2007年7月21日土曜日

最後だとわかっていたなら - Tommow Never Comes

時間つぶしに書店に入って、平積みになっているこの本を見つけた。立ち読みで読み終えてしまうほどの短い詩。インターネットでも公開されているらしい。

だが、何故か買ってしまった。写真が素敵だったからかもしれない。

最後だとわかっていたなら
最後だとわかっていたなら

オリジナルはNorma Cornett Marekの書いたTomorrow Never Comes。Heart Whispersというサイトで読める。

グーグルで検索すれば、日本語訳も見つかるだろう。

好き嫌いはあるかもしれないが、是非読んでみて欲しい。

2007年7月20日金曜日

竹内まりや Denim

村上龍が以前ビートルズについて語った際、流行歌は常に人々にその時代の記憶をよみがえらせると発言をしていた。「欧米にはビートルズがいた。自分の若いときには日本にはそのようなアーチストが存在しなかったが、今はユーミンやサザンがいる」というような内容だったと記憶している(ユーミンやサザンというアーチスト名から分かるように、1980年代後半か1990年代前半の話だ)。

音楽は鮮明に過去を思い出させる。

時間だけは無限にあるものの、有り余るエネルギーの吐き出し場所を見つけられずに、仲間で集まっては青臭い議論をした大学時代。Long Hot Summer(Style Council)の気だるいムードが妙にマッチした。

Introducing the Style Council
The Style Council
B00000747N

大学3年の春休みに、くじ運の悪い私は体育の単位をとるために、日光までスケート合宿に行かねばならなかった。当時すでに、父は先の長くない病気だったが、合宿に来る前には、まだ会社に通っていた(実はこれは奇跡的なことなのだが)。日光での約1週間、屋外スケート場では、浜田省吾のJ.BOYからの曲が繰り返し流れる。合宿から帰ると、父が緊急入院したという。病院に駆けつけると、状況はそんなに悪くなく、普通に会話できた。合宿の様子などを話したと思う。変調を起こしたのは、そのすぐ後。意識がなくなり、10日ほどで他界した。

J.BOY
浜田省吾
B00005G7IU

就職活動の時期、自分のやりたいことがわからず、完全に迷走していた私は、シンクタンク、石油開発会社、コンピュータ会社など手当たり次第、話を聞いた。そして、その中の数社に応募した。今考えると、自分でもよくわからないのだが、なぜかその中にTBSがあった。もしかしたら、応募はしなかったのかもしれない。説明会には行ったはずだ。会社を案内してもらった際に、当時人気番組だった「ザ・ベストテン」のリハーサルで、流れていたのが、少年隊の「君だけに」。指を鳴らして始まるこの曲。このとき違う選択をしていたら、その後に違う道を歩んだことになるのだが、今でもこの曲を聴くとふと違う道を歩んだ場合の自分のことを想像してしまう。

これらは一例に過ぎないが、街角で流れていると急に過去に引き戻されてしまうような楽曲はいくつかある。

そのような曲に加わることになりそうなのが、竹内まりやのDenimだ。正確には曲ではなく、CDだが。

昨年のクリスマスにテレビで流れた曲(クリスマスは一緒に)が印象に残っていたのだが、その曲以外にも、心に染み入る曲が多い。自身の状況を重ね合わせたり、似た立場の友人を思い出させたりする歌詞。その歌詞を包み込むようなメロディ。良質のポップというのはこういうのを言うのだと思う。山下達郎は以前から良く聴いていたが、竹内まりやのほうが日本人の情に訴えるウエットなものをもっている。以前、山下達郎がある竹内まりやの曲を評して、「あれがぎりぎり」と言っていたが、山下達郎は日本人の好むウエットな部分が苦手なのだろう。

B000O76P6MDenim (通常盤)
竹内まりや Alan Jay Lerner 服部克久
ワーナーミュージック・ジャパン 2007-05-23

by G-Tools


このDenimだが、通勤時、勤務中、入浴中、ドライブ中など最近いつも聴いている。いい時期に巡り合えてよかった。

2007年7月15日日曜日

対面

昨日、帰国してすぐに、彼(亡くなった元上司)の自宅に電話した。名前を言うとすぐにわかってくれた。お通夜にも告別式にも参加できなかった無礼を詫び、できれば早くに位牌に手を合わせたいというと、いつでもどうぞという。

彼には「次回は子供の写真でも見せますよ」と約束していた。今日持っていこう。子供に「お父さんの大事な人が亡くなったんだよ。君のこともいろいろ考えていてくれた人だよ」と話した。私と子供で撮影。でも、彼とは血のつながってもいない子供の写真。迷惑じゃないだろうか。でも、約束は果たしたい。

日曜日の午前中。台風が迫っているためか、雨と風が強い。ガラガラの首都高を飛ばして、1時間半ほどで到着する。

自宅では娘さんと奥様が犬と一緒に迎えてくださった。犬はとても人懐こい。後で、教えてくれたが、彼が親しかった人はすぐにわかるのだそうだ。腕にしがみついて離れないと。確かに、犬が私の腕をしっかりとつかんでいる。

お線香をあげさせていただき、「次に来るときは、子供の写真をお見せしますと約束していたので、もし迷惑でなかったら」と言って、写真をお渡しした。喜んでいただけた。ほっとした。でも、本当は彼に生きているときに見て欲しかった。彼はなんて言っただろう。「及川さん、そっくりだね」。そんな風に言うのだろうか。独特のイントネーションで話す彼が想像できる。

写真では子供にメッセージを書いた紙を持たせていたのだが、それも喜んでいただけた。本当によかった。

息子さんにもご挨拶できた。小一時間ほどお邪魔したが、私の知らなかった家庭人としての彼の姿を知ることができた。生きているうちにもっと知りたかった。

帰路、親父の墓にも寄る。親父にも報告。

2007年7月13日金曜日

恩人との別離

朝一のミーティングを終了し、メールチェックを終わらせた後、オフィスの外のベンチで一休み。眠気が襲ってくる中、ふと、なんで今ここにいるのだろうと考えてしまう。本当なら、彼の元に駆けつけたかった。

昨夜、日本との電話会議が続き、ベッドについたのが深夜3時。寝付きかけたころに思い出した。弔電の手配をしないと。定型の文面ではなく、自分で今の気持ちを伝える文章を考えた。永遠の眠りについた彼にせめて届きますように。

亡くなったのは私の元上司。

彼とは最初の会社で一緒だった。当初、私は直属の部下でなかった。それにも関わらず、何かにつけてかわいがってもらった。今思えば、かなり自信過剰で先鋭的だった若かりしころの私。VAX NotesというLotus Notesの原型にもなったといわれる情報共有システムで、自分のシグネチャーに「Never trust over thirty」だとか「TooMuchManagementNotEnoughLeadership」だとか書いていると、少しなまりのある声で「だめだよー、及川さん。こういうのは見る人は見ているからね。直接会ったことのない人に変に先入観与えると損するよ」って注意してくれたのも彼だ。

某自動車会社のシステムのアップグレードでトラブルが生じたときも、直接関係ないにも関わらず、週末にかけつけてくれたのも彼。別に直接トラブル処理を手伝ってくれるわけでもなかったが、なぜか彼がいるだけで心強かった。

その後、縁があって、上司部下の関係になり、保土ヶ谷のオフィスに二人して転勤となった。保土ヶ谷に移った当初、毎日のように飲んだ。仕事の話ももちろんだが、家族の話、学生時代の話などいろいろな話をした。

最近、私は学生や新社会人など若い人に話をする機会も多い。話の中で引用させてもらうのも、ほとんど彼の言葉だ。「他人の心の痛みがわからないと他人の上にはたてない」。他人の上にたつかどうかは別として、「他人の心の痛みをわかる」ようにするのを心がけているのも、彼から教わった教訓だ。ただ、この年齢になっても、心がけていても、実践はできていない。そんな私を見たら、彼は「だめだなー、及川さん」って苦笑しながら注意してくれるだろうか。

「仕事を選んじゃだめだ」と言われていたのが、しばらくしたら「及川さん、仕事は選ばないと」と言われるようになった。若い私はメッセージが一環していないと憤慨したが、それが私の成長に合わせて意図的に変えていたとわかるのはしばらくしてからだった。当時はまだコーチングのような手法も今ほど一般的ではなかったと思うのだが、彼は見事にそれを実践していた。

彼とほとんど二人三脚と言って良い状況で行っていた仕事が一段落ついたころ、そう、1992年ごろだろう、私はマイクロソフトに転職しようと思った。Windows 3.0が出たか、これから出るかという時代だ。DECから転職する人間がちらほら出ていて、私も成長著しい会社に憧れた。

今から考えるとめちゃくちゃなプロセスなのだが、なぜかきちんと彼に辞めることを告げてから、転職活動をしようと思い、先に辞表を提出した。びっくりした表情で、少し預からせてくれと言う。数日経って、彼の上司(つまり、私の上司の上司)と3人で面談があり、そこでWindows NTのAlpha版の開発で米国マイクロソフトに行かないかという。この時から私の人生は大きく変わった。今のプロフェッショナルとしての私があるのは彼のこのときのカウンターオファーのおかげだ。もちろん、私はDECに残り、Windows NTのAlpha版の開発に参加した。

このプロジェクトは必ずしも順調ではなかった。まだ20代だったリーダーの私は日本にいる彼やほかのマネージャに無理難題ばかりをお願いしていた。後から、彼に言われた。「及川さんの言うことももっともなんだけど、リーダーとしてはGiven Conditionの中で最高のパフォーマンスを発揮しないとダメなんだよ」。当時の私は必ずしも、この言葉を理解できなかったが、今ならばわかる。少し、彼に近づけたのだろうか。

その後、彼は私よりも先に会社を辞めることなり、その後しばらくして、私も会社を辞めた。辞めてからは数年に1度会うくらいだったが、そのたびに私の成長を喜んでくれ、そして仕事だけでなく、私生活にまでいろいろとアドバイスをくれた。

昨年、自分のキャリアについて悩んでいたとき、相談できる人は彼しか思い浮かばなかった。「お久しぶりです。実は会社を辞めようかと思っているのですが、相談にのってもらえませんか?」とメールした。「私で良ければいつでも」とリプライをもらった次の日に、「緊急入院することになりました。ちょっと重い病気みたいです」と他人事のようなメッセージが届く。同時に「いつかまた及川さんと一緒に仕事したいです」とも書かれていた。それ以来、音信不通に。

その後、結局、会社を辞め、現在の会社に転職したのだが、彼のことはずっと気になっていた。でも本当は逆に真実を知るのが怖かったのかもしれない。連絡が来ないのが良い状況のはずがない。

彼の近況を知ったのは、5月に入って。DECの同窓会にて、彼の元上司を見つけると私はすぐ彼の状況を聞いた。そこで知らされた。

すぐに見舞いに行くことを決めた。彼に近しい人3人で。痩せてはいたが、口調は変わらず、他人への気遣いも変わらず。もう残された時間が少ない人だとは信じられなかった。また来ます。そういってその日は帰った。

後日、お礼のメールをした。本当に伝えたかったこと。

<略>
先日は突然の訪問失礼いたしました。やはり会えて良かったです。

目の前にいらっしゃるとなかなか照れて言えないのですが、Xさんの部下でなくなってからも、いつもタイミングタイミングで私はXさんの言葉を思い出していました。私は大学時代に父を亡くしていますので、私の中では父代わりのようにXさんのことを思っていたところもあるのではないかと思います。「他人の心の痛みがわからなければ他人の上には立てない」とか「早く1千万円プレーヤーになれ」とか、Xさんには仕事の面だけでなく、人生の先輩として学ぶところが多く、単に会社の上司というだけでなく、本当に多くのことを教えていただきました。
<略>

普段、私は自分の業績をひけらかすことはほとんどしない。そもそも業績といえるようなものもない。だが、このメールでは直前にあったイベントが大成功だったこと、そこで私がゼネラルセッションの最後を締めたことなどを伝えた。成長した私を少しでも知ってもらいたくて。彼の言葉や考えが少しだけど、きちんと私が継承していることをわかって欲しくて。

彼から短い返事が来た。

新病棟/病室に移動しました。XX病棟/XXXX号室。個室です。
いつでもどうぞ。私ももっとお話ししたかったです。
xxxx …still alive…

それから10日くらい経ったころ、今度は1人でお見舞いに行った。すでに起きているのは辛いのか、寝たまま話をする。相談したかったこと、伝えたかったことを言葉を選びながら話した。彼もいろいろと親身になって答えてくれる。ふと気づくと、もう1時間を過ぎている。さすがにもう帰らないと。

帰り際、彼と握手をした。「また来ます」。「及川さん、本当にありがとうね」。彼は泣いていた。私も号泣してしまった。病室を出るのが辛かったが、「失礼します」と言って、病室を出た。これが思えば、彼との最後だった。

出張から帰国したら、真っ先にお見舞いに行く予定だった。それがお別れの式にも参加できないなんて。でも、彼ならきっと言うだろう「及川さん、無理しなくていいよ。別に急がないから、いつか来てください」。

彼に会えたら言うつもりだ。どんなに私が感謝しているか。本当は彼がいなくなり不安で仕方ないが、そんなそぶりを見せたら、きっと怒られてしまうだろう。

彼に言いたい。本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。

2007年7月8日日曜日

手塚治虫展@Asian Art Museum

サンフランシスコにAsian Art Museumというものがあり、そこで手塚治虫展をやっていることがわかってので、行ってみた。

場所はCivic Center。

外から眺めた感じはこんな感じ。アメリカの都市の建物に手塚治虫の代表作がでかでかと表示されているのは感慨深い。





入場料は12ドル。

中は当然のことながら、撮影禁止なので、写真は無い。

手塚や手塚の作品の紹介がされているのだが、知らない作品も多かったりして、じっくり1つ1つの解説を読んでしまった。特に、青年を対象とした劇画部門のものは知らなかったのだが、興味をひくものも多かった。今度、読んでみようかと思う。

また、ビデオも上映されており、手塚の生涯などがわかる。こちらは日本語の解説に字幕。

2Fではパフォーマンスが行われているようで、私が行ったときには、バイオリンとチェロでアニメソングをクラシック調にアレンジして演奏していた。ここは撮影OK。



夕方に行ってしまったので、あまり時間がなかったが、今度また面白い展示がされているようであれば、来てみたいと思った。



Asian Art Museum

2007年6月24日日曜日

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来

前回の投稿から、かなり間が空いてしまった。

ペースは落ちたものの、いろいろ本は読んでいる。

本書は地元の図書館に予約していたのだが、人気があったのか、ついこの間やっと借りることができた。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来
城 繁幸
4334033709


本書では、年功序列、終身雇用を「昭和的価値観」と位置づける。このブログでも何回か書いているが、私は「会社によって養われている」という考えが嫌いであり、「会社の看板」で自分の実力を勘違いするようなことは常に避けている。本書は私の考えの多くをそのまま代弁してくれているようなものであり、是非、これから社会に出ようという学生に読んで欲しいと考える。

私は、大学を卒業してから現在の会社が3社目になるが、すべて外資系。しかも、IT関係だったこともあって、最初の会社である日本DECという会社に入ったときから、終身雇用の恩恵に与れるとは考えたこともなかった。

当時のDECは世界第2位のコンピューターメーカーで、IBMを射程圏内に捕らえていた(と考えられていた)こともあって、社内はかなり勢いがあった。年配の方も少なくなく、会社が家族を大事にするカルチャーを持っていたこともあって、同期には定年まで同じ会社に勤め続けることを考えた連中もいたのかもしれない。しかし、なぜか私は冷めていた。それは、終身雇用と同時に年功序列が、少なくとも日本のDECでは採用されていたからだ。本書で紹介されているほかの日本企業に比べれば、日本DECの年功序列はそれほど練られたものではなかったが、それでも新卒で生意気な社員のやる気をそぐだけのものではあった。また、なぜか日本だけ「アソシエイト」で始まるジョブタイトル(すなわち、それだけ他国に比べるとスタート地点が低いということだ)など、不満が多く、ここに生涯いることはないのではないかと漠然と思っていた。念のため、書いておくが、日本DECはそれでも恵まれていた。若い連中にかなりの権限委譲が図られており、私も20代後半で重要なプロジェクトのリーダーを任せられるようにもなった。その意味では感謝している。

DECが傾きはじめ、早期退職プログラムなどが年中行事になると、多くの人間が終身雇用に疑問を抱き始めた。日本DECの早期退職プログラムは、私が辞めたあとはさすがに工夫されるようになったが、当初はあまり制限も設けていなかったため、優秀な若い人間も多く辞めていった。「優秀な人間から辞めていった」とは言わない。優秀な人間の中にも、「この会社をどうにか自分の力で復活させたい」と思う連中も多くいたのは事実だ。私は優秀ではないが、天邪鬼だったこともあって、結局、早期退職プログラムには応募していない。早期退職プログラムの合間を縫って退職してしまったような形になっている(脱線するが、かっこつけないで、早期退職プログラムに応募すればよかったと思う今日この頃 ;-))

で、その後2社に在籍しているが、どちらでも終身雇用されることを考えたことはない。会社と自分の関係は契約だと思っており、その契約内容によってはいつでも双方が契約終了を申し出れるくらいに考えている。幸いなことに、2社とも年功序列という考えはまったくない。自分よりも年上の部下を持ったこともあるし、自分より年下の上司に仕えたこともある。また、管理職ではないキャリアパスが設けられており、スペシャリスト(Individual Conributorというのが正しい)としてのキャリアも認められている。

このように会社との関係を契約と割り切る代わり、会社に多くは期待できない。契約の範囲外のものに関してはまったく期待しないほうが良い。

付き合いのあった日本企業の中には、リストラをしているにもかかわらず、(ほぼ?)専属の病院や料亭まで持っているようなところもあった。福利厚生が充実していると言えば言えるのかもしれないが、何かちょっと違うように思う。語弊があるかもしれないが、こんな環境にいればスポイルされてしまい、ほかの会社には移れなくなることが容易に想像できる。

私の社会人人生で感じた伝統的な日本企業の経営スタイル(終身雇用+年功序列+労使協調)に対する考えを大学生などに話すことも多かったが、これからは本書を読むことをまず勧めることにしよう。

2007年4月22日日曜日

Mnemosyne

近所の文具店で見つけた。marumanのMnemosyneシリーズ。特殊5mm方眼罫タイプのものが気にいった。マインドマップやロジックツリーなどで自分の考えをまとめるのにちょうど良い。



書いた後に、二穴のパンチをあけて保存できるようになっているのも親切設計。ちょっと重いが、まぁ仕方ないか。