2009年2月8日日曜日

エコロジーなんてクソ食らえ!

エコロジーなんてクソ食らえ。このご時世、言うのに勇気がいる。だが、あえて言ってみよう。

「地球を守る」なんて大嘘だ。人類がいなくたって地球は無くならない。「人類が住み続けるための地球」を考えているだけだ。言葉は正確に使おう。言っちまえば、日渡早紀氏の「ぼくの地球を守って」と同じ世界観なわけだ(ちょっと違うかも ;-))。

ハリウッド映画で定番の世界的規模の災害や対戦で人類が滅亡したか、社会文明が崩壊後の世界。あれを見て、美しいと思うことはないだろうか。猿の惑星で砂漠の中に自由の女神を見つけるシーンがあったが、アトランティスの遺跡を海底で見つけたような快感がある。人工構造物が自然に調和する。それは人類が滅びた後の地球しか持ち得ないエロティックな風景なのかもしれない。

あのキースアニアンも言っている。「人間の介在しない自然ほどバランスのとれたものはない」と(竹宮恵子氏の「地球へ」)。

別に刹那的な生き方を追求したいわけではない。でも、理解しておくべきことは、あくまでも環境保護は自分達のためであり、長いスパンであれば人類がどうなろうとも地球から見れば、今の状況は風邪をひいたくらいにもならないだろう。

なんとなく、自然のため、環境のためと言われてしまうと、それに反対するのは難しい。だが、そのような美辞麗句に満ちた環境保護のメッセージ(時には逆に脅されることもある。宗教か?!)に騙されずに、今を生きる我々にとって、もっとも心地よい自然との関わりを考えたほうが良い。マスターベーションにしかすぎない献身的な姿勢を追求することがすべてではない。

昨年買った「論座」の2008年7月号に「ぼくが『反・CO2排出削減派』の翻訳にこだわる理由」(山形浩生氏)という記事が載っている。「特集 なんでも『温暖化』のせいにしていませんか?」の中に収録されている。この号はメディアとジャーナリズムがテーマとなっており、この特集も今の温暖化対策とメディアリテラシという枠組みの中で組まれている。

この記事にはODAの経済分析を行うコンサルタントという本業の立場で筆者の山形氏が体験したエピソードが紹介されている。電力危機を迎えているインド洋の島国の石炭火力発電所建設に反対する環境団体の話だ。「石炭火力は二酸化炭素排出が多いから、地球温暖化を悪化させる」からというのが環境団体側の理由だ。
さて、あなたはどう思われるだろうか。地元の人にきけば、地球温暖化クソ食らえ、いまここにある電力危機をなんとかしてくれ、と言う。当然だろう。地球温暖化で本格的な影響が出てくるのは、今世紀も末になってからだ。それだって100パーセント確実ではない。その影響を避ける手段だっていろいろある。一方で、電力不足のためにいまここにいる人々が停電に苦しみ、雇用のないことに苦しみ、低い生活水準を強いられ――教育も保険もその他すべての点で満足なものを得られずにいるのに、環境団体は、それでもかまわないと言うんだろうか?

<中略>

この人たちは、「温暖化で途上国の人々が被害を受けることが懸念される」なんてことをしゃあしゃあと述べていた。それなのに、いまここにいる途上国の人々を助けようとは思っていない。人々が停電で苦しみ、低い生活水準を強いられることを、この環境団体たちはまったく意に介していない。それどころか「電力があることが本当に人々の幸せにつながるか考えなくてはならない」などとぬかす。大きなお世話だ。それを決めるのは、実際にここで暮らしている人だろう。かれらの口上を聞きながら、ぼくは毎回考えてしまうのだった。いったい、だれのための、何のための排出削減なんだっけ?
当事者が経済的合理性を考えた上で方向を決めれば良いものを、下手に真理を追求するかのように、自然を訴えられるから話がややこしくなる。経済的合理性、つまりはROI(Return On Investment)だ。リターンが見えないものに投資はしない。逆にいうと、リターンが見えれば、それは真理云々などの七面倒臭いことなどを取り出さなくても、黙っていても取り組まれる。

グリーンITが良い例だ。私はグリーンITは純粋にコスト削減のために行うべきだと思う。そのほうが今の経済状況の下、それこそサステイナブル(継続性を持って)に取り組めるものだ。グリーン化によって電力消費を大きく減らせる見込みがあるならば、自然にも良いことがきっとあるのだろうから取り組めば良い。だが、これだって、機器の入れ替えをしてまでして、削減できる電力コストがわずかならば、やらないというのだって構わないのだ。グリーン化というのが命題になってしまっていては、本末転倒だと思う。

グリーンニューディールも良いアイデアだと思う。上で述べたように、経済合理性のある形で行えれば良いが、この場合はそうでなくても良い。(私から見えれば)不幸なことに、グリーン化というのが一人歩きしてしまっている一種の全体主義のような状況だが、ならばそれを利用して経済の底上げを図れば良い。ニューディールの中身なんて、正直なんでも良く、景気回復と雇用確保が出来れば良いのだから、それこそ、穴掘っては埋めを100回くらい繰り返せば、土建屋は皆喜ぶのだろうけど、それだと前時代的な匂いが強すぎ、抵抗がある人も多いだろう。っていうか、おそらく可決されない。せっかく、「グリーン」が錦の御旗のあるキーワードになっているんだから、これを使って、ニューディールしちゃえば良い。

次世代の子どもたちのためというのも、心を惑わせるメッセージだ。「今を生きる自分たちのために」と言った場合、じゃあ、次世代の子どもたちはどうなる、一番被害を受けるのは彼らだということを聞かれるだろう。でも、それはその子たちに考えさせれば良いのではないか。自分たちは文明社会を享受しておきながら、次世代の子どもたちにはそれを抑制する方向で考える。山形氏が経験したインド洋の島国のエピソードと同じだ。

「あなたのためだから」。最近、CMで良くながれているあれではないが、子供に「あなたのためを考えて」とか親が言うのは99.999%は子供のためではない。自分のエゴのためだ。子供や地球に「あなたのためだから」と言い続けるエコロジー。Twitterでこの話をちょっとしたところ、「エコロジーはエゴロジー」という名言を残してくれた知人がいるが、まさにそのとおり。

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