2009年10月16日金曜日

夜の公園



最近、夜に1人で公園に行くことが多い。会社からの帰り、途中の駅で降りると公園を横切って自宅に向かうことになる。また、その同じ公園は自宅からのジョギングに最適な距離にあるので、走りに行くことも多い。

ある日のTwitterに次のように書いた。
月に誘われて途中の駅で下車した。5kmくらい初めての道を歩いてきた。学生街だったため、大学生カップルが夜道で話している姿も見かけたし、静かな住宅街では年上と思われる女性にお持ち帰りされる男の子も見た。上を見れば月だし、道は道で刺激的だし、夜10時くらいの街っていつもこんななの?
http://twitter.com/takoratta/status/4578522766

川に沿って出来ている公園があって、夜でかなり暗かったためにちょっと躊躇したけど、中を歩いてみた。公園に入ってすぐに、上半身裸で仁王立ちしている男性を見つけ、ちょっと怖くなったが、短距離走の練習をしている陸上選手と判明。ほかにも公園をジョギングする人が何人かいた。
http://twitter.com/takoratta/status/4578551705

川の小さい堤防で横になって電話している男性、それぞれの自転車で来て、ここで待ち合わせたのか、2台置いてある自転車の横で静かに寄り添っているカップル(あれは絶対に蚊に刺されていると思う)。女性二人で上空を見上げ、月を語ってもいたし、夜の公園ってこんなにドラマチックなの? 今日だけ?
http://twitter.com/takoratta/status/4578590524

あんまり、夜に公園に行くなんてしていなかったのだけれど、なかなか面白い。人々の後ろにあるそれぞれのドラマを想像したりして。

そんなことがあったので、川上弘美さんの「夜の公園」を読んでみた。純粋にタイトルだけに惹かれた。

簡単に言うと、複雑に絡みあう人々がくっついて離れるっていう物語。文体が独特というか、私にとっては変で、入り込めないし、ストーリーも浅薄。抱き合ってばかりの内容なので、女性向けの官能小説かとも思ったけど、描写が薄いので、これじゃそういう楽しみも出来ないだろう。

センセイの鞄」はまだ良かったんだけど。この作家は私の趣味とはちょっと違うのかもしれない。もうちょっと読んでみようとは思うけど。

夜の公園 (中公文庫)

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2009年10月14日水曜日

先週読んだ本そのほか3冊

読書の秋。というわけでもないが、先週は時間を見つけては本を読んでいた。個別に書くのがちょっと辛くなったので、まとめてそのほか3冊ほどのレビューを書いておく。

被告人、もう一歩前へ。
被告人、もう一歩前へ。

大川興業の阿曽山大噴火氏は裁判ウォッチャーとして知られている。人気のあったTBSラジオ「ストリーム」でコーナーを持っていたり、新聞などにコラムを持つなどしている。その阿曽山大噴火氏(って、これ、どこが苗字でどこが名前だ?)の傍聴記をまとめて書籍化したもの。時間つぶしには良いが、それ以上でもそれ以下でも無し。被告や証人などの名前が伏せられているものが多い。著名人の裁判などもあり、それなどは検索すればひっかかるのだから、あえて伏字にした理由がはじめ良くわからなかったのだが、これはまだ判決が確定していないものが多いから、無罪になった場合を考えてのことであろうことに気づいた。

完全失踪マニュアル
完全失踪マニュアル

完全自殺マニュアル」は何度も読み直した。別に死にたかったわけではないが、問題の書と言われると興味が湧いたからだ。この「完全失踪マニュアル」はヴィレッジヴァンガードで見つけて購入したのだが、買ってからかなり前(1994年)の書籍であることと、すでに読んだことがあることに気がついた。だが、ほとんど内容を忘れていたので、楽しく読むことができた。失踪について短期から長期に渡る3つほどのパターンでその具体的な方法を解く。実際にやるかどうかはともかくとして、いつでもリセットはできるっていうことを知っているのは悪くない。私など、ここまで簡単だということが再確認できると、いつでもリセットボタンを押したくなってしまうのだが。

高校野球「裏」ビジネス (ちくま新書)
高校野球「裏」ビジネス (ちくま新書)

数年前に世間を騒がせた高校野球の特待生問題。ボーイズリーグという存在、元プロ野球選手が巣食う世界。野球を高校経営戦略の柱とする高校、野球の特待生制度によって進学が可能になる経済的に厳しい家庭の子供。単純に何が良くて何が悪いと言い切ることが難しいことがわかる。高野連に対しての厳しい意見が聞かれるが、その後、この問題はどうなったのか。

2009年10月13日火曜日

バーボン・ストリート

1984年の作品だから、エッセイの中に登場する日常品なども多少年季が入っている。

井上陽水から宮沢賢治の雨ニモマケズの詩を思い出したいと夜に電話を受け探しに行くところなど、今だったら、夜遅くまでやっている書店など都心ならすぐに見つかる。そもそもこのぐらい有名な詩だったらインターネットで検索すれば一発だろう。

そう、こんな風に、ちょっと昔のちょっと不便だった時代に書かれた沢木耕太郎氏のエッセイだ。

同じようなエッセイを書く人は多くいるが、私が沢木氏が好きなのは、「深夜特急」で見られるようなモラトリアムに対峙する男を代表するような存在であり、また無類の酒好きであるところなどなのだが、やはりなんと言ってもその文章のうまさを忘れてはならない。このエッセイでも、氏の日常を語ったように過ぎないような内容的には軽いものであっても、その文章構成能力の高さで、思わず引き込まれてしまう。

バーボン・ストリート (新潮文庫)

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最近、一時あれほど読んでいた「仕事術」や「勉強法」などの本を一切読まなくなった。書店に行く度に平積みにされているのを見ると吐き気を催すほど嫌いになってしまったのだが、それは流行るとそれを嫌いになるという天邪鬼な性格のためだけではない。そこまで効率を求めたって、なれるのは気持ちの悪い金太郎飴みたいに同じことをやるだけのロボットのような人間ではないかと思い始めたからだ。

速読術を極めて本を読むよりも、途中つまらなかったら頭を上げ、周りのものに気をとられながらも進めて行くようは読書に私は魅力を覚える。

予定表通りに進められなくても、途中割り込みで入ってしまった仕事に没頭してしまったがための副産物を愛おしく思えるような人とずっと付き合っていきたい。

今日中の仕事を終わらせられなくても、どうしてもという友人との付き合いで徹夜して飲み明かしてしまうような人間でありたい。

つまり、人間っていうのは非効率であるからこそ魅力なのではないかと思う。脳をそんなに最適化しなくても良いのではないだろうか。ストイックなことは魅力だが、ストイックさはそれと対比される人間臭い生活との両輪で成り立つのではないか。

この本に収められている「退屈の効用」というエッセイでも次のように書かれている。
 かつて、売春婦だったといわれる女性を集めて共同生活を送っている、一種の「村」のような施設を訪れたことがあるが、その「村」で特徴的なことはテレビが存在しないことであった。その村の長がテレビは敵だという見解を持っていたからだ。
 「テレビは強制的に貴重な時間を奪う。貴重な、というのは、その時間にすばらしいことができるのに、というのではない。退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。退屈で不安だから、人は何かを考え、作ろうとする」
 ストイックすぎるといえないこともないが、退屈が何かを生み出すという彼の考え方には説得力がある。私にしても、もの書きになり、いろいろなところで書くようになった文章のモチーフの大部分は、退屈で退屈でたまらない頃に、街をうろついている時に胸の片隅に胚胎したものから始まっているように思える。退屈も捨てたものではないのだ。いや、それどころか、退屈はできている時に深く、徹底的に味わっておくものかもしれないのだ。退屈こそ若者の特権だといえなくもない。
 やがて年をとるにしたがって、退屈をしみじみ味わうことができにくくなっていく。仕事が忙しくなり、家庭での雑事が増えてくる。退屈にどっぷりとつかるどころではなく、せいざいが小間切れに訪れる暇な時間をやりすごすことができるくらいになる。
以前、雑誌に寄稿を良くしていたころ、まだ大学生だった別の執筆者の執筆スピードに驚嘆し、悔し紛れに「学生は時間が無限にあるからね」と言っていたが、実際、若いころは時間が無限にある。その無限の時間を就活などというシステムに窮しているのを見ると実に勿体無い。やることはあるのに、ぼーっと過し、将来への夢と未来への不安を考えるのを先送りにして、アルコールで空腹を埋める。そんなことに時間を使って欲しい。と書いたところで、今の自分そのものなことに気づいた。こりゃ、駄目だ。

最近、私はずーっとスコッチウィスキー派なのだが、久しぶりにバーボンを呑みたくなった。

2009年10月12日月曜日

アイデン&ティティ 32

あの「アイデン&ティティ」に第3部があるとは知らなかった。教えてくれたヴィレッジヴァンガード吉祥寺店、ありがとう。

アイデン&ティティを知ったのは2003年。ちょうど映画公開の少し前だ。おそらく映画公開に合わせたのだろう書店で文庫「アイデン&ティティ―24歳/27歳」が平積みになっているのを買った。バンドブームが去った後もロックであることにこだわり続ける主人公を描いたコミックだ。ちょうど自分がバンドをしていたころと重なるし、社会との折り合いのつけ方(結局、つけれていないのだが)に悩むところなどにもシンクロするものを感じて、のめりこんでしまった。

アイデン&ティティ―24歳/27歳 (角川文庫)
アイデン&ティティ―24歳/27歳 (角川文庫)

映画は、今何年だ!?と言いたくなるようなというか、ATGちっくなというかな感じの映画なのだが、監督田口トモロヲ/脚本宮藤官九郎というこれまたすごいペアで作られた。興行的なことを考えた場合の映画の出来としては、今ひとつのところもあるかもしれないが、私としては、むしろ一般に迎合していないようなところに惚れたという感じだ。また、このブログでも何回か言っていると思うが、私が日本の三大薄幸女優の1人と認定した麻生久美子さんの演技にもうっとりする(主人公の彼女役で登場)。

アイデン&ティティ [DVD]
アイデン&ティティ [DVD]



今回買ったのは、このアイデン&ティティの第3部となる「アイデン&ティティ32―アイデン&ティティ 第3部」。CD売上が伸びないために、カバーをやることになった主人公のバンドとタレントとして活躍する友人の癌発病。そのような中で、再度自分たちの道を見つめ直すというストーリー。この友人が池田貴族をモデルにしていることはみうらじゅん氏も「青春ノイローゼ」で明らかにしている。

アイデン&ティティ32―アイデン&ティティ 第3部
アイデン&ティティ32―アイデン&ティティ 第3部

この第3部も前の2作と同じく、ロックを通じて生きることとは何かを問いかけている。青臭くなるようなテーマだが、ボブディランだし、みうらじゅんだし、ロックなのだから、何を言っても許される。みうらじゅんのへたうまなコミックなのもまた良い。

この第3部でも、映画では麻生久美子さんが演じた主人公の彼女の存在感が大きい。登場する箇所はそれほど多くないのだが、姉のように母のように、そして恋人というよりも同志として、ロックの神様のボブディランとともに主人公を支える。前作で彼女がニューヨークに留学する際に主人公に残した手紙の一節がこの第3部でも出てくる。
私のために
君のために
私と君のために
私たちの生きている事は
実験
前例もマニュアルも
ない
やれる事を探す
実験
ふさわしい事を見つける
実験
誰もやった事のない
私と君のための実験
こんな生き方を私もしてみたい。

少女病

少女病

千葉から遠距離通学をしていた中高生のころ、始業時間に間に合うようにすると、たいがいいつも同じ電車に乗ることになる。毎朝同じ車両で見かける美少女がいたりして、同級生との間で話題になったり、誰が声をかけただのと噂話をした。

大学生になり、そして社会人、さらにはフレックスタイムの導入。私の場合には車で通勤したり、バスだったり、自転車だったりと、いろいろと通勤の手段も変わったので、同じ時間の電車を毎日利用するということが今はほとんどない。これで学校や会社という鎖から離れられたなどと思っているわけでもないが、毎朝常に同じ時間に通勤するというストイックな生活は性に合わないので助かっている。でも、考えてみると、毎朝同じ時間の電車という空間を共有する不思議な関係の仲間というのを失ってからだいぶ経つことになる。

毎朝同じ時間に乗ってくる美少女に声を掛けるでもなく、ただただずっと見ている。読んでいる本、話している友人、近くに立てたときなどは友人と話している内容まで聞いてみたりする。当時はストーカーという言葉も無く、今だったらストーカー予備軍にされていたかもしれないが、多かれ少なかれ、通学路での美少女をちらちら気にするというのは誰もがやってことではないだろうか。

この「少女病」はすでに青空文庫に掲載されているのだが、なんといっても高山里穂さんがモデルの写真が秀逸。私は少女趣味/ロリータコンプレックスではない(むしろその逆)のだが、それでも、2~3ページに1枚以上挿入されているこれらの写真をずっと見たいがためにこの本を買ったと言っても嘘ではない。

共感できる人はどうぞ。

2009年10月5日月曜日

森絵都を四冊

7月に読んだ「つきのふね」と「カラフル」はどちらも児童小説でありながら、年齢関係なくすべての人に訴えるものがあった。

そんな森絵都さんの小説を4冊ほど続けざまに読んだ。

まず、「風に舞いあがるビニールシート」。読もうと思って、だいぶ前に買ったまま放置してしまっていたものだ。放置してしまっていたのは、ほかにやるべき事や読みたいものがあったというのが主な理由なのだが、同時にこの本の出だしがどうも好きになれなかったからだ。

実は、出だしが気に入らず、手元にあったにも関わらず読み進めていなかったのは、「カラフル」も一緒だった。どちらも少し軽いノリがする。その軽いノリがどうにも読む気を損なわせていたのだ。

「カラフル」を読み終わった時には、そんな食わず嫌いであったことを後悔したが、この「風に舞いあがるビニールシート」も同じく、出だしのちょっとした文体や文調だけで判断してしまってはいけないことを教えてくれた。

これは6つの作品から構成される短編集。冒頭の「器を探して」は才能溢れる菓子作りの先生に仕える女性が主人公の話。理屈ではなく心を揺さぶられるものに価値をおく。静かに進む物語の中にもそのような力強い主人公の気持ちが伝わる。性を感じさせる部分も作品を際立たせる。

最後に収められている表題作「風に舞いあがるビニールシート」は秀逸だ。思わず人目も気にせずに涙してしまった。「つきのふね」と「カラフル」でも涙しているから、森さんの作品で涙するのはこれで3作目だ。性的なエピソードが混ぜられるが、セクシーな感じはほとんどしない。むしろ、それは悲惨な国際紛争地帯との対比もしくはそれを緩和させるためのコミカルな素材として配置されているようだ。これはドラマになったようだが、確かに後半の展開は思いっきりドラマチックだ。筆者のテクニックにまんまとはまったというような気もしなくも無いが、それでも悪い気はしない。

風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)

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あの日にドライブ (光文社文庫)
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つきのふね (角川文庫)
リズム (角川文庫)
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次は、「アーモンド入りチョコレートのワルツ」。これはピアノ曲をモチーフにした3作品からなる短編集。最初の作品「子供は眠る」はロベルト・シューマン「子供の情景」を、2番目の作品「彼女のアリア」はJ.S.バッハの「ゴルドベルグ変奏曲」を、そして最後の「アーモンド入りチョコレートのワルツ」はエリック・サティの「童話音楽の献立表(メニュー)」をモチーフとしている。自分じゃほとんど弾けないくせに、ピアノが好きな私はこれらの作品を読むときも凝って、そのピアノ曲をちゃんと聴きながら読んでみた。

2番目の「彼女のアリア」のモチーフになっている「ゴルドベルグ変奏曲」は不眠症のために作られたという逸話のある曲なのだが、今年3月に、実際にこれを聴きながら寝てみようという変わったコンサートを聴きに行ったことを思い出した。Twitter経由で招待していただいたのだが、その名も「音楽で快眠サプリ~ゴルトベルクでおやすみなさい~」。しかも会場が、シートが航空機のビジネスクラスくらいまでリクライニングで倒せるという白寿ホールだ。誘ってくださった方が「寝に来てください」とおっしゃってくれていたので、寝る気満々で伺って、本当に熟睡してしまったというコンサートだ。

話がずれたが、この曲をモチーフに使った「彼女のアリア」は不眠症という病気は出ては来るものの、それよりも「青春」という言葉が似合う中学生の恋の話。3作品の中では、これが一番好きだった。

アーモンド入りチョコレートのワルツ (角川文庫)

次に読んだのは、「リズム」とその続編になる「ゴールド・フィッシュ」。児童文学のなんかの賞をとったことで有名だし、「リズム」は著者のデビュー作。周りで評判が良かったので、期待して読んだのだが、どうも底が浅い感じがする。ストーリーに深みが無い。テーマ自身は嫌いではないのだが、安直な少女コミックのようにストーリーが展開していく。「つきのふね」や「カラフル」も「風に舞いあがるビニールシート」に比べると深みは無いのだが、ストーリーの展開にもっと工夫があり、それこそ「リズム」があった。この2つの作品も悪くは無いけど、少なくとも私の中に残るものはほとんどない。

リズム (角川文庫) ゴールド・フィッシュ (角川文庫)

2009年10月1日木曜日

Challenge, Change and Crazy

外資系勤めが長いため、外資特有の英語の使いまわしに影響されることも多い。なんだかかぶれているようで嫌なことも多いが、その馬鹿みたいな前向きさ加減に良くも悪くも影響される。帰国子女でもないし、海外で教育を受けたことがあるわけでもないので、それが外資特有なのか、それともネイティブが使う英語がそういうものなのか、本当はわからなかったりするのだが、とりあえず私にとっての外国は外資なので、ここでは外資特有という言い方をさせてもらった。

Challengeという英語もそんな外資経験の中で影響されて良く使うようになった言葉だ。ProblemsやIssuesというように、対応しなければいけない問題がある場合でも、極力ProblemsやIssuesを使わない。Challenges、すなわち「課題」という言い方をする。ProblemsやIssuesは、だまってその場にとまっている状態でも発生するような、本当に「問題」としか言えない場合には適切だが、常に正方向への変化を試みた状態の中で発生するものは「Challenges(課題)」だ。自分から動くことで初めて見える対応しなければいけないもの。それが「Challenge(課題)」。

今までいくつもの選択をした。今考えると、その後の人生を左右するような決断だったものもある。これだけ生きてきているのだから、そんな機会がないほうが珍しい。

選択するという正方向への変化。ChangeとChallenge。

良く知る人ほど、その選択は良くないと言うかもしれない。人によってはCrazyという人もいるだろう。僕の好きな言葉をそんな人には聞かせてあげたい。

"So what? It's my life!"

これは映画「コンタクト (Contact)」の中で主人公の女性天文学者 (Judy Fosterが演じる) が言うセリフだ。地球外生命体を探すプロジェクトに優秀な天文学者である彼女が自分のキャリアを犠牲にしてまで携わることを懸念した上司が忠告したのに対して、彼女が発したのがこのセリフだ。

「それがどうしたの? 私の人生だ」と。

そう。これが僕の人生だ。

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