だが、私のプレゼンテーションは決してうまくない。
本当にプレゼンテーションの上手い人というのは、頭の回転が速く、語彙も豊富で、かつ人を引き付けるカリスマ性のようなものを持っている人だ。そう。私の尊敬するスティーブジョブスのように。また、タイプは全然違うがリチャードブランソンのように。
それでも、この6年くらい、比較的大きなカンファレンスでの私のプレゼンテーションは、そんなには悪くないかもしれない。名前を出すと、そのときにいらしていた方に失礼なので名前は特定しないが、いくつかは本当に失敗したのもあるので、打率にしたら、成功に分類できるプレゼンテーションは5割いくかいかないかくらいだろうか。それでも首位打者は確実だ。自分で自分を褒めてあげてもいいかもしれない。
6年とスパンを切ったのは、それ以前の私のプレゼンテーションは完全なマスターベーションだったからだ。自分の持っている知識を限られた時間の中でアウトプットすることだけを考えており、来ていただいた方の期待するもの、終わった後に何を持って帰っていただきたいかなどをまったく考えていなかった。今でもたまにそうなってしまうのだが、特に昔はかなり早口だったし、内容もできるだけ高度なものとしていたので、付いてこれる人だけに付いて来いと本当で思っていた。そして、ほとんどの人が付いてこれなかっただろう。
実はこの6年間で変わったのは、友人Aの影響が大きい。広い意味で同じ業界に属していたAはおそらくこの6年間、私が一般に公開されているカンファレンスで行ったプレゼンテーションにはすべて参加してくれた。
Aとは、お互い自社の秘密保持などに影響のない範囲で仕事の相談なども行っていたが、その一環として、私は自分のプレゼンテーションの構想などを事前に話し、意見をもらっていた。まるでどっかの受験生のように深夜のファミレスで、私がAの仕事の手伝えるところを手伝ったり、逆に私のプレゼンテーションのレビューをAに行ってもらったりしたこともあった。友人というよりも、ゴールを共にする同志のような存在だったかもしれない。
そんな風にAから意見をもらったプレゼンテーションの1つがまだインターネット上で見ることができる。もしかしたら、これはAから意見をもらった最初のプレゼンテーションだったかもしれない。
Computer Telephony World Expo/Tokyo 2002
ユビキタス時代の次世代ネットワーキングとテクノロジー IPv6とP2P(IE & WMPでのみ閲覧可能の模様)
2002年の段階で、IPv6を今すぐ採用しろと言っているなど、今改めて見ると、ちょっと寒いところはある。そこはご愛嬌で流して欲しい。このプレゼンテーションの話の流れなどは結構考えた。実は、これも最初はまったく違う形だったのだが、Aの意見により修正した結果、この形になったものだ。
プレゼンテーションの後、Aは私にいつもフィードバックをくれた。「斜め前の席の人は寝ていたけど、多分、彼だけだね。ほかは話に集中していたよ」とか「ハンドアウトを配らなかったからかもしれないけど、ほとんどみんな必死にメモを取っていたよ」とか「最後のほうの自社の宣伝めいたところでは、私の周りの人はおしゃべりをはじめちゃってたよ」などなど。プレゼンテーションがどんな結果になろうと、Aは良いところを見つけて、それを伝えてくれた。
いつしか私はプレゼンテーションのとき、会場にAの姿を探すのが習慣となっていた。Aはどこで聞いているだろうか。終わった後、Aはどう感じるだろうか、そんなことを考えながら、プレゼンテーションを行った。今考えると、これは私のプレゼンテーションをより聴衆の目的に沿ったものにするために役立ったのではないかと思う。Aが必ずしも、聴衆を代表する人間となっていたわけではないが、プレゼンテーションのとき聴衆の誰かをアイコンタクトの中心におくのは悪いことではない。また、Aを中心に、聴衆の状況を読み取ることができた。
Aは昨年それまで勤めていた会社を辞めて、新しい会社に転職した。業界が異なるので、もうAが私のプレゼンテーションを聞きに来ることはない。今でもいろいろと相談には乗ってもらっているが、あまり仕事の話になることはない。
私も昨年秋に今の会社に転職した。しばらくは外部でのカンファレンスで話すことは無かったが、今年の5月末に比較的大きめのカンファレンスでのゼネラルセッションを任された。このときは、一番前の席に座っていたLに向けてプレゼンテーションをした。Lと私の関係は現在の会社との秘密保持契約に抵触する可能性があるので、詳しくは書けないが、私が今の会社に入ってから、常に私を見守っていてくれた人だ。今回、Lの前でプレゼンテーションをするのは最初で最後になるかもしれない。カンファレンスに出ていた人はわかると思うが、私のセッションでは予想外の出来事が頻発した。あわてずにそれぞれを対処したが、一番前の席ではLが微笑みながら見守っていた。Lはにこやかにまるで成長する子供を送り出すかのように、見ていた。私もLを見た。ほぼ時間通りに終了し、クロージングの挨拶をしているときに、Lと目があった。思わず涙がこぼれそうになるくらいLへの感謝の気持ちが沸いてきた。このときのプレゼンテーションも比較的好評だったが、これはすべてLのおかげだ。
さて、次からは誰のためにプレゼンテーションを行おう。