2008年1月15日火曜日

吐いて 吐いて 吐いて 吸う

呼吸をしなければ人間は死んでしまう。呼吸とは、息を吸うことと吐くこと。吸うのと吐くのと、どちらが先かはニワタマ問題かもしれないが、結論から言うと、吐くことのほうが先だ。

糸井重里氏の「小さいことばを歌う場所」の中には次のように書かれている。
自分という器をいくら逆さにして振っても、
出てくるのは綿ぼこりくらいのものさ。

吸ったり吐いたりのしくみが
動いていないことのほうが、
中身がからっぽであることなんかより、
ずっとおそろしいことなんだよ。

<中略>

問題は、吐くこと。
吐けないと思ってから、さらに吐く。
吐いて、吐いて吐き出しつくすと、
しょうがなく吸うことになる。
ここで、吸えということだ。

表現をするんだ。
そしたら、いったん空になる。
空になったら死んじゃうから、
呼吸するだろう?
その分だけ吸ったら、もう十分だ。

「吐いてから吸う」。すべてのことはこの順番のように思う。自分から何かを出すことから始めて、後からその分補充すれば良いではないか。出すことにより、次に補充しようとしたときに、いろいろなオプションが生まれることになる。

田口ランディ氏の「できればムカつかずに生きたい」にも似たような話がある。
呼吸は、その字の通り「吐く」そして「吸う」である。いかに吐くかが問題であって、吸うのはまあ、どうでもいいと言えばどうでもいい。オギャーと生まれたときも人間はまず息を吐くのだ。というよりも吐かないと吸えない。あまりにも単純なので忘れてしまいがちなんだけど、呼吸というのは生命活動の基本だ。
実は私は高校のころプレッシャーに弱く(と書くと、当時の同級生には俄かには信じてもらえないのかもしれないが)、しょっちゅう精神的に追い詰められていた。あるとき、自分で呼吸が出来なくなるような錯覚に襲われ、「吸って、そして吐いて」と自分に指示を出したことがある。近くにいた姉に「息が止まっていたら教えて」と頼んだことも。すべては意識しすぎだっただけなのだが。

転職などを繰り返し、小さい会社に行くと、前の会社までで学んだことでしばらく食っていく状態になる。転職先の上司/先輩/同僚、さらにはお客様やパートナーの方々から得るものがあっても、それに気づくのには少し時間がかかる。転職した後に、「この会社からは得られるものが少ない」と嘆くことも多い(私が以前の会社のときに、そうだった)。だが、使うだけ使ったら、きっとそこから得られるものも多いのだろう。

また、こういったブログなどでの発言も、吐いていることにほかならない。これは別途機会を設けて詳しく書きたいと思うが、ブログを用いた出力があるからこそ入力としての読書や映画や美術館への参加が必要となる。もちそん、それで足りなければ自分なりに調べる。インターネット上の呼吸がブログなどによる個人の情報発信なのかもしれない。

まずは吐いて、さらに吐いて。まだ吐いて。
もう限界。さぁ、では吸おう。