2008年2月5日火曜日

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
ジョン・ウッド 矢羽野 薫
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Amazonで偶然見つけて購入した本。別に「マイクロソフト」というキーワードが目に留まったわけではないが、読んでみて、改めて自分の勤めていたマイクロソフトという会社がすばらしい会社だったことを誇りに思う。筆者はオーストラリアのマーケティング担当ディレクターから中国に異動したマイクロソフトの国際部門の幹部の1人だったようだ。1991年入社で1999年に退職しているみたいなので、私とは少ししかかぶっていない。

筆者はネパールを訪れ、そこの小学校の図書館にほとんど本が無いことにショックを覚え、途上国の子に本やさらには学習の機会を与える支援プログラムを立ち上げることを決断する。マイクロソフトという刺激的で(彼にとっては)身分も保証された地位を捨てて。

彼の団体はRoom to Read。いわゆるNPOを運営する社会起業家なのだが、マイクロソフトで学んだ起業家/事業家としての経験が多く活かされている。多くの慈善団体が寄付されたお金がどのように活かされたかを示せないのとは対照的に、その結果を寄付者に提示する。寄付者からすると、自分の資金がどのように活かされたかわかることになり、いわゆるROIがクリアになる。また、組織運営資金を最小限に抑えることにより、結果(Return)を最大化している。このためには、運営団体の職員が多少生活を犠牲にしなければいけないようだが(これは事業の継続性ということを考えた場合はどうなんだろう)。

メールのシグネチャに入れる内容にも、常に現在の事業結果を示すなど、数字にとことんこだわる一方、ネパール以外の国へ進出する際の決断などは、スピードが命と言わんがばかりに、ある種乱暴な、極めて俗人的な判断でことを進める。これもスピードの速い業界から転進した経験を活かしてのものだと思うが、一方、世界の子供たちが待っていてくれないという使命感の成せる業でもあると思う。また、楽観主義が彼の成功を支えている。起業家には慎重かつ大胆な戦略が必要であり、最後はすべて楽観的に捉えることが必要だということをこの本は示す。

マイクロソフトで学んだことで彼が今の組織(Room to Read)で活かしたいと考えている組織文化は次の4つだ。
  1. 結果重視
  2. 垣根を越えた議論-「個人を攻撃してはいけないが、アイデアは攻撃していい」
  3. 具体的な数字に基づくこと
  4. 双方向の忠誠心-上司から部下への忠誠の重視
3の具体例として、職員として志願してきた女性がRoom to Readのウェブサイトさえ見ておらず、具体的な数字をまったく理解していなかったことを例に出す。そのような人に本当に情熱があるだろうか。結果として、彼女は採用されなかった。このマイクロソフトから学んだことについては、第15章「NPOとしてのマイクロソフトを目指す」に書かれている。こんなことを言ってはいけないのかもしれないが、この部分だけ立ち読みするだけでも得られるものは多いだろう。

マイクロソフトから彼が学んだことの多くはマイクロソフトのCEOのスティーブバルマーと一緒に働いたことから得たものだという。スティーブバルマーは最近でこそ日本でもメディアの露出が増えてきていると思うが、ギークの人たちにとっては、YouTubeでモンキーダンスをしているどっかの新宗教の教祖かと思うようなちょっとクレイジーな人間にしか見えないかもしれない。だが、私がマイクロソフトを辞めて残念に思うことの1つは、彼の話を聞けなくなったことだ。プロジェクトがうまくいかなかったり、プライベートで落ち込んでいたりするとき、社内で公開されている彼のプレゼンテーションやスピーチを聞くことで、直接そのとき悩んでいることに関係なくとも、元気を分けてもらえた。それほどカリスマ性のある人間だった。一方、本書でも語られているように、ビジネスには厳しく、バルマーのレビューがあるというだけで皆びびったものだった。

本書は社会起業家という生き方を紹介するとともに、ビジネス書としても、学ぶところが多い良書だ。帯に書かれている言葉だけでも考えさせられるところがある。
  • 僕が考えたいのは「できない理由」じゃなくて「どうすればできるか」ってこと。
  • もっと大きく考えろ-世界を変えたいと思うなら
知人に転機を迎えている人がいるのだが、その人が社会起業家になるかどうかは別としても、本書を読むことを勧めてみようかと思っている。

最後にちょっと脱線。最初のほうの章(筆者がマイクロソフトを辞めるまでの話)にマイクロソフト社内のエピソード(多くは現在マイクロソフトにまだ務めている人にとっては耳の痛い話だろう)が書かれているが、結構当時の内情を伝えているものが多い。ここまで書いて大丈夫なのか。あと、中に出てくる登場人物の中に、これは誰のことか想像できるところがあって、なんか他人よりちょっと得した気分。