本書の帯にも書かれている「7万人が自宅を離れてさまよっているときに、国会は一体、何をやっているのですか!」という国会での発表でも知られる東京大学の児玉教授の本。その国会の直後に、その発表をテキスト化したものを中心としてまとめられ、発行されたものなので、少し古い(第一刷発行が昨年の9月)。
主張はすでに知られているものだろう。「エビデンス」中心の臨床主義の限界を元に、閾値の議論に時間を使ったり、低線量の危険性/安全性の証明に時間を使うよりも、まずは測定と除染を進めるべきだというものだ。確かに、ある疾病において、それの原因と疑われるものとの因果関係を証明するのは簡単ではない。本書でも次のように書かれている。
被爆者の健康被害研究に携わってきた長瀧医師は、「国際機関で、“因果関係があると結論するにはデータが不十分である”という表現は、科学的には放射線に起因するとは認められないということである。ただし科学的に認められないということは、あくまで認められないということで、起因しないと結論しているわけではない」と指摘する。怪しげなエセ科学に騙されてはいけないが、一方で国や専門家が「認められていない」という言葉を脳内で「安全である」と勝手に翻訳してもいけない。
筆者の発言は概ね支持されているようだが、本来の専門外への発表だったためか、批判もいくつか見られる。Amazonでのレビューコメントで低い評価をつけているものも(こういっては失礼だが)読んで面白い。
さて、私としては、本書でメインで語られている被爆のことよりも、むしろ、筆者が述べる「逆システム学」に興味を持った。逆システム学はその名の書籍が筆者と経済学者の金子勝氏との共著で出されている。
逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす (岩波新書)
こちらの書籍を読んでいないので、本書からの推測になるが、単一のエビデンスからの統計的な予測ではなく、複雑な系を多重フィードバックを司るものとして捉え、そこでの振る舞いを推測することを言っているようである。本書の中にもそれを思わせる記述がある。
予測の科学には、レトロスペクティブな予測とプロスペクティブな予測があります。レトロスペクティブな予測とは、いわゆる統計学とか疫学的な予測です。プロスペクティブな予測とは、コンピュータを使ったシミュレーションなどです。
統計学や疫学は、過去の大量のデータをまとめて、新しいメカニズムを探すときに使われます。これに対して、今知られているメカニズムで未来を予測するときには、少ないパラメータで厳密に計算をしないといけない。これがシミュレーションの科学で、今はこの領域がものすごく進歩してきています。まさに、本来即座に公開可能であったSPEEDIのデータはプロスペクティブな予測だった。プロスペクティブな予測の価値を見いだせなかったのは、震災後いくつもの場面で見られているのかもしれない。