本のタイトルにあるように、2011年7月24日にアナログテレビ放送が終了する。あと3年とちょっとだ。
私の自宅のテレビはまだアナログのしかもブラウン管テレビだ。ちょっと前に、HDDレコーダーが壊れて配線しなおさなければいけなくなり、それが面倒で放って置いたので、私の家ではしばらくテレビが見れなかった。家庭内で私の決定(「テレビなんかなくたって困んないから、しばらく無しね」)に反乱が起きそうになったので、結局配線をしなおして見れるようにしたが、そのくらいテレビが無くても私は困らない。あればあったで見るけど。
以上のようにテレビに関心が無い私だが、それでも2011年のデジタルへの移行については興味がある。本当に可能なのか。プラン通り押し切ったとしても、直前になってかなり混乱するのではないか。
本書では、英国などの諸外国の例と比較しながら、日本の普及・促進方法の問題点を示す。筆者は、何よりも日本ではデジタル放送の利点として、高画質ばかりが強調され過ぎている点に懸念を示す。視聴者にも高画質に興味がある人ばかりではないだろうし、何より高画質を満喫するには、それなりの投資が必要となる。データ放送や多チャンネル化など、デジタルで可能になるそれぞれに応じた端末が用意されても良いのではないかと筆者は言う。確かに、高画質でそれなりに鑑賞できる端末は高価であり、今までのように小型テレビで「ながら見」をすることが多かったような人には必要以上の機能が搭載されたものとなる。それよりもセットトップポックスを安価に大量に普及させたり、データ放送に特化したもの、多チャンネルに特化したものなど、用途ごとの端末があっても良いのではないか。テレビの見方も変わっているし、個人のライフスタイルも異なる今、高画質だけを売り物にした普及方法には疑問を感じざるを得ない。一家に2台以上あるような家庭の場合でもすべてのテレビを高画質対応に買い換えるのは現実的ではないだろう。普通の画質だけれどデジタルのほかのメリットは享受できるような安価の端末、PCでの操作を行うためのPC周辺機器とアプリケーションソフト、とりあえずデジタルを受信できるようにするためのセットトップボックスなど、ユーザーのニーズに合わせた端末の開発と啓発活動が必要だ。
さらには、いっきに日本全国で切り替えを行うという手法にも本書は疑問を呈する。英国ではパイロット地域を準備し、そこで先に切り替えを行い、そこから得られるさまざまな課題を克服することで、全国展開への参考にすると言う。日本でも同じようにユーザーへどのように普及させるかを考える団体があるようだが、英国の積極的な動きに比べると、正直物足りない。
キー局などではすでに2011年にアナログを停波することを前提にデジタル放送への投資をしているため、2011年近くになって、「やっぱりできませんでした。しばらくアナログ波も引き続き配信します」と言われても実際できないという。となると、やはりユーザーの端末をデジタル対応しなければいけないんだが、端末メーカーはやはり一番利益があがる高画質対応のテレビばかりを開発し、販売する。政府の必要以上の干渉は避けたいところだが、ユーザーにデジタル波対応の機器を準備してもらうためには、政府に業界団体に対しての指導が必要なのかもしれない。
本書ではほかにもテレビそのものの必要性やほかメディアとの関係など、そもそも論としての、日本のテレビメディアについても解説されている。
ちょっと惜しむべくは、文章がやや荒いところ。そんなに気になるほどではないが。
2011年7月24日 テレビが突然消える日 (朝日新書52) (朝日新書 (052)) (朝日新書 (052))
岡村 黎明
関連商品
2011年、メディア再編 地デジでテレビはどう変わるのか (アスキー新書 017) (アスキー新書 17)
ネットはテレビをどう呑みこむのか? (アスキー新書 016) (アスキー新書 16)
テレビ進化論 (講談社現代新書 1938) (講談社現代新書 1938)
テレビの教科書―ビジネス構造から制作現場まで (PHP新書)
テレビの21世紀 (岩波新書)
by G-Tools