2009年3月28日土曜日

センセイの鞄

川上弘美氏の作品を読んだことがなかった。この作品も谷崎潤一郎賞をとったということも知ってはいたが、手に取ることはなかった。これもまた、ブックオフ100円シリーズの1冊。ブックオフ、ありがとう。

ストーリーはすでに知られているように、30代後半の女性とその高校時代の教師の高齢の男性の恋愛。行きつけの飲み屋で、ふとしたことから飲み仲間になり、徐々になくてはならない存在になる。センセイの気持ちがはっきりしないまま二人の関係は続く。読者からしてみたら、このぎこちない感じが感情移入できる理由だろうか。恋愛小説の典型的な手法かもしれない。もっとも、私は男性で、主人公である女性のツキコさんに感情移入するというのは、良く考えるとおかしい。この本は男性にも良く売れたらしいので、感情移入した私が例外ではないのだろう。年の離れた女性との慕われる男性というシチュエーションに感情移入した、もしくは夢を感じたのだろう。

センセイの鞄 (文春文庫)
センセイの鞄 (文春文庫)

感情移入したと言ったものの、正直言うと、あんまりにものろのろした展開に若干しびれを切らしたのも事実だ。ただ、このじれったくなるような進行も、著者の文体の持つ不思議なトーンによりやや心地良くなった。スローライフにはあう小説かもしれない。

ツキコさんもセンセイも、生い立ちや考えなどを深く掘り下げられていない。ストーリーの展開にあわせて、センセイの亡くなった奥さんの話やツキコさんの過去の恋愛経験が説明されるもののそれだけだ。人物像をはっきりと読者に提示することをしないという情報の欠落が、この小説の独特のもやっとした不思議な色彩を作り上げているように感じる。

女流作家は好きなので、読んでみたかった作家ではあるけど、この作品は私の趣味とはちょっと違ったかな。

2009年3月23日月曜日

クラウド グーグルの次世代戦略で読み解く2015年のIT産業地図

シリコンバレー在住のジャーナリスト小池さんから贈呈いただいた一冊。小池さん、ありがとうございました。

本書の内容とは関係ないところから入っちゃうが、アマゾンの書誌データが間違っている。著者が石田先生と國領先生になっちゃっている。アマゾンさん、直しておいてください。この2先生は素晴らしいまえがきを寄せてはいるが、執筆者ではない。

クラウド グーグルの次世代戦略で読み解く2015年のIT産業地図
小池 良次 石田 晴久 國領 二郎

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さて、本書を読了した後、来日していた著者の小池氏と朝食を一緒にとらせていただく機会があった。米国の景気の話などを聞かせていただいた後、本書の話にもなったのだが、思いのほか盛り上がったのが、ゼネラルマジックの話だ。1990年代前半、ネット時代(当時はまだインターネットがどこまで主流になるかはわからなかったが、ネットワークが一般的になるとは誰もが考えていた)のマルチメディア技術を提供する会社としてもてはやされた企業だ。アップルの伝説的な技術者や技術者がほれ込むアーキテクチャ。いわゆるエージェント技術なのだが、すぐに日米の企業が、まだ実装が無い段階にも関わらず、提携をしたことから一躍時代の寵児となった。実は私もこの企業のビジョンにほれ込み、まだ日本法人ができる前から、知り合いのエージェント(このエージェントは人材紹介エージェント)に、もし日本法人が設立されるようだったら、情報を持ってきて欲しいとお願いしていたくらいだった。実際には、日本法人設立が準備されるようになって、このエージェントが私のところに話を持ってきてくれたときには、すでに業界でも将来が危ないというのが噂になっており、私も資料を拝見させていただいただけで特に何もアクションは起こさなかった。そのときの資料は今でもどこかにあるはずだし、また、日経コンピュータだったと思うが、その付録かなんかでNTTの研究所の人が執筆したテレスクリプト(ゼネラルマジックのスクリプト言語)の解説書もとってある。もはや何の価値も無いだろうが、私にとっては宝物だ。本書では、エージェント技術は非力な端末と帯域幅の狭いネットワークだからこそ必要な技術だったと書かれている。確かに、インターネットの普及とともに、会社も技術も消え去ったことを考えるとそのとおりだ(会社自身はその後も業態を変え、2002年まで存続していた)。だが、エージェント技術そのものの価値は今のインターネットの上でも失せてはいない。個人的には、いまだにエージェント技術にはこだわりがある。

話を戻そう。小池氏は本書のことを「ヨタ話」本と笑いながら話していた。失礼ながら、まさにそのとおりだと思う。正直言うと、この本に書かれている事実を書くだけならば、小池氏でなくとも出来る。私でさえ知っている内容が少なくなかったし、いざとなれば知人から話を聞いたり、自分で調べれば、多くはどうにかたどり着くことができるだろう。だが、本書の真価はそこではない。シリコンバレーで暮らし、日々をそこですごしている小池氏だからこそ知るトリビア。たとえば、シーベルシステムズの入っていたビルが今はセールスフォースが入っているとか、本質には関係ないかもしれないが、このような何気ない1つ1つの小さなトリビアが本書の魅力だ。実際に、イノベーションが起きているシリコンバレー。私も3年前に転職してから、出張で良く行くようになった。シリコンバレー万歳などと言うのは恥ずかしいし、悔しいのだが、それでも、ここでイノベーションが起きている理由が良くわかった。企業を超えた人材の交流。体制に対する批判やサブカルチャーがまだ生きている土地柄。私なんかは、せいぜい出張で滞在するくらいなのだが、それでも感じるものがある。そこに住んでいる人が肌感覚で得るものは大きいだろう。そのような現地の息吹を感じたものしか書けないものが本書にはある。時代を語るときに、当事者しか伝えられないものがあるのと同じだ。

本書の内容を調べればわかると上で書いたが、実は調べても簡単には同じ内容にたどり着くことが難しい部分も多くある。自社のことなので、さらっと流させてもらうが、アンドロイドのキーマンであるアンディルビンの紹介部分などは、米国で流行したサイドキックなどをきちんと追っていないと書けない内容だろう。

最後に、また手前味噌で恐縮なのだが、本書でもコンテンツとフォーマットの独立を訴えている。私が、別ブログでコンテンツ/コンテナ(フォーマット)/コンベヤという戦略を訴えているのと同じだ。
 日本が米国の失敗を繰り返すことはない。本書で繰り返し述べているように、コンテンツとアプリケーションの融合を促進するのは、オープン戦略であって、囲い込みではない。いま、テレビ端末メーカーに求められているのは、アクトビラのようなプロジェクトではない。また、NHKや民法もオープン戦略をとるべきだろう。ウィジェットなりガジェットなりをひとつで、テレビ端末の種類を問わずにコンテンツを配信できる「オープンなプラットフォーム・フォーマット」こそ模索すべき方向のように思える。また、多様なコンテンツプロバイダーの提供する番組を網羅的に検索できる機能も、そうしたオープンプラットフォームに付け加えるべきだろう。
アクトビラは前職の時の同僚(本当は後輩なんだけど、ちっとも先輩として慕ってくれない)が4月から副社長になってしまうし、私自身使ったことがないので、コメントは控えるが、ここで言うようにフォーマットとコンテンツを独立させ、ユーザーの望む形で配信するというのはまったくそのとおりだ。むしろ、それができないコンテンツプロバイダに未来はないだろう。

結構難しい内容が書かれているにも関わらず、それを感じさせないのは、「ヨタ話」本としてうまくまとめている著者小池氏の力量か。横文字が多いので、横書きでも良かったのではないかとか、もっと図を多くしても良かったのではないかなどと思うが、重箱の隅をつつくようなものであり、本書の価値を大きく損なうものではない。過去の流れから将来のIT像を読み解きたい人にはお勧め。



2009年3月22日日曜日

次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの

著者の湯川さんより昨年冬に(!)贈呈いただいた本。レビューをあげるのが激遅になってしまったことをお詫び申し上げるとともに、贈呈感謝いたします。

次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの
湯川 鶴章

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広告の話については、現在の私の雇用主との関係があるので、あまり詳しくはここでは話せない。この種の本のレビューを載せる度に同じようなことを書かなければいけないのが残念だが、この本については、ちょうど私がもう1つのブログで展開している「ネット時代のメディアのあり方」と近いこともあり、広告としてだけでなく、一般的なメディアテクノロジーとして考えてみたい。なぜならば、この本は広告の未来を考えるものであるとともに、タイトルに「プラットフォーム」とあることからも推測できるように、テクノロジーについて語ったものであるからだ。

さて、本書の中で、湯川氏は広告の未来はパーソナライズされた「三河屋」であると言う。
IT革命の本質の一つは、20世紀後半のマス文化の中で失われたきめ細かなサービスを、テクノロジーの力を持って取り戻すことだ
「三河屋」とはサザエさんに出てくる出入りの酒屋のことだ。パーソナライゼーションの本質をわかりやすく示す言葉だと思う。本書では、この「三河屋」に喩えて、メディアや広告の今後のあり方を説明するが、このように身近なメタファでテクノロジーや未来を語るのは、なるほどわかりやすい。特に、本書が対象とするのは私のような業界人ばかりではないだろうから、そのような人に向けての解説としては秀逸だ。

広告が三河屋になるためには、複数のシステムやデータとの連携が必要となる。このためのプラットフォームがタイトルにもある「マーケティングプラットフォーム」だ。本書では、その構成要素として、1) 効果測定、2) CRM、3) 広告配信の3つが必要とされている。1) の効果測定はウェブではアクセス解析であり、Omnitureが紹介されている。また、2) としてはSalesforce.com、3) としてはDoubleClickが紹介されている。これらの複数の異なるプレイヤーのサービスを連携させることで、広告がより効果的な形でユーザーに配信されるようになる。ここで取り上げられているベンダーも自身がプラットフォームのビルディングブロックになることを想定しており、積極的に他社のサービスとの連携を図る。インターネットという上でAPIが自然と標準化されていくかのようだ。

本書ではさらに、デジタルとリアルの融合として、デジタルサイネージとモバイルが紹介される。デジタルサイネージとは、「街頭や店舗、公共の空間などで表示されているポスターや案内表示、看板などを、紙ではなく薄型ディスプレイに置き換えたものである」(本書より)。日本でも街頭で大型薄型ディスプレイを使った広告を見ることがあると思うが、それなどがデジタルサイネージだ。コンビニのPOS端末でCMが流れているのもデジタルサイネージになる。このデジタルサイネージは設置場所や時間帯などを考慮することで、ターゲットに最適された広告媒体となりうる。しかも、今ではその広告を見ている人間の性別や年齢などを自動識別することも可能であり、リアル店舗であればその場で効果測定もできる。ただし、標準化がされていないため、未だに大きな広がりをみせるには至っていない。

モバイルについては、日本が主導できる可能性のある分野だ。今はまだモバイルもキャリア主導の公式サイトモデルが主流だが、広告媒体として、携帯デバイスを利用できるメリットは大きい。位置情報を取得するためのGPSが組み込まれており、さらにはペイメントシステムとしても普及しつつある。

本書では、このように複数の広告媒体の可能性を説明しつつ、一貫して三河屋モデルを実現するための技術を解説する。そこには、広告というものを神聖化して考える従来の広告業界へのアンチテーゼがある。
 新聞業界にとっての中核業務は言うまでもなく紙の新聞の発行である。そして広告業界にとっての中核業務は、クリエイティブな広告の創造ということになるだろう。
 「広告は多くの人に共通する価値観を伝えている」「アテンション(認知)獲得の手段として、今なおテレビCMに勝るものはない」「広告はもっと楽しくなれる」など、テレビCM崩壊が叫ばれる時代にあってもなお、広告の意義を叫ぶ主張は根強くある。そして、それらの主張は概ね正しいのだろうと思う。
 でも、最終的な利益を重視するならば、消費者の感性に訴えるような印象深いメッセージを何度も何度も見せることよりも、顧客のニーズを正確に把握し適切な商品を適切な価格で供給する関係を築くことのほうが、これからはより重要になるのだ。
 クリエイティブな広告はなくならない。しかしその重要性は低下せざるを得ないのだ。
まったくそのとおりだと思う。私ももう1つのブログで紹介しているように、広告も情報の1つだから、情報という商品を顧客に適切なタイミングで適切なフォーマットで届けることが重要だ。ただし、広告には人の潜在意識に訴えかけるものがあるのも事実だ。その場合の広告はよりアートに近くなるのかもしれないと考える。そのようなクリエイティブ重視の広告の配信方法や配信場所についても、本書で述べられているマーケティングプラットフォームが利用できるのではないだろうか。

私がもう1つのブログで展開している論理は、コンテンツ/コンテナ/コンベヤという考え方だ。コンベヤを分離する考えは本書でも言及されている。
 従来型メディア企業には、情報経路こそ自分たちのコアコンピタンス(事業の核)ととらえている人が多いが、そこにこだわるべきではない。テレビ局が雑誌を出してもいいし、出版社が動画ビジネスに乗り出してもいいのである。ターゲット層のイメージを明確に持ち、その層に向けて情報経路の最適な組みわせを選択すればいいのだ。現在のようなメディアの大変革期において「そんなの出版社の仕事じゃない」「そんなの新聞社の仕事じゃない」といった議論ほど不毛なものはない。メディア企業のあり方自体が大きく変わろうとしているのだから。
完全に同意だ。

何度も自説を展開してしまうが、これからのメディアは水平統合時代において、いかに生き残るかを考えるべきであろう。

この他にもパーソナライゼーションを追求するときに常についてまわるプライバシーとのトレードオフ、「顧客の声を聞く」という言葉の魔力とその実効性(つまり、マーケットインとプロダクトアウトの兼ね合い)などについても、大変示唆に富んだ考えが示される。

メディアやウェブに関係する人は是非読むことを勧める。

坂本龍一という奇跡

最近、私の中でにわかに坂本龍一ブーム。

Twitter友達と教授談義で盛り上がったり、アップルストア銀座の講演での過激な発言に対するネットの反応を読みふけってみたり。

Twitter友達へのメールなどでも書いたのだけれど、私は幸運にも、YMOをリアルタイムに体験している。今でこそ、教授やYMOは別格扱いされるほどの存在になっているが、登場した当時は必ずしもそうではなかった。少なくとも、私や私の周りでの評価は今と違っていた。

YMOがデビューしたとき、「お前が音楽なんてやっていたのか」って思うような同級生が急に、あの人民服のジャケットのLPをクラスに持って来た。後で知ったのだが、彼はずっとエレクトーンをやっていたらしく、その時にはかなりの腕のキーボディストになっていたようだ。ハードロックや当時のニューミュージックの話しかしていなかった私の周りにいた連中とは完全に別ドメインにいたやつだったのだが、そいつがYMOのすごさを語りまくる。FMやFM情報誌でも急に取り上げられるようになった。ただ、私の仲間内では、まだYMOが主流になることはなかった。当時はまだシンセサイザーは特別視があったし、何よりも彼らのサウンドは欲求不満の塊の中学生の怒りや不満のぶつけ先にはあまりにもクール過ぎた。

ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

シンセサイザーと言うと冨田勲ぐらいしか一般には知られていなかった時代だ。一般の音楽とは別のまだ実験的なものという認識が強かった。クイーン(Queen)などもシンセサイザーを使っていないことをアルバムに明記していた時代だ。

同じ頃、テクノポップがブームとなった。P-Model、プラスチックス、ヒカシュー。どれも色物的で、パロディでやるには面白かったが、正直、彼らに熱くなった思い出はない。ただ、YMOも含めて、良く聴いていたとは思う。

また、私がギターをやっていたこともあって、大村憲司や渡辺香津美という名ギターリストが参加したアルバムやツアーの様子は気にして見ていたと思う。

そんな彼やYMOに対する評価が変わったのは、彼が忌野清志郎とのユニットを組んだり、彼のロックミュージシャンとの交流がメディアで報道されたりしたあたりからだ。私も高校に進学して、どんなジャンルの音楽も聞く、いわゆる雑食家となっていた。ジャズや毛嫌いしていたクラッシックまでも聞くようになっていたので、彼やYMOに対する距離感も当然のようになくなっていた。

そこにあの戦メリの登場だ。デビッドボウイとの共演も圧倒されたが、あのサウンドには本当に驚かされた。その後、エリッククラプトンがBehind the Maskをカバーしたり(後で、マイケルジャクソンのスリラーにも入る予定だったと大村憲司氏が語っていたのを聞いてびっくりした)、ソロでの数々の名曲で、熱狂的なファンという立場ではないものの、常に気になる存在になっていた。

今回、改めて、教授の発言を読み返してみたりしたのだが、彼はいわゆる天才なのだという結論に改めてたどり着いた。天才がカリスマ性を排除した1人の当たり前の人間としての発言をしている。そのため、ファンは熱狂し、それ以外の人は戸惑い、反発する。発言も正直、支離滅裂だ。一貫性もない。隠居した経済界の大御所の大きなお世話のような説教を垂れるのも困るが、このように一貫性のないメッセージを流されて戸惑う人も多いだろう。いわゆる大衆に対して迎合しておらず、その時々で思うことを口にしているのだろう。音楽だけが彼のメッセージを伝える唯一の手段なのだから、それ以外の発言はあくまでもその時々の彼の心情や思いがそのまま出たものと考えれば良い。

私は神話のある人に対して、無条件に信奉してしまう性癖がある。彼の神話はいくつもあるだろうが、私の琴線に一番響いたのは、彼の新宿高校のころのエピソードだ。彼が学生運動にも傾倒していたのはいろいろなところで紹介されているが、当時は大学だけでなく、高校でも学生運動が盛んだった。バリ封(バリケード封鎖)なども行われていた。その当時のことは、四方田犬彦氏の「ハイスクール1968」でも読んでみて欲しい(これは別途紹介したいほど好きな本だ)が、その中に出て来ている坂本龍一のエピソードを紹介しよう。
「青山高の英雄的闘争に連帯しよう」というのが、新左翼の高校生たちの合言葉となった。10月から11月にかけて、わたしの通学している教育大駒場の周囲でも、駒場高から奥多摩高校まで、次々とバリケード封鎖の旋風が生じた。新宿高では三年生の一人が、封鎖された音楽室でドビュッシーを優雅に演奏していたという、まことしやかな噂が流れてきた。大分後になって、その生徒が坂本龍一という名前であったと、わたしは知らされた。
この本が出版されたのはごく最近の2004年で、彼に対する私の中の評価が変わるのはそのはるか前なのだが、その頃からこのような彼の姿を私は想像していたのかもしれない。

我々は彼のような天才の音楽を聴く機会に恵まれているというだけでも、時代を共有できているものとして感謝すべきではないか。

ちょっと褒めすぎかも。

2009年3月16日月曜日

Ringo EXPO 08

Ringo EXPO 08 [DVD]

昨年11月に椎名林檎10周年ライブに行った。その模様は当時のブログに書いてある。これだ。

このブログを今読んでみても、ちょっと醒めた感じがわかる。今考えると、醒めていた理由は2つだと思う。1つは席がアリーナじゃなかったことだ。ちょっと高い席からの眺めだったため、ライブの臨場感が完全には味わえなかった。もう1つはライブがいわゆるロック的な感じというよりも歌謡ショーの色彩が強かったためだ。

このDVDは私のように消化不良というか欲求の発散場所を未だ探していた人を救済するものだ。DVDを見ると、もしかしたらあのライブはこのDVDを作るためだったのではないかとさえ思わされる。それほどに映像が美しく、彼女のパフォーマンスが際立つ。

去年の彼女の10周年に一連のプロモーションは批判も多かった。素直にすべてに盲目的に追従した私などは表彰されても良いのだろうが、おそらく日本には同じようなバカが数百万人はいると思われるので、あまり威張れない。商業的な戦略が見え隠れしてはいたが、それに目をつぶれば、10周年に値する良い活動が見れたと思う。これを一区切りとし、今年からの彼女に期待したい。

私は、東京事変の形が現在の彼女にあっていると思うが、同時に彼女自身の作品も聴いてみたいと思う。

転職する人、できない人

「こういうもんだから」という大上段で構えられるのを見ると我慢できない。日本人だけ見たって、1億以上いるわけだし、世界は広く、世の中は激動だ。

そんな中で、上位何%の人間がほげほげで、何歳までにそれは決まるとか言われちゃっても、機嫌悪くなるしかない。しかも、私はその何歳までを超えちゃっているし、そもそも人間の器は成長期で決まるみたいなこと言われちゃっても、過去には遡れない。

という感じで、私みたいに好き勝手に戦略も無く(本当はちゃんとある。わかんないだろうけど、これでもあるのさ)、生きている人間には、なんとも機嫌を保ちながら読むのが辛い本だった。

転職する人、できない人
古田 英明

4104769010

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ヘッドハンターというかエグゼクティブサーチ業界では有名な縄文アソシエイツの古田氏の本の悪口を書いているのだから、この後の転職でこの会社のお世話にはなれないだろうと覚悟しなきゃいけない。ブログ1つで人生棒に振っていいのかとも思ったが、そもそも縄文アソシエイツのような会社から声がかかるわけはないので、うぬぼれるにもほどがある。

それはともかく、この本だが、実は良いことがたくさん書いてある。従来の日本企業の構造がいわゆるピラミッド型だったものから、文鎮型に変わって来たこと。その中で、上意下達型のリーダーはもはや不要であり、これからのリーダーは「心技体」のうち、「心」の割合が重要になるというような話はすごく心に響くメッセージであり、特に日本のリーダーが仕事ばかりで、人間としての魅力が無いことが多いことを感じている自分の考えと近い。

また、中で「自責」と「他責」についても述べている。
「自責の人」とはすなわち、何か失敗をした時に自らを振り返って反省することができる人です。これに対して「他責の人」は、それを他人のせいにして自分の責任をできるだけ回避しようとする。
非常に耳が痛い。外資系という会社は日本以外の本社機構を持つ。そのため、どうしても日本のユーザーや顧客の要求とずれが生じてしまうことがあり、その狭間に立たされるのが現地法人の社員なのだが、このときにどのように振舞うかでその人の器が知れてしまう。外資系が長いと、この部分にあきらめが生じてしまう。というか、達観してしまうところがあるのだが、それはすなわち「他責の人」であることにほかならない。常に自分が目指す「看板なしの生き方」を標榜するならばこそ、この「他責」グセを直さないといけない。

そのほかにもこの本には、心に訴えるリーダー論(「感動」の持つ力について)なども書かれており、非常に参考になる。

だが、冒頭に書いたように、以下の2点で私は読むことに苦痛を覚えた。
  • 人間を%でレベル分けをし、そのトップ5%を目指す人にのみに対してメッセージを送っている。中で、それ以外の生き方を認めることを書いているので、著者が残りの95%もしくはいわゆる出来ない人としてくくらられた20%の人の生き方を認めていないわけではないのだが、この本は一貫して上位5%を目指すために書かれているため、途中から違和感を超え、選民主義に通じる嫌悪感さえ抱いた(選民主義に通じるように感じたのは私だけであり、著者はそのような意図は無いと思う)。
  • また、本書では、何歳までに何をしておかないと手遅れだという解説が繰り返される。その多くは30歳台までへのメッセージである。自分個人のことを考えた場合、すでにその年齢を超えているので、指をくわえてポツーンというか、「俺にどうしろと言うのか」感は否めなかった。特に、年齢を加えてからの人間としての魅力、すなわち「心」の部分の魅力というのは、「どんな子供だったかということ」と最後の最後に締めてくれる。
    人をマネージメントしたり、リーダーになったりする上で大切なことは、実は正直さとか義理堅さとか、親が子供に言って聞かせるようなことばかりなのではないでそうか。ですから、子供時代に親が教えてくれたことをすべて実行できれば、本当に良いリーダーになれると思います。
    って、最後の最後に、親から受けた教育のことを言われても、困るのだが。アル中の父親に育てられた人はその後いくら本人が頑張っても著者の言うトップ5%には入れないっていうことなのか?
後者の部分に関しては、キャリア転機の戦略論でキャリア後期の人間に貪欲なまでの成長意欲があることを考えると、考え方が古いというか、硬直していると思わざるを得ない。

特に、著者がピラミッド型の上意下達を良しとする日本の従来の組織構造に限界を感じると言いながら、結局のところ本書では、レガシーもしくはトラディショナルな日本的な会社におけるキャリアしかロールモデルとして示せていないところに限界があるように感じる。会社を超えたところでのキャリアの道があったり、起業という道が日本でも一般的になるなど、いくつもいろんな選択肢があることを考えた場合のキャリアというのはこの本で書かれているものがすべてではないだろう。

ただ、すでに述べたように、ここ書いた2点を除くと(実は、この2点が結構本書全体の柱になっているので、除くことが難しいのだが)、本書で書かれていることに同意できる点は多い。古典にあたることの重要性。これは安岡正篤に学ぶでも書いたことだが、私自身、最近意識し始めている。また、逆三角形の下にいるのがリーダーだという考え方。すなわち、ホスピタリティ/サービスアビリティなどを駆使して、如何にして組織や部下、メンバーをモチベートしてゴールを達成していくかの考え方などはまったくそのとおりだと思う。外資で言う、エンパワーメントというやつだ。この概念も非常にわかりやすく解説している。

あ、言い忘れたが、転職しようと思っているわけではないので、変な勧誘電話はお断り。単に、いつものようにブックオフで仕入れて、サクサクって読んでしまったものの1冊だ。

2009年3月9日月曜日

キャリア転機の戦略論

念のため言っておくが、転職するために読んだのではない。

私の積読コーナーに結構ある、「ブックオフで100円だったから買っちゃったよ本」の中の1冊。正直、あまり期待していなかったのだが、これがなかなか良い。

私は外資系3社を渡り歩いていて、外資系の良いところも悪いところもわかっているつもりだったが、甘かった。良く考えてみたら、当たり前で、私の知っている外資系というのはアメリカ資本の会社だけだし、しかもコンピュータ/ソフトウェア系の会社だけだ。

本書はLBS(ロンドン大学ビジネススクール)での教鞭の傍ら、現地の世代と性別の違う社会人にインタビューした結果わかった英国のキャリアデザインをまとめたものである。アマゾンのレビューなど見ると、タイトルと内容が違うということでがっかりされていらっしゃる方もいたようであるが、私から見ると、米国とも日本とも違う英国の考え方や歴史などがわかり、大変参考になった。たとえば、日本より転職が多いとは言え、戦略なき転職はジョブホッパー(Job Hopper)と呼ばれ尊敬されない。これなどは、シリコンバレーで3年おきに会社を変わるのさえ珍しくないというのとはまったく異なる。

本書では、世代と性別の違う12人が登場する。
  • キャリア初期(20歳代から30歳代前半): 男性3人
  • キャリア中期(30歳代半ば40歳代まで): 男性3人+女性3人
  • キャリア後期(50歳以上): 男性2人+女性1人
それぞれのキャリアヒストリーはそれだけでドラマになるほど大変興味深いのだが、本来は挑戦するはずのキャリア初期の男性3人が守りに入っており、逆に本来ならばすでに老成の域に入っているはずのキャリア後期が積極的にさらなる成長と挑戦をしていることに驚かされる。なんとも皮肉なものだが、これには彼らの育った経済や社会状況、さらには学習の機会の有無なども影響しているようだ。英国の話とは言え、似たようなものを日本にも感じてしまうのは私だけだろうか。

最後に登場する日系英国人女性は40歳を過ぎてから大学に入り、その後、大学院の修士課程、そして博士課程まで進んでいる。本書執筆時に、すでに65歳を過ぎているのだから驚きだ。彼女に限らず、キャリア後期の方々の学習意欲には刺激を受けた。

また、同じくこのキャリア後期に属する別の男性のリストラを生き延びる方法は参考になる。彼曰く、1) 信頼できる友人・知人を持っていること、2) 精神的な若さを保つこと、3) 自分自身の能力開発に常に務めること。どんな国でも会社でも、この先少なくとも2年くらいは厳しい状況が続くと予想される今、サバイブし続けていくために、この3つのポイントは重要だ。

最後に、筆者は一般の戦略論の際に必要となる、次の5つの視点が必要と説く。
  1. 短期よりも中長期
  2. 後手後手ではなく先手
  3. ビジョンや使命や目標が必要
  4. メリハリをつけ選択
  5. 自然な流れ
今のように世知辛い世の中になると、ついついこの視点を忘れがちになるが、戦略的にキャリアデザインをするためには忘れずにいたい。

100円で良い本に巡り会えた。いつもながらブックオフに感謝。

キャリア転機の戦略論 (ちくま新書)
榊原 清則

4480061991

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2009年3月4日水曜日

年下の女性

産経新聞に次のような記事が掲載されていた。

【2030年】第1部 働く場所はありますか(3)希望なき「希望退職」 「正社員に優しい」企業が変わった

内容はあの会社かなと思うあの会社の退職勧告の話だ。記事内容についても意見がないこともないが、実際の現在の雇用環境の厳しさを知るには良い記事だと思う。

ただ、それよりも、次のような記述。
世界的なコンピューター会社日本法人の係長、右近広治さん(51)=仮名=は昨年秋、年下の女性課長に「個別面談したい」と呼び出された。

<中略>

右近さんが「定年まで勤めたい」と断ると、今度は同年代の女性部長に呼ばれ「GBS&GDEビジネス推進」という新設の部署への異動を命じられた。
「年下」、「女性」って、この記事の本質に何が関係あるんだ。

ちょっと気分が悪くなった。

2009年3月3日火曜日

就活のバカヤロー

就活のバカヤロー (光文社新書)
大沢仁

4334034810

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就職活動、略して就活。私の時代には略さなかった気がする。

私はいわゆるバブル世代のため、わがままさえ言わなければ、就職先には困らなかった。むしろ、企業側の囲い込みが話題になったような時代だ。早めに内定を出した学生がほかに逃げないように研修という名前で海外旅行に連れて行くなど、ちょっと考えれば、あの時代でも異常だと気づくだろうことが普通に行われていた。

ただ、その時代でも、私はそんなに楽に就職は出来ていない。確かに、わがままさえ言わなければどこかには就職できたのだが、5月くらいに見学に行った某大手電機メーカーの工場で正午になると同時に社員が社員食堂めがけて走り込むのを見て幻滅し、某大手プラント会社からは「お前のような奴は作業員に舐められるからデパートの店員にでも成ったほうが良い」と言われ、6月になることにはすっかり何をして良いかわからなくなってしまっていた。

そりゃそうだ。3年生まではレジャーランド化した大学でサークル活動(ロックバンドをやっていた)と読書や映画にばかり時間を使っていたのだから、社会人になることなんて考えていない。周りのみんながすっかり日和って(読めますか? 「ひよる」と読みます)、サラリーマンまっしぐらなのを馬鹿にしていたくらいだし。

焦りだしたのは、今でも就職人気ランキングで上位に入る某大手電機メーカーに電話だけで断られたころからか。技術系は電気系学科出身しかとっていない。はぁ、そうですか。さらに、某シンクタンクからも院卒しかとっていないと言われたころから、焦りだした。

同じ研究室の院の先輩が私も受けかけていたYHP(横河ヒューレットパッカード。今の日本ヒューレットパッカード)の内定を貰って、「じゃあ、及川君はここにしなよ。2人しか就職しない研究室で2人とも同じ会社ってまずいし」と言われて、そのまま素直に受けて入ったのが最初の会社の日本DEC(ディジタルイクイップメント)だ。こんな具合に、なんとも主体性のない就職活動だった。それでもどうにかなってしまうくらいに、いい加減、良く言えば、のんびりした時代だった。

ちなみに、最後は、某テレビ局の技術職員と某石油会社を受けていた。内定が早く出たところに行くと決めていたので、ちょっとでも運命が違っていたら、どうなっていただろうかと今でも考える。

さて、本書は、企業、大学、学生、就職情報会社という4者が繰り広げる、現代の茶番劇(失礼!)を解説したものだ。家に何故か置かれていたので、2回風呂に入る間に読んでしまった。

どんな茶番かは冒頭の「焼肉の生焼け理論」を読めば一発でわかる。
みんなで焼肉をするとき、十分焼いた方がおいしいことは誰もがわかっている。ところが、さっさと食べないと他の人に食べられてしまう危険性がある。

そこで、誰かが抜け駆けして、多少生焼けでも食べるようになる。それに煽られて、他の人もみんな生焼けで食べるようになる。

しかし、心の中では誰もが「生焼けじゃおいしくない」と思っている。でも、他の人に食べられるのはおもしろくない。かくて、みんな生焼けのまずさを我慢して食べることになる。結局、満足する人は誰もいない――。

これが、「焼肉の生焼け理論」だ。
つまり、これと同じことが就活では起きている。誰もが、3年生のときから活動するなんておかしいと思いながら、自分だけ引くことができない。結果、意味が無いと思いながらも、年々エスカレートする、本質的には意味の無い就活プロセスを回し続ける。

私は、何故か、学生にキャリアディベロップメントについて話す機会が多い。先に述べたように、実にいい加減な学生時代を過ごし、かつ実にいい加減な就職活動をしたのにも関わらず、今では偉そうに、学生時代にどのように過ごせば良いか、社会はどういう人材を求めているかなどを話す。そんな資格も無いのに。

正直に言うと、今の学生は私のころよりも、真面目だし、勉強しているし、意識も高い。大学生のうちからインターンシップや交流会などを通じて、社会人と接する機会も多い(もっとも、本書では意味の無いインターンシップなども多いことが暴露されているが)。

私に言えることは、会社なんて10年や20年たてば評価も変わるし、そもそも存続していないことをある(私の最初の会社なんて無くなっているし)のだから、どこの会社に入るなんてことよりも、何をしたいかをじっくり考えるのが良いだろう。さらに言うなら、やりたいことだって変わるのだから、社会人としての生命力をつけることにまずは注力するべきだ。私だって、その生命力をつけるために、いまでももがいているくらいなんだから。

で、この本はそれぞれの茶番劇がいろいろなエピソードを交えて書かれているので、お勧め。