2008年11月30日日曜日

椎名林檎 (生) 林檎博 '08

金曜日に椎名林檎の10周年記念ライブ、「椎名林檎(生)林檎博 '08」に行ってきた。場所はさいたまスーパーアリーナ。思ったよりも遠くない。

一言で言うと、極めて上質な歌謡ショーという感じだ。ロックやポップスのライブというよりも、完成度の高い演劇を見たような感じがする。

会場に入ったとたんにオーケストラ(斉藤ネコ指揮)が目に入ったので、DVDでも発売されている「第一回林檎班大会」が思い浮かび、実はもっとワイルドなバンドっぽい演奏を期待していた私は、そのとき少し醒めてしまった。しかし、曲を聴いていくにつれ、どんどん引き込まれていき、終わってみたら、あまり好きでなかった「平成風俗」の大ファンになっている自分がいた。

途中のしかけも10周年にふさわしい。息子さんの愛らしさに、林檎さんの違った面を発見したし、兄・純平氏とのデュエットは大変盛り上がった。

アンコール前のラスト、カリソメ乙女はJamie Cullumのライブの感想をポストした際に、コメントで教えてもらったDEATH JAZZ ver.の方。メリハリの利いた展開で、林檎さんの演奏もワイルドながら女性らしいかわいらしさも見える。最後ひく際に後ろに倒れこむところまでのスピード感に溢れた演出もすばらしい。「冗談よ。サヨウナラ」。

個人的には昨年の東京事変のライブが、ライブの躍動感が感じられるので好きだった。今回のライブを見終わった後も友人とそのように話した。しかし、終わってから2日経った今になってみると、今回のも、また違った趣で、これも捨てがたいと思える。ライブで演奏された曲をずっとiPodで聴いているし、昨日などは別件で埼玉に行っており、思わず、さいたま新都心まで出そうになっていたりした。

以下、セットリスト。

1.ハツコイ娼女
2.シドと白昼夢
3.ここでキスして
4.本能
5.ギャンブル

椎名林檎デビュー10年の軌跡スライドショー(ナレーションあり)「林檎の筋」(オーケストラによる 葬列 の演奏付)

6.ギブス
7.闇に降る雨
8.すべりだい
9.浴室
10.錯乱
11.罪と罰
12.歌舞伎町の女王
13.ブラックアウト
14.茎
15.積木遊び

椎名林檎の生い立ちスライドショー(息子さんのナレーションあり)「林檎の芯」(オーケストラによる やっつけ仕事 の演奏付)

16.この世の限り(椎名純平とデュエット)
17.玉葱のハッピーソング(椎名純平とデュエット)* ライブでは「オニオンソング」と紹介されていたマービンゲイのカバー
18.夢のあと
19.御祭騒ぎ
20.カリソメ乙女(DEATH JAZZ Ver.)

アンコール1
1.正しい街
2.幸福論 悦楽編

アンコール2
1.みかんの皮
2.余興(新曲)* タイトルは未確認

エンドロール 丸の内サディスティック



平成風俗
平成風俗カリソメオーケストラ ナダタルオーケストラ マタタビオーケストラ


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2008年11月27日木曜日

マルチ

マルチという言葉は魔法の言葉だ。

私だけかもしれないが、「マルチ」と聞くと、「マルチ商法」に代表されるように、なにか胡散臭いものを感じてしまう。

だけど、最近、私の尊敬する杉作J太郎がマルチタレントと紹介されているのを見て、これもステキだなとか思い始めた。

漫画家・俳優・タレント・ミュージシャン・ライター・映画監督。どれがメインかわからない。彼がそうだとは言わないが、「自称」と言われかねないものでも、言ってしまったものが勝ちとも言える。

私も今度、職業欄というものに記入する機会があったら、「詩人・コラムニスト・ミュージシャン・アスリート・登山家・会社員」と書いてみよう。えっ? いつから職業欄は希望妄想を書くようになったのかって? まぁ、いいじゃないの。

参考: 死をポケットに入れて

2008年11月25日火曜日

思考の整理学

何故、こんな古い本(1986年)が重刷されて、書店で平積みにと思ったのだが、ぺらぺらめくってみて、興味を惹かれたので買って読んでみた。これがリアル書店の良いところ。

まず、最初にグライダー人間と飛行機人間(もしくはグライダー能力と飛行機能力)という言葉が出てくる。この言葉が本書のテーマとなっている。
 ところで、学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。

<中略>

 学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちにチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する。 

<中略>

 人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の仲に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。

<中略>

 この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心掛ければよいかを考えたい。
 グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。
1986年(実際には文庫化の前に1983年に別タイトルとして発行されているので、1983年だ)の段階でコンピューターを計算機としてではなく、人間の知識処理を手助けする機械として認識していた先見性に驚く。今でも、いや、今こそ、この考え-すなわち、「グライダー兼飛行機のような人間となる」は重要だ。

本書で述べられている具体的な手法はパーソナルコンピュータやインターネットが発達、普及した今ではやや古臭く感じるところもあるが、考え方そのものは今でも新鮮だ。

寝ること(これは自分)や寝させる(これはアイデア)こと、「知のエディターシップ」としての編集能力、アナロジー、セレンディピティなどの重要性が語られる。これらは時代を超えて通用する思考の整理法だろう。

また、忘却やすてることの重要性も著者は説く。
 本はたくさん読んで、ものは知っているが、ただ、それだけ、という人間ができるのは、自分の責任において、本当におもしろいものと、一時の興味との区分けをする労を惜しむからである。
 たえず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、臨時的なものをすてて行く。やがて、不易の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。
耳が痛いくらいの言葉だ。良く言われているものの、買っただけ、読んだだけ、ブックマークしただけで、満足してしまうことがある。これらは、知識として、そして知恵に醸成したものとは大きな違いがある。

あと、とにかく書いてみることやしゃべるなども勧められている。ここで言う「書く」はコンピューターが発達した今でも、紙にペンや鉛筆で書くことだと思う。自分がこんな仕事をしていながら言うのはいけないのかもしれないが、やはり肉筆で書くことにより生まれる何かはある。しゃべる際には、垣根を越えることを著者は勧める。インブリーディング(inbreeding)という言葉は生物学において同族での交配のことだ。種の健全な発展のためにはインブリーディングが好ましくないことはDNAレベルで刷り込まれているが、人間の知識/知恵の獲得のための交流もやはり同族だけではなく垣根を越えたインターディシプリンであることが望まれる。

このようにいくつも得られることがある本書だが、コンピューターやインターネットの利用によってもっと工夫できると思われる手法もある。典型的なのが整理術としての、スクラップやノート(カードノート、メタノート)の活用の部分だ。多くの情報がインターネット上に置かれる今、それらの整理にもコンピューターとインターネットを使うほうが望ましい。先ほどの、書く場合には、肉筆と紙のノートが良いというところをどう結びつけるかが課題だが。また、アイデアや得た知識を発信することや垣根を越えての違う分野からのフィードバックを得ることも今ならばインターネットを使ったほうが広がるだろう。

あと、本書で1つだけ賛成できないのは、「朝食を抜くこと」が勧められているところだ。朝型で作業することを説明しているところで出てきたのだが、朝食を抜かしたら脳が機能しないだろう。

ところで、価値が確定するまでに時間がかかる例として、島田清次郎の「地上」が出てきた。本書の中ではあくまでも例として少し書かれているだけだが、久しぶりにこの名前を聞いた。検索しても、1万件もいかない検索結果しかないようだ。やはり忘れられてしまっているのだろうか。本書とは関係ないが、少し残念だ。

思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)
外山 滋比古

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ちょっとした勉強のコツ
「読み」の整理学 (ちくま文庫 と 1-3)
ことわざの論理 (ちくま学芸文庫)
知的創造のヒント (ちくま学芸文庫 ト 10-2)
本を読む本 (講談社学術文庫)
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2008年11月24日月曜日

YouTube LIVE TOKYO feat.iQ

YouTube LIVE TOKYO feat.iQに行ってきた。出ていただいたアーティスト&パフォーマーの方々、ありがとうございましたということで、イベントやアーティストごとの細かい批評は避けて、簡単に感想を書く。

まず、パフォーマンスステージ(サブステージ)で行われていたOKAPIさんのギター演奏。これはすごい。事前にパフォーマンスステージで行われるパフォーマンスや演奏はすべてYouTube上のビデオを見て、予習して行ったのだが、そのときから注目していたのが、OKAPIさんの演奏。間近で見ると、そのすごさにさらに圧倒される。穏やかな風貌とはアンマッチなパーカッシブなギター。自作の曲も良い。演奏された後、ステージを降りて、ほかの方の演奏を聴かれていたのだが、そのときにも正座して座っていたりして、なんかその謙虚な姿勢にも感動した。



下が元の投稿。



同じくパフォーマンスステージのFATBLUEMAN。なんか楽しそうだ。やっぱり楽しまないと。とうことで、楽しめた。



最後はYouTube上で人気のギターリストの演奏が続いた。セーラー服での演奏で有名になったkhaluahさんはginjinekoさんと一緒の登場。1曲目にはkhaluahさんはステージに出てこなかったので、音だけで登場するのかと誤解しそうになったりした (^^;;;。



トリはCANON ROCKの元祖、JerryCらによるCANON ROCK。JerryCはもっと小柄かと思っていたが、意外にもがっちりした体つき。実物を見てみないと分からないねぇ。



あれ。。。パフォーマンスステージの方の紹介ばかりになってしまった (^^;;;

YouTube Live Tokyo 2008

2008年11月22日土曜日

英語オンチが国を亡ぼす

寺澤芳男氏は野村證券からMIGA(多数国間保証機関)から政治家に転身した人だ。野村證券時代にMBA留学しているし、ニューヨークでの勤務も長かったのだから、さぞかし英語が得意かと思ったのだが、そうでも無かったらしい。

話はまず、MIGAの長官になったところから始まる。公用語が英語になったのだが、いろんな人種が話す英語がわからないというエピソードや事前に配布された資料を完璧に読んで、それを基にした濃い議論が行われるのが当たり前という会議に面食らう話。外資系にいる私は思わずウンウンと頷いてしまう。ただ、残念なのは、結局、筆者は努力して、それぞれに対応したのではなく、日本流を貫いてしまった。貫けたのはあなたがトップだったからだろうと言いたい。

こんな調子で「日本流が世界でも通用する」とか「人間の情がやはりモノを言う」とかを最後まで聞かされるのは勘弁して欲しいと思っていたら、すぐに日本人の英語に関する本質論に入る。筆者だけでなく多くの人が指摘していることなので、特にこの本からということはないが、実際に野村證券という日本の一流企業で幹部にまで上り詰めた人が言うことなので説得力がある。英語がしゃべれると逆に出世できないという気が狂っているとしか思えない企業の論理(さすがに今はもうこんな会社は無いと信じたい)や首相の海外遊説に同伴する記者のジャーナリストとしては信じられない行動が紹介される。
 特派員が英語を十分しゃべれないくらいだから、サミットに同行する政治部記者は推して知るべし、である。首相も英語が話せないけれど、同行する記者もしゃべれない。英語のしゃべれない日本の政治家と政治部貴社が一緒にクルーを組んで、ひたすら閉鎖的な情報交換をやっている。
 彼らには、サミットで何が起き、何が変わるのか、本当の取材をする能力があるだろうか。海外にまで行って、首相にベターッとまとわりついて、日本の政局について首相が何を言っただの、首相のマフラーがどうだのと、一挙手一投足を取材して書き散らすほかないのだ。
 信じられないことだが、たった三日のサミット取材でしかないのに、記者たちと首相が首相官邸でビールを飲んで、結団式までやってしまう。そして記者たちは首相と同じ飛行機でサミットに乗り込むのだ。この光景を外国人記者が見たらきわめて奇異なものに映るに違いない。クリントンが日本に来る前に、ニューヨーク・タイムズなどの記者がホワイトハウスで結団式を開き、大統領とビールを飲み交わすなどあり得ないことだ。ジャーナリストとしての彼らのプライドが許さないからだ。
なにやら最近、英語教育論や日本語についての議論がネット上で活発なようだ。すでに多くの人に指摘されているようだが、国語としての日本語を大切にすることと英語でのグローバルなコミュニケーションを実現することは矛盾しない。矛盾しないどころか、おそらく英語を使えば使うほど、日本/日本語の文化の重要性が理解でき、日本語の発展にもつながるだろう。

英語オンチが国を亡ぼす (新潮OH!文庫)
英語オンチが国を亡ぼす (新潮OH!文庫)

帰って来た「サウンドストリート」

サウンドストリートが帰って来た。

サウンドストリートは1978年から開始されたNHK FMの音楽番組。人気アーティストがDJとして参加していたため、当時の音楽少年の必聴番組だった。

そのサウンドストリートがNHKのサイト上で復活した。「NHK青春ラジカセ」というタイトルで、オンエアを録音していたテープをデジタル化したものを配信開始。

残念ながら、著作権の関係で選曲部分は削除されているが、DJのトークはそのままだ。

今のところ、佐野元春と坂本龍一がDJを務めていたころの回が数本用意されている。私としては、渋谷陽一が待ち遠しいところ。というか、この企画は番組のファンが録音していたテープを送ってもらってなりたっているらしい。渋谷陽一の回ならば私のところにも何回分かは録音されているものが残っているから、まだちゃんと聞けるか確認して、送ってあげると良いのだろうか。
『サウンドストリート』放送当時、NHKにはFMの放送テープを保存する制度がなく、残念ながらほとんどのテープが残っていません。そこで今回、多くの方から番組を録音した貴重なテープを提供していただき、この企画が実現しました。ここに改めてお礼申し上げます。

2008年11月21日金曜日

忌野清志郎

ブッカー T ジョーンズ(Booker T. Jones)らには申し訳ないのだけれど、私にとっては彼が今日の主役だった。そう、忌野清志郎。

友人がチケットを取ってくれたブルーノート。出演は、BOOKER T. & THE MG's featuring BOOKER T. JONES, STEVE CROPPER and DONALD ‘DUCK’ DUNN。

Booker T. Jonesは、誰だっけ。誰かと一緒の演奏で聴いたことがある。ギターをやっていたから、Steve Cropperはもちろん知っている。ファンの人、ごめんなさい。でも、その程度だった。

ちょっと遅い夕食を食べながら優雅に時が流れていく。良い感じのR&B。アメリカンな感じ。おいしい食事とお酒と気の置けない友人との会話を楽しみながらのライブ。そのとき急に、「Kiyoshiro」という声。Booker Tだったか、Steve Cropperだったかによる紹介。「えっ。。。」と思っていると、本当に彼がステージにあがってきた。あの清志郎だ。

興奮のあまり、立ち上がって、テーブルのワインをこぼしてしまった。H君、ごめん。

そのまま、清志郎がボーカルで2曲。Soul ManとIn the Midnight Hour(だったよね?)。圧巻。Booker Tらによるバックもすごい。

2曲歌い終わると彼はステージから降りて行った。袖に座っていた観客の何名かは、握手を求めていたが、彼は気持ちよくそれに答えていた。私も握手、いや抱きつきたかったと後悔していたのだが、ライブ終了後にそのチャンスはやってきた。隣にいたH君が「あ、誰か上から降りて来る」と言って、「清志郎じゃないですか?」と彼を見つけてくれた。すぐに通路側の席に変わってもらい、立って、彼に握手を求める。「感動しました」と伝えると、力強く握り締めてくれた。天国に上ってしまいたいほどの幸福。

私の中学時代、RCサクセションが「雨上がりの夜空に」でブレイク。私は「トランジスタラジオ」が好きだった。「スローバラード」の悲しげな歌い方が良いとか、仲井戸麗市のギターとか生向委のバックもすごいだとか、そんな話を延々としちゃうくらい、私の中学時代のあこがれの存在。自分が演奏するジャンルとは異なるのだけど、常に私のアイドルだった。

清志郎、復活おめでとう。元気をありがとう!

<追記>
ソウル・サーチン ブログ /Soul Searchin' Blogから当日のメンバーと演奏曲
■ メンバー

ブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)Booker T. Jones(org)
スティーヴ・クロッパー(ギター) Steve Cropper(g)
ドナルド・‘ダック’・ダン(ベース) Donald ‘Duck’ Dunn(b)
スティーヴ・ポッツ(ドラムス) Steve Potts(ds)

■セットリスト ブッカーT&ザ・MGズ @ブルーノート東京
Setlist : Booker T & The MG's @ Blue Note Tokyo, November 20, 2008

show started 21:32
01. Mo Greens
02. Melting Pot
03. Booker Loo
04. Soul Dressing
05. Soul Limbo
06. Summertime
07. Hip Hug-Her
08. Green Onion
09. Hang 'Em High
10. In The Midnight Hour (with Imawano Kiyoshiro on vocal)
11. Soul Man (with Imawano Kiyoshiro on vocal)
12. Time Is Tight
Enc. Double Or Nothing
show ended 22:52

Booker T & The MG's: Kiyoshiro Is Good To Go (ソウル・サーチン ブログ /Soul Searchin' Blog) から引用




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2008年11月19日水曜日

Billy Joel Japan Tour 2008

ビリージョエル(Billy Joel)一夜限りのライブ。来日することもつい最近まで知らなかったのだけど、たまたま同僚から、チケット余っちゃったんだけど、どう? と聞かれ、譲ってもらったのが先週。一夜限りだと言うことを知ったのも当日だったりする。

と、こんなにいい加減な態度でライブに臨んじゃったのだが、ビリージョエルは本当に素晴らしかった。

まだ入場している人もいるなかで始まった演奏は、あのストレンジャー(Stranger)。それから怒涛のヒット曲メドレー。彼の熱狂的なファンでは無かった私でもほぼ全曲知っている。こんなアーティスト他にいるか?

衰えない声量、声域。ホスタピリティ溢れるアクト。ありえない。とても60歳近くだとは思えない。時たまステージでゆっくりピアノが回転して、演奏する彼をどちら側からでも見れるようにしてくれているのだが、演奏中に回転するにも関わらず、ピアノに載っているドリンクの位置を変え、観客から見やすくしてくれる気配りにも感心した。本当のエンターテイナーだと思う。

演奏した曲をちゃんと覚えていなかったのだが、ありがとうブログ検索。「ビリー・ジョエル東京公演のセットリスト11月18日(自然と音楽を愛する者)」に載せられていた(それと、ライブの雰囲気も書かれているステキなブログポスト)。
01 The Stranger
02 Prelude / Angry Young Man
03 My Life
04 The Entertainer
05 Just The Way You Are
06 Zanzibar
07 New York State Of Mind
08 Allentown
09 Honesty
10 Movin' Out (Anthony's Song)
11 Pressure
12 Don't Ask Me Why
13 Keeping The Faith
14 She's Always A Woman
15 River Of Dreams
16 Highway To Hell (AC/DC)
17 We Didn't Start The Fire
18 It's Still Rock And Roll To Me
19 You May Be Right

〜encore〜

20 Only The Good Die Young
21 Piano Man

ビリー・ジョエル東京公演のセットリスト11月18日(自然と音楽を愛する者)より
曲紹介も簡単だけど人間味があふれていた。AC/DCを演奏しちゃうとこなんかもお茶目だし。

本当にWonderful tonightだった。そういや、クラプトンも来日するみたい。




ビリー・ザ・ベスト
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2008年11月18日火曜日

精神の解放

中学のころシンナーをやっている友人がいた。シャブ中が校内を徘徊し、ドラッグの売買が日常となっているらしい今日ではシンナーはもはや過去の遺物かもしれないが、とにかく私の若いころはシンナーだった。

その友人は事あるごとに私にシンナーを勧めた。脳が破壊されるから嫌だという私に彼は「脳が破壊されるなんて嘘だ」と言う。

「いや、実際、保健室とかにある資料でも、脳が破壊される様子が書かれているじゃないか」というと、「あれが捏造されているとは思わないのか」と彼。なんのために捏造する必要があるのかと思ったが、彼は「国家が国民の精神をコントロールしようとしているからだ」と言う。つまり、シンナーや大麻、麻薬のようなもので、民が自ら精神を解放されては、国による国民の統制が不可能になる。それを国家は恐れているのだそうだ。

思わず説得されそうになったが、結局シンナーはこの年齢になるまで、まだ吸ったことが無い。もちろん、吸わなくて正解だった。

大麻論議がわきあがっている。だが、大麻はエントリードラッグとしてのリスク以外にはシンナーや覚せい剤、そのほかの麻薬よりもリスクが少ないと言われている。もともと、日本には麻を吸う習慣さえあった(林業従事者による「麻酔い」という行為)そうだ。それが戦後になり大麻が禁止されるようになる。

それはやはり私の同級生の言うとおり、「精神の解放」の権利を個人に保持されることを国が嫌ったためだ。これが真実だ。さぁ、皆立ち上がろう。精神の解放権を我が手に取り戻そうではないか。

マリファナ・ナウ―意識を変える草についての意識を変える

という、冗談はさておき、一時、高校生のころに「マリファナ・ナウ―意識を変える草についての意識を変える」とか「マリファナ・ハイ―意識を変えるモノについての意識を変える」を読みふけっていた自分としては、その頃と同じような議論がされていることに不思議な感慨を抱く。

でも、こんなもんを読んでいて親は心配じゃなかったんだろうか (^^;;;

2008年11月16日日曜日

壊れかけていた私から壊れそうなあなたへ

高校3年で希望の学部/学科を決めるときに、教育心理学に進もうかと思ったことが一瞬あった。友人に「お前はカウンセリングなんかでも、平気で死ねばとか言っちゃいそうだからダメ」と言われ、それもそうだとあっさり諦めた。

平気で死ねばと言ってしまいそうなのは今も変わらない。それでも、ここ数年でだいぶ自分を抑えることを覚えたつもりだ(この年齢になって、やっとそれを意識するようになったというのも情けないのだが)。また逆に、大したことにない一言にも傷つくようになった。進歩なのか退化なのかわからないが、傷つけられることで言葉が持つ怖さを知ったのも事実だ。

壊れかけていた私から壊れそうなあなたへ」の著者の豊田正義氏は私とほぼ同年代。
 私は相当なペシミストである。自分自身のことでも、家族のことでも、他人のことでも、世の中のことでも、いったん悲観的な考えにはまったら止まらなくなり、そこ知れぬ絶望感に襲われるときがある。それをこじらせると、鬱状態に突入する何も信じられなくなる。特に自分自身を含めて、人間が信じられなくなる。いいかげんこういう状態から解放されて楽になりたいし、なにより希望を持ちたいが、焦らば焦るほどに深みにはまるのが常だ。「まったく救いようがないなと」と我ながら思う。
 そういうなかで私は、自分自身が勇気づけられる言葉を探し続けてきた。絶望を突き詰めた末に希望を見いだした人の言葉。徹底的に否定的なものを味わった末に肯定的なものを獲得した人の言葉。偉大な作家や宗教家などの作品には、そういう珠玉の言葉がちりばめられている。愛読書はいくつもある。しかし、凡庸な私には、偉大な作家や宗教家の行き方が遥か彼方のことに思える。もっと親しみを感じられる存在でいないだろうか。気軽に会いに行って、じっくり話を聞いてみたい。私は自分自身の救いとして、そういう人の生の声を渇望していたのだ。
本書における著者の立ち位置がただのライター/ジャーナリストのそれではなく、もっと自らの問題として向き合っているように感じたのだが、この「おわりに」に書かれていた豊田氏の言葉を読み、そのわけがわかった。

氏はバブルの真っ只中に学生時代を過ごした。私も同じだ。偶然にも大学も一緒だったので、彼が書く、当時の大学の一種異様な状態は良くわかる。
 世の中には、虚飾に満ちた偽りの「希望」を軽々しくふりまく人がいる。深みのない、重みのない、輝きのない「希望」の言葉が蔓延している。
 私の学生時代、バブル経済を迎えた頃には、そういう輩がうじゃうじゃと生息していた。社会全体が虚飾の時代だったので当たり前といえば当たり前なのだが、いま省みれば、あまりにも多くの人が「希望」の言葉に踊らされ過ぎていたと寒気がする。
 あの頃は、学生の間にも、明るく楽しく生きていなければいけないかのような雰囲気があった。私の中にもそういう強迫観念があり、まわりから「ネアカ」と認められることに必死だった。いったん「ネクラ」と決めつけられば、露骨に嫌われた。
そう、当時はそんな時代だった。テニスにサーフィンにスキー。それらをしないと大学生ではないかのように思われていた。マニュアルどおりの行動をすることで初めて仲間として認められる。似たようなサークルばかりが大学にはあふれていた。

筆者はそんな中で早稲田大学文学部という一種独特な世界に入ることで救われるのだが、私の場合はロックだった。私が大学を卒業してちょっと後に、バンドブームがやってきたので、おそらくそのころはまた違った雰囲気になっただろうが、私のときには、ロックをやっているのはまだ変わり者だった。テニスにサーフィンにスキーを出来なくても、ギターを抱えていることが免罪符となった。
 しかし、あの虚飾の時代に、「ネクラ」と呼ばれがちな生活を送るのは、かなり抑圧感を強いられたのも事実である。全体からすれば早稲田の文学部は特殊地帯で、一歩外に出れば、「ネクラ」の居場所はほとんどないのである。私の知り合いはみんな共通して、「ネアカ」の世界を嫌悪しながらも強烈なコンプレックスを持っていた。煮詰まった末に行方不明になった人もけっこういた。いろいろな噂が流れた。海外へ放浪の旅に出かけたとか、カルト宗教にはまったとか…。
 特に早稲田はカルト宗教の温床で、当時はオウム真理教や統一教会などがたくさんのダミーサークルをつくり、悩める「ネクラ」の学生たちを次々に勧誘し、洗脳していた。私の知り合いの幾人かは、その網に引っかかってしまったのだろう。あまりにも突然、音沙汰がなくなった。
そう。学生運動もまだ盛んだったが、私のころはカルト宗教が大学にはびこっていた。大学入学が決まり、学内を見学しているところに、親しげに近寄ってきた先輩学生に女性アイドルが出る新歓コンサートチケットを渡されたのだが、そこにCARPと書かれていたりした(後からその意味を知った)。ビデオセンターに連れて行かれたことのある同期もいた。

カルトにはまった人たちと自分との間に大きな違いがあるとは思えない。著者は、後にオウム真理教の事件があったときに、テレビに映る信者の中に大学の仲間を探したというが、私も同じだ。実際、私の同期には、オウムの幹部と1ホップくらいで到達するものが多くいた(ということは私からも2ホップ程度だ)。

そのような時代で、時代との違和感を感じ、カルト宗教にも入れなかった/入らなかった人間が、その後も同質性を要求する社会の中で生きていこうとすると、当然壊れることはありうる。本書はそのような壊れてしまった人が駆け込むことのできる回復者カウンセラーの話だ。

カウンセラーは数多くいれど、怪しげな人、理論だけを振りかざす人、宗教に勧誘する人、いろいろいる。救いを求めている人に説教する人さえいる。そのような中、本当に心を割って話せるのは、別にその道の専門家でなくとも、自身がその痛みを知っている人だ。

痛みを知った上で、その痛みを自分の問題として治癒するまで付き添える人。そのような人こそがカウンセラーの資格のある人ではないかと思う。
ほうたいを巻いてやれないなら、他人の傷に触れてはならない

「続 氷点」(三浦綾子著)より

壊れかけていた私から壊れそうなあなたへ
壊れかけていた私から壊れそうなあなたへ

ブログ論壇の誕生

ブログ論壇の誕生 (文春新書 (657))
■内容紹介■
旧弊な物言いは容赦なく「炎上」させ、アルファブロガーが先鋭的議論をリード。リアル社会を衝き動かす、新しいネット言論空間

社会で何が問題になっていて、どこが争点なのかを知りたいとき、何を見ますか? 新聞、テレビ? しかし、その紋切り型で、一方通行の論調に期待していない方も多いはず。けれどもネットに目を転じれば、「専門家ブロガー」をはじめとして、真摯で先鋭的、活発な議論が展開されています。

格差社会、秋葉原連続殺傷事件、青少年ネット規制法、チベット問題への対応……参加自由でタブーの存在しないネット論壇は、いまや世論をリードし始めました。ITジャーナリズムの第1人者が、その大きなうねりをレポートします。

文芸春秋ホームページより)
「ブログが既存のジャーナリズムを変える」という意見がある。

この言葉は2つ意味がある。1つはジャーナリストがニュースソースとしてブログを含むインターネット上の情報も利用することが増えているという意味。もう1つがブロガー自身がジャーナリストに成り代わり世論を形成するという意味だ。前者には安易にインターネット上の情報を使うことによる弊害も見える。事実関係を確認することの無い誤報やネット文化そのものに対する誤解。ネットリテラシの問題と言っても良いだろう。このような問題がまだまだ散見される中でも、ネットの特性を理解し、良い形で広くニュースを拾えるようになってきている状況もある。今までは記者クラブなど狭いニュースソースだけを元に記事が作成されていたのが、少しずつではあるが変わりつつある。後者はいわゆるパブリックジャーナリズムというような形のものから、そこまで肩肘張らずとも、一市民の書いたものが自然と世論を形成するというようなものまで幅広くある。

この2つの事象には相関関係が存在する。ブログ自身の持つコメントやトラックバックという機能により、ニュースソースとなること自身が良くも悪くもフィードバックループを作ることになる。

佐々木俊尚氏は「ブログ論壇の誕生」でネットに定着しつつあるブログの状況と可能性を説く。ここしばらくのさまざまなネット上の事件を取り上げ、それぞれの課題と今後への見通しが解説されている。インターネットにどっぷりと浸かっている人には知っている内容が多いかもしれないが、それでもこのように網羅的にカバーされると役に立つ。それは以下の目次を見るだけでもわかるだろう。
はじめに ブログ論壇とは何か

1 ブログ論壇はマスコミを揺さぶる
 第1章 毎日新聞低俗記事事件
 第2章 あらたにす
 第3章 ウィキペディア
Ⅱ ブログ論壇は政治を動かす
 第4章 チベット問題で激突するウヨとサヨ
 第5章 「小沢の走狗」となったニコニコ動画
 第6章 志位和夫の国会質問
 第7章 安倍の窮地に暗躍した広告ロボット

Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する
 第8章 辛抱を説く団塊への猛反発
 第9章 トリアージ
 第10章 承認という問題
 第11章 ケータイが生み出す新たなネット論壇世界

Ⅳ ブログ論壇はどこに向かうのか
 弟12章 「JJ」モデルブログ
 第13章 光市「1.5人」発言
 第14章 青少年ネット規制法
 第15章 「ブログ限界論」を超えて

おわりに
あとがき
特別付録 佐々木俊尚が選んだ著名人ブロガーリスト
私は佐々木氏と同じくネットの未来を信じ、さらにはネットによるジャーナリズムが現状の日本のジャーナリズムの課題を解決しうると考える。全国紙や通信社の記事を見ても、内容に違いが無いものが多く(すべてとは言わない)を占める記事や結局何を言いたいかわからない社説。ブログ自身が変えることもあるだろうし、ブログから学ぶことで既存のジャーナリストが変わっていくこともある。何よりも、今のメディアがブログという別のジャーナリズム基盤の登場で変わっていくことを期待したい。今のメディアはあまりにもネットを理解していない。敵視しているとしか思えない人もいるほどだ。

佐々木氏は事実を述べるというよりも、期待を込め、彼の活動を通じて、このネットでの動きを加速していこうとしているように思える。そのため、本書の内容についても、ネット上では必ずしも支持をされているとは言えない。それはAmazonのカスタマーレビューを見てもわかる。おそらく、このブログを読んでいる人でも違和感(=あまりにもネットの影響力や今後の可能性を過大評価しているのではないか)を持たれる人もいると思う。それは理解できる。ただ、ネットの比重が高まっている人にとっては逆に当たり前になりつつものであり、そのような層が増えているというのも事実だ。だからこそ、本書は、出来れば、ネットをまだメールや検索程度にしか浸かっていない人にこそ読んで欲しい。本書の内容に同意できないにしても、このような考えを知ることだけでも何かのヒントになるだろう。

最後に、本書を贈呈くださった佐々木さんにお礼申し上げたい。いつもありがとうございます&もっと前に読んでいながら、レビューが遅くなって申し訳ありません。 > 佐々木さん

あと、「佐々木俊尚が選んだ著名人ブロガーリスト」に私のもう1つのブログ「Nothing ventured, nothing gained.」を入れていただけていて、ちょっと驚いた。著名人じゃないし (^^;;; 本書の内容からすると、こっちのブログ(玲瓏)のほうが適している気がしないでもないが。

ブログ論壇の誕生 (文春新書 (657))
佐々木 俊尚

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2008年11月7日金曜日

筑紫哲也氏逝く



帰宅途中に携帯のニュースで、筑紫氏が亡くなったことを知る。

一般には、報道に偏りがあるとか、個人の主義主張を公共の電波にキャスターという立場で示すことが適切でないなどの批判もあるが、実は私は氏が好きだった。

私にとっての筑紫哲也氏は朝日ジャーナル編集長の氏だ。高校から大学のころにかけて、毎週買っていた雑誌の1つが朝日ジャーナルだったのだが、ちょうどそのときに編集長だったのが、筑紫氏だ。新人類と呼ばれる私より少し上の世代を特集することも多く、また流行していた新宗教(新興宗教)も良く取り上げられていた。「若者たちの神々」や「新人類の旗手たち」などは文庫本で、今も持っているほどだ。

それよりも、驚いたのは、なんと筑紫氏が編集長だったころの朝日ジャーナルをまだ何冊かとってあったことだ。われながら、良くこんなのを残しておいたものだと思う。このころの朝日ジャーナルから受けた影響は大きい。もっとも、同時に諸君なども読んではいたが。



昨年休養に入られる前に、会社に取材で来ていた氏と握手をさせてもらい、「朝日ジャーナルのときからのファンです」と言えたのが、今となっては思い出だ。

冥福をお祈りする。合掌。

2008年11月3日月曜日

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)
アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)

英語が下手なのがわかるだろうに、聞き直しても、同じフレーズを同じスピードでしか繰り返してくれないアメリカ人が(結構)いる。仲の良いアメリカ人の知人が教えてくれたが、第2外国語をまともに習得している人が少ないので、何故聞き取れないかがわからず、ゆっくりしゃべることや簡単な単語や言い回しにすることが必要だとも知らないのだと言う。また、多くのアメリカ人はパスポートも持っておらず、海外に出た事もなく、それどころか、自分の州から出ることが無い人も少なくないという。

この本ではアメリカ在住のコラムニスト町山氏が世界の中心である(あった?)アメリカの実はクレイジーな真実を紹介する。軽い文体でいろいろなニュースや映画、テレビなどを基に、「これでもかっ!」というくらいにアメリカの異常な部分が描かれる。ブッシュの無能さやキリスト教原理主義の真実。どこのコメディだと思うが、これが事実。こんな国に世界は良いように操られていたわけだ。

どのくらい面白い国かについては、町山氏のブログエントリーにある目次を見てもらうだけでもわかるだろう。

1つ1つのネタについて、すべて自分が詳しかったわけではないので、メディアリテラシーの重要性を謳う自分としては、英語ではどのように扱われているか知べてみたいと思う。全部は無理だろうが。

財産三分法

財産三分法というのがある。資産形成の際の考え方で、1) 現金、2) 証券、3) 不動産 に資産を分散することで、リスクと利益拡大のバランスとるものだ。

現金=預貯金
証券=株式や債権
不動産=読んで字のごとく

不精かつ元手もそんなに無い私はこんな七面倒臭いことはほとんどやっていなかったんだけれど、数年前の株ブームのときに、いろいろ手を出して、いくつかの銘柄の株は持っているし、外国株式については自分で調べるのが面倒だったのと、債権にも興味があったので、ファンドで持っていたりする。さらに、前の会社の持ち株プログラムなどで買った株の売却益はドル建て預金で持っていたりする。不動産はREITに手を出さなかったので、自分の住居くらいしかないが、それでも結果的に自分の資産は三分されているようになっている。あら不思議。

臆病だったので、株式や債券への投資はそんなに行なっていなかったこともあって、もともとかなりバランスが悪かったのだが、この世界経済危機によって、株式/債券の資産が大きく目減りして、もう目も当てられない状況になっている。

臆病のくせに、ギャンブル的な性格もあるので、ここは一発逆転とか考えていないこともないのだが、それよりもここはもう1つ別の投資を考えはじめている。

それは自分への投資。前の会社でキャリアディベロップメントとして部下にも話をしたことがあったんだけど、こんなときには、あえて自分へ投資。

ということで、先ほど、またAmazonで本をしこたま買った。

私と同じようなことを考える人がきっとたくさんいるだろう。ってことは、AMZNは買い?!

2008年11月2日日曜日

Jamie Cullum Live in WISM (Where IS the Music) 2008

Jamie Cullumという若手ジャズアーティストがいる。米在住の同僚から今年のMonterey Jazz Festivalでの演奏が素晴らしかったと聞いていたので、彼が出演するJ-Wave主催のWism (Where IS the Music) 2008に行ってきた。場所は恵比寿ザ・ガーデンホール。



今回はSoil & "Pimp" Sessionとのコラボだったのだが、不勉強のため、彼らを知らず。知らなかった癖に言うのは大変失礼だと知りつつも、言ってしまうのだけれど、正直、アジっていた太っちょの彼はちょっと苦手。

だが、Jamie Cullumの歌と演奏は素晴らしかった。Soil & "Pimp" Sessionの演奏との相性も抜群。こう言ってもわからない人が多いかも知れないけれど、まるで原田真二のよう。

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