2010年10月4日月曜日

余命半年 満ち足りた人生の終わり方



難治がんと闘う -大阪府立成人病センターの五十年」でも書いたが、死へのカウントダウンはこの世に生を受けたときから始まっている。そのカウントダウンを自らの問題として考えなければならなくなるのが、余命宣告を受けたときだ。

この本は「緩和医療」と「死の瞬間への準備」について書かれた本だ。結論から先に言ってしまおう。この本は読んだ本が良い。この本でなくとも、死の瞬間の現実とそこに至るまで自らが考えることを知る本があるのならば、それでも良い。

ドラマのように最期に愛するものたちに別れを告げて旅立っていく。そのような終わりはまずない。それを知らされる。どんなに穏やかな死であったとしても、最期の瞬間は昏睡状態であり、その瞬間がいつ来るかは医師も家族も本人もわからない。

自分の余命が月単位であったことがわかった場合、どのような選択をとるかは本人の意思次第である。だが、その時に果たして冷静に適切な選択をすることが出来るか。選択肢を誤った場合、それは取り返しの付かないことになる。

末期ガンの場合、抗癌剤の治療は確実に本人の体力を奪い、そして自由を奪う。本来であったならば家族と最後の旅行に出かけられたり、自分の人生をゆっくりと振り返る余裕がまだあったかもしれない。だが、積極的治療を行うことを選択した場合、もう手段がなく終末治療に移行しなければならないとわかったときには、そのようなことはできないくらいに体力が落ちていることが多い。

逆もある。まだ大幅な延命や根治の可能性があり積極的治療を行うことを考えるべきなのに、それを放棄してしまう。

男性は男性ホルモン、いや遺伝的な要素というほうが良いかもしれないが、積極的治療を最後まで試みる傾向が強いという。それはわかる。おそらく私もそれを試みてしまうかもしれない。だが、果たして、もはや身動きが出来なくなってしまった最後の数週間になったときに、自分の人生の最後の瞬間として正しいことをしたと思えるだろうか。

このようなことを本書は考えさせてくれる。

本書でも書いてあるように、末期がんによって体の自由を奪われるペースは初めなだらかながらも、ある時を境に一気に加速する。積極的治療から緩和医療を中心とした終末治療に移行するタイミングを決めるのが本当に難しい。そのときには十分な時間はもうないかもしれない。また、このような話は出来れば考えたくない。

だが、だからこそ、元気な今読むほうが良い。

誰にも訪れる死。その瞬間の現実を知り、そして医療の現状を知り、普段から自分の考えを整理しておく。

本書はそのきっかけになるだろう。