2008年3月23日日曜日

書を捨てよ、町へ出よう

寺山修司氏の代表作。本当は購入したのは下の表紙の文庫ではない。関連書籍で出ている和服姿の女性(調べてみたら、「小学生日記」のhanae*ちゃんだった)が表紙の新しい装丁のもの。

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)
寺山 修司

家出のすすめ (角川文庫) ポケットに名言を (角川文庫) 幸福論 (角川文庫) 誰か故郷を想はざる (角川文庫) 寺山修司青春歌集 (角川文庫)

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以前斜め読みしたことはあったのだが、きちんと読んだのは実は初めて。

東由多加氏の書籍(「東由多加が遺した言葉」や「地球よとまれ、ぼくは話したいんだ」)を読んだときにも思ったのだが、高校生のころにこれにはのめり込んでいたら、いったいどうなっていたのかと考えると怖くもあり、少し残念でもある。

高校生のころ、私はアジテーターになりたかった。私の通う系属の中高一貫校の近くにあったマンモス大学。私のころにはすでに学生運動は下火になっていたが、それでも本部校舎の構内を歩くと、そこには立て看板が多くあった。そこに書かれているセンセーショナルなメッセージ。後から思うと、どこかの革命で使われた言葉の使いまわしだったり、詩人の詩を流用した陳腐なものがほとんどであったが、高校生の心には何か触れてはならない大人の世界を垣間見たような気がした。そのマンモス大学には政治家を数多く輩出したという雄弁会なるサークルもあった。彼らの弁論を聞いたことがあったかどうか定かではないのだが、おそらくどこかで聞いた雄弁会か応援部かの演説か応援も私のアジテーターへの憧れをさらに強くさせた。今でも人前で話すことが好きなのは、当時の思いがどこかにあるからかもしれない。

寺山修司氏の言葉は心に刺さる。もう十分常識を持って、守りに入っていても良いはずの、またそれが期待されているかもしれない私でも、本書を読むだけで、競馬をはじめとするギャンブルをしてみたくなるし、馬の種付けの見学をしたくなる。詩も書きたくなるし、転職・家出、引越しを繰り返したくなる(一点破壊主義)。

「自殺学入門」という節には丁寧に遺書の書き方から方法、動機や場所までガイドしてくれている。どうせなら誰かと一緒にと、心中まで薦めてくれる。ここではすでに自殺をした人の紹介までされていて、遺書や死んだときの状況が書かれている。私は変な趣味の持ち主で、何名かの有名人の遺書を諳んじて言える。つい最近もあまりにも疲れたときに、マラソンの円谷選手の遺書を真似して(ふざけて)、「XXXがおいしゅうございました。YYYがおいしゅうございました。卓也はもう働けません」と書いたら、同僚が心配して、IMしてきたということもあった。

もしかしたら、今でも読むのを避けたほうがよい一冊だったのかもしれない。もう手遅れだけど。