犯罪には被害者と加害者がいる。もちろんどんな理由があるにせよ加害者は罪を償わなければいけない。加害者家族にその責任の一端があることも多いだろう。
しかし、加害者とともに被害者およびその家族への謝罪を行い罪を償おうとしている加害者家族を社会的に抹殺してしまうのは行き過ぎではないか。
この本ではそのような例が紹介されている。
本書の中でも、加害者の父親が被害者の名前を知らなかった例などをあげており、本当に反省が十文なのか、きちんと事件と向き合っているかなどを厳しく指摘している。栃木リンチ殺人事件などの例では家族が何故犯罪を発見出来なかったのか、阻止できなかったのかを問うている。紹介しきれなかった事例にも無責任な加害者家族が多くいるであろう。
だが、きちんと向き合っている家族まで行き過ぎた社会的制裁を加えるのはどうだろう。行き過ぎた制裁は最近ではネットによる善意もしくは善意を超えた無責任な冷やかしから発生することも多い。メディアスクラムというメディア側の加熱する報道も問題だ。
特に心が痛むのは、どう考えても本人には何の責任もない加害者の子供たちや友人たちだ。日本人が陥りやすい、安定した関係を壊す人を排除する力がここでも働く。
加害者家族に対して他国ではどのように向き合っているのか。米国の例が本書で紹介されている。なんと加害者家族に対して励ます手紙が多く寄せられているという。犯罪は本人とそしてその家族だけでなく、社会や地域の問題という意識があるのだろうか。
事例が多く紹介されるものの、これといった結論や提言はない。ただ、今まであまり知られていなかった加害者家族の実情を知ることが出来るという意味では貴重な一冊。発言する権利さえないのではないかと考えている加害者家族が多いらしいのだが、存在さえ消されてしまっているという状況は健全ではない。被害者家族に対する反省や補償を行っていくことにもプラスになる方向でもっとその存在が見えても良いのではないかと思う。
参照: 少年A -少年A 矯正2500日全記録 & 「少年A」この子を生んで・・・父と母悔恨の手記