2007年11月3日土曜日

今、誰に逢いたいですか

私の参加しているmixiのあるコミュニティに「今、誰に逢いたいですか」というトピックがあった。

今、一番逢いたい人は? 逢えたら、何と声をかけたいか?

付けられたコメントを読んでみると、現在もしくは過去に付き合っていたパートナーをあげる人が多い。ほかにはまだ見ぬパートナーだったり、生まれてくる子供だったり。みな、それぞれの思いを書いている。

私の場合は、父親だ。私の中で彼の存在はもはや神格化している。おそらく生きていたら、喧嘩もしただろうし、鬱陶しく思うこともあっただろう。だが、私の心の中の彼は、不器用な生き方さえ愛せてしまう、厳しくも優しい魅力的な父親のままだ。

父に関する最初の記憶は、二人で過ごした週末のことだ。私が幼稚園に入る前か入った直後くらいだと思うが、母も働いていた関係で、日曜日に父と二人きりになることも多かった。幼い子供との接し方をしらない父は、ほかに私との遊び方も思いつかなかったのか、いつも近くのおもちゃ屋でプラモデルを買って組み立てた。小さかった私は父の作るプラモデルの接着剤が乾く前に触ってしまい、壊してしまうこともたびたび。そのたびに父からひどく怒られていたのを覚えている。このころは父と二人きりでいることがあまり好きでなかった。父も私との接し方を模索していたのかもしれない。

小学校に入ってからは、父が野球や将棋などを教えてくれた。ただ、これも私から教えてくれと言ったわけではなく、彼から「これを覚えろ」という形で半ば強制されたもの。父に自分から遊ぼうと言ったことはなかったのではないだろうか。いや、たぶん、あるのだろうが、それが思い出せないくらい、厳しい父の姿しか思い出せない。今でも強烈に覚えているのは、学校から帰ってきて、部屋で風船をサッカーボールのようにして蹴って遊んでいたときのこと。珍しく早く帰ってきた父は何か機嫌悪かったのか、いきなりその風船を足で踏みつけて割ったのだ。その前に、母に「止めなさい」と注意されていたような気もするが、いきなり無言でこのような行為をされたことにひどくショックをうけた。

私は中学受験をすることになったが、受験する学校も父(と母)によって決められた。中学だけでなく、文系か理系かの高校での進路、大学の学部など、すべて父によって決められた。反抗しなかったわけではないが、結果的に父の判断は常に正しかった。今でも思う。もし私が文系に進んでいたら、もし私が理工学部に進んでいなかったら、と。

父とちゃんと話をするようになったのは、高校に入ったころだったと思う。

共産主義ではないが、少し左よりの考えに凝ったことがあったが、彼は「お前がどのような思想を持とうが自由だが、私はそのような生き方で幸せになれるとは思えない。友人でそのような方向に進んだ人間を見ているが、自分の息子が苦労するのは見たくない」と冷静に話してくれた。本気でそのような方向に進もうと思っていたわけでなく、ファッションのような感覚で、そのような思想にあこがれたふりをしていただけだった私は、真剣に話してくれる父の姿を見て、自分を少し恥ずかしく感じた。

また、アルコールが入ると父はやたら陽気になる。終電近い地元の電車で帰り一緒になったとき、私は少し前の駅に自転車を止めていたので先に降りることになったのだが、父は私に向かって「お互いがんばろうなぁ!」と私が恥ずかしくなるくらいの大きな声で見送ってくれた。このころから厳しいだけだった父の人間としての魅力もわかるようになった。

その父が私が大学3年のときに亡くなったときには、急に世の中に放り投げられたように思った。バブル期の就職活動だったので、贅沢を言わなければ就職できないということはない時代だった。しばらく前の就職氷河期の連中に比べればぜんぜん楽なはずなのだが、私は自分の進路に迷い、悩んだ。食事も喉を通らなくなり、最後は判断力がなくなり、最初に内定が出たところに就職しようと決めて、そのとおりにした。運よく、自分の能力が活かせる会社に就職することができ、今の自分があるのだが、その後も、「もし父がいたら」と思うことが何度もあった。

実は、私は父とは酒を酌み交わしていない。厳しかった父は、私が成人になるまでは酒を飲まないと決めていて、私が高校くらいから酒を飲んでいることはうすうす気づいていたにも関わらず、「20歳になったら酒を飲もう」と言っていた。残念ながら、私が20歳になってしばらくして、父は病床に倒れてしまって、約束は果たせないままでいる。父は仕事を愛していたのだが、責任感が強すぎたのか、他人の分まで仕事をしてしまったのか、若くしてこの世を去ってしまった。父のそのような部分は真似すまいと思っているのだが、最近の私はちょっと無理しすぎかもしれない。私も自分の子供たちに「20歳になったら、一緒に酒を飲もう」と話している。せめてこの約束だけは守れるように、もう少し体を大事にしないとと改めて思う。

数日前にふと気づいたのだが、今年で彼と一緒に生きた年数と彼がいなくなってからの年数が一緒になった。これからは彼がいなくなってからの時間の方が多くなっていく。何か複雑な気分だ。