この本の筆者ではないが、ある有名な字幕翻訳者の翻訳は英語を少し知る人にはひどく評判が悪い。ある映画監督が翻訳されたものを再度英訳してそのひどさに絶句して翻訳者の変更を依頼したとも言われている。私のアメリカ人の知人も、日本語が少しわかるので、字幕が元の英語のセリフとあまりにも違うので驚いたと言っていた。
私などは漠然と、そうは言ってもいろいろと映画の字幕って特殊な要求が多くありそうだから大変なんだろうくらいに思っていたのだが、この本でそんなレベルではないことがわかった。
たとえば、字幕に要求される文字数制限を知っているだろうか。人は1秒間に4文字しか読めないというデータがあるようで、それにしたがって日本語の字幕の文字数は決定される。本書の中に以下のような例が出てくる。
男「どうしたんだ」
女「あなたが私を落ち込ませているのよ」
男「僕が君に何かしたか」
映画ではそれぞれを役者が1秒ちょっとでしゃべっている。したがって、字幕もすべて5文字に収めなければいけない。筆者は次のように変更した。
男「不機嫌だな」
女「おかげでね」
男「僕のせい?」
どうだろう。見事と言わざるを得ない。
映画字幕翻訳の本ということで英語の話が多く出てくるかと思いきや、中身はほとんど日本語についてだ。字数制限があり、日本語として映画のエッセンスを見ている人に伝えなければいけないという字幕の役割から、勢い日本語について考えることが多くなるのだろう。
漢字を使える場合と使えない場合。使えない場合にルビを振るか、それとも混ぜ書き(「だ捕」、「誘かい」、「ばん回」、「危ぐ」、「そ上」などのことだ)にするか。混ぜ書きは常用漢字などによる悪影響という。実際、新聞やテレビなどでもこのような混ぜ書きを見るのだが、筆者が言う「ひらがなに置き換えることで漢字それ自体が持つ意味を完全に消し去ってしまうことではないだろうか」という指摘はもっともだ。イデオグラフィック(表意文字)である漢字をもっと大事にしたほうが良い。
ほかにも、句読点というのは明治以降に導入されたものであるとか、日本語には「?」も「!」も無かったという指摘だとか、出来るだけ文字数を少なくしたいという一環した思いとともにユーモラスを込めて語られるが、日本語を考える上で重要な指摘ばかりだ。
エッセイ風な感じで読みやすい。お勧め。