小説や詩集、さらには映画や流行歌などから寺山氏が気に入った名言を紹介しているのが、本書だ。
私は昔から名作家は名コピーライターであるという持論を持っているほど、一言の言葉の持つ威力を信じてる。信じているというよりも、そのような言葉にノックアウトされ続けた人生を歩んできている。
中高一貫校(昔はこんな言い方しなかったと思うのだが)に通っていたとき、なにせ高校受験も大学受験も無いのだから、永遠に続くかと思うほど暇な時間をギターを弾くか本を読むかして潰していた。今考えると、あの時に少しでも数学をちゃんと勉強しておけばよかったとか、クラスメートが当時流行し始めていたポケコン(ポケットコンピューター。確かシャープ製)でプログラムを組んだりしていたときに私も混ざれば良かった(私は友人が組んだゲームプログラムで遊ぶほう専門だった)などと後悔しきりだが、いずれにしろ人生にあまりない時間がありあまるという状況で私はロックとジャズと本に囲まれた生活をしていた。
今も当時もあまり変わらないのだが、乱読派だった私は本当にあらゆるジャンルの本を読んだ。当時のベストセラーから、コミックから、私より少し前の世代が読んだような作品。雑誌も朝日ジャーナルから諸君まで(わかる人にはわかると思うが、通常この2つの読者は重ならない)。残念ながら多くの本はすでに処分してしまったので、どのような「名言」を私が愛していたかをすべて思い出すことができないが、私が何かにつけて口に出していたような「名言」は次のようなものだ。
見つけたぞ、ランボーは21歳で最初で最後の詩集「地獄の季節」を発行した後、二度と表舞台には現れなかったという人生そのものも詩的な人なのだが、当然、最初からランボーを知っていたわけではなく、村上龍氏の「69」から知った。「69」については以前にこのブログでも書いたことがあるが、村上氏の小説の中でも特に好きなものの1つだ。
何を?
永遠を、
それは太陽に溶ける海だ。
ランボー-地獄の季節 (岩波文庫)より
タイトルそのものにやられてしまった小説もある。
- 見るまえに跳べ-大江健三郎
- 死者の奢り-大江健三郎
- 灰色のコカコーラ-中上健次(鳩どもの家)
- 限りなく透明に近いブルー-村上龍
- 海の向こうで戦争が始まる-村上龍
- 愛と幻想のファシズム-村上龍
- 考えるウォークマン-三田誠広
- やがて笛が鳴り、僕らの青春は終る-三田誠広
- 優しいサヨクのための嬉遊曲-島田雅彦
村上龍氏についてはいくら語っても語りつくせないし、ここにあげただけでなく多くの作品で影響を受けている。「69」の中に出てくる学生運動で使われる「名言」もステキだ。
「想像力が権力を奪う」
「予定調和拒否せよ」
40歳も過ぎて、このような言葉をIM(Google TalkやSkype)のステータスメッセージにしていて大丈夫かと自分でも思うが。。。
書き出すときりがないので、ここら辺でやめるが、この寺山修司氏の「ポケットに名言を」にもこのような「名言」が満載だ。本当に少しだけだが、私が特に気に入ったものを引用して、紹介を終える。
うつせみの世は夢にすぎず、少しと言いながら、なかなか絞れなくて、結構引用してしまったが、本当にこれでも少しだけ。寺山氏の愛した多くのステキな名言が本当にポケットに入るサイズで収められている本書は、このような刺激的な言葉が好きな人にはお勧めだ。
死とあらがいうるものはなし
フランソワ・ヴィヨン「遺言詩集」
貞淑とは情熱の怠惰である。
ラ・ロシェコフォ伯爵「箴言」
女をよくいうひとは、女を充分知らない者であり、女をいつも悪くいうひとは、女をまったく知らないものである。
モーリス・ルブラン「怪盗アルセーヌ・ルパン」
ぼくは期待している。女というものは、男によって文明化される最後のものであろうと。
ジョージ・メレディス「喜劇論」
人はその煩悶の始末をただ理性にばかり委せるために心を乱すことの方が多いのである。
アイザック・スターン「センチメンタル・ジャーニー」
恋における貞節とは欲情の怠惰にすぎない。
アンドレ・レニエ
幸福とは幸福をさがすことである。
ジュール・ルナアル
「どうか僕を幸せにしようとしないで下さい。それは僕にまかして下さい」
アンドレ・レニエ「半ばの真実」
想像力の消耗からも、人はその家庭を愛するようになってくる。
萩原朔太郎
天才とは九十九パーセントが発汗であり、残りの一パーセントが霊感である。
トーマス・エジソン
英雄のいない時代は不幸だが、
英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。
ベルトルト・ブレヒト「ガリレオ・ガリレイの生涯」
人類が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。
「あゝ、荒野」
ポケットに名言を (角川文庫)
寺山 修司
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