出張に出ていると、移動時間や待ち時間などをつぶすために大量に書籍が必要になる。今回も中期(10日間くらい)の出張なので、15冊くらい持ってきた。本当はこういうときこそ、ちょっとボリュームのある本を読めると良いのだけれど、可搬性ということも考えると、勢い新書や文庫が多くなる。昔だったら、ボリュームのある本(ハードカバーとか)を解体して、薄いパーツ(分冊のような形)にし、持ち運んだものなんだけど、最近は貧乏くさくなって、それもしなくなった。ここ最近(でもないか?)の読書で、新書や文庫が続いているのはそのような理由だ。
今回紹介する「日本の10大新宗教」はニューヨークからサンフランシスコに移動中に読んだもの。
このブログでも何回か書いているが、私は宗教について聞いたり、読んだりするのが好きだ。でも、勧誘はお断り ;-)
私は、人が生きていく拠り所を探すのは当然であり、また、その拠り所になりうる宗教というのは何かその理由があるのではないかと常々思っている。また、信者をひきつけるその術についても強い興味がある。最近の社会的に糾弾されたいくつかの新宗教を見ても、通常の感覚では極めて胡散臭いにも関わらず、何故人々はそれに魅了され、生活を犠牲にしてまで献身的に活動を共にするのか。
このように考える自分というのは、「無宗教」という中立であり安全であり、いわば高見の見物的な形で宗教に接してきているのだが、本書によると日本人が無宗教であるというのは正しくない。
日本人が自分たちのことを「無宗教」と考えるのも、生まれたときから日本の既成宗教の信者になってしまうからである。日本の場合には、既成宗教が、神道と仏教という二つの宗教が組み合わさった特殊な形態をとっているために、自分たちを神道の信者と決めることもできないし、仏教の信者と決めることもできない。そこから、特定の宗教に属していないという意識が生み出される。けれども、現実には神道と仏教にかかわり、その儀礼に参加しているわけで、その点では、ユダヤ教徒やキリスト教徒、さらにはイスラム教徒の場合と変わらない。この指摘は正直新鮮だ。日本人以外に日本の宗教のことを話すときにも(ややこしくなるので、あまり話さないようにしているのだが)、日本には宗教が無いというように説明していたが、確かに儀礼には参加しているわけだし、あちらこちらにあれだけ神社やら寺院やらがあって、それで無宗教というのはおかしい気もする。すべてが歴史的な建造物なわけでもない。
明治に入って近代化されるまで、日本には「宗教」という概念がなかった。宗教ということばはあったものの、それは宗派の教えという意味で、現在の宗教とは意味が違った。宗教という概念がなければ、神道と仏教を異なる二つの宗教としてとらえる見方そのものが存在し得ない。重要なことは、宗教という概念がない状態では、無宗教という考え方もなく、自分は無宗教だという自覚も生まれなかった点である。なるほど。近代化において、新しい概念が日本に導入された例というのはほかにも多くあるが、宗教においても、初めて自分の宗教は何かと問いかけられ、その結果、それまでの宗派としての宗教とは別の概念によって定義しなおした場合に、「無宗教」という宗教が生まれたことになるのか。これについて、島田氏は次のように書く。
明治に入って、宗教という概念が欧米から導入され、神道と仏教とが二つの宗教に分離されたにもかかわらず、日本人は、片方の宗教を選択できなかったため、自分たちを無宗教と考えるようになった。これは、近代に入って、日本人が無宗教になったといこととは違う。近世と近代で、つまりは明治維新を境にして、日本人の宗教生活が大きく変化したわけではないからである。この結果、「無宗教」という国民の大半が帰属する宗教とそれ以外の欧米の定義による宗教の間に溝ができることになる。「溝」というのは言いすぎかもしれないが、特定の宗教に属する人がマイノリティとして見られるという社会構造の背景はここにある。
さて、本書では、カルトといわれる新宗教以外の新宗教を10ほど取り上げ、それぞれの成り立ちと現状を解説する。基本的に特定の宗教に肩入れすることもなく、批判や賛美もなく、あたかも資料集のように解説される。これは過去に島田氏がサリン事件の前にオウムに肩入れするような発言を行ったことで、サリン事件発生後、社会的な非難を一身に浴びたことと無縁ではないだろう。個人的には当時、島田氏がオウムを擁護するような発言をしてしまっていた背景は理解できなくもないし、また彼のインナーサークルに踏み込んだ上での研究の仕方というのは好きだったので、保守的な論調が増えてしまった最近の活動は少し物足りなかったりする。島田氏をいまだに非難する人たちから言わせると、彼が社会に復帰してきたことさえ許せないというのかもしれないが。
ちなみに、彼の著作は結構読んだが、一番好きなのは「フィールドとしての宗教体験」だ。ヤマギシ会に属していた経験などを語る本書から彼の宗教学者としての原点を垣間見ることができ、私は宗教にこそ属すことはなかった(「無宗教」という宗教以外には)が、すべてのことを「フィールドワーク」として考えることは彼の考えに影響されたものだ。実際、多くの組織-会社や学校というものも含めて-は宗教的であったり、コミューンであったりする。組織に帰属する立場として、すべてをフィールドワークと考えることでどんなに救われたことか。また、学んだことか。
ちょっと脱線したが、本書では以下の10の新宗教が取り上げられている。
正直、名前しか聞いたことのなかったものや名前さえ知らなかったものもある。このブログに書くのに、漢字変換に苦労するものもあったりして、IMEで一発変換できるかどうかでその宗教のポプュラリティがわかったりするものだとへんなところで感心をしたりもした。知ってどうなるというものでもないかもしれないが、遠いようでいて近い存在だったりする自分たちのまわりの宗教についての理解を深めたかったら、この本は簡潔にまとめているし、なかなかお勧め。ただ、本書でも紹介されている「新宗教の世界(全5巻)」や「新宗教時代(全5巻)」というのがさらに詳しく解説されているようで、こちらも読んでみたくなった(このAmazonへのリンクで両方ともそのものずばりの書籍にすぐにたどり着かないんだけど、もうちょっと検索どうにかならんものか)。