2007年7月27日金曜日

鞍馬山

信じられないくらいに遅くなってしまったのだが、4月末に京都に行った際に、鞍馬山に行った。そのときの写真を公開しておく。

鞍馬山


ここはお勧め。義経ファンでなくても行ってみる価値あり。高低さが結構あるので、良いトレーニングにもなる。

今年12月までは百の義経展というのが開催されている(もともとは2005年末までだったのが好評につき延期されている)。これもお勧め。ここでだけで販売されている「百の義経」という書籍は展示の内容が書籍化されているだけなのだけれど、これもお勧め。義経に関する書籍は多くあれど、違った視点での義経像が解説されている。また、東北の義経研究者が作成したという、義経伝説がある場所を示した日本地図も貴重。もちろん、両方とも購入してある。

今度、また行ってみたい。

2007年7月26日木曜日

時の呪縛から解き放たれ

なんのことかと思うかもしれないが、少し思うところがあって、腕時計をつけないでここ数日過ごしている。

最初は単に腕時計を忘れただけだったのだが、妙に心地よかったので、腕時計の無い生活を続けている。

こんなことを言うと、時計メーカーへの営業妨害かもしれないが、腕時計が必要なケースはいまやほとんどない。普段、デスクワークしているときは、PCを見れば良いし、打ち合わせの時間になれば、Googleカレンダーが知らせてくれる。外出時には携帯を見れば良い。

実は、ついこの間までは機械式腕時計のムーブメントが動く感触が好きで、雨が強い日以外は、その機械式腕時計を常に身に付けていた。意味も無く、右手の指にからめて、少し動かしてみる。ムーブメントがコロコロと動くのが、まるで生物の息吹のように感じられる。味気の無いクォーツ時計にはない躍動が感じられたものだ。

今でも、機械式腕時計は好きだ。ただ、あえて普段の自分と違うことをしてみよう。少し腕時計の無い生活を続けてみようかと思う。

きれいごと

どうか、あなた自身を許してあげて下さい。

はてなブックマークで見つけたが、あまりにも最近、私と友人で交わした会話に似ていて驚いた。

 『SWAN SONG』の結末近く、あまりにも暗く陰惨な地獄をくぐり抜けたあと、主人公の尼子司はこう呟く。

 「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、間違いだらけだとしても、人の一生は素晴らしいです」と。

 これこそ、『SWAN SONG』一編を貫くテーマである。ひとの一生の価値は、成功したとかしないとか、幸福だとか不幸だとか、そんなことで決まるわけではないということ。

 しかし、司の恋人柚香は、そんなかれの言葉をあっさりと否定する。「そんな、きれい事なんか聞きたくないです」と彼女は言う。

私の友人も「そんなきれいごとは聞きたくない」と言った。私が友人に対して、「今まで生きてきたことはすべて糧になって、今のそして将来のお前のプラスになる。恥じることは何も無い」と話したときのことだ。友人は「お前は仕事を愛し、仕事に愛されているからそういうことが言えるんだ」と言う。そんなことはない。私だって嫌なことはたくさんあるし、正直選択を誤ったと思うことだってたくさんあった。だが、私はすべて将来の自分にプラスに働くと信じている。消したい過去だって、いつかは何らかの形で活かされる。

オプティミスト。根拠の特に無い楽観主義者だ。ただ、今の状況を楽しむことが現状を打開することだと信じている。この「どうか、あなた自身を許してあげて下さい。」に書かれているのは、楽しむことができないまでの不幸な状況に陥った人の話だと思うので、もしかしたら私が想定している範囲外かもしれない。だが、私の場合は、どんな状況もフィールドスタディだと思えば、楽しむことができた。

友人には次のようなメールを送った。

Steve JobsがStanfordの卒業式典で "You can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future." と言っているように、自身の得た経験というのはそのときにはわからなくても、後になって繋がってきて何かを生み出すものだと思う。

この言葉がどこまで友人に届いたかはわからない。

ところで、「SWAN SONG」って知らなかった。小説かと思っていたが、ゲームらしい。Amazonで見てみると、18禁となっている。このサイトに詳しく内容が書かれているが、これを見ると性的表現のためにアダルト向けとされたわけでもないようだ。こんな業界で長年働いていながら、実はゲームはほとんどしない。だが、これはちょっとやってみたくなった。

新・UFO入門

知っている人は知っているが、私はいわゆる「とんでも」系の話が好きだ。特に、UFOネタを愛してやまない。エリア51だとか、ロズウェル事件だとかだと、今でも身を乗り出して聞き入ってしまう。だが、それはそれらを盲目的に信じているわけではない。どちらかというと逆だ。そのような面白いネタをネタとして楽しんでいる。つまり、と学会と同じノリだ。

したがって、本書を書店で見たとき、まっさきに購入を決めたのは言うまでもない。

新・UFO入門―日本人は、なぜUFOを見なくなったのか
唐沢 俊一
4344980352

これはUFOブームを支えた人や団体を社会学的に分析した良書だ。詳しいと思っていた私でも知らない団体や人物が多く出てきた。特に、60年代までのことについてはほとんど知らなかった。これを読むと、いかに当初はUFOを近未来に起こりうる何かの前兆として、さらに極めて楽観的に捕らえていることがわかる。

残念なのが、最近はUFOに関するニュースが乏しいこと。テレビでもほとんど見かけないし、見たとしてもパロディとしてはじめから開き直ってしまっているものが多い。パロディというのは、仕掛ける側はあくまでもまじめに提供しないとダメだ。また、出てくる情報も陳腐化していて、真新しいものはほとんど無い。UFOマニアとしては極めて不幸な日々が続いている。

ところで、本書はネット上の文章を盗作したことでも話題になってしまっている。なかなかの良書だっただけに残念だ。

2007年7月25日水曜日

もしも義経にケータイがあったなら

知っている人は知っていると思うが、私は義経の大ファンだ。もちろん大河ドラマはすべて見た。常盤御前が幼い牛若を鞍馬に預けに行くシーンや壇ノ浦の決戦の回はビデオに撮ってあり、今でもたまに見ている。

もしも義経にケータイがあったなら
鈴木 輝一郎
4106101246


義経のことを書いた書籍はたくさんある(そのうちかなりの割合を私は買っていると思う)が、この本はその中でもちょっと異色の一冊だ。義経や頼朝といった武将や後白河法皇などの行動を現代の人事や経営戦略のケーススタディとして取り上げている。ランチェスター戦略の観点から義経の奇策と呼ばれた戦を分析したり、梶原景時との抗争を社内における派閥争いになぞらえてみたり。

判官びいきという言葉があるように、日本人はみな義経が好きだ(と言い切ってみる)。

義経の時代の歴史を振り返りながら、ビジネスの常識(といわれているもの)を知るのも良いだろう。

会社を辞めるのは怖くない

古くからの友人、横山哲也氏のところでも紹介されている1冊。そのときにすぐに読んでいたのだが、ここに書くのがちょっと遅くなってしまった。

会社を辞めるのは怖くない
江上 剛
4344980255


このブログでも何回か書いていると思うが、私は会社との関係は契約だと考えているので、会社を辞めることを厭わない。もちろん、仕事に対する情熱は人一倍あるし、仕事を通じての社会貢献や自己実現というものも大事だと思う。ただし、会社がいつの間にか自分の識別子(ID)のすべてとなってしまうのはその人間にとって不幸だ。会社へのロイヤリティ(忠誠)というのは自分への足かせになってしまうこともあるので、注意が必要だ。

この本に書いてあることはいつも自分の考えていることなので、なるほどなるほどという感じ。

「恨みは捨てて潔く飛び立とう」と「郷に入っては郷に従え」は特に参考になる。

 不満や恨みを残しながら辞めると、過去に引きずられてしまう。こうなると、さっそうと前に進んでいけなくなる。残念ながら、退職後、多くの人が吹っ切れなくて、自縄自縛に陥っています。遺恨を残して死ぬと、この世に化けて出るようになる。成仏できないのではないでしょうか。
 次のキャリアを求めなければならない時、最も必要とするものは、自分が歩んできたサラリーマン生活に対しての自信なのです。僕自身、そういう心構えを持って辞めましたし、現在もそう思っています。

前の会社にまったく不満が無ければ、辞めていないのだから、ついつい前の職場の不満が出てしまう。極力それは言わないつもりの私でもたまに出てしまうことがある。気をつけなければ。

 逆に高い地位にいた人でも頭の切り替えができないと、次の職場に行っても「オレの部下は何人いるんだ」「なんだ、ここは。無礼なことばかり言って」とブツブツ言っている。気持ちの決着がついていない。そんな人には誰も近づきません。いい再就職先とも出会えないわけです。

新しい職場が前の職場よりも優れているとは限らない。新しい職場のカルチャーやルールがおかしいことも多いだろう。だが、それをいきなり否定するのではなく、まずはそこに身をおいて、新しいやり方を学んでみること。そこから見つかる何かがあるだろう。ただし、新しい職場が間違っていることもあるので、染まってしまってはダメだ。だが、前の職場の意識を一度捨てて、透明な気持ちで接してみてはどうだろう。まずはインナーサークルに飛び込んでみよう。

私は自分で言うのもなんだが、環境順応性が結構高い。それが必ずしも常に良いことばかりではないのだが、こと転職という点においてはプラスに作用しているようだ。ただし、どのような環境においても、自分を見失わないようにすることは心がけている。

ところで、横山氏は次のように書いている。

IT業界は、長時間労働で悪名が高くなったため、日米ともに人気急下降中です。
労働環境を改善するには「自分の知的能力を磨け(プチブルになれ)」と前にWindows Server Worldのコラムで書いたみたんですが、それだけではだめかも。

「気に入らなければすぐ辞める」人が *大多数* にならないと事情は変わらないような気がしてきた。

別のコラムで「簡単に仕事を辞めるな」と書いたけど、今は揺らいでいます。

「若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来」で書かれているような年功序列+終身雇用により、能力があり、実績も残しているにも関わらず、疲弊した会社側のルールにより正当な評価が与えられていない場合には、「すぐ辞めて」全然かまわないと思う。

ただし、一方で横山氏の言う「簡単に仕事を辞めるな」というのも良くわかる。私の元上司が新卒のころの私には「仕事を選んじゃだめだ」と言っていたのと同じかと思う。つまらないように思えても、そこから学べることは多くある。

結局、飛び出すかどうかは、どこで見極めるかどうかであって、それは自分しか判断できないものではあるだろう。

2007年7月24日火曜日

枠をはめているのは自分

友人が次のような話をしてくれた。

金魚は水槽の中に枠を入れて飼うと良いらしい。自分の体より少し大きい枠に入れ続けると、大きくなるのだと。

金魚が小さい時は、すごい小さい枠に入れる。金魚はその枠を目標に成長する。

体が大きくなり、狭くなってきたら、少し大きい枠をはめる。

これを繰り返していくことで、金魚は大きくなる。

これを聞いたとき、これはコーチングに使えるなと思った。確実に成果をあげられるチャレンジを与え、難易度を少しずつ上げる。

しかし、その次の瞬間、コーチングのように他人に関与する場合だけの問題ではないことに気づいた。そもそも人間が成長をとめてしまうのは、枠を外せなくなっているからではないか。

もともと水槽などなく、大海があるのみ。ただ、自分で自分の周りに枠を作る。そのほうが生きやすいから。順調に成長している間は、自分でその枠を大きいものに変える。これが出来たならば、次はこれをゴールにしようというように。しかし、いつか枠を変えることを止めてしまう。そのほうが楽だから。本当は枠など無い。

たとえば、自分の所属部署、会社、業界などなど、枠は作ろうと思えばいくらでも作れる。その枠は本来いつか外すべきもの。それがいつの間にか言い訳の材料になる。

暑苦しいと言われても仕方ない。だけど、こんな風に考える自分もいる。