2009年5月17日日曜日

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町

「今夜、すべてのバーで」の中島らも氏の印象が強烈だったので、関連書籍として薦められていた「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」も読んでみた。

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)
中島 らも

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灘高という超エリート校で落ちこぼれ、自由気ままに過ごした高校時代から浪人し、大学(大阪芸術大学)に入るまでを中心にしたエッセイ。その青春時代をルーツとしたほかのエピソードも数多くとりあげられている。基本、「痛快な」という言葉が似合う、小気味良いテンポで語られるエッセイなのだが、氏もあとがきで書いているように、後半の浪人時代から大学時代の話は暗く重い。モラトリアムの闇と書かれているように、モラトリアム期間の終了とは得てしてこのようなものなのか。
 その後、四年間は大学に行ったわけだが、ここに記すべきものというのがほとんどない。それは実に驚くほどで、「“鼻くそや”の先輩」とほぼ似たような無感動と、裏の池で釣りをしていた学生たちと同じ時間の感覚に染まって、僕は四年間を過ごした。ここでは時間がゆっくりと流れるのである。

<中略>

「俺はこんなところで、いったい何をしているんやろう。二十歳にもなって選挙権もある人間がトンビにむかってテレパシー送って。俺はなんでこなとこにいてこんなことをしているんやろう」
 ほんとうならこの後に、「この先、どうなるんやろう」という疑問がもう一つ付くはずなのだが、それはあまりにも恐くて、心の中でさえ禁句になっているのだった。
この後半の暗く重い感じは私のバイブルと言っても良い村上龍氏の「69(シックスティナイン)」の後半の展開とも重なる。「こんなことしているのも今だけだ」という祭りの終わりの寂しさのようなものかもしれない。ただ、中島氏は、このまま日和ってしまわないで、また能天気に明るい時代に突入する。あとがきに次のように書かれている。
ほんとうのところはこの後に「超絶的に明るい、おじさん時代」というものが忽然と横たわっているのだが、そのあたりのことはまたの機を持って述べたい。
いや本当に素晴らしい人だ。人生の師と仰ぎたい。ロックバカなところや酒が好きなところ、なんでもチャレンジしてみるところ。バカもここまで極めると尊敬に値されるようになるという典型だ。私もその域まで早く達せられるように精進したい。

私は好きになると、その人と自分との共通点を探してしまうのだが、氏は灘中に8位の成績で入学したが、その後、成績が急降下したらしい。それでも高校1年くらいまでは上から3分の1くらいのところくらいには入っていたというのだからすごい。自慢じゃないが、というときはだいたい自慢なんだが、私も中学に入った後すぐの試験では学年で8位だった。それから急降下したところも一緒だ(これだと、昔は頭良かったと言っているのか、同じくらいバカだったというバカ自慢なのか良くわからなくなってしまっているが)。今は知らないが、昔は一回でも成績が良かった人間が使える常套句があった。「敷かれたレールの上を走っているのに疑問を覚えて」。氏もこのようなフレーズに酔っていたことがあったのだろうか。

以前にあるテレビ番組でBAHOのメンバーと中島らも氏がセッションをしたことがあり、ビートルズのオブラディオブラダをマイナーで歌うエピソードが語られているが、その話もこの本に書かれている。
 自分で自分の書いた曲にウンザリしていたある日、僕はラジオでピーター・ネロのピアノ演奏を聞いた。何かスタンダードの名曲だったが、その途中に長調のそのメロディーを単調に移調して味つけを変える手法がはいっていた。それを聞いて僕ははたとひざを打った。古今東西、天下の名曲と謡われたもの何千曲ではきかない。それを、長調なら短調に、短調なら長調に移しかえれば、まったく別の曲が何の苦労もなく作れる。しかも名曲がである。
 僕はこのことをYに話し、とりあえずビートルズの「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」を短調に作りかえてみることにした。歌い出したYを見て僕はしばし唖然とした。メロディーは「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」そのままであった。が、Yはそれを「悲しそうな顔」で歌っていたのである。悲しげに歌えば短調になると思ったのだろう。それからしばらくして我々は解散した。
BAHOと中島氏のセッションの様子はビデオ共有サイトに載っているかもしれないので、検索して見つけたら、是非見てみて欲しい。

あと、「今夜、すべてのバーで」の元ネタも「飲酒自殺の手引き」というタイトルで紹介されており、小説がやはり事実に基づくものだったことがここでもわかる。かなりの修羅場もあったろうに、それを笑い飛ばすように書く彼の優しさを感じる。