中学のころシンナーをやっている友人がいた。シャブ中が校内を徘徊し、ドラッグの売買が日常となっているらしい今日ではシンナーはもはや過去の遺物かもしれないが、とにかく私の若いころはシンナーだった。
その友人は事あるごとに私にシンナーを勧めた。脳が破壊されるから嫌だという私に彼は「脳が破壊されるなんて嘘だ」と言う。
「いや、実際、保健室とかにある資料でも、脳が破壊される様子が書かれているじゃないか」というと、「あれが捏造されているとは思わないのか」と彼。なんのために捏造する必要があるのかと思ったが、彼は「国家が国民の精神をコントロールしようとしているからだ」と言う。つまり、シンナーや大麻、麻薬のようなもので、民が自ら精神を解放されては、国による国民の統制が不可能になる。それを国家は恐れているのだそうだ。
思わず説得されそうになったが、結局シンナーはこの年齢になるまで、まだ吸ったことが無い。もちろん、吸わなくて正解だった。
大麻論議がわきあがっている。だが、大麻はエントリードラッグとしてのリスク以外にはシンナーや覚せい剤、そのほかの麻薬よりもリスクが少ないと言われている。もともと、日本には麻を吸う習慣さえあった(林業従事者による「麻酔い」という行為)そうだ。それが戦後になり大麻が禁止されるようになる。
それはやはり私の同級生の言うとおり、「精神の解放」の権利を個人に保持されることを国が嫌ったためだ。これが真実だ。さぁ、皆立ち上がろう。精神の解放権を我が手に取り戻そうではないか。
という、冗談はさておき、一時、高校生のころに「マリファナ・ナウ―意識を変える草についての意識を変える」とか「マリファナ・ハイ―意識を変えるモノについての意識を変える」を読みふけっていた自分としては、その頃と同じような議論がされていることに不思議な感慨を抱く。
でも、こんなもんを読んでいて親は心配じゃなかったんだろうか (^^;;;