1960年後半から70年後半までの東京キッドブラザースの歴史と重ね合わせる形で、東氏の半生と『夢』が語られている。全共闘、べ平連、フラワーチルドレン、コミューン。当時の若者が夢見た世界が語られている。世代が違う私でも憧憬の念を抱かされずにいられない。だが、この本が発売された1977年でさえ、その「夢」はすでに「幻想」となっており、共有できたと思われた精神さえ失われてしまっていた。東氏は冒頭の「はじめに」で次のように語る。
あの夢も希望も、はかない青春の一ページに過ぎなかったのだろうか? ぼくは夢を貪りつくしたあとの苦い思いで、ひっそりと年老いていく自分を感じていた。「聖戦」から「生活」へ転向しようとしていたぼくに、ある演劇ジャーナリストが言った次の言葉が胸にしみた。柳氏の命四部作から読みとる限り、東氏は後半生でも「聖戦」から「生活」への転向はしなかったようだ。酒を浴びるように飲み、信頼できる人も1人また1人と彼の周りから去っていく、他人との対立を厭わずに、自分の信ずる夢を実現しようとしていたであろう彼の姿が想像できる。
「七〇年代のはじめに愛や平和を高らかに歌うことはたやすかった。だが、七〇年代の後半の今も、それを頑固に歌いつづけることはドン・キホーテのような勇気がいる」
本書の中に出てくる多くの著名人(寺山修司、下田逸郎、小椋佳、内田裕也、山口小夜子、吉田拓郎など)のエピソードも東京キッドブラザースの当時の勢いを感じさせる。それもただの人気劇団というだけでなく、あの小椋佳氏さえも、あとがきで「東君が率いる東京キッドブラザースという集団、人に言わせれば技術の伴わない汗だけのミュージカルゲリラと評するかも知れない。しかし、彼らは何よりもミュージカルを愛している。気違いと言ったほうが適当か。十年以上も気違いのままでいるのだから本物の気違いと信じる。」と「気違い」と言わしめてしまうほどの存在だったのだ。
東氏のこの著作だが、今読んで良かったと思う。これを10代で読んでいたら、感受性の強いほうだった私はどうなっていただろうと。と書いていた気づいた、その「どうかなっていた」かもしれない自分よりも今の自分のほうが幸せだと私は今、思っている。だが、本当にそうなのだろうか。
地球よとまれ、ぼくは話したいんだ
東 由多加
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