2012年12月14日金曜日

東日本大震災、その時企業は

昨年3月に起きた東日本大震災。

震災と津波、その後に襲ってきた原発事故。

被災地の倒壊した工場、海外からの風評被害にあえぐ日本製品などを見て、日本はどうなってしまうのだろうと不安を抱いた。サプライチェーンの崩壊は多くの企業に影響を与え、消費者心理の冷え込みにより内需も縮小した。

だが、そこで見たのは、お互いを支えあう日本人の優しさや強さであり、混乱の中で安全を確保し、すぐさまに復旧・復興に向けて動く企業だった。不安は強かったが、日本全体が優しさに包まれているように感じ、確かな復興の手応えを感じた。わずか数週間で復旧した東北自動車道を始めとした、日本社会の底力が世界からも称賛された。

東日本大震災、その時企業は」は日本経済新聞および日経産業新聞に連載されたルポとインタビューを再構成したものだ。昨年7月の発売だ。

震災直後から5月ごろまでの記事で構成されている本書を今読むと、当時の状況が思い起こされる。自身が当時どこで何をしていたかと重ね合わさる。

同時に、今も当時の気持ちを持ち続けているかを問いたくなる。自分に対してもそうであるが、本書で取り上げられている企業人の方々にも。今もあの時と同じですかと。

本書では、数多くのヒロイックな活躍が紹介されている。実際には、こんなにドラマチックな展開ばかりではなかっただろうが、日頃の官僚的な組織とはまったく異なる、権限移譲された一人ひとりが素早く行う意思決定や組織の枠を超えての協力など、日本企業が弱いと指摘されている部分を克服した活躍が書かれている。

岩手県宮古市の宅配便営業所では、「配達員たちは誰に頼まれるでもなく、本社の了解を得るのも待たずに救援物資を避難所に運ぶのを手伝い始めた」し、自動車メーカーは生産再開をやみくもに急ぐのではなく、相互に連絡をとりあって、部品メーカーの復旧を支援した。全日空は2002年に撤退していた山形空港への臨時乗り入れを、約2週間という短期間で実現した。いわき市に本社を持つ、カーナビのアルパインは工場の1階にすべての設備を下ろすことで、余震が続くなかでも操業を再開した。

共通するのは、現場の裁量で、短期間に決断し、実行すること。

企業トップが震災直後に社員に呼びかけたメッセージも記載されているが、どれも胸打つものだ。日立製作所社長の中川氏は「家族、街、そして社会を守りぬくのだという強い決意を持つことが求められています」と呼びかけ、日産自動車社長のゴーン氏は自社工場(いわき工場)の早期復旧の見込みに対して、「これはひとえに“現場力”によるものだ。このような危機では新聞に名も載らないような多くの無名のヒーローが登場する。彼らを称賛し、勇気づけるのが私たち経営者の責任だ」と話す。阪神大震災の際に全国から支援を受けた関西を中心とする企業は「今度は自分たちの番だ」と語る。

あれから1年と9月。今も同じ思いでいるだろうか。選挙戦も終盤だ。原発に対しての将来構想が争点にはなるものの、それ以外の震災復興についての話題はあまり聞かない。

日本経済の先行きも不透明だ。大手家電メーカーの中には目を覆いたくなるような業績のところも多い。

今こそ、当時の思いを思い出すと良いのではないだろうか。

東日本大震災、その時企業は (日経プレミアシリーズ)東日本大震災、その時企業は (日経プレミアシリーズ)
日本経済新聞社

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