2012年11月5日月曜日

英語を勉強するのは、英語しかできないバカに騙されないため

たかが英語!

英語ができると年収が上がるという説がある。
 実は、「英語ができると同じ職種でも30%は給料が違う」という現実をご存じでしょうか。ただし、これは英語が、というよりも、日本企業より外資系企業が給料をアップさせて採用する方針があるからかもしれません。つまり、外資系企業の求人要件には「英語力」が入っているためです。これだけグローバル化が叫ばれていても、実際に英語ができる方や外資系で働いている人の数は少ないといえます。英語ができなくても年収1000万円を貰える国は非常に少ないでしょう。これはこれで日本のすごいところではあるのですが…。

英語力のあるなしで年収は30%も違う!? 押し寄せるグローバル転職の波に勝つ人、負ける人|35歳からの「転職のススメ」|ダイヤモンド・オンライン から)
この記事にはソースが示されていないので、どのような根拠でこのように言っているかわからないが、おそらくこの記事以外でも同じような話を聞いたことはあるだろう。昨今のグローバル化という言葉で、英語の必要性を肌身に感じている人も多いはずだ。

社会人の英語力を図る尺度として、日本ではTOEICが有名である。賛否両論のあるこのテストだが、私自身はTOEIC自身を評価している。日本人にとっての良いベンチマークであろう。(参照:玲瓏 - TOEICのすゝめ

このTOEICのスコアと収入に相関関係があるとする記事も多い。
 また「プレジデントファミリー」(2008年5月号)の「英語が喋れると、年収が高くなるのか?」(上)、国税庁(下)のデータを見ると、スコアが高くなるほど、それにスライドして年収も多くなる傾向が見て取れます。一番下は全国平均ですから、語学力が年収に与える影響力の強さが見て取れます。(【注】図は直接、元記事を参照のこと)

誠 Biz.ID:【図解】人生の大問題:あなたの人生にかかわる衝撃的事実リスト【英語編】から)

一方、TOEICスコアに関しては、人材紹介会社のJACによる調査では、収入との関係は無いとの結果も出ている。
本人申告の英語力別に集計すると、「TOEICスコアが高いこと自体」は、「転職決定年収」とは無関係になっています。



英語力・TOEICと年収・転職決定率|グローバルホワイトカラー調査レポート|採用支援サービス|英語力、専門職、管理部門の人材採用なら人材紹介会社JAC から)
ただし、このJACのレポートでも「本人申告による英語力が高いほど、「転職決定年収」・「転職決定率」は、高くなっています」とあるように、英語力と年収には関係が見られるとしている。

このような記事はそれこそ枚挙に暇がない。

参照:英語ができれば年収は本当にアップするのか? - NAVER まとめ

だが、本当にそうであろうか。

関係と一言で言っても、それは「因果性」がある場合と、単なる「相関性」がある場合に分けられる。「因果性」とは、ある行為の結果で何かが起こることであり、「相関性」は単に2つの事象に関係性が見られることである。今回の英語力と収入の関係で言うと、英語力があるために収入があがった、つまりほかの要因を排除しても、英語力向上が収入の向上に寄与したと言える場合に因果関係があることになる。

一般的に、収入の高い人は学習意欲が高く、また地頭も良いことが推測される(これも「相関関係」であり、「因果関係」であるとするためのデータをここでは例示できていない)。したがって、英語力のみならず、ほかの能力も高かったり、もしくは学習により新たな知識なども吸収できるような人だったりすることも多い。その場合は、英語ができるから、収入が向上したというよりも、収入が向上するような能力を持った人だから、英語力も高いとするほうが自然だ。

したがって、英語力が向上したからと言って、一概に収入が向上すると思わないほうが良い(手当がある場合は除く)。

では、英語は必要ないのか。元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞さんの本に「日本人の9割に英語はいらない」というものがある。この本では、英語よりも成人として身に着けて置かなければいけないことがもっとあるのではないかということが主張されている。

私も以前ツイートしたことがあるが、年に1回しか海外旅行に行かない人がその時のための英会話を習得するために、年間数十万もかけているとしたら、それこそ時間と金の無駄である。その金を通訳ガイドを雇うのに使ったほうが良い(と書いたら、自分の言葉で現地の人と会話するのも海外旅行の醍醐味だと言われたので、これはかなりの暴論だったことは認める)。

ポイントは動機づけ、すなわち話す必要がないのにもかかわらず、勉強しても仕方ないということだ。

成毛眞
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さらに、この本が言っているのは、話す内容のほうが大事だということだ。日本語でさえ、内容がないことしか話せない人が英語で何を話すというのだ。それよりも、歴史や文化など、日本人として必要なことをきちんと習得することのほうが重要だと説く。

これは究めて重要な点だ。英語力というが、多くの人にとって必要なのは、英語能力を高めることではなく、英語を使ったコミュニケーション能力を高めることなのだ。言い換えれば、「英語を話す」のではなく、「英語で話す」のが大事ということなのだ。英語力だけでなく、話す内容が伴っていなければ意味が無い。

英語で話すということを考えた場合、日本人は多少の間違いなどを気にせずに、どんどん英語を使ってみるのが良い。当初は綺麗な英語である必要はない。英語を母語としない人たちが多く参加する会議などに出てみるとわかるが、発音はまちまち、文法が多少怪しい人だって多い。それでも会話が成り立つ。気合と根性と集中力。それにグローバルで通じるための英語能力。それが必要なのだ。

このための英語力は「グロービッシュ」と呼ばれる英語ご共通するものが多い。グロービッシュは約1,500語の単語と簡単な英文法能力だけでコミュニケーションを図る手法だ。

世界のグロービッシュ ─1500語で通じる驚異の英語術


グロービッシュレベルだけで十分かどうかは話す内容によって異なるが、1,500語だけでも話せること、そして世界で英語を使っているのは英語が母語でない人も大勢いるということ、英語で苦労しているのは日本人だけではないということを知るためにも、このグロービッシュは理解しておいても損はない。

先の動機づけの話に戻ると、本当に英語を話す必要がないのならば、英語の勉強はしないで良いだろう。そのための時間をもっと大事なことに割くべきだ。さもないと、勉強しても、それを実践する機会を持てずに、決して英語が身につくことはない。

ただ、本当に英語が必要ないかどうかは考えたほうが良い。安易にグローバル化などと強調したくないが、これからの日本を考えた場合に、英語が必要ない会社だったならば、将来を案じたほうが良いだろう。

英語が必要な環境であった場合でも、誰もが英語が話せなければいけないということはないだろう。一部の部署や一部の人だけで十分なことも多い。だが、ここで気をつけないといけないのは、その一部の人たちだけに英語でのコミュニケーションを任せておくと、情報をフィルターされたり、成果を横取りされたり、自分に不利なように話を進められたりする可能性があるのだ。

ある外資系企業に長く勤める知人から聞いた話では、外資系企業の中には「英語しか話せないバカ」と言われるような人たちがいることがあるそうだ。一般的な業務上の能力が必ずしも秀でて優れているわけでもないにもかかわらず、英語ができるために、本社とのやり取りの中心的な存在になっているような人たちだ。その人たちが謙虚に振舞っていれば良いのだが、自分の立場を利用して、あることないことを本社に報告したり、成果を自分のものとしたりすることがある。本社側の人間も英語が堪能なその人たちと話していると楽なので、ますます情報は彼らに集まるようになる。上司へのお世辞もうまかったり、本社が喜ぶような案件についてのプレゼンテーション能力も高かったりするので、ますます彼らは可愛がられる。昇進も重ね、その地位は揺らぎないものになる。

さすがに最近ではこのような人たちはあまり見ることがないそうだが、まだ日本で外資系が珍しく、日本人の英語レベルが今よりもずっと低かったころには、英語だけ堪能と思われる人たちに遭遇することは珍しくなかったそうだ。

「英語しか話せないバカ」というのはなんとも物騒な言い回しであるが、その人に悪意があるかないかは別としても、英語が堪能な人に会議の主導権を握られ、曖昧に頷くしかなかったために、満足のいかない結論に妥協しなければいけなくなるようなことはある。日本人で英語が堪能な人にそのようにされるのならば、まだその人と協力関係を構築しておけば良いのだが、日本人以外(すなわち、日本語での会話ができない人)に同じように、話の主導権を握られたり、こちらの意図とは違うように解釈されることによって、不利になってしまうこともある。

英語を勉強することとは、あえて極端に言うならば、英語でのコミュニケーションができないということだけで、不利な状況になることを避けるためでもあるのだ。

「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21)

国際共通語としての英語 (講談社現代新書) 危うし!小学校英語 (文春新書) 歴史をかえた誤訳 (新潮文庫) 英語社内公用語化の傾向と対策 ――英語格差社会に生き残るための7つの鉄則 英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由

楽天をはじめ、英語社内公用語を打ち出すところも多い。ネガティブな意見も散見される。やっぱりいた… 楽天英語公用語化で「取り残されてしまった人たち」 (1/2) : J-CAST会社ウォッチ によると、精神的に参ってしまっている人が出ていたりもするようだ。また、次のような意見も見られる。
   一方、英語の点数をクリアしたものの、日本語オンリーの業務環境は変わらず「何のために勉強したのか」と呆れる人もいる。面白いことに英語公用語化の徹底度合いは、社のフロアによって微妙に違うらしい。

やっぱりいた… 楽天英語公用語化で「取り残されてしまった人たち」 (1/2) : J-CAST会社ウォッチ から)
だが、知り合いの技術者は社内で英語を普段使うようにしているから、技術カンファレンスで海外のスピーカーが英語で行う講演も以前に比べて理解できるようになったとしている。特に、技術者は未だに多くの情報は元が英語であることが多いので、英語を身近に感じられるようになったことの意味は大きいだろう。

英語社内公用語までいかなくても良いから、このような組織あげての取り組みは是非考えていきたい。

このようなことを考えていたら、今朝ほど日経新聞にタイミング良く次のような記事が出ていた。

グローバルな社会で活躍できる人材になるには 三菱商事・小島順彦会長 経営者編第1回(11月5日) :日本経済新聞

商社とういのは昔から英語が堪能でないといけないというイメージがあるが、ここでも三菱商事会長の小島氏は英語三原則として次のように言う。
(1)流ちょうな英語でなくてもいい。
(2)流ちょうに英語を話す人が必ずしも優秀とは限らない。
(3)重要なのは自分の意見を持ち、議論の中でそれを主張できる力。

グローバルな社会で活躍できる人材になるには 三菱商事・小島順彦会長 経営者編第1回(11月5日) :日本経済新聞 から)
ここで書いていたと同じことを、私よりも適切な表現で、小島氏もおっしゃっている。

このブログを読んでいらっしゃる方の多くは技術者だろう。技術者にとって大事なのは技術力である。専門を極めることによって、会社や組織に貢献することであったり、自己実現を図ることである。したがって、英語によるコミュニケーション能力を高めるよりも大事なことはたくさんある。だが、成し遂げようとすることは一人では実現できないことがほとんだろう。利用者と繋がらなければいけないこともあるだろう。技術を極めるためにも、英語を含む言語によるコミュニケーションが必要になるのだ。

冒頭に書いた、収入への影響もこのような間接的な形で起こることになろう。

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英語を勉強する必要はあるのでしょうか、またある場合はどのような勉強をすれば良いのでしょうかと聞かれたのだが、一番大事なのはやはり動機づけだと思うので、少し刺激的な「英語しかできないバカに騙されないために」という言い方をあえて用いて、まとめてみた。タイトルに気を悪くした人がいたら申し訳ない。

動機づけという点で言えば、本当はその国の文化を知りたいという気持ちだったり、その国の人と知り合いになりたいという、もっとピュアなものも大事にしたい。実際、第二言語を習得できている人のかなりが恋人がその言語を母語とする人だったということもある。

ビジネスの世界で必要に迫られてというところかのスタートであっても、勉強のどこかの段階でその言語により拡がる文化的な部分にも興味を持てるようになりたい。そのような動機もあわせて持つことで、よりその言語の習得は進むのであろう。

う〜む、思いの外、長くなってしまった。