2011年8月28日日曜日

Calling You

私はあなたを呼んでいるわ
ねぇ、聞こえるんでしょう?
あなたを呼んでいるの

(埋め込みプレイヤーでは再生できないように設定されていますので、YouTubeに行ってご覧ください。「YouTube で見る」というリンクをクリック。)

3/11、帰宅難民となった。

帰る手段を無くしたままビルから下を眺めると、深夜になっても多くの人が歩いているのが見える。ネット経由で見るテレビからは都内の混乱ぶりが伝えられる。Twitterなどを通じて多くの人に助けられながら早朝自宅に着いたが、寝たのか寝ないのかわからない状態のまま朝を迎え、その後もラジオとテレビ、ネットにずっと張り付く。

地震もさることながら津波の被害が大きいことがわかり、その被害規模を写す映像に言葉を失った。これはただごとではない。

原発事故に対しては、進行中であるということもあるが、非可逆な事象に対峙し、まったくどのように心を保てば良いかわからなかった。今でも正直どうすれば良いかわからない。

「フォーク」という言葉だけに脊髄反射して購入してしまった「東京人 2011年 09月号 [雑誌]」の中で小室等さんも次のように言う。
でも、3.11は、特に原発によって、再生不可という可能性を突き付けられたわけですよね。再生が可能でさえあれば、どんなに多くの人が行方不明になろうと、次の世代も生まれるし、決壊した川の跡地には滋養ある土地が残されるし、草や木もやがて生育し、すべては再生していく。常に希望がある。でも原発は希望をカットアウトした。もしかしたら再生はない。希望がないならば表現はありえない。

だから希望を回復しなくてはならない。歌い続けるなら。希望を回復するための時代を僕らは生きることになると思うんです。これからね。だから「復興」です。

幼稚だったあの頃からの「復興」(東京人 2011年 09月号 [雑誌]


3/11直後にTwitterではつぶやいたが、私は復刊前の「DAYS JAPAN」を愛読していた。広瀬隆氏の「危険な話」などがベストセラーになったのは私がちょうど大学生のころだ。清志郎はサマータイムブルースを歌った。

斉藤和義さんが「ずっとウソだった」という替え歌を歌ったことに対しては賛否両論があるだろう。だが、誰を責めるでもない。反原発の動きが活発だったときに多感な時期を過ごし、少なくとも雑誌や文庫などで積極的にその情報を集めていた私はその後思考停止に陥ってしまっていたと認めざるをえない。誤解しないで欲しい。反原発運動をすべきだった、今しようと思っているということではない(それも否定しないが)。ただ、考えることを止めてしまったことを後悔している。

先に紹介した「東京人 2011年 09月号 [雑誌]」の中で小室等さんも次のように言う。
僕もそうだけど、みんな、これまで原発に対しては、言うべきNOを言わなかった。言えることは自分の中に内在していたはずなのに、周りの空気を読み取って、なんとなく言わずにきてしまった。言うべきだった。

幼稚だったあの頃からの「復興」(東京人 2011年 09月号 [雑誌]
いったん休刊する前の「DAYAS JAPAN」から中心的だった広河隆一氏については批判もあるし、原発や放射線についての書籍については内容を丸のみしないように注意しているが、氏の「福島 原発と人びと (岩波新書)」で紹介される現地の人のエピソードは心が締め付けられるようだ。
「子どもが桜の花を拾って、私にくれたんです。それで私は、地面の物は手にしてはいけないと子どもをしかりました。我に返って、いったい私は何をしているのだろうと思って……」

福島県に住む草野史子さんは自問していた。子どもに外で遊ぶことを止めさせた時、「風と遊ぶの好きだったのに、どうしてだめなの?」と尋ねられ、彼女は答えに窮したという。

福島 原発と人びと (岩波新書)

自分の生きている間はもちろん、子どもや孫の世代でも再生は不可能な状況に陥った。だが、子供たちは親以上に覚悟を決めている。悲しい覚悟だ。それでも生きていくという悲しいが強い意思。
「友達の娘さんは高校生なんですけど、チェルノブイリの話や放射能の危険について聞かせて、一応本人に「疎開する?」って聞いたら「友達から離れるのは嫌だし、友達置いて自分だけ逃げるのは嫌だ」って。そして最後に「私は将来結婚するとしても、子どもは産みません。そういう覚悟でここに残る」って言ったんですって。だから、そのお母さんは泣いていましたよ。でも、高校生の間では結構そういう話をしているみたいです。

福島 原発と人びと (岩波新書)
同じような話はブログなどでも伝え聞く。

福島の中学生が地元の新聞に「それでも自分たちは戻る」と原発の避難地域になっているところへの想いを綴っているのも読ませてもらった。現実は厳しいことも我々は知っている。

厳しい現実の中でどうやって希望を回復し、非可逆的な方法になるが、再生を図っていくか、それを考える。

3/13の日曜日。まだ混乱がある中、Motion Blue YokohamaではHolly Coleがライブを行った。3/12はさすがにMotion Blueがある赤レンガ倉庫が全館営業停止になっていたのだが、3/13は通常通り営業された。チケットを持っていた私は、同僚が必死に災害時対応をしている中、世の中が「そんな状況じゃないだろう」と言っているような中、行くかどうか非常に迷った。だが、そんな中でもライブを中止しなかった彼女に是非逢ってみたかった。

会場に行くまでずっとネットにアクセスし作業をしていたが、現地に着いてみると、そこはとても2日前に大地震があった日本とは思えないくらいに平和な場所だった。春を感じさせるような晴天。海が広がり、カップルがテラスで食事をとる。ネットにアクセスしない限り、震災があったことなど信じられないほど。

会場内でもそのような話題は一切でない。しばらくしてHolly Coleが登場する。何か言うと思ったが、何も言わずにエンターテイナーに徹する。結局、彼女は最後まで一切震災については口にしなかった。

ただ、日本が大好きだと言いながら、好きな曲だと紹介して「桜(森山直太朗のカバー)」を泣きながら歌った。アンコールでの「Calling You」もおそらく泣いていたのではないか。

人はどうして良いかわからないときでも心を伝えることは出来る。
私はあなたを呼んでいるわ
ねぇ、聞こえるんでしょう?
あなたを呼んでいるの

3/11からもうすぐ半年。どうして良いかわからない。

だが、村上龍さんが震災直後にニューヨーク・タイムズに語ったように、実は震災前から日本においては希望は失われていたのかもしれない。将来に夢を持てない若者。価値観の崩壊に戸惑う大人たち。震災は全てを失わせたが、新たな希望の種をくれたのかもしれない。
全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

危機的状況の中の希望

2011年3月2日水曜日

Elvis Costello Live at Bunkamura Orchard Hall

悪いがしばらく誰も話しかけないで欲しい。頭の中に充満したCostelloの声を消したくない。

生々しいというのはこういうことを言うのだろう。いや、「生々しい」という言葉が適切とも思わない。だが、会場に響き渡るCostelloの声、そしてギターの音は時に繊細であり、時に荒々しく、感情豊かに聴く者に迫る。

Costelloが来るというだけで喜んでチケットを買ったのだが、会場に入ってステージを見るまではソロだということを知らなかった。いったいどれだけマヌケなのか。ソロの彼を聴くのはもちろん初めてだが、バンドに負けずとも劣らない迫力と多彩な伴奏をギター1つでこなしてみせる。決して超一流というわけではないのだが、彼のギターがまた魅力的。ボーカルをこれ以上ないくらいに引き立てる。

途中、肉声で歌ったが、なんて声が通るのだろう。年齢をまったく感じさせない。また、会場からのリクエスト(「Monkey to Man」)に「Why not?」と気軽に応える。歌を聴かせる、楽しんでもらいたいという真のシンガーの姿を見た気がする。

「Here's the song I hate」と紹介して歌い出した「Everyday I write the book」はぶっきらぼうな演奏ながら聞き入ってしまったし、多分本人は歌いたくなかったのではないかと思う「Smile」と「She」のメドレーではうかつにも涙を流しそうになる。

アンコールは果てしなく続くかと夢見るほど多くしてくれたが、Nick Loweの曲が続いたときには24年前にタイムスリップしてしまった。新宿厚生年金ホールだったと思うが、その時のライブはNick Loweがギターで参加していた。最後は「Pump it Up」でノックアウト。

ごめん。しばらく僕には話しかけないで欲しい。

* 追加: http://www.elviscostello.info/wiki/index.php/Concert_2011-03-01_Tokyo にセットリストがあった。

2011年2月27日日曜日

夜が夜だったころ

僕らの世界から夜が消えてどのくらいたつだろう。

僕が学生だった20数年前、夜も11時を過ぎると寝る時間だった。もちろん、高校生ぐらいから友人宅に泊まっては深夜を過ぎても話していたり、街を出歩いていたりしたが、それは寝静まった時間に例外的な行動をとることに対する憧れであって、実際、静まり返った街は人が休息をとるためのものだった。

いつからだろう、夜が夜でなくなったのは。

千葉都民と呼ばれる都市でも80年代後半ごろには夜の10時くらいまで開いている書店が出始めた。コンビニだって24時間営業するのがやっと一般的になり始めたころだったので、小さいとはいえ雑誌だけではなく文庫や新書まで買える書店が10時まで開いているというのがうれしくて会社から帰って車で良く行ったものだった。当時から活字中毒だった。だが、わくわくしていたのは夜に本が買えるということではない。むしろこんな夜に書店で立ち読みをしているという「非日常」を味わえるのがうれしかった。

「非日常」が「日常」になるのはそのすぐ後のことだった。

かつて「クロスオーバー11」という番組があった。夜11時から12時までの1時間NHK FMで放送されていた番組だ。NHK FMは12時で放送を終了していたので、まさにその日を締めくくる番組だった。



78年からスタートしたこの番組、僕はおそらくスタート当初から聴いている。10時から放送されていたサウンドストリートからずっとNHK FMにラジオをあわせたままで。

この番組のオープニングは、当時流行し始めていたフュージョン調のサウンドに素敵なナレーションがかぶる。
街も深い眠りに入り、
今日もまた 一日が終わろうとしています。

昼の明かりも闇に消え、
夜の息遣いだけが聞こえてくるようです。

それぞれの想いを乗せて過ぎていくこのひととき。
今日一日のエピローグ、クロスオーバー11
フュージョンはクロスオーバー音楽とも呼ばれていた。ハーモニクスでメロディアスに音を奏でるベースとこのナレーションで、本当に夜の足音が聞こえてくるようだった。

2011年の今、夜は夜でなくなった。コンビニや深夜営業の各種店舗。便利さに慣れてしまってもう離れられないし、それが悪いとは言わない。でも、時に思い出す。夜が夜だったときのことを。

「もうすぐ、時計の針は12時を回ろうとしている。今日と明日が出会う時」だ。もう寝よう。




2011年2月6日日曜日

加害者家族

犯罪には被害者と加害者がいる。もちろんどんな理由があるにせよ加害者は罪を償わなければいけない。加害者家族にその責任の一端があることも多いだろう。

しかし、加害者とともに被害者およびその家族への謝罪を行い罪を償おうとしている加害者家族を社会的に抹殺してしまうのは行き過ぎではないか。

この本ではそのような例が紹介されている。



本書の中でも、加害者の父親が被害者の名前を知らなかった例などをあげており、本当に反省が十文なのか、きちんと事件と向き合っているかなどを厳しく指摘している。栃木リンチ殺人事件などの例では家族が何故犯罪を発見出来なかったのか、阻止できなかったのかを問うている。紹介しきれなかった事例にも無責任な加害者家族が多くいるであろう。

だが、きちんと向き合っている家族まで行き過ぎた社会的制裁を加えるのはどうだろう。行き過ぎた制裁は最近ではネットによる善意もしくは善意を超えた無責任な冷やかしから発生することも多い。メディアスクラムというメディア側の加熱する報道も問題だ。

特に心が痛むのは、どう考えても本人には何の責任もない加害者の子供たちや友人たちだ。日本人が陥りやすい、安定した関係を壊す人を排除する力がここでも働く。

加害者家族に対して他国ではどのように向き合っているのか。米国の例が本書で紹介されている。なんと加害者家族に対して励ます手紙が多く寄せられているという。犯罪は本人とそしてその家族だけでなく、社会や地域の問題という意識があるのだろうか。

事例が多く紹介されるものの、これといった結論や提言はない。ただ、今まであまり知られていなかった加害者家族の実情を知ることが出来るという意味では貴重な一冊。発言する権利さえないのではないかと考えている加害者家族が多いらしいのだが、存在さえ消されてしまっているという状況は健全ではない。被害者家族に対する反省や補償を行っていくことにもプラスになる方向でもっとその存在が見えても良いのではないかと思う。

参照: 少年A -少年A 矯正2500日全記録 & 「少年A」この子を生んで・・・父と母悔恨の手記

2011年1月4日火曜日

I/O

ランニング時の呼吸法で良く言われるのが、吸うよりも吐くことを意識しろということ。

吐かないと吸えない。

実はこのことは前にもこのブログで書いたことがある。

吐いて 吐いて 吐いて 吸う

なんというタイトルだ。もう3年前だから、時効か。タイトルも中の文章もちょっと恥ずかしい。ただ、内容については今も同じことを思っている。

人の話を聞くときなど、質問をするつもりで聞くと良い。質問をするには、その人の話を集中して聞かなければならない。「それは先ほどもお話ししましたが」と回答の際に言われるような恥ずかしいことがあってはならない。「良い質問ですね」で始まったら素直に喜ぼう。このように回答が始まる場合は、本当に良い質問か、回答者が答えるのに窮していて回答を頭で組み立てている時だ。いずれにしてもあなたの質問は話を聞いた上でないと出来ないものであるはずだ。質問じゃなくコメントするのでも良い。

「話を聞く」ということはアウトプットを意識した上でインプットをすることだ。

実はこのアウトプットを意識した上でインプットをするということが外国語学習で重要だ。良く英語学習などで、リスニングやリーディングばかりでなくアウトプットであるスピーキングやライティングを重視すべきだ、日本の英語学習はそこが欠けているなどと言われる。だが、第二言語習得の研究においては必ずしもアウトプットを増やすことが能力の向上に寄与するわけではないことがわかっている。やはりインプット、それも多量のインプットが必要である。ただ、どこぞの教材にあるように、単に流しっぱなしにして浴びているだけでは効果はない。アウトプットする可能性がある状態でインプットすることが必要だとされている。そうすることでインプットの質が高まる。集中して聞くことになるし、わからないものは文脈から推測し補うなどして理解しようとする。実際にアウトプットしても良いし、しなくても良い。

一方、アウトプットのための基礎的な訓練は必要であるが、一昔前に流行ったひたすら単純な文型を単語を置き換えて繰り返すことはさほど効果がないと言われている。言語間の距離のある他言語を発音するための訓練としては意味はあるため、日本人が英語を習得するために基礎訓練として必要なものではあるが、それさえ行えば十分というものではない。

外国語学習の科学」の書評でこの本を勧めておきながら具体的な外国語学習方法については一切触れなかったら、苦情 ;-) が来たので、1つだけ紹介した。これ以外については是非本を読んでみて欲しい。

繰り返しになるが、外国語学習だけじゃなく、すべてのことでアウトプットを意識すること。これお勧め。


2011年1月3日月曜日

外国語学習の科学



外資系人生を歩んでいるのだが、その割にちっとも英語がうまくならない。謙遜しているのではなく、どっかで進歩が止まってしまったようにしか思えない。もしくはモチベーションが維持出来ていない。

外資系に入ったのもの偶然のようなものだから、学生時代などはもっとひどかった。英語教育に力を入れている中高一貫校に入ったので、英語に対する拒否反応こそは無かったものの、実際には文法も語彙数もリスニングもスピーキングもすべて実践にはほど遠かった。

それでもどうにか外資系でクビにならない程度に仕事できているのは、それなりに努力してきたからだ。ずぼらな性格を自分でもわかっているので、英語を聞いて話さなければいけない環境に自分を追い込むことで英語力の向上を目指してきた。週に1回は海外のオフィスとテレコンをやるようにしてみたり。

これは「道具的動機付け」と呼ばれるもので、実利的な目的のために努力することだ。

一方、「統合的動機付け」と呼ばれるものもあり、これはその言語が用いられている文化に対する興味などから外国語学習に取り組むことだ。

このように外国語学習の習得に向けての研究の状況をまとめたのが、「外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か」だ。

この本は言う。「国際的な競争力を強化しなければいけない状況の中で、外国語でのコミュニケーション能力向上というのも戦略的に重要なものである。果たして、国はどの程度それに対して投資を行っているか」と。

たしかに、今の中高での英語教育は私のころと大差ない。私が卒業した学校はネイティブの先生が常にいたし、NHKのラジオ講座などを使ったリスニングとスピーキングの授業なども組み込まれていた。ほかにもこのような取り組みを始めていた学校はいくつもあったことと思う。

だが、それから20年。当時と今とでどの程度日本人の英語力は向上したのだろうか。諸外国と比べてどうか。必ずしも成功しているとは言えないだろう。

これがビジネスだったら、どっかで抜本的な見直しが入っているはずだ。20年も成果のあがらない事業をやり続けるほど悠長な市場はどこにもない。

国際競争力強化と言いながら、そのために一番必要なソフトスキル面の強化を怠っているのではないだろうか。

この本では、第二言語(SLA)習得のための研究が紹介され、そこからわかった現時点でのもっとも効果的な学習方法が解説される。「科学」とタイトルにつけられているだけあり、仮説と実証に基づく科学的なアプローチであり、言われてみると思い当たることも多い。

すでに何人かの人にお勧めしている(で、その人たちは購入しているようだ)が、この本はお勧め。読み物としても面白い。

2011年1月1日土曜日

アスリートと生

ここ1年くらいすっかり走ることに夢中になっている。

走ることが中心の生活とまではいかないけれど、走るための時間を作ること、快適に走ることが生活のかなり重要な位置を占めるようになってきている。

たとえば、好きなお酒は今でも好きで飲むことは飲むのだけれど、以前のように次の日に残るようなことはかなり少なくなっている。特に、金曜日の夜の深酒は避けるようになっている。せっかくの週末を二日酔いで潰すようなことはしたくない。イベント主催者か飲食店経営者かと思うほど、天気も気にするようにもなっている。

なんで走るのか。

そう聞かれても明確に答えられないのだけれど、走っていると気持ち良いからというのは大きな理由の1つだ。走るのはたしかに辛い。だが、体が温まってきてちょうど良いペースになったときは苦しいのだけれど気持ちが良いという不思議な状態になる。これが良く言われるランナーズハイという状態だろうか。確信はできないが、きっとそうだろう。走り終わった後の爽快感も捨てがたい。ジョギングやランニングの本にも良く書いてあるが、人間は基本的に体を動かすこと、汗を流すことを快感に思えるDNAが組み込まれている。それを実感できる。

体との対話が可能になったというのも最近良く思う。体調が悪いとか良いとかというレベルであれば以前から自然に気づいていたが、長距離を走るというのはやはり体への負担が大きい。以前よりももっと体の状態を気にするようになった。良く草食系だとか乙女系とか言われ、全力で否定はするのだが、たしかに風呂で半身浴をしたり、寝る前にストレッチをしてアロマオイルでセルフマッサージをしているような男性は少ないかもしれない。膝を良く故障していたから始めた習慣だが、これがなかなか気持ち良い。

走りにはフィジカルな部分だけではなくメンタルな部分も影響する。自分の心の状態とも以前より向きあうようになった。また、快適な状態で走っているときには走っているということ半ば忘れ、走りながらいろいろと考えを巡らすこともある。一種の自分との対話である。

ここまで自分と対話したことがあったろうか。

いつまでこのマイブーム(死語?)が続くかわからないが、今はすべての人に勧めたい。走ること。体を動かすこと。自分と対話すること。



金哲彦さんというランニング指導者がいる。ランニング本をいくつも書いているので、書店に行けば1冊は彼の本を見つけることができるだろう。私も彼の本はいくつか読ませてもらった。たとえば、「3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから」。これは名著。新書だが、これを読めばランニングの魅力に始まって初心者からある程度の経験者までの的確なアドバイスを得ることができる。

その金氏が実は大腸癌にかかっていたことをつい最近知った。彼が生い立ちから発病、そして闘病から復帰、走ることに対しての思いを書いたのが「走る意味―命を救うランニング」だ。3時間台で完走するマラソン」がちょうど復帰直後に書かれた本だということもこの本から知った。



ランス・アームストロング氏 も癌から生還したアスリートだ。彼は選手として絶頂期を迎えようかとする中、末期の睾丸癌であることが判明する。生存率 20%以下(実は2%以下だったとも言われる)という危機的な状況から奇跡的に生還し、ツール・ド・フランスで優勝する。自身によって書かれた「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」は彼のその復活までの道が自らの言葉で書かれている。原題が「It's Not About the Bike」であるのだが、そのとおりこの本は自転車競技についてが中心ではなく、彼の「生」についての考えが書かれている。2年ほど前に友人のブログで紹介されていてからずっと気になっていたけれど、やっと読むことができた。本当に名著。

Blackcomb (黒こんぶ) の日記 ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

彼が治療を開始したころに多くの人から手紙やメールをもらったが、その1つに次のようなメッセージがあった。
「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ」

何を馬鹿な事をと当然は彼も当初は反発する。だが、生還してからこの意味がわかる。

すべての人は生かされている。生きる意味をそれぞれ持っている。癌との戦いはそれを教えてくれるものだった。

ランス・アームストロング氏が、金氏が何故走るのか。走ることで何を伝えているのか。きっとそれは生きることの意味を考えることと同じだろう。

彼らとは比べるまでもないが、私も昨年に検査で異常が見つかり、一時は(大げさだけど)死が身近に感じられた。だからこそ、彼らの言葉が重く感じられる。生きる意味、忘れないようにしたい。趣味のランニングにしか過ぎないが、それでも自分との対話を始められたことに感謝したい。