リテラシーという言葉はもともと読み書き能力のことを示す。識字率の説明で用いられることも多いようだ。つまりは、読み書きそろばんというような基本的に文字や数字などを扱うための基本的な素養・能力のことを言う。
これより
ITリテラシー=ITを活用する能力
情報リテラシー=情報を活用する能力
コンピュータリテラシー=コンピュータを使いこなす能力
などの言葉が最近では良く使われている。
これらと同じような言葉に「メディアリテラシー」という言葉がある。これもざっくりと定義するならば、「メディアを活用する能力」ということになる。メディアとは何かと考え出すときりがないが、ここでは情報を発信する媒体と考えよう。つまり、コミュニケーションメディアとしての新聞、雑誌、テレビ、そしてインターネットなど。
この本、「メディア・リテラシー―世界の現場から」は2000年に1刷なので、ちょっと前の本であるが、メディアリテラシーの重要性と教育における取り組みを知るには今でも十分だ。情報洪水状態にある現代において、その発信者であるメディアからの情報を「批判的」に読み解くことは重要だ。本書でも冒頭に書かれているが、ここで言う「批判的」というのは「(否定的に)批判する態度」ではなく、「適切な基準や根拠に基づく、論理的で偏りのない思考」だ。
メディアリテラシーでは先進国といわれる英国、米国からの情報流入が激しいカナダ、そして教育だけでなく市民からの情報発信も進む米国の例が紹介される。メディアを読み解くことが今日では古典作品を理解するのと同じかもしくはそれよりも重要であるという認識のもとに授業に積極的に取り入れられている様子がわかる。また、情報の発信者であるメディアの意図を理解するには、自らが情報発信者になる、すなわち作品を作ってみることが重要であると、どの国も考えており、予算が割り当てられ、映像作品まで授業で作っているとは正直驚きであった。もっとも、予算確保にはそれぞれ苦労しているようであるし、また理解の無い政権になったり、教師により取り組みの温度差があるなど、まだまだ課題が多いことも紹介はされている。
私は日本でのメディアリテラシー(ここでは教育の意味で言っている)の現状がどうなっているか興味がある。というのも、どうもネット上での議論などを見ていると、報道をそのまま鵜呑みにしているような例も多く見受けられるし、また逆にネット上での議論だけですべて判断し、そこで参照されている元の情報さえ確認していないような逆に極端に振れている例も見られる。本書で書かれている当時はまだネット上での議論というのが一般的ではなかったが、今では2ちゃんねるもひとつの貴重な情報源であるし、ほかのソーシャルブックマークなどで世論(かなり狭いが)が形成されていくこともある。ネット上での議論というのはサイバーカスケードと呼ばれるように極端に偏る危険性もある。このようなことも含めてネット上の情報を咀嚼する能力が今は求められているだろう。
Amazonで見てみると、ほかにもメディアリテラシーの本はいくつもあるようなので、ちょっと読んでみようかと思う。
メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)
菅谷 明子
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