3. 自分らしく生きるのが良いと思う
  4. 好きなことだけして生きたい
  5. 面倒くさがり、だらしない、出不精
  6. 一人でいるのが好きだ
  7. 地味で目立たない性格だ
  8. ファッションは自分流である
  9. 食べることが面倒くさいと思うことがある
  10. お菓子やファーストフードをよく食べる
  11. 一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
  12. 未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
本書の冒頭に出てくる『下流』度チェックだ。半分以上に当てはまるようだと、あなたはかなり下流的だそうだ。私はもちろん(?)該当者だ。恥ずかしいので、どれにチェックしたのかは明かさないが。

本書では、下流社会とは次のように定義されている。
所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている。あるいは「希望格差」も拡大している。<中略> それは、日本が今までのような「中流社会」から「下流社会」に向かうということである。
下流的な人は「もっと上の方に広がる分に関しては文句は言いません。最低限の暮らしが保証される限りは、上に行きたい人が行く分には全然構わない。私も一緒に行こうとは思いません。今の暮らしでもいいです、という心理」を持つ人である。私も下流的と分類されてしまったわけではあるが、実は私よりも少し下の世代に下流的な生き方をする人が多いようだ。本書では次のようにその背景を説く。
現在の30歳前後の世代は、少年期に非常に豊かな消費生活を享受してしまった世代えあるため、今後は年をとればとるほど消費生活の水準が落ちていくという不安が大きい。これは現在の40歳以上にはない感覚である。
確かに、私は成長とともに消費水準も改善された。白黒だったテレビはカラーになり、エアコンも最初に居間だけに設置されていたものがそのうちほかの部屋にも設置されるようになった。意識したことはなかったが、確かに今年より来年が豊かになることを常に期待できていたような気がする。私より下の世代はここまで顕著な経済成長を目の当たりにしていないのかもしれない。

本書ではこのような中流から下流への流れと、新たな下流的な人たちの思考や嗜好、志向が解説されている。従来の一億総中流時代とは明らかに異なる時代の登場に、企業もそれ相当のマーケティングが必要となる。本書でも日清食品の例などが紹介されている。

ただし、本書では多くの章がデータの解説を中心としている。私はそこがどうもなじめなかった。単なるデータブックとして読むのなら良いが、読み物として捕らえるならば、データの解説部分にももう少し読み応えのある展開が欲しい。

その中で、中盤の下流的な男女の分類や最後の考察は興味を持って読めた。特に、最後の「西武池袋線の学生が池袋に行かない」と「「縮小した世界」に知らぬ間に築かれる「バカの壁」」の2節は自分の体験からもなるほどと思わせるものだった。ここでは、首都圏のマイナーな大学だと、同じような地域からしか学生が集まらないこと、また首都圏近辺に育ったものほど、東京の街を知らないし、知ろうとしないという状況が述べられている。私も東京のベッドタウンと呼ばれるところで育ち、中学から大学までの10年間を新宿区内の学校に通った。それにもかかわらず、今でも渋谷の街を良く知らなかったりする。

やっぱり私って下流的かもしれない。

2007年1月17日水曜日

裁判長!ここは懲役4年でどうすか

再来年から裁判員制度がスタートする。国民の意見としては、参加したくないというのが大半を占めているようだ。裁判員としての参加をためらう理由に納得はできるものの、新しもの好きの私は、実は反対ではなかったりする。かといって、賛成というわけでもない。確かに凶悪犯の裁判で、逆恨みなんてされたら叶わない(一応、裁判員に危害が加えられる可能性のある事件については裁判員が参加する裁判対象からはずされるようだが)。

判断ができないのは、裁判を自分の目で見たことがないからだ。時間があったら、裁判を傍聴してみたいと思いつつ、早数年。幸せなのか不幸なのか、身内に裁判沙汰になる人間もおらず、証人として出廷を求められたこともない。

そんな私に裁判の傍聴気分を味合わせてくれたのが、この本だ。

裁判長!ここは懲役4年でどうすか
北尾 トロ
4167679965

世には傍聴マニアというのがいるようだが、傍聴初心者だった筆者がいっぱしの傍聴マニアになっていくまでが書かれている。被告や被害者、また彼らの親族という主役級の人々のみならず、裁判官や検事、弁護士、さらには傍聴人やなぜか裁判所に足しげく通う不思議な人たちを観察する。1つ1つの事件にはドラマがあり、あまりにも異質な世界に自分とは無縁のように感じてしまうが、実はいつ自分の身にも起きるかわからない事件が多くあることに気づく。

などなど書いているが、なんといっても、臨場感あふれる実況のようで面白い。電車の中で読んでいたが、笑いをこらえるのに苦労したほどだ。

裁判員制度が始まる前に、一度は裁判の傍聴をしたいとさらに強く思った。

ところで、裁判所にいる女性はみな綺麗だそうだ。知的美人ってやつか? やっぱり行かねば。

参考

2007年1月16日火曜日

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学

今さら感は否めないが、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」を読んだ。「新書365冊」でも推薦されていた本の1つ。

いつか読んでみたいと思いつつ、ここまで遅くなってしまった。ベストセラーだったんだから、きっとすでに古本屋にあるに違いないと、近くのブックオフに行き、そこで購入。200円で数冊置いてあったが、100円コーナーにも1冊あったので、そちらで購入。

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学
山田 真哉
4334032915


私は前の会社で企業会計の基礎はトレーニングで習った。バランスシートもPLも見方を習ったのだが、業務で使っていないので、だいぶ忘れてしまっている。そんな私には、本書はちょうど良いレベルだ。だが、もし私がトレーニングの内容をしっかり覚えていたとしても、本書が読むに値しないということはない。会計を知らない人にどのように教えれば良いかがわかるからだ。

タイトルに書かれている、さおだけ屋のエピソードは最初に登場する。さおだけ屋、考えてみると不思議な商売だ。あまり需要があるとも思えず、単価もそれほど高いと思えないのに、どのように彼らは生計を立てているのだろう。言われてみると確かに不思議だ。本書はこのように身近にあるケースを例にとり、会計の基礎概念を説く。企業会計につながる知識を得ることもできるが、家庭の会計、すなわち家計へのヒントや人生設計、さらには自己啓発などにもつながる話題をちりばめており、飽きることなく最後まで読める。

会計学の解説書と考えると、もう少し深い内容まで踏み込んで欲しい気もするが、様々な会計学の入門書に挫折する人が少なくないことを考えると、このレベルが妥当なのか。確かに、会計学の大きなイメージをつかむには最適かもしれない。

当たり前だが、100円で十分もとがとれた v(^_^)v

2007年1月15日月曜日

Michael Brecker逝く

帰宅し、Michael Brecker逝去のニュースを知る。

彼のサックスは他人のバックで控えめな演奏に終始しているときでも、艶のある音色で圧倒的な存在感があった。

特に、私はSteely Danのバックでの演奏が好きだった。

ライブはSteps Aheadとしての演奏しか体験していないが、それもすばらしかった。



冥福をお祈りする。合掌。

2007年1月14日日曜日

「感性」のマーケティング 心と行動を読み解き、顧客をつかむ

数日前に書いた計画外消費で、
「気持ちよく、もう一品買いたい」と思わせるのが重要
「右脳的な感覚の部分を取り入れることが重要」
と書いた。このように人の感性に訴えかけて、顧客をつかむための手法や具体例が書かれているのが、本書だ。

「感性」のマーケティング 心と行動を読み解き、顧客をつかむ
小阪 裕司
4569657176

実例をちりばめながらの解説なので、馴染みのないテーマにも関わらず、大変読みやすい。また筆者の豊富な実績からくる自信は読むものを安心させる。感性に訴えかけるというマーケティングアプローチはともすれば、ごく当たり前のことを行うだけであったり、本当に効果があるのかと疑問を持たれるようなものもあるかもしれないが、本書で紹介されているのはすべて実例であるため、非常に説得力がある。

ただ、本書で言うマーケティングとは、営業企画や販売戦略をさす。製品企画ではない。私は製品の企画に役立つかと思っていたが、本書で紹介されている手法を製品のデザインなどでそのままずばり使えるわけではない。もちろん、販売にも製品企画にも両方に通ずる内容も多くあるため、まったく無駄というわけではない。

いくつもの手法があるなかで、私の経験からも最も納得がいったものが、「人間的なコミュニケーションを行い、顧客コミュニティを育成する」という取り組みだ。

昨今、多くの企業がユーザーグループやコミュニティなどを設立し、そこでの活動を推進している。これは、単なる企業側からの情報伝達から、感性に訴えかけるための、情報の共有にフォーカスを移しているためだ。メッセージを伝えるだけでなく、自分の想いを共有し、共感してもらうことが人間的なコミュニケーションには大事だ。そのため、企業は情報を単に伝達するだけでなく、その製品やサービスの企画から製造に至るまでのすべての想いに共感してもらう必要があるのだ。

IT企業などで、最近、「エバンジェリスト」というタイトルの職種が一般的になってきた。「エバンジェリスト」、すなわち伝道師だ。想いを伝道する。これも想いに共感してもらうための企業側のアプローチなのだろう。

筆者は、この「人間的なコミュニケーション」のためには次のものが必要だと説く。
  • 単純接触の原理: 簡単に言うと、間を空けすぎないこと。「個体間の親密さは、接触回数、接触頻度が多ければ多いほど増す」らしい。
  • 自己開示: 自分のことを語ること。「プライベートなこと、自分のまわりに起きた出来事、ファッションの好みや音楽や映画の話といった表面的なものから、仕事の悩み、家族の問題など、いろいろなものがある。」「自己開示することによって、お互いの精神的距離が近くなる」
これは以前読んだ「一生モノの人脈力」で書かれていたネットワーキングのコツにも通ずる。なお、現在ならば、SNSやブログなどを活用することもできるだろう。

本書に1点だけ改善を求めるとすると、文章の読みやすさだ。文体自身は平易でわかりやすいのだが、文章にやや散漫で読みにくいところが見受けられる。ただ、すごく気になるほどではない。

ところで、学究的なアプローチとしては、感性工学という学問があるようで、日本にも日本感性工学会と呼ばれる学会がある。なかなか面白そうな学問だと思うが、学会の英語名が「Japan Society of Kansei Engineering」となっている。「Kansei」って世界で通用する用語なのか?!

2007年1月13日土曜日

ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか

「グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する」の佐々木 俊尚氏が書いた「ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか」を読んだ。

期待を裏切られた。悪い意味ではない。

ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか
佐々木 俊尚
4166605461



ウェブ 2.0とサブタイトルにも書かれているので、またグーグルやアマゾンなどのネット動向についての本かと思ったのだが、ウェブ 2.0について書かれているのは後半のごく一部。二番煎じ、三番煎じを狙ったウェブ 2.0本ではない。推測だが、タイトルかサブタイトルにウェブ 2.0と入れると売り上げが伸びが期待できるので、こうなったのではないだろうか。そんなことをしなくても、中身で勝負できる本なのに。

では、何の本かと言われると実は説明に困ったりする。

前半はWinny裁判についてのドキュメンタリーだ。Winny開発者である金子氏の逮捕劇の様子から、開発当初の模様や開発に至るまでの背景などを書く。開発を開始した当時の金子氏の2ちゃんねるの書き込みなども収録されている。普及してからのWinnyしか知らない私にとっては貴重な情報だ。

Winnyの開発者である金子氏は当初、思想犯としての自白のようなものをしていたようだが、途中からあくまでもソフトウェアの研究目的であるというようにトーンが変わったようだ。佐々木氏はその心情を理解しつつも、サブカルチャとしてのインターネットを支える人間として金子氏にはあくまでも思想犯として裁判を闘って欲しかったようだ。本書にはその思いが、暗に明に込められている。

本書でもWinnyの仕組みについては簡単に触れられているが、Winnyの技術については、金子氏自らが書いた書籍がある。

Winnyの技術
金子 勇 アスキー書籍編集部
4756145485


こちらには、Winnyについての解説を通じて、P2Pの基本的なアーキテクチャについても紹介されている。金子氏が参考にしたとされるFreenetとの比較もされている。P2P技術に興味のある人は読んでみると良いだろう。

話がずれたが、本書(ネットvs.リアルの衝突)の中で、金子氏が2ちゃんねる上で、「ちなみに俺ぁネットワーク系メインのプログラマじゃないんでこの程度のプログラム作れる人ならそこら辺にごろごろしてるはずだな」と発言したとされている。これは半分は真実だろう。ソースを見たことがないので、想像だが、おそらくP2Pのコア部分についてはアーキテクチャも実装も超一流ではないだろうか。Freenetなどお手本とすべき先駆者があったとはいえ、インターネットを活かした分散性と匿名性をあそこまで実装できたのはお見事といわざるを得ない。

一方で、元Windowsの専門家から言うと、Windowsのアプリケーションとしては必ずしも、完成度は高くない。使ったことのある人なら知っていると思うが、癖のあるインターフェイス、脆弱なテキストファイルベースの構成機能(テキストファイルに構成情報を書き込むのであっても、アプリケーションからのみ読み書きができるようなチェック機能を入れるべきであったろう)。このP2Pとしての完成度の高さとWindowsアプリケーションとしての中途半端な実装がWinnyによる悲劇的な状況を生んだとは言えないだろうか。

Winnyの話をしすぎているので、話を戻す。前半をWinnyについて書いた後、後半は標準化戦争、オープンソース、ガバナンス、デジタル家電、ウェブ 2.0と続く。前半のWinnyを中心とした話と比較して、後半が散漫な印象は避けられない。一環してあるのは、インターネットやオープンソースが持つサブカルチャへの熱い想いだ。また、日本という社会をインターネットやITという枠組みから見たときの危機感。それも本書を通じて訴えられているものだ。ただ、それらをメインにするならば、もう少し章立てに工夫がこなせただろう。どうにも、前半と後半のアンバランスさが残念だ。内容に似つかわしくないタイトル(とサブタイトル)も、この構成の迷走に振り回された結果か。

あと、事実を基にぐいぐいと読ませる構成は、ベテランの筆者の力量によるものだと思うが、「So, what?!」、つまり筆者としてどう考察するかの部分がもう少し欲しかったように思う。

最後、少し厳しい意見を書いてしまったが、新書にしてはなかなかのボリュームであり、読み応えは十分だ。

参考

[本館] Nothing ventured, Nothing gained. でWinnyについて少し書いている。参考まで。

2007年1月12日金曜日

木村多江さん

夢は口に出すと叶うという。口には出しているけど、まだ叶っていないので、ここでブログにも書いておこう。木村多江さんにお会いしとうございます。

って、誰? という声が聞こえてきそう。携帯の待ちうけ画面にしていても、わかってもらえない。とても悲しい (T_T)。

こんな人。

木村多江写真集「秘色の哭」 木村多江 写真集 「余白、その色。」

その木村多江さんのDVDが出る。買うべし。

計画外消費

計画外消費と言われて、何のことかわかるだろうか? 本日(正確には昨日)のTV東京、ワールドビジネスサテライト(WBS)で特集されていた。これ、いわゆる衝動買いのことだ。

この計画外消費、多いのはコンビニ(65.2%)、駅ナカ(68.7%)だそうだ。

WBSでは駅ナカに進出した例として、ゴディバやDVDレンタル機(アスタラビスタ)、保険の代理店を紹介していた。う~ん、私は常に待ち合わせ時間との戦いなので、駅ナカで計画外消費をすることはないなぁ。世間の人はもっと余裕のある人生を送っているのか (T_T)。

一方のコンビニについては、ローソンの新浪社長が「気持ちよく、もう一品買いたい」と思わせるのが重要と語っていた。これは良くわかる。感性に訴えかける必要があるということだろう。

コンビニでの例としては、MIRRORNOという高級感あふれるミントが紹介されていた。ミラーがついていたり、使用後は名刺入れとしても使えるなど、高い利便性と遊び心も持ち合わせているらしい。このMIRRORNOについても「右脳的な感覚の部分を取り入れることが重要」と担当者は語っていた。コンビニについては確かに計画にない買い物、ローソンの新浪さんの言う「もう一品」というのは私もよくある。ただ、私の場合、気持ちが良いとか右脳が刺激されるということではなく、「つい、なんとなく」というケースが多い。これが実は右脳が刺激されているっていうことか?

私の消費傾向を見ると、計画外消費が多いのは、アマゾンだ。アマゾンで1,500円を超えずに配送量が無料にならない場合、つい目に付いたほかのものを買ってしまうことが多い。リコメンデーション機能につられることも多い。結構、ネットで計画外消費してしまう人って、私に限らず多いのではないだろうか。

2007年1月11日木曜日

トラックバックの文字化け

トラックバックが文字化けを起こしていた模様。調査するので、お待ちを。

直した。エンコーディングがおかしかったというだけだった orz

まだ、おかしかったら、コメントで連絡お願いします m(_ _)m。

2007年1月10日水曜日

Tuck & Pattiが来日

Tuck & Pattiが来日する。ブルーノート東京でのライブは2/15~2/17。う~ん、行きたい。

Tuckの絶妙のギタープレイとソウルフルなPattiのボーカル。前々回の来日のときにもブルーノートに聴きに行ったときには、意外にもTuckがコミカルなMCを勤めており、それにより、また二人の人柄を深く知ることができた。今回は二人だけのライブなのだろうか、それともピアニストを誰か連れてくる? う~ん、行きたい。

Tuckの演奏



タック&パティ・ベスト~アズ・タイム・ゴーズ・バイ~ ベスト・コレクション ドリーム 愛の贈り物~ギフト・オブ・ラヴ

世にも美しい数学入門

昨年、「国家の品格」を読んだ。「若き数学者のアメリカ」などでも知られる数学者の藤原正彦氏による日本国家論だ。小学校での読み書き算盤の復活を説くなど、現在の教育にも一石を投じた。この本の中で、数学など理系の学問が実は「美」への鋭い感覚が基礎となっていることを論じている。

「博士の愛した数式」を読んだとき、藤原氏の言う「数学の美しさ」と通ずるものがあるなと感じたのだが、実は筆者の小川氏は執筆にあたり、藤原氏に取材をしたそうだ。その模様は文庫版「博士の愛した数式」の解説にも書かれている。

そのように一種の共同制作者の関係の二人により数学の美しさを解説したのが、世にも美しい数学入門だ。

世にも美しい数学入門
藤原 正彦 小川 洋子
4480687114

本書では、「博士の愛した数式」の中のいくつもの数学の世界が二人の対話によってさらに解説されている。実際のイベントでの対談がベースになっているようで、二人の肉声が書籍に納められている形だ。「博士の愛した数式」に出てくる「友愛数」や「完全数」について改めて解説されていたり、「フェルマーの予想」に対して日本人が果たした功績が紹介されている。

「博士の愛した数式」における数式の世界を好きになった人には、さらに深い数学の持つ魅力を知るには良い書だ。話し言葉で語りかけるようになっており、さらに数学に関しては一般人としての小川氏が対談相手となっているので、非常に安易に紹介されている。これは一般書としては親切な構成だろう。だが、対談形式のため、ページ数の割りに書かれている内容は浅い(文字も大きいため、ページ数以上に実際のボリュームはかなり少ない)。ボリュームの少なさから考えると、760円という価格が妥当かは疑問だ。中高生などにも読んでもらうことを考えるならば、文字を小さくしても良いので、500円以下で提供したほうが良かったのではないか。余計なお世話か。

実は、私は大学進学時、数学科に進もうかと考えたことがあった。高校に早稲田大学から派遣されていた1人の講師の数学の授業に魅せられたからだ。「博士の愛した数式」と、この「世にも美しい数学入門」を読んで、ふとその講師を思い出した。

2007年1月9日火曜日

博士の愛した数式

博士の愛した数式
小川 洋子
4101215235


ようやく博士の愛した数式を読んだ。実はこの話は、昨年、すでにコミックで、ラジオドラマCDで、さらに正月にDVDで、読んだり、聞いたり、見たりしていた。順序が逆と思うかもしれないが、アマゾンのカスタマーレビューで「映画版(DVD)はストーリーが多少異なるので、小説を先に読んだ後だと少し違和感がある」というようなコメントを見たので、小説が後回しになってしまった。

結果から言うと、映画(DVD)を先に見て、正解。もしくは、違和感があるのを覚悟して、すべてに先立って、小説を読むほうが良い。コミックやラジオドラマCDは原作に忠実であるが、すべてをカバーはできていない。映画は演出の都合だと思うが、中のエピソードが違う。映画は映画で味があるが、小説とは多少世界観が違う感じがした。

著者の小川洋子氏。恥ずかしながら、今回初めて読んだ。なかなかのストリーテラーだ。数学と野球という2つの異なる世界を見事に結び付けている。80分しか記憶の持たない数学者という難しい設定の中での展開は見事だ。すでに、コミックなどで展開を知っている私でも、改めて小説で引き込まれてしまった。個人的には、実は、本書の主役は江夏なのではないかと思う。偉大なるスポーツ小説ではないか。不思議かもしれないが、なぜか村上龍氏の「走れ!タカハシ」を思い出してしまった(これは広島カープにいた高橋慶彦氏をモチーフに用いた名作)。

ところで、私の理解力が足りないのか、いまだにきちんとしたイメージがつかめていないのだが、「80分しか記憶できない(80分で記憶がリセットされる)」というのはどういう状況なのだろうか。一番大事なこの部分がイメージできていないというのは、基本的な読解力に欠けているといわれても仕方ない。80分でリセットされるとは、80分たったら、ゼロに戻るのか。それとも、保存されている記憶域が80分ごとにシフトされているのか。最初、前者だと思っていたのだが、それでは日々の生活上のエピソードの辻褄が合わないことに気づいて、後者だと思うことにした。だが、それだと今度は最後のエピソード(読んでいない人もいると思うので、ここでは書かない)に矛盾が生じるように思う。こんな大事な基本的なこともわからなかったなんて、ちと情けない。



博士の愛した数式
小川洋子 小泉堯史 寺尾聰
B000C5PNV4

博士の愛した数式
小川 洋子 くりた 陸
4063721302

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)

はてなダイアリーで自分の想い-転職した理由と題して、前の会社を退職した理由と転職を決意した理由を書いた。そこでは、「違うことにチャレンジしてみたい」という点に焦点を置いて説明させてもらったが、正直に言うと、それだけではない。

自分のキャリアをサニタイジングしたかったのだ。

私は転職するしないに関わらず、年に1回程度はキャリアコンサルタントと会うようにしている。自分のキャリアについて人材市場を知り尽くした人間からの助言をもらうためだ。キャリアコンサルタント(もっとはっきり言うと、ヘッドハンターやエグゼクティブファームの人間)の中には、人を右から左へ移動させることで対価を得ている、本当にハイエナのような人間もいるが、幸いなことに、私がここ10数年ほど親しくさせていただいているそのコンサルタントの方は、私に転職の意図がないにも関わらず、私の相談に乗っていただいている。

彼との話の中で自分が感じたのが、あまりにも前の会社(当時勤めていた会社)とその技術であるWindowsに自分がコミットしすぎていた点だ。自分のスキルも、仕事の流儀も、人脈も、すべて前の会社に高度に最適化されていた。

前の会社で定年まで迎える覚悟ならば、それでも問題はなかったのだが、その外資系で定年まで勤め上げるということは正直まったくイメージがわかなかったし、自分の残りの人生をかけるにふさわしいだけの仕事をこなすチャンスがあるかが疑問だった。

そこで、私はサニタイズを考えた。

これをキャリアロンダリングと書いているのが、ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)だ(違う文脈でだが)。

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)
渡辺 千賀
4022731222


著者の渡辺千賀氏は「テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし」について"On Off and Beyond"というブログを立ち上げている。私も愛読しているが、本書はこのブログの延長上にある。ブログで書かれているのは、日本と米国のビジネスの進め方の違いや日米文化についてだ。こう書くと、堅苦しく感じるかもしれないが、渡辺氏は極めて噛み砕いて、というよりも、面白おかしく、いろんな事象を交えて、紹介している。

本書では、そのブログで書かれている内容を整理した(正直言うと、重なっている部分は多い)上で、改めてシリコンバレーの特異性、競合力、そしてシリコンバレーの住人のような生き方をするためのルールを説明している。

実は、この本にこそが私が転職を決意した理由が述べられている(出版は私の転職の後であったが)。

今回、転職するにあたり、私はシリコンバレーにインタビューに呼ばれ、そこで数日を過ごした。サンフランシスコには数年前に滞在したことがあったのだが、シリコンバレーで数日を過ごすことができるのは初めてのチャンスだった。インタビューまでには時間があったので、2日ほど自由に車で移動し、いろいろな場所を巡った。またインタビューを受ける会社でも、途中にオフィスツアーを受けさせてもらい、会社のカルチャーや雰囲気などをレクチャーしてもらえた。

その数日の滞在で、私はすっかりシリコンバレーの虜になってしまったのだ。

本書では、私が感じたキャリアへの不安、シリコンバレーの魅力、それらが説明されている。引用を用いて説明したいくらいだが、おそらく書籍の大半を引用しなければいけないくらいになるため、ここではあえて引用はしない。ただ、もしシリコンバレーの強さをしりたければ、さらにはシリコンバレーで働くことを考えたならば、是非読んでみると良い。

シリコンバレーの強さについては、実は前の会社のブログで梅田望夫氏の「ウェブ進化論」の感想を書いたときにも触れた。

本書は最後に「脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」という章で結ばれています。この中で梅田氏は次のように新しく始められたプロジェクトについて説明しています。

「日本人一万人・シリコンバレー移住計画」という非営利プロジェクトを立ち上げるこにとした。「世界中からシリコンバレーに集まって切磋琢磨する技術志向の若者たちと一緒になって、日本の若者たち一万人が活躍しているイメージ」を頭に描きながら、その実現のための支援を二十年がかりで行っていこうというものだ。

梅田氏はシリコンバレーで日本人技術者が極めて少ないことに危機感を抱き、このようなプロジェクトを考えられたわけですが、私も同じような危機感を持っています。

数年前、インドに行った際、当時のインド開発センターのディレクターとのディナーで、日本やインドについての教育についての話になりました。

「Tak(彼も私をこう呼びます)、日本では大学を卒業した後、どのくらいの学生が米国企業に就職するんだい?」。

私ははじめこの質問をマイクロソフトのような外資系企業に就職する学生のことを聞いているのかと思ったのですが、よくよく聞いてみると、実はそうではなく、日本を出て、米国で就職する学生の割合を聞いていたのです。私は以下のように答えました。

「日本では日本企業や米国の外資系企業に就職し、会社から米国に出向や派遣されるケースはあるかもしれないが、初めから米国での就職を考える学生はあまりいないよ。僕の時代とは違うから少しは増えているかもしれないけど、ほとんどいないんじゃないかな。」

「そうか。じゃあ、たとえば、クラスに100人同級生がいた場合、何人くらいが米国に行くのかな?」

「う~ん。5名いれば多いほうだと思うよ。」(こう答えましたが、5名もいないだろうと当時の私は思っていました。)

「インドでは半分以上の学生が大学卒業後、インドを出て、米国で職を得るよ。」(半分というのは不確かです。ただ、かなりの割合だったと思います。)

当時、すでにインドは IT 立国として知られていましたので、別段驚くまでも無かったのですが、一方で日本のあまりにも島国的な、ボーダーレスな流動性の無い状況に改めて気づかされた覚えがあります。

インドのすごいところは、一方的な人材流出が起きているだけでなく、きちんと還流もされている点です。インド滞在中にインド開発センターの全体会議に参加する機会を得ることができました。驚いたのは会議の最初に「今月のレッドモンドからの帰国者」というようなコーナーがあったことです。レッドモンドとはこのブログを読んでいる方ならご存知の通り、マイクロソフトの本社の場所です。マイクロソフト本社に行かれたことがある方は、非常に多くのインド人が働いていることをご存知だと思いますが、その何人もが、しばらく本社で働いた後、インドに開発センターができたならということで、インドに戻ってきているのです。

日本においてもこのようなことができたら、なんて素敵でしょう。シリコンバレーやレッドモンドのような環境で武者修行し、日本に戻ってきて、日本の IT 産業への貢献を行うのです。

このように書いた投稿には次のようなコメントがついた。

>日本人一万人「移住計画」
>日本においてもこのようなことができたら、なんて素敵でしょう

何その負け組みな考え方。
日本がシリコンバレーに負けているとしたら、
日本をシリコンバレー以上の科学都市にしよう、
と考えるのが正道でしょう。
何故シリコンバレー並の発展が日本には無理だと端から諦めているんでしょうか。

日本程度に発展した国なら、インドのやり方よりもアメリカのやり方を見習うべきだと思いますが。

日本がシリコンバレー並みの発展をするのは日本人の生き方そのものを変える必要があるため、世代交代が大きく進み、さらに新しい世代がシリコンバレー的な生き方ができなければいけないと思う。そのためには、一度シリコンバレーで実際に働いてみるのが良い。私は今でもそう思う。ただ、私の書き方が「負け組み」的に思われてしまったのは、私の力不足だった。そこで、コメントでは次のように書いた。

そうですね。おっしゃるとおりですね。

日本でもシリコンバレーのようにグローバルな人材が集まるハイテク都市を作れたら素敵ですね。こちらにもいろいろ難題があると思いますが、そのような動きも是非応援したいと思います。

本当にシリコンバレーときちんと張り合うことのできるような社会にしたかったなら、まずは本書を読むと良いだろう。

ついでに、私の転職の理由の半分以上は本書に書かれている。本書を読んで気づいた。私はヒューマン2.0を目指しているのだ。んー、ちと、ほめすぎか?

2007年1月8日月曜日

ジミ・ヘンドリックス、ウェールズ国歌も演奏?

AFP通信より、ジミ・ヘンドリックス、ウェールズ国家も演奏か? - 英国

【ロンドン/英国 6日 AFP】ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)のファンのあいだで、彼が演奏する有名な米国国歌「The Star-Spangled Banner」と同様のスタイルでアレンジされたウェールズの国歌を演奏したのではとの論争が巻き起こっている。
ウッドストックの米国国歌の演奏は有名だ。

今、これと同じスタイルで演奏されたウェールズ国歌が発見され、ジミ・ヘンドリックスの演奏ではないかと噂されている。The 'Lost Hendrix National Anthem'で噂される演奏を聞くことができる(いきなり音が出るので注意)。ウッドストックの演奏に続けて聴くと、確かに似ているように思える。

ところで、私はウェールズ国歌を知らなかった。検索してみたら、ウェールズ日本人会にMP3であった。というか、ウェールズについてもそもそもちゃんと理解していないことに気づいた。こういうときは、Wikipedia

なるほど。

YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ

YouTubeは単純な発想を基にしたチープなWeb上のサービスかと思いきや、結構細かいところに気が使われている。しかも、その気が使われている部分がすべて一般ユーザーの利益に叶う方向に向いているところがすごい。CGM/CGCMの雄の面目躍如か。

そんなYouTubeの現状と日本のメディア界の抱える問題とをタイムリーに紹介したのが、神田敏晶氏のYouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえだ。

YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ
神田 敏晶
4797339039


神田氏のWeb2.0でビジネスが変わるも昨年読んだのだが、数あるWeb2.0本の中でも一般ユーザーの視線でWeb2.0の脈動を捕らえた異色の一冊だった。神田氏の異色ぶりはKNN StoreやMXTVのBlogTVを見てもらえればわかる(本書の中でも紹介されているが、このBlogTVの番組は放映後、YouTubeに投されているのだが、YouTubeへの投稿を考えて、番組が10分単位で構成されるようになっている)。

(* これを書いた直後、神田氏はITmediaのオルタナティブブログでソフトバンクモバイルのホワイトプランで不適切な投稿をしてしまい、ブログが炎上している。)

YouTubeは日本では一般ユーザーからの支持は高いものの、メディアや著作権者との調整はまだ進んでいないようだ。本書にも書かれているように、米国では多くのメディアがすでにYouTubeと提携している。それら各社の実績を見て、一般ユーザーの望む方向とメディアの未来像を見据えた形での議論が日本でもされることを期待したい。たとえば、米国の例で言うと、TV局で放映された番組をYouTubeにアップロードしても、一般視聴者の多くは、見逃した部分をYouTubeで見るという補完的な利用の仕方をしており、必ずしもYouTubeがTVのリアルタイム視聴者をすべて食いつぶしているということはなさそうだ。これは音楽配信が必ずしも、音楽ビジネスをつぶしていないのと同じだ。また、神田氏は現在の視聴率や著作権料の分配についても疑問を呈しており、現在のままではTV界に未来は無いと言い切る。YouTubeを始めとする新しい動画ビジネスの流れをどのように取り組むかがTV界の健全な発展のためにも必要と思われる。

本書はYouTubeをめぐりおきている米国や日本でのニュースを網羅的にカバーしているだけでなく、パブリックジャーナリズムの日本第一人者である神田氏の視点から見たTVおよび動画配信/共有の未来が書かれている。インターネットを隅から隅までウオッチしている人ならば、すでに知っていることかもしれないが、そうでない人には、いったい騒がれているYouTubeってなんなんだ、何がすごいんだ、っていうことを知ることができる良書だ。読みやすく、実際、私は2時間ほどで読了した。

2007年1月7日日曜日

一生モノの人脈力

昨年の中頃に、古川 享さんのブログで紹介されていた一生モノの人脈力」という本を読んだ。

一生モノの人脈力
キース・フェラッジ タール・ラズ 森田由美
4270001364


ブログの中で、古川さんは次のように書かれている。
一生モノの人脈力、キース・フェラッジ、ランダムハウス講談社

古川コメント: 欧米人の人脈って、こういうカラクリなのねという彼らの手口を学ぶには良いかも

確かに、欧米には自分のネットワークを仕事にもプライベートにも最大限に活かしている人間が多い。私は前の会社を退職する際に、"Keep staying in touch!"とメールに書いて、世話になった連中に送ったのだが、本当に退職後も"Stay in touch"してきてくれる連中が多く、良い意味で驚いている。外資系で働き続ける以上、欧米人の繋がりの背景を理解するのは意味あるだろう。

本書では「これでもか」というほどに人脈作りの重要性とさまざまなTipsが載せられている。載せられているTipsを全部実践することは鼻から考えていないし、そもそも日本人が日本でこんなことをやったら、怪しげな新興宗教かマルチ商法にでもひっかかったのではないかと疑われるのがオチだろう。少なくとも、無精者の私がやりだしたら、間違いなく疑われる。ただ、本書に書かれている人脈作りのTipsのいくつかは基本的なコミュニケーションの基礎ともいえるものも含まれており、いくつかを実践できるだけでも、人付き合いを良くすることはできるだろう。たとえば、筆者は会話の中で相手の名前を呼ぶ習慣をつけると良いと言う。相手の話をきちんと聞いていることを相手に伝えるメッセージになると言う。これなどは1例であるが、営業マンなど人とのコミュニケーションが肝の人は得るところは多いのではないだろうか。

しかし、私にとっては、やはりノウハウ本として読むよりも、このようなことを欧米人が意識しているということを知ることのほうが重要だった。まだ、昨年から読み中の別の本で、米国の格差社会を解説しているのだが、それとあわせて読むと、米国人の行動の背景などが良くわかる。これについては、その本が読み終わった際にでも、ここに書こう。

読みやすいし、Tipsのいくつかは日本にいる日本人でも役立つ。さらに、コミュニケーションスキルの自己啓発本としても読める。1,800円という価格に見合うかは疑問だが、読んで、時間を損したとは思わないだろう。

ところで、本書でもSix Degrees of separationと呼ばれる逸話が紹介されている。ネットワーキングの話では良く出てくるものである。

俗に、六人たどれば世界中のどんな人ともつながると言われる。それというのも、世の中には他の人よりはるかに広い人脈をもつ特別な人たちがいるからだ。

ここでは彼らのことを、「スーパーコネクター」と呼んでおこう。

これは昨年読んだ「グーグル・アマゾン化する社会」(森健著)の中でも、グーグルのSNSであるオーカットの説明のところで解説されている。オーカットで人と人との繋がりを表わす機能が6人までしか対応していない説明なのだが、次のように書かれている。

実は、オーカットが六人までしか表示しないことには、理由がある。それは、これまで社会学の分野で研究されてきた定説、「六次の隔たり」に根拠を置いているためだ。六次の隔たりとは、「どんな人でも六人を介せば、世界中の誰とでもつながる」という説だ。

これは、一九六七年、米ハーバード大(当時)の社会学者スタンレー・ミルグラム博士が、とある実験をもとに論文で明らかにした説だ。

その実験とは、カンザス州とネブラスカ州に住む無作為の住人三〇〇人に対して手紙を送り、彼らとはまったく面識のないマサチューセッツ州ボストンに住む、ある株式仲買人に手紙を転送してほしいと依頼するというものだった。

依頼された三〇〇人の人たちは、その株式仲買人の住所を知らない。そのため、その人に近いと思われる親しい人に対して、転送を繰り返してほしいと依頼した。すると、実験の結果、手紙は平均で六人の人を介することで、株式仲買人に届いたのである。

もっともらしい解説なのだが、残念ながら、この説は定説ではない。この実験で、平均6人の人を介することで届いたのは事実なのだが、実はかなりの割合の手紙はそもそも届かなかったらしい。本書では、きちんと「俗に」と書かれているし、本書の主旨とは関係ないが、気になったので指摘しておく。この件については、「六次の隔たり」の誤解に詳しい。

[2007年2月11日 更新] ミルグラムの実験についてはBBCの記事でミルグラム自身の発言がわかる。

2007年1月3日水曜日

新書365冊

宮崎哲弥氏の「新書365冊」を読んだ。

新書365冊
宮崎 哲弥
4022731060


本書は雑誌「諸君」での2つの連載を元にしたもの。その1つの「解体『新書』」は新書を毎月1冊紹介するという普通の書評だったようだが、その後を継いだ「『今月の新書』完全読破」の方はその月の20日までに発売された新書を完全読破するという常人では実現できない企画だったようだ。私は残念ながら、「諸君」で連載されていたものは目にしていないが、こうしてそれをまとめた新書を読むだけでも、宮崎氏の常人離れした読書量と分析力を垣間見ることはできる。

宮崎氏によって読破された新書は“Best”、“Better”、“Worst”、そして“More”と分類されている。これは「はじめに」によると、連載時に行った次の評価基準をそのまま継承しているという。
ベスト新書を一冊、ベター新書を五冊、ワースト新書を一冊選んでレビュー、加えて目にとまった新書を「要注目!さらに5冊」として、寸評とともに末尾に紹介した。
新書は手にとって読んでみて、はじめて自分の興味に合うものかどうかわかるが、Amazonなどのネット書店で購入することの多い私にとっては、カスマターレビューやブログなどでの評判が唯一の判断基準であった。また、リアル書店で手に取ったとしても、その中身については立ち読み程度ではわからない。その点、一個人とは言え、宮崎氏という現代の論客により、通読された後の評価が一覧できるのはありがたい。もちろん、盲目的にすべて信じるのではなく、あくまでも参考意見とすべきであろうが。

惜しむらくは、(当たり前のことであるが、)ごく最近の新書については触れられていないことと、編集の都合でカットされたと思う書評が散見されたことである。

早速、この中で紹介されていた新書を数冊読んでみたくなった。

ところで、宮崎氏は昨年くらいからテレビなどでの露出が多くなったようである。ワイドショーやバラエティ番組などでも拝見する。いったいどのようにして読書時間を確保しているのであろうか。そちらも気になる。

2007年1月2日火曜日

看板を背負わない生き方と看板を彩る生き方

前の会社を辞めるとき、会社の看板で商売をさせてもらっているというのを強く意識していた。自分の本来の実力以上に、看板により自分が過大評価されている。そんな違和感を常に持っていた。

正直、会社の中には勘違いおやじ(&おばさん、小僧、小娘)になってしまい、その看板を背負った自分を本物と思ってしまうやつもいたりした。自分はできるだけ、看板をはずしても通じるような実力をつけたいと思っていたし、看板がなくなっても付き合えるような人と知り合いたいと思っていた。

そんなこんなで、「XXXの及川さん」(XXXには会社名が入る)と呼ばれるのは実はあまりうれしくなかった。

昨年10月末に転職して、これで看板とは無縁の生き方ができるし、しなければいけないと思ったのもつかの間、実は看板が着け変わっていただけというオチに気がついた。考えてみたら、当たり前。前職とは専門の違う会社に転職したのだが、転職先も前職ほどではないが、それなりにネームバリューのある会社だ。新たな看板を背負うことになっただけに過ぎない。それに気がつかなかったのはなんと間抜けなことか。

結局、独立でもしない限り、大きな違いはないのだろう。

一方、看板の色やデザインは背負う自分たちも影響を与えられるものだ。すでに立派な看板になってしまい、手の届かない存在になってしまっているならばともかく、そうでないならば、看板に誇りを持って、自分の看板という意識を持てば良い。前職のときは、なぜか自分が支える看板という意識を持つよりも、看板の存在が必要以上に大きく感じられた。今の会社も社会的責任は大きいし、自分がどこまで影響力を与えられるかはわからない。だが、少なくとも、自分で看板の色やデザインを少しずつなら変えることはできそうだ、そのような期待は持てる。

看板に頼らない生き方を意識するとともに、看板を与えられたものと考えるだけでなく、自分も所有者の一部だと考えるようにするのが自然だ。今までは、必要以上に肩に力が入ってしまっていたのかもしれない。

というようなことを、新年早々にふと考えた。

ー*ー*ー*ー

これについては、1つの会社に縛られない方がいい--及川卓也氏が語る「看板を彩る生き方」 - CNET Japan で詳しく記事化して頂いた。

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2007年1月1日月曜日

新年に

新年なので、新年の抱負などを考えてみた。そのうちの1つがブログの整理。なので、このブログを開設する。

今まで、匿名ブログで書評やニュースの感想などを書いていたものがそれぞれ1つあったのだが、それを廃止し、ここで新たにスタートする。

今あるNothing ventured, Nothing gained.はそのままIT系のブログとして継続する予定だ。ここでは、それ以外について触れていく。