2010年10月17日日曜日
ドクター・ショッピング―なぜ次々と医者を変えるのか
「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」の中でも紹介されているが、自らが納得出来ない診断が下された場合に患者が行ってしまうのが、「ドクターショッピング」と言われる行為。「この医者は信用出来ない」、「もっときちんと診て欲しい」、「ほかの治療法があるはずだ」。そう思い、次の病院、ほかの医者を探し続ける。
セカンドオピニオンを得るという行為は重要だし、納得出来るまで診断や治療法を探すのも良いことだが、これが逆に患者を不幸にすることになってはならない。
本書はドクターショッピングに至る経緯や背景、原因となる医療現場の現状や患者側の問題点を解説している。主に、専門に特化しすぎるあまりほかの可能性を見れない医師、検査結果に固執しすぎて患者から出されるほかの情報を見ない医師、自分の言葉で語ることが出来ずにある症状ばかりに執着する患者。検査をすればするだけ収入になるという医療システムの問題点も浮き彫りにされる。
総合内科という診療科はその1つの解決策である。筆者はさらに身体的な問題点だけを診療するという考えから、患者が実際困っているのならば、それを解決するまで対応するという、心身医療を提案する。その意味で、心療内科が果たす役割が大きいとも言う。
本書の中で、パニック障害が例として何度か登場する。ドクターショッピングにはならなかったが、私にも思いたることがある。
高校の頃、試験になるたびに息苦しくなり、呼吸が止まるのではないかという強迫観念に襲われた。肺か心臓が悪いのではないかと思い、一度医者に行ったことがあったのだが、そこで出されたのは向精神薬。自分で薬の種類を調べて、そうとわかってからはもう医者には行かなくなった。それでも姉に「ちょっと今から寝るけど、途中で呼吸が止まっていないか見ていてくれ」とお願いしたりした。今考えると、これは立派な精神疾患だ。向精神薬を出すくらいだったら、もうちょっとちゃんと診断と治療をしてくれれば良かったのにと思うものの、当時は心療内科などは多分無かったのではないかと思う。少なくとも、私が行っていた病院には無かった。
実はこの話にはオチがある。その後、大学に入学した後のある定期試験の最中、夜中に急に胸が痛くなった。呼吸も苦しく、まともに息が出来ない。試験中だったが、あまりの苦しさに朝起きてから前と同じ病院に。医者は聴診器を胸に当て私の話を聞くと、またもや向精神薬を処方。今度ばかりは明らかに肉体的にも苦しいので、バカにすんなよと思いながらも、試験中だったため、ほかの病院に行くこともせず、どうにかやり過ごす。試験が終わった後もまったく治る気配が無いので、別の病院に。レントゲン写真をとったらすぐに入院となった。病名は自然気胸。聴診器をあてただけでもわかる状態だったようで、前の病院のいい加減さが良くわかる。これなど、本書でも書かれている医療機関側の問題、以前の病歴などをもとにした思い込みで診断してしまった例であろう。このような例が多くあると、勢い患者に医療不信を植えつけ、ドクターショッピングに向かわせることになろう。
現在の医療システムの課題と患者側の心得を知ることが出来る良書。