2008年5月31日土曜日

「みんなの知識」をビジネスにする

今回のエントリは佐々木俊尚氏からいただいた書籍、「みんなの知識」をビジネスにする の感想。

3月にいただいていたのに、読むのが遅れてしまっていた。

申し訳ないです&いつもありがとうございます。 > 佐々木さん

さて、本書はオウケイウェイブの兼元氏との共著。二人の対談から始まって、二人が集合知を元にしたビジネスを行っている企業などのキーマンと対談した模様が収められている。

いただいた本にいきなり注文をつけるのは大変気が引けるのだが、この対談形式の部分がやや読みにくい。内容は大変興味深いものなのだが、人の口から出た言葉は必ずしもそのままで読者にわかりやすいものでは無いということの表れか。もっとも、読みにくかったとしても、肉声を伝えるも重要であり、その点からは本書は確かに登場する人の意気込みや苦労している/していた部分などが伝わってくる。読みやすさをとるか、あえて肉声を前面に出すか編集の悩ましい部分だろうか。

さて、「みんなの知識」、「集合知」(=Wisdom of Crowds)と呼ばれる概念はWeb 2.0と呼ばれる潮流と重なるように、多くのネット起業などで取り入られるようになった。情報や知識を提供する側とそれを受ける側/享受する側というのが対局する2極ではなく、ある人があるコンテキストでは前者になり、別のコンテキストでは後者になる。このようなことがごく当たり前に行われるようになっている。「集合知」を活かすこのような社会の実現にはインターネットが必須というわけではないが、インターネットによりこのような動きが活性化し、ビジネスに活かされるようになってきていることを考えると、まさに今、「集合知」ビジネスの黎明期なのかもしれない。

「集合知」の考え方は原典とも言える「みんなの意見は案外正しい」を読んでもらえるとわかるが、今はそれをビジネスにいかすクラウドソーシングに注目が集まっている。クラウドソーシングとはインターネットを使って不特定多数の集団の力を集めビジネスにする方法のことだ。

参照: クラウドソーシング 【crowdsourcing】- goo辞書

本書では、第1章に著者二人すなわち兼元氏と佐々木氏の対談が収録されている。ここで「集合知ビジネス」の現状と課題などが整理された後、二人がほかのキーマンと会談していくという構成となっている。その後の章では次のような人たちと会談している。

第2章: 山崎秀夫(NRI)
第3章: エニグモ
第4章: ニフティ
第5章: エレファントデザイン
第6章: アッシュコンセプト

山崎氏はナレッジマネージメントの専門家であり、ナレッジマネージメントと集合知の関係を話す。

実は、私の中ではナレッジマネージメントはもはや死んだものとなっている。暗黙知形式知に変え、それを組織で共有することにより、たとえば「職人」でしかなしえなかった業務をほかの人でも行えるようにするというのが、(かなり乱暴だが)ナレッジマネージメントの考えだ。そのために、グループウェアを活用して、形式知の充実に努めたり、社員に情報や知識を共有することを推奨することなどが行われた。多くのIT企業もナレッジマネージメントのためのツール(そういえば、デジタルダッシュボードというのもあった)を提供するなど、一時結構なブームになったものだ。

これが失敗した理由はいろいろな人が分析しているが、私は、暗黙知を形式知に変えるためのモチベーションが社員側に無かったのが原因ではないかと見る。経営者やナレッジマネージメントを推進する人たちの中には「アメと鞭」という言い方をしていた人もいたが、ナレッジマネージメントの実現にはある程度の強制が必要であったが、それと同時に貢献した社員に対しての「報酬」(必ずしも金銭的な報酬を意味しない)も必要であった。この「アメと鞭」が実現できなかった、もしくは機能しなかったというのがナレッジマネージメントが普及しなかった一因ではなかっただろうか。また、形式知として知識を表現し、共有することのコスト(労力)が思いのほか高かったということや保持している暗黙知の何が他者に有用なものかが判断できないなど、人間を重要なデータソースとする上でのシステム上の問題が多くあった。

本書の中で山崎氏は「遊び」の要素が欠けていたと指摘する。確かに「アメと鞭」の「アメ」の部分はあくまでも情報や知識を共有した際の貢献を正当に評価するという観点でのみ考えられていた部分があり、システムを使う上での楽しさというのは抜けていた。人間が新しい試みを行うに際しての重要な要素である「快感」が考えられていなかったように思う。

現在のナレッジマネージメントはもっと緩やかな仕組みによるものが多いようだ。社内でブログやSNSなどを立ち上げ、それにエンタープライズサーチなどを組み込むことで、定型フォーマットにおいてがちがちにシステムをくみ上げるのではなく、人間という入力システムからのフリーフォーマットでのデータをウェブ技術を使った上で集合知として扱っていく。

この山崎氏の話の中で衝撃的だったのが、社内SNSでも匿名を使うということ。山崎氏は日本の組織において重要な「報・連・相」(報告、相談、連絡のこと)のうちの「相」の部分でSNSは活躍するというが、官僚的な組織においては組織をまたがっての相談というのが許されない、もしくはマネージメントに支持されないことも多いという。そのため、カジュアルに組織をまたがって相談できるようにするには匿名であることが必要であるらしい。日本企業に勤めたことはないが、そんなにも上司や組織の論理というのは強いものなのか。正直、社内コミュニケーションで匿名を使ったことは無い(社内サーベイなどは別)ので、かなり驚いた。

そのほかの章もなかなか得るものが多い。第4章でニフティの方が話されていたが、ニフティはもしかしたら大変もったいないことをしたのかもしれない。ニフティが完全にインターネットに移行して、パソコン通信時代のニフティサーブのフォーラムなどを閉じた後に、mixiなどのSNSが普及した。少しタイミングがずれていたなら、ニフティが日本ではSNSの代表格になれていたかもしれない。私はニフティサーブの積極的なメンバーではなかったが、シスオペにより適切な運営がなされたフォーラムは大変心地よいものであった。あの秩序とインターネットでのオープネスが組み合わさった場合、どのようなコミュニティが出来ていたのだろうか。

また、この第4章の中では、ソーシャル化することの意味が問われている。インターネットの本質とも関係すると書かれているが、特にソーシャル化する場合は、それが「つながる」(サービス提供側から言うと「つなげる」)ことを目的としているのか、それとも「情報抽出」を目的としているかの2つの目的があるという。前者は言葉通り、人と人がつながっていること自身が目的であるのだが、後者はソーシャル化したシステムの中での集合知を抽出する、いわゆるアグリゲーションとしての機能を求めている。インターネット上のシステムを考える上で、ソーシャルという言葉が一人歩きすることも多いが、この部分を意識することは大事だ。もっとも、サービス提供者の意図に必ずしも沿わない形でユーザー自らが育て上げていくのがソーシャルサービスの特徴であり、その結果として逆のゴールを満たしてしまったり、もしくはまったく違う成果が得られたりすることも多いだろう。

第5章で取り上げられているエレファントデザインは空想生活を運営する会社。まさしく、みんなの意見を元に商品を企画し、生産してしまうというサイトだ。私はビジネスバッグが好きで、かなりの思い入れがある。PCを常に運ぶので、PC専用の収納部分は必要だし、荷物が多くなった場合にはショルダー型になって欲しいので、3-wayであることも必須だ。そんな私が、以前、バッグを購入したBAGWORKSというサイトでは、インターネット上で意見を集め、購入希望者の数によって生産の可否、また価格が決められていた。意見を言った人の中から希望者数人にモックを回覧し、そこから意見を吸い上げたり、ネットとリアルな世界を結びつける試みは大変面白いものであった。空想生活でも同じようなことが行われている。

このエレファントデザインと第6章で取り上げられているアッシュコンセプトの中では、「デザイナー」の役割の重要性が語られている。私からはデザイナーは本当にいわゆる製品のデザインをするだけのように思っていたが、形のある商品の場合、デザイナーというのはいわゆるプロデューサーのような役割のようだ。正直、名前は何でもかまわないが、商品の企画から生産までを責任持つ人の存在というのは今後ますます重要となってくるだろう。今の私の仕事である「プロダクトマネージャ」(プログラムマネージャと呼ぶ会社もある)も同じような役割だと改めて実感した。

いずれにしろ、無機質に見えるネットの世界も利用しているユーザーは結局生身の人間である。この人間を組み込んだシステムの中でどのような新しいビジネスを生み出すことができるかは当事者の1人として楽しみだ。

「みんなの知識」をビジネスにする
兼元 謙任 佐々木 俊尚

4798113913

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