2012年11月5日月曜日

英語を勉強するのは、英語しかできないバカに騙されないため

たかが英語!

英語ができると年収が上がるという説がある。
 実は、「英語ができると同じ職種でも30%は給料が違う」という現実をご存じでしょうか。ただし、これは英語が、というよりも、日本企業より外資系企業が給料をアップさせて採用する方針があるからかもしれません。つまり、外資系企業の求人要件には「英語力」が入っているためです。これだけグローバル化が叫ばれていても、実際に英語ができる方や外資系で働いている人の数は少ないといえます。英語ができなくても年収1000万円を貰える国は非常に少ないでしょう。これはこれで日本のすごいところではあるのですが…。

(英語力のあるなしで年収は30%も違う!? 押し寄せるグローバル転職の波に勝つ人、負ける人|35歳からの「転職のススメ」|ダイヤモンド・オンライン から)
この記事にはソースが示されていないので、どのような根拠でこのように言っているかわからないが、おそらくこの記事以外でも同じような話を聞いたことはあるだろう。昨今のグローバル化という言葉で、英語の必要性を肌身に感じている人も多いはずだ。

社会人の英語力を図る尺度として、日本ではTOEICが有名である。賛否両論のあるこのテストだが、私自身はTOEIC自身を評価している。日本人にとっての良いベンチマークであろう。(参照:玲瓏 - TOEICのすゝめ)

このTOEICのスコアと収入に相関関係があるとする記事も多い。
 また「プレジデントファミリー」(2008年5月号)の「英語が喋れると、年収が高くなるのか?」(上)、国税庁(下)のデータを見ると、スコアが高くなるほど、それにスライドして年収も多くなる傾向が見て取れます。一番下は全国平均ですから、語学力が年収に与える影響力の強さが見て取れます。(【注】図は直接、元記事を参照のこと)

(誠 Biz.ID:【図解】人生の大問題:あなたの人生にかかわる衝撃的事実リスト【英語編】から)

一方、TOEICスコアに関しては、人材紹介会社のJACによる調査では、収入との関係は無いとの結果も出ている。
本人申告の英語力別に集計すると、「TOEICスコアが高いこと自体」は、「転職決定年収」とは無関係になっています。



(英語力・TOEICと年収・転職決定率|グローバルホワイトカラー調査レポート|採用支援サービス|英語力、専門職、管理部門の人材採用なら人材紹介会社JAC から)
ただし、このJACのレポートでも「本人申告による英語力が高いほど、「転職決定年収」・「転職決定率」は、高くなっています」とあるように、英語力と年収には関係が見られるとしている。

このような記事はそれこそ枚挙に暇がない。

参照:英語ができれば年収は本当にアップするのか? - NAVER まとめ

だが、本当にそうであろうか。

関係と一言で言っても、それは「因果性」がある場合と、単なる「相関性」がある場合に分けられる。「因果性」とは、ある行為の結果で何かが起こることであり、「相関性」は単に2つの事象に関係性が見られることである。今回の英語力と収入の関係で言うと、英語力があるために収入があがった、つまりほかの要因を排除しても、英語力向上が収入の向上に寄与したと言える場合に因果関係があることになる。

一般的に、収入の高い人は学習意欲が高く、また地頭も良いことが推測される(これも「相関関係」であり、「因果関係」であるとするためのデータをここでは例示できていない)。したがって、英語力のみならず、ほかの能力も高かったり、もしくは学習により新たな知識なども吸収できるような人だったりすることも多い。その場合は、英語ができるから、収入が向上したというよりも、収入が向上するような能力を持った人だから、英語力も高いとするほうが自然だ。

したがって、英語力が向上したからと言って、一概に収入が向上すると思わないほうが良い(手当がある場合は除く)。

では、英語は必要ないのか。元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞さんの本に「日本人の9割に英語はいらない」というものがある。この本では、英語よりも成人として身に着けて置かなければいけないことがもっとあるのではないかということが主張されている。

私も以前ツイートしたことがあるが、年に1回しか海外旅行に行かない人がその時のための英会話を習得するために、年間数十万もかけているとしたら、それこそ時間と金の無駄である。その金を通訳ガイドを雇うのに使ったほうが良い(と書いたら、自分の言葉で現地の人と会話するのも海外旅行の醍醐味だと言われたので、これはかなりの暴論だったことは認める)。

ポイントは動機づけ、すなわち話す必要がないのにもかかわらず、勉強しても仕方ないということだ。

成毛眞
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さらに、この本が言っているのは、話す内容のほうが大事だということだ。日本語でさえ、内容がないことしか話せない人が英語で何を話すというのだ。それよりも、歴史や文化など、日本人として必要なことをきちんと習得することのほうが重要だと説く。

これは究めて重要な点だ。英語力というが、多くの人にとって必要なのは、英語能力を高めることではなく、英語を使ったコミュニケーション能力を高めることなのだ。言い換えれば、「英語を話す」のではなく、「英語で話す」のが大事ということなのだ。英語力だけでなく、話す内容が伴っていなければ意味が無い。

英語で話すということを考えた場合、日本人は多少の間違いなどを気にせずに、どんどん英語を使ってみるのが良い。当初は綺麗な英語である必要はない。英語を母語としない人たちが多く参加する会議などに出てみるとわかるが、発音はまちまち、文法が多少怪しい人だって多い。それでも会話が成り立つ。気合と根性と集中力。それにグローバルで通じるための英語能力。それが必要なのだ。

このための英語力は「グロービッシュ」と呼ばれる英語ご共通するものが多い。グロービッシュは約1,500語の単語と簡単な英文法能力だけでコミュニケーションを図る手法だ。

世界のグロービッシュ ─1500語で通じる驚異の英語術


グロービッシュレベルだけで十分かどうかは話す内容によって異なるが、1,500語だけでも話せること、そして世界で英語を使っているのは英語が母語でない人も大勢いるということ、英語で苦労しているのは日本人だけではないということを知るためにも、このグロービッシュは理解しておいても損はない。

先の動機づけの話に戻ると、本当に英語を話す必要がないのならば、英語の勉強はしないで良いだろう。そのための時間をもっと大事なことに割くべきだ。さもないと、勉強しても、それを実践する機会を持てずに、決して英語が身につくことはない。

ただ、本当に英語が必要ないかどうかは考えたほうが良い。安易にグローバル化などと強調したくないが、これからの日本を考えた場合に、英語が必要ない会社だったならば、将来を案じたほうが良いだろう。

英語が必要な環境であった場合でも、誰もが英語が話せなければいけないということはないだろう。一部の部署や一部の人だけで十分なことも多い。だが、ここで気をつけないといけないのは、その一部の人たちだけに英語でのコミュニケーションを任せておくと、情報をフィルターされたり、成果を横取りされたり、自分に不利なように話を進められたりする可能性があるのだ。

ある外資系企業に長く勤める知人から聞いた話では、外資系企業の中には「英語しか話せないバカ」と言われるような人たちがいることがあるそうだ。一般的な業務上の能力が必ずしも秀でて優れているわけでもないにもかかわらず、英語ができるために、本社とのやり取りの中心的な存在になっているような人たちだ。その人たちが謙虚に振舞っていれば良いのだが、自分の立場を利用して、あることないことを本社に報告したり、成果を自分のものとしたりすることがある。本社側の人間も英語が堪能なその人たちと話していると楽なので、ますます情報は彼らに集まるようになる。上司へのお世辞もうまかったり、本社が喜ぶような案件についてのプレゼンテーション能力も高かったりするので、ますます彼らは可愛がられる。昇進も重ね、その地位は揺らぎないものになる。

さすがに最近ではこのような人たちはあまり見ることがないそうだが、まだ日本で外資系が珍しく、日本人の英語レベルが今よりもずっと低かったころには、英語だけ堪能と思われる人たちに遭遇することは珍しくなかったそうだ。

「英語しか話せないバカ」というのはなんとも物騒な言い回しであるが、その人に悪意があるかないかは別としても、英語が堪能な人に会議の主導権を握られ、曖昧に頷くしかなかったために、満足のいかない結論に妥協しなければいけなくなるようなことはある。日本人で英語が堪能な人にそのようにされるのならば、まだその人と協力関係を構築しておけば良いのだが、日本人以外(すなわち、日本語での会話ができない人)に同じように、話の主導権を握られたり、こちらの意図とは違うように解釈されることによって、不利になってしまうこともある。

英語を勉強することとは、あえて極端に言うならば、英語でのコミュニケーションができないということだけで、不利な状況になることを避けるためでもあるのだ。

「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21)

国際共通語としての英語 (講談社現代新書) 危うし!小学校英語 (文春新書) 歴史をかえた誤訳 (新潮文庫) 英語社内公用語化の傾向と対策 ――英語格差社会に生き残るための7つの鉄則 英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由

楽天をはじめ、英語社内公用語を打ち出すところも多い。ネガティブな意見も散見される。やっぱりいた… 楽天英語公用語化で「取り残されてしまった人たち」 (1/2) : J-CAST会社ウォッチ によると、精神的に参ってしまっている人が出ていたりもするようだ。また、次のような意見も見られる。
   一方、英語の点数をクリアしたものの、日本語オンリーの業務環境は変わらず「何のために勉強したのか」と呆れる人もいる。面白いことに英語公用語化の徹底度合いは、社のフロアによって微妙に違うらしい。

(やっぱりいた… 楽天英語公用語化で「取り残されてしまった人たち」 (1/2) : J-CAST会社ウォッチ から)
だが、知り合いの技術者は社内で英語を普段使うようにしているから、技術カンファレンスで海外のスピーカーが英語で行う講演も以前に比べて理解できるようになったとしている。特に、技術者は未だに多くの情報は元が英語であることが多いので、英語を身近に感じられるようになったことの意味は大きいだろう。

英語社内公用語までいかなくても良いから、このような組織あげての取り組みは是非考えていきたい。

このようなことを考えていたら、今朝ほど日経新聞にタイミング良く次のような記事が出ていた。

グローバルな社会で活躍できる人材になるには 三菱商事・小島順彦会長 経営者編第1回(11月5日) :日本経済新聞

商社とういのは昔から英語が堪能でないといけないというイメージがあるが、ここでも三菱商事会長の小島氏は英語三原則として次のように言う。
(1)流ちょうな英語でなくてもいい。
(2)流ちょうに英語を話す人が必ずしも優秀とは限らない。
(3)重要なのは自分の意見を持ち、議論の中でそれを主張できる力。

(グローバルな社会で活躍できる人材になるには 三菱商事・小島順彦会長 経営者編第1回(11月5日) :日本経済新聞 から)
ここで書いていたと同じことを、私よりも適切な表現で、小島氏もおっしゃっている。

このブログを読んでいらっしゃる方の多くは技術者だろう。技術者にとって大事なのは技術力である。専門を極めることによって、会社や組織に貢献することであったり、自己実現を図ることである。したがって、英語によるコミュニケーション能力を高めるよりも大事なことはたくさんある。だが、成し遂げようとすることは一人では実現できないことがほとんだろう。利用者と繋がらなければいけないこともあるだろう。技術を極めるためにも、英語を含む言語によるコミュニケーションが必要になるのだ。

冒頭に書いた、収入への影響もこのような間接的な形で起こることになろう。

ー*ー*ー*ー*ー

英語を勉強する必要はあるのでしょうか、またある場合はどのような勉強をすれば良いのでしょうかと聞かれたのだが、一番大事なのはやはり動機づけだと思うので、少し刺激的な「英語しかできないバカに騙されないために」という言い方をあえて用いて、まとめてみた。タイトルに気を悪くした人がいたら申し訳ない。

動機づけという点で言えば、本当はその国の文化を知りたいという気持ちだったり、その国の人と知り合いになりたいという、もっとピュアなものも大事にしたい。実際、第二言語を習得できている人のかなりが恋人がその言語を母語とする人だったということもある。

ビジネスの世界で必要に迫られてというところかのスタートであっても、勉強のどこかの段階でその言語により拡がる文化的な部分にも興味を持てるようになりたい。そのような動機もあわせて持つことで、よりその言語の習得は進むのであろう。

う〜む、思いの外、長くなってしまった。

2012年10月19日金曜日

FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: Japan Books)

小学校のころは良く電子工作をした。

物心がついて、ドライバーを使えるようになったら、家中のネジがついているものを分解し、そして再度組み立てた。もとに戻せなくなるのが怖かったので、最初は簡単なものをおっかなびっくり触っていたが、そのうちに複雑なものも分解するようになった。

コンセントなども分解したりしていたので、今考えると、良く感電しなかったものだと思う。

そのうちハンダゴテを使えるようになると、自分で簡単なスイッチなども作るようになる。当時住んでいた場所の近くにマブチモーターがあったのが関係していたのかどうか忘れてしまったが、モーターを使った簡単な電子工作を良くしていた。買ったのだったのか、もらったのだったのか、小学生でも作れるキットを入手した。これらは特にハンダ付けは必要無かったのだが、それを元にちょっと凝ったものを作るようになっていた。

そのうちに、ラジオなどの電子工作の王道にもはまり始める。ラジオと言っても、トランジスタラジオだけではない。鉱石ラジオと呼ばれるゲルマニウム・ダイオードを使ったものも作った。こっちのほうが圧倒的に安かった。

電気への興味がさらに強くなったので、アマチュア無線の免許をとりたいと思い、父親に交渉した。小学校5年生か6年生のころだ。父親は、ただでさえ内向的であった私がさらに内向的になると思い、許可しなかった。絶対権力者であった父に反発できるわけもなく、アマチュア無線の免許は諦めた。中学受験などで忙しくなったのもあり、その後、電気への興味も薄れていく。

父を恨んだことなど一度もないが、それでも、もしあの時にアマチュア無線の免許を取らせていてくれたら、いや、自分がそれくらいで興味を失わないでいたらなどと思うことはある。

ものづくりへの興味は大学になって、コンピュータープログラミングという形で再度蘇ることになる。

***

先日、知人が経営するケイズデザインラボとイグアス、ロフトワークが共同で開始する「CUBE」のオープニングイベントに参加した。CUBEは3次元スキャナーと3次元プリンターを体験できるスペースで、FabCafeと同じビルにある。

参照:企業だけではなく個人も3Dプリンタ体験ができる(MONOist - atmarkit)

全身の3Dスキャンがわずか10秒ほどで終わり、それを元にした人間のミニチュアのフィギュアを3Dプリンターで製作できる。個人でも利用可能なこのような環境が手に届くところに来たことを実感できるイベントだった。

このようなパーソナルファブリケーションは我々に忘れていた何かを思い起こさせてくれる。それは、何故と疑問に思う心だ。

子供のころに、私がドライバーで周りにあるものを分解したのは何故か。それは不思議を解明したかったためだ。ものはどのように動くのか。子供であった自分のまわりには不思議がいっぱいだった。当時は、ちょっと勉強すれば、仕組みは理解でき、簡単なものであれば自分で改良できた。根気よく勉強すれば、一から作ることだって出来たはずだ。

ところが、それから数十年が経ち、技術の発展にともなって、ものを作るだけの人と使うだけの人に明確に分かれるようになった。デジタル回路はプロにしか作れないものになり、どんな簡単に見えるものであっても組み込まれているコンピューターチップにはプログラムが組み込まれている。多くの使うだけの人には、理解不能なブラックボックスに囲まれた世界。それが現代社会だ。

CUBEやFabCafe、さらにはMakeというような施設やイベントは、誰でもが行える「ものづくり」というものを思い起こさせてくれる。

FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: Japan Books)

「FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: Japan Books)」は、このようなパーソナルファブリケーションの今の潮流をビビッドに示す書籍だ。

FabLabは全世界に拡がるパーソナルファブリケーションのネットワークだ。ここでは、「作りたいものを、作りたいから、作る」という原点に帰ったものづくりが行える。それもこれも身近になった多くの工作機械のおかげだ。身近になったとは言っても、まだ普通の個人が家庭に置くことは不可能である。しかし、そのようなものであっても、コミュニティに溶け込んだ形で機器を共有すれば、個人がものを生産することが可能だ。大量生産でも一品生産でもない、「適量生産」というものが可能になる環境なのだ。

身近になったとは言っても、複雑化されたものづくりのプロセス自身が極端に簡略化されたわけではない。ハードウェアのデザイン(設計)から生産、そしてソフトウェアの開発に至るまで、それらすべての技術が必要なことには変わりはない。そのため、たとえば、MITにおけるクラスでは、短期間にすべての必要な技術の習得が要求される。人によって得手不得手があるので、お互いに協力しあいながら。

授業内容の濃度は(私は行ったことはないが)MBAコースと同じように大変濃いものに見える。ただ、違うのは、自分が作りたいものを作るためのクラスであるため、基本的に徹底的に楽しいものであることだ。他人からはくだらなく見えるような製作を進めるものもいる。高度なB級娯楽作品の製作現場のようなものかもしれない。

ここでの技術習得のプロセスはFabLabに限らず応用したい。そのプロセスは、「まなび(Learn)」、「つくり(Make)」、「わかちあう(Share)」というサイクルだ。学んだことを使って、すぐに作り、その結果や応用を共有する。これをサイクルとして回していくことで、技術は発展し、この活動がより拡がる。FabLab以外のすべての教育で、この考えを取り入れられないだろうかと思う。ソフトウェアの世界でオープンソースが普及したことにより、劇的にソフトウェア教育や開発現場の作業が変わったように、ハードウェアも含むものづくりやそれ以外の世界でも、この考えが普及することを願う。

本書では、このFabLabの考えと実際の全世界そして日本のFabLabが紹介されている。具体的な工作機械の話なども豊富にあるが、技術に詳しくない人でも読み通せる。そして、読み終わった後には、何か作りたくなってうずうずしている自分に気づくことだろう。

世界にひとつだけのもの。他人から見たらくだらなくても、もしかしたらいびつに見えるものかもしれなくても、それでも良い。世界にひとつだけのもの。それを作る環境が今はもう身近にある。このパーソナルファブリケーションが広まったら、今の世の中にあるいくつかの産業はまったくことなるものになっているかもしれない。携帯のケースなどは、カスタマイズ可能なデザインだけが流通するようになって、自分の好みのデザインを自分の携帯向けに組みわせる作業はWeb上で行い、それを近くにある3Dプリンターで印刷する。こんなことが近未来には起きるようになっているかもしれない。

***

小学校のとき、ゴムを動力とした自作模型自動車のクラス対抗戦があった。おもちゃ屋に行き、それまでに貯めた小遣いでプラモデル並のパーツを購入した。我ながら、これなら誰にも負けないと思うようなものを作って登校したら、当時のクラス担任にこっぴどく怒られた。

「お前の作ったものは、既成品を組み合わせただけだ。どこが自分で作ったものなんだ」

担任は、買ったパーツを組みわせるだけでなく、見た目は粗末でも良いので、自分でこだわって車を作り上げることを期待していた。見ろと言われて見た隣のクラスの連中の作った車は、牛乳瓶の蓋を何個も束ねて車輪とし、割り箸をゴムで束ねて車体としたものだった。

自分の作りたいものを作る。それは、このようにパーツ1つとってもこだわり抜くことだろう。それがパーソナルファブリケーションの原点だ。

2012年6月9日土曜日

ちあきなおみに会いたい。

かなり前のことになるが、村上龍さんが「日本人は不幸だった。ビートルズもビーチボーイズもいない。日本人として時代を共有できる流行歌を持っていなかった。だが、それもユーミンとサザンの登場によって変わった」というようなことを述べていた。

ユーミンとサザンが好きかどうかは別にしても、その歌が流れてくれば、その年のことを思い出す。それが流行歌である。

村上龍さんは日本の歌謡曲を(少なくとも当時は)毛嫌いされていたのかもしれないが、流行歌と言われると、私は今はもう遠い昔の歌謡曲を思い出す。 年末になると、テレビでもラジオでも街角でも流れてくる、歌謡曲を。

ちあきなおみに会いたい。【徳間文庫】
ちあきなおみに会いたい。【徳間文庫】

原風景という言葉がある。

最も古くの記憶にまつわる風景のことを言うが、私のテレビにまつわる原風景は、札幌冬季オリンピックでの日の丸飛行隊であり、あさま山荘事件だ。

こたつに潜り込み、金銀銅を取ったスキージャンプを見た。オリンピックを見るのも始めてだったし、ジャンプ競技を見るのも始めてだった。だが、母の、そして年の少し離れた姉と一緒に応援した。遅く帰ってきた父に興奮して結果を伝えた。

幼稚園へ行く前も、帰ってきても雪の中の同じ建物の映像が流れていた。そのうち鉄球が建物を壊し始める。あさま山荘事件だった。何か大変なことが起きていることは子どもにもわかった。

この2つが起きた1972年の出来事を調べてみると、ほかにもミュンへオリンピックでのテロが起きていた。右肩上がりの経済成長の裏に極めて不安定な世相があった。

その年の日本レコード大賞を取ったのが、ちあきなおみの喝采だった。

あのイントロと歌い出し、そして独特な手の動き。小学校に入ったばかりだった私さえも惹きつけられた。

その後のちあきなおみについて自分史と重ねあわせられるくらい知っているわけではない。テレビに良く出ていたようには思う。

1992年に配偶者と死別するとともに、ちあきなおみは表舞台から姿を消す。その後、復活の噂がありながらも叶わず、すでに20年が経つ。

本書は ちあきなおみの生い立ちから最近まで、関係者の談話なども含め、まとめた一冊だ。私のような40代以上の人間には同時代を生きたものとして懐かしく読める。

なによりも、歌謡曲が流行歌だった時代を色鮮やかに思い出すことができる。昨年のレコード大賞や歌謡大賞の受賞者が誰だったか忘れてしまうような今とは違う、昭和の時代を。

ちあきなおみを知らない人にも、「喝采」や「黄昏のビギン」(これは水原弘のカバー)、「夜間飛行」、「ルージュ」(中島みゆき作)などは聴いて欲しい。あとは、動画サイトなどで有名になった「夜を急ぐ人」。これは友川かずき作だ。友川かずきを歌う歌謡曲の歌手というのも凄い。動画は、夜に見たら、寝れなくなるかもしれないが、それはそれで凄い。

もう難しいとは思うが、それでも復活を望みたい。

2012年5月27日日曜日

非常識マラソンメソッド

世に言う非常識なものには、直すべき問題なものと、むしろ直さずに続けるべきものと2つある。後者は常識にとらわれないという言い方がされ、しばらくすると、もう非常識とは言われなくなる。それらは、従来には無い新しいものへの萌芽である。

成長著しい新興企業なども、非常識と言われることが多くある。そのような企業も非常識でなくなった時点で成長が止まることもあり、いかに常識というものの上に胡座をかき続けてはいけないかがわかる。

非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバ嬢がたった9ヵ月で3時間13分! (ソフトバンク新書)
非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバ嬢がたった9ヵ月で3時間13分! (ソフトバンク新書)

マラソンにおいても、同じように常識と言われるトレーニング法に疑問を投げかけているトレーナーがいる。それが、この「非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバ嬢がたった9ヵ月で3時間13分!」の著者の岩本能史氏だ。

岩本氏がほかの指導者と異なるのは、陸上経験が無い人にとってベストの結果を出すためにはどうしたら良いかを考え、そして試し、試行錯誤を重ねて、方法を生み出しているところにある。

従来の指導者は自らがトップアスリートであり、学生時代から陸上を続けてきているような人がほとんどだ。現在も大学や実業団などで指導していたりすることもある。

しかし、そのようなトップアスリートもしくはその候補と、一般の市民ランナーとでは、筋力から練習量から異なる。

岩本氏は一般の市民ランナーにとっての方法を生み出した。それは従来の指導法からすると、「非常識」と言われるようなものだ。

非常識でありながら、岩本氏の方法はすでに実証されている。自らで試し、配偶者で試し、そして氏が率いるランニングクラブで試されている。私の好きな「仮説と実証」の成果としての「非常識メソッド」である。

具体的にどのようなものかは書籍を読んで欲しいのだが、いくつか代表的なものを以下にあげよう。
  • 初心者でもシューズは薄底(薄いインソール)を履く
  • ランニング後にストレッチはしない
  • レース前日のカーボローディングは不要
  • レース当日はスタートの1時間前まで食べ続ける
  • レース当日のウォーミングアップは不要

この他にもいろいろとあるのだが、どれも従来から言われているものとは大きく異なる。だが、どれも理由があり、説得力がある。

たとえば、レース当日の食事だが、従来はだいたいレース開始の3時間か4時間前までに食事は終えて、胃や消化器官の負担を少なくすることが良いとされていた。だが、それはフルマラソンを3時間以内で走り切るようなランナーへのアドバイスだ。4時間以上かかる人にとっては、もしスタート3時間前が最後の食事だとしたら、7時間以上も栄養が補給されないことになる。

岩本氏は「マラソンは食べるスポーツだ」と言う。当日起きてから、何をどのタイミングで食べるべきか。さらには、スタートとした後の細かい栄養補給までも示される。

私は昨シーズン最後となる4月の長野マラソンで、氏の書籍に書かれている通りのペース配分と栄養補給を行ってみた。少し前半を飛ばし過ぎてしまったのだが、それでもぎりぎりペースを維持することができ、さらには適切に補給を行うことができたため、ハンガーノックも避けることができた。結果、ぎりぎりではあったが、目標としていた、ネットでのサブ4(4時間以内での完走)を実現することができた。

当日、私が用意したメモはこれだ。これとペース配分を書いたものを表裏の両面印刷で用意して、それを見ながら走った。

岩本氏の書籍に出会ったのが今年の始めと遅かったので、練習方法などについては取り入れてから少ししか経っていない。今秋からまたレースに出ることになると思うが、そのときが楽しみだ。書籍を読んでいると、サブ3.5でさえ可能ではないかと思ってくる。

岩本氏の書籍は4冊あるようだが、そのうちの3冊を私は読んだ(実は2冊は共通の知人経由で頂いた。ありがとうございます)。

そのうちの1冊が上に紹介した「非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバ嬢がたった9ヵ月で3時間13分!」であるが、もう1つ「非常識」とタイトルに入るのが、「非常識マラソンマネジメント レース直前24時間で30分速くなる!」だ。こちらは、上に述べたようなレース前日と当日の心得が書いてある。具体的にどのようなものを補給するのが良いかが詳しく書かれている。また、ホノルルマラソンや東京マラソンの走り方も書かれている。

もう1冊が「フルマラソンがもう一度速くなる30のスイッチ」だ。これはほかの2冊と内容的に重なるところが多いが、大きめの装丁で、図解などはこちらのほうが豊富だ。配偶者である岩本里奈さんがフルマラソンのタイムを5時間51分から3時間17分まで縮めた軌跡も含まれている。どれか1冊と言ったら、すべてが網羅されているので、この1冊になるのかと思うが、「非常識マラソンマネジメント レース直前24時間で30分速くなる!」に書かれている、レース当日にどの地点で何を補給すれば良いかの具体的なアドバイスも捨てがたい。お金があったら、全部買っちゃうのがお勧めだ ;-)

あとは練習あるのみ。頑張ろう。

参考記事:
ランニングのすゝめ

2012年5月6日日曜日

ソーシャルゲームのすごい仕組み

ソーシャルゲームで導入されている「コンプガチャ」が景表法(景品表示法)の懸賞にあたり、規制対象になるということが昨日報道された。

ソーシャルゲームどころかゲームさえ全くやらないので、あまり詳しくないのだが、コンプガチャとは街にあるガチャガチャ(100円とか200円でカプセルに入ったオモチャが出てくるあれだ)のような感覚で、安い価格で買えるアイテムのことらしい。どのようなアイテムが出てくるかわからないところもガチャガチャと同じ。コンプガチャのコンプとはComplete(完成させる)の略で、購入した複数のアイテムである組み合わせを完成させると、さらに希少なアイテムを入手できる。

ソーシャルゲームの社会的意義については、自分がゲームをやらないこともあり、まったくわからない。このコンプガチャにしても、そもそもゲームのしくみにしても、出玉調整を意図的に変えられていて、しかも規制がない悪徳パチンコ店で遊んでいるようにしか見えず、昨年にはその思いを「ソーシャルゲームの社会的意義」とブログ記事にしたほどだ。

ソーシャルゲームに人が夢中になる原理や業界、そしてメジャープレイヤーであるGREEやDeNAなどについて、極めてわかりやすく解説した本が「ソーシャルゲームのすごい仕組み」だ。

ソーシャルゲームのすごい仕組み (アスキー新書)
ソーシャルゲームのすごい仕組み (アスキー新書)

本書はソーシャルゲームを俯瞰するところから始まり、ソーシャルゲームが人気を博するまでの道程、ソーシャルゲームのマネタイズ方法、そこに隠された影の部分など、恐らく、現在ソーシャルゲームについて知りたいと思っていることがすべて網羅されている。

私は(繰り返しになるが)自分でゲームをやらないため、どのようなゲームがあるか、どのような人たちがゲームをしているか(30代以上が40%を占める。またゲーム内アイテムを買っているのも可処分所得の多い40代以上だ)の紹介から始まってもらったのは大変ありがたかったし、日米のゲームの違いについて知れたのも大変役立った。日本のRPGはJRPGなどと呼ばれて、海外ではあまり人気がないことなど知らなかった。また、これは自分の仕事柄知ってはいたが、海外でのソーシャルゲームといえば、PCからブラウザで行うものがほとんどで、携帯(スマートフォン)で行うものはまだ少数である。

ソーシャルゲームのマネタイズは、今まで無料が当たり前のWebの世界で、初めてと言って良いほど、コンテンツでの課金でビジネスを成立させることに成功している。それは、アイテム課金だ。そこに至るまでには、ゲームが高機能化を進めるのと並行して、当初持っていた「物語性」を分離していったことなどがある。

先ほど、悪質なパチンコ店で絶対に店舗側が最終的には儲かるように出玉調整が行われているような感覚だと話したが、それは「プレイヤーのゲームへのモチベーションをいかに刺激し、高め、維持していくか」という「ゲーミフィケーション」と呼ばれる手法によって実現される。

Richard Bartleによると、ゲームプレイヤーはアチーバー/Achivers(ゲームのミッションをクリアすることを目的とするタイプ)、エクスプローラー/Explorers(ゲーム内を探索し、好奇心を満たすことを目的とするタイプ)、ソーシャライザー/Socializers(ゲーム内で生まれるコミュニケーションを楽しむタイプ)、キラー/Killers(ほかのプレイヤーとの対戦などを通じて勝ち上がっていくことを目的とするタイプ)の4種類に分類されるが、それぞれのタイプのプレイヤーの欲求を満たすことがソーシャルゲームに求められていることである。
http://www.chickgeekgames.com/2011/01/know-how-healthy-player-base-ecology-or.html より
従来のゲームにおいて、プレイヤーの興味を引きつけ、プレイ開始後も完了まで遊び続けてもらうようにゲームを制作するのはかなり難しいことであり、ゲームクリエイターの能力に依存するところが多かった。しかし、ソーシャルゲームではWebの手法を用い、リリース後にユーザーの行動を分析し、適宜ゲームを最適化していく。

今流行している「ビッグデータ」の有効活用であるが、一方で、それが故に事業者側に行き過ぎを防止するようなしっかりとした指針なり仕組みが必要である。

本書では、規制が入ると昨日報道されたコンプガチャを始め、現在のソーシャルゲームの社会的な問題も解説している。執筆時には、「ゲームの利用規約で禁止されているもので、違法性を持つものや国による規制が求められる要素というのは限られてくることがわかる」と書いており、コンプガチャが景表法の懸賞に当たるのではないかとの指摘は行われていない(ただし、筆者のFacebookなどのコメントを見ると、なんらかの情報は得ていたが、執筆時には明かせなかったように見受けられる)。

筆者は海外展開において、日本よりも規制の厳しい国が多いことをあげ、マネタイズをソーシャルゲーム本体と一体で考えないほうが良いのではないかと次のように指摘する。「ソーシャルゲームそのものと、マネタイズの手段であるアイテム課金やガチャシステムをワンセットで考えていいのか、という疑問がでてくる」。最終章である第5章「ゲームの未来」では昨年南相馬で行われた「福島Game Jam」を紹介し、ソーシャルゲームそのものの可能性を言及する。

結局、本書では、マネタイズとして健全な形は、では何かという疑問には答えられていない。しかし、これはそう簡単に出るものでもない。むしろ、これから考えなければいけないことであろう。特に、昨日以降、違法性があることが指摘された今であれば、なおさら。

なお、本書は、著者のまつもとさんから献本いただいた。まつもとさん、ありがとうございました。

2012年5月5日土曜日

TOEICのすゝめ

いまだにもがき苦しんでいる私の英語学習体験談でも書こうかと思っていたのだけれど、いつになるかわからないし、「TOEICはガラパゴス化した経産利権」というような記事も出てきていたので、まずはTOEICについて書きたいと思う。

この記事にもあるように、TOEICは世界ではほとんど認知されていない。日本と韓国が受験生の大半であることも知られている。米国の大学や大学院に行くにはTOEFLとGMATが必須だし、海外企業に就職するに際しても、TOEICのスコアを出しても理解されないことも多い。

だが、それでも私はTOEICを評価する。以下がその理由だ。
  1. 日韓に特化している。
    つまり、裏返せば、日本人と韓国人が間違えやすいところを重点的に突くようなテストになっている。したがって、TOEIC対策をすることによって、自然とそのような日本人が間違えやすい発音や文法などを正しく覚えることができる。
  2. 英語処理能力を高めることができる。
    TOEICを受験したことのある人は知っていると思うが、短時間で大量の問題をさばかなければいけない。リスニングで45分で100問、リーディングで75分で100問だ。リスニングは待ってくれないし、リーディングはじっくり考えている時間がない。そのため、TOEICでスコアを獲得するためのテクニックが存在する。それは、あらかじめ設問を読んでおくことであったり、選択肢問題では明らかに関係ない選択肢をすぐに候補から除外することなどである。実は、これは実務で必要とされる英語力と近い。たとえば、日常のメールのほとんどを英語でやりとりするようになったとする。あなたが大量のメールを日々交換しているとすると、その1通1通を丁寧に、時として辞書を引きながら、上から下までじっくりと読む時間はない。即座にスキャンし、そのメールの重要性を判断し、読むべきところはしっかりと、それ以外は飛ばしながら読むことをしなければいけない。TOEIC対策を通じての英語情報処理能力の向上はこのような実務において極めて有用だ。
  3. ベンチマークとして使える。
    TOEICで高スコアを取ったからと言って、英語力があるとは限らないが、(実践的な)ある程度の英語力を知ることができるのは事実だ。英語をあまり勉強してこなかった人にとっては、動機づけとしては極めて有効であり、また実際に勉強の成果を測るテストとしては意味がある。手軽に定期的に受験できることも大きい。また、その良し悪しはともかくとして、日本に定着しているため、日本において自分のTOEICスコアを把握していることは意味がある。

英語に限らず、非母国語(非母語)学習における動機づけは学習を継続するためにも重要である。TOEICのようなベンチマークとなる試験の存在だけが動機のすべてではないが、重要な役割を占めるのも事実である。非母語を学習するための動機づけには、統合的動機づけと道具的動機づけに分類される(詳しくは「外国語学習の科学」を参照)。

統合的動機づけとは、その言語を通じて、それを母語とする外国の文化を学びたいとか、それを母語とする人たちと交流を図りたいといった動機づけである。

一方、道具的動機づけとは、その言語力を高めることによって、希望する学校や企業への入学や就職が可能になるとか、資格手当が得られたり、昇進に有利になるなどの経済的な利益が期待できる場合などである。

いずれにしろ、動機がないと、学習は継続しない。TOEICを学ぼうとする人にとって、後者の道具的動機付けとの関連が強くなると思われるが、学習者にとって、それは決して悪いことではない。

TOFEFLのスコアやほかの手段で自分の英語力を示せる人はそうすれば良いし、英語学習における動機づけとして、TOEICが必要のない人は、TOEICに頼らなくても良いだろう。だが、日本において、これだけ認知が高く、試験としてはそんなには悪くない試験があるのだから、それを利用しない手はないと思う。「ガラパゴス、でもやっぱりTOEIC - Togetter」にも書かれているように、ぐだぐだ言っている前に、ガラパゴスと言われようがなんと言われようが、TOEICで高スコアを出して、それから批判すれば良いだろう。試験として、リスニングとリーディングのみで、アウトプットが足りないという指摘はそのとおりだが、それはほかで補完すれば良い。これについては別途日を改めて考えを述べてみたい。

TOEIC対策としては、まず試験形式を把握し、問題の傾向を知るためにも、公式本にあたるのが良いと思う。

TOEICテスト新公式問題集〈Vol.4〉
TOEICテスト新公式問題集〈Vol.4〉

どのレベルの人であっても出される問題と形式は一緒だ。初めての人であっても、何度か受験している人であっても、本番に近いものに触れておくのは大事だ。

ほかに参考になった書籍などを下にあげておく。

新TOEICテスト 直前の技術—スコアが上がりやすい順に学ぶ
新TOEICテスト 直前の技術—スコアが上がりやすい順に学ぶ

著者の1人のロバート・ヒルキさんの教え方が実に分かりやすい。かなり昔に、アルクでのセミナーが公開されていたことがあったように記憶するが、それも大変わかり易かった。いわゆるTOEICのスコア向上テクニックを解説している本ではあるが、上で述べたように、多くのそれは英語情報処理能力の向上にも役立つものなので、無駄ではない。「11日間即効プログラム」と言うだけのことはある。

TOEIC Test 「正解」が見える【増補改訂第2版】
TOEIC Test 「正解」が見える【増補改訂第2版】

韓国でカリスマ講師と言われているらしい著者の、こちらもいわゆる対策本。私は改訂前のしか読んでいないのだが、大変参考になった。時間配分なども指示されていて、それを頭に入れておけば、本番で時間に追われてパニックになることはない。

TOEIC TEST文法完全攻略―必須単語も同時に身につく (アスカカルチャー)
TOEIC TEST文法完全攻略―必須単語も同時に身につく (アスカカルチャー)

1998年の発売と古いが、文法についてはこの書籍だけで私は勉強した。今回、このブログを書くにあたって、改訂版が出ていないか探してみたのだが、出ていない模様。おそらく、今でも通用するロングセラーなのだろう。

新TOEIC(R)テスト900点 新TOEFL(R)テスト100点への王道
新TOEIC(R)テスト900点 新TOEFL(R)テスト100点への王道

杉村太郎さんというと、私と同世代の人はサラリーマンでありながら芸能活動をするユニット「シャインズ」として記憶に残っているかもしれない。私はこの本の改定前の旧版を読んだのだが、そこでシャインズ後の彼を知った。今回、改めて、このブログを書くにあたって調べてみたら、なんと昨年がんで亡くなっていた。お会いしたことはないが、強烈な個性の持ち主だったように見受けられ、英語学習や留学支援においても実績をあげていただけに残念だ。ご冥福をお祈りしたい。

さて、本書はそこで述べられている具体的なテクニックもさることながら、非科学的ではないかと思われる精神論的なものまで含めて、動機づけや動機を維持するためにも、大変参考になる。Amazonのカスタマーレビューでは評価が低いが、その理由は改訂版と旧版に違いがほとんど見られないことによる不満によるものだ。読み物としても面白いので、もしどれか1冊と言われたら、この本を最初の1冊としてお勧めする。


英単語関係の書籍が無いのだが、あまり単語だけの学習は行わなかった。いや、書籍も何冊か買ったのだが、どれもそんなに大差なく、効果があったかどうかは不明だ。所持していた電子辞書にTOEIC頻出英単語が載っていたので、通勤時などにそれをたまにやるくらいだったかと思う。

以上、TOEICをなぜ勧めるかの理由と参考図書の紹介だ。

そう書いているお前の英語力はどうなんだと聞かれると恥ずかしいのだが、冒頭に書いたように、外資系に勤めていながら恥ずかしいくらいの英語力しかない。外資系3社にいてクビにならない程度の英語力は持っているが、ぺらぺらには程遠い。日々努力。TOEICスコアはAスコアレベルというものは一応達成している。そろそろもう一度受験してみようかと思っている。次は満点を狙いたい(まず無理そうだけど)。

あ、そうだ。満点を狙いたいって言ったら、アルクに勤務している友人がこれを勧めてくれた。まだ買ってもいないけど orz

新TOEICテストBEYOND990超上級問題+プロの極意
新TOEICテストBEYOND990超上級問題+プロの極意

その常識もしかして非常識?! 自分を魅せる本当のマナー

  

著者の矢島里佳さんとは数年前に知り合った。Googleで「及川卓也」でウェブ検索すると、イメージ検索(画像検索)の結果も挿入されるが、そこで2ショットで私と一緒に写っているうら若き女性だ ;-) 私が鼻の下を延ばすしているように見えて格好悪いので、どうにかして、検索結果から削除したかったのだが、無理だった。

というのは置いておいて。

知り合ったのは数年前だ。関西で私が行ったある講演会に参加されていて、そこでAO入試対策本である「やばい!戦略的AO入試マニュアル 」を書いた著者だと紹介された。面白そうだったので、その場で購入し、帰りの新幹線で一気に読んだ。そのときのレビューがこれだ。(ちなみに、件の写真はそのときのものだ)

改めて読んでみたのだが、べた褒めだ。若い女の子だからおべっかを使ったというわけではなく、本当に当時、その内容の厚さにびっくりしたのだ。

今日、これを書くために、改めてAmazonのカスタマーレビューを見てみたら、評価が真っ二つに分かれている。9件のレビューがあって、星5つが5個、星1つが4個。結果、平均が星3つ。恐らく、あの本から何を求めるか、読者側の期待やその環境によって評価が分かれるのかもしれないが、このように極端に評価されるのも、矢島さんらしいなと思う。

さて、この「その常識もしかして非常識?! 自分を魅せる本当のマナー」だが、いわゆるマナー読本だ。コミックにしたてているため、読みやすいというのもあるが、あえて網羅性を求めずに、著者である矢島さんが自信の興味で選んだ事例をとりあげているのが良い。杓子定規に囚われずに、日常の身の回りで必要となることを解説している。

私は「体にご自愛ください」が間違いだなんて知らなかったし、寿司を食べるときに、垂れてきそうな醤油を防ぐために小皿を使うなんて考えもしなかった。

さらには、マナーの背景にある、ホスタピリティの考えを、それぞれのマナーを伝えながらも解説している点も気持ち良い。形だけではなく、結局は心だと、矢島さんは伝えてくれている。

矢島さんとはしばらくお会いしていなかったが、先月、彼女の会社「和える」の一周年記念に呼んでいただき、久しぶりにお会いすることができた。この「和える」という会社、日本の伝統を子どもに受け継ぎ、世界に発信することを目指している。このことは、矢島さんが私と知り合ったときから言われていることだ。ぶれなく、夢に向かって進んでいる彼女を応援したい。

本書は一年も前に頂いていながら、やっと今になって読んだ。遅くなって、ごめんなさい。献本ありがとうございます。