「青年は荒野をめざす」(五木寛之氏作)の世界はこういうものだったのかもしれないと思った。
彼らはプロなのかアマチュアなのかもわからない。こういう場所で金を貰って演奏しているのだから、プロなのかもしれない。
演奏が始まるからと言って、客は静まり返って演奏を聴き入るわけでもない。酒を飲み、食事を楽しみ、友人と会話する。その喧騒に負けないようにトランペットの音が響き渡る。ドラムがビートを刻む。
チャールズ・ミンガスだったか、演奏を聴かずに食事をしていた客を怒ったという話があったが、ここはそういう世界とは無縁だ。Jazzが大衆音楽だったことを再認識させる。良い演奏だと客も注目するし、そうじゃなかったら、ただの雑音として処理される。
その夜の彼らの演奏はオーネット・コールマンやセロニアス・モンクのナンバーなども含めていたが、キューバ音楽をモチーフにしたエキゾチックなものも多かった。だから、「青年は荒野をめざす」を思い出したのかもしれない。日本で聴ける米国のJazz以外のJazzをロシアで、そしてヨーロッパで見つけた主人公のように。
同じアジア人同士なのに、共通言語は英語だけ。そんな中でもコミュニケーションできる。その夜に飲んだ酒はいつもとは違ってカクテル。隣にいる女性がやけに綺麗に見えるのは酔っているせいか。口説きそうになって、あわてて彼女が同僚の配偶者であったことに気づく。なんてね。
短い台北出張で同僚が連れていってくれたJazzバーでのこと。