2009年11月29日日曜日

工場萌え

工場萌え

急に金曜日夜に工場に目覚めた。理由は言えないが、工場萌えという言葉を聞いたことを思い出し、イメージ検索して僕の心に火がついた。

イメージ検索の結果には「工場萌え」からと思われる写真が多く載っていた。

そうだ。僕はこの風景をいつも追っていたんだ。

最近、首都高速横羽線に乗ることが多いのだが、そこから見えるセクシーな工場群を、運転しているがために凝視出来ないことをいつも悔しく思っていたことを、この写真を見て思い出した。

工場萌えF

大学時代、毎年のように数回軽井沢に行っていた。当時はまだ関越道が軽井沢まで延びておらず、高崎から一般道を走ることになる。国道18号線。そこから見える緑の山の中に広がる異彩を放つ工場。大友克洋氏の「アキラ」に出てくる、アキラを封じ込めるための装置のように、異様ながら夜の光りで見るそれはとても美しかった。

工場萌え」にはこの安中の工場も紹介されている。

安中の工場は知っている人ならば知っているように、「安中訴訟」で有名なものであり、そのような背景を考えると、うかつにそれを美しいと口に出すことさえはばかれる。ただ、そのような歴史があったとしても、建造物として、そして歴史において確実に産業を育み支えているその工場の美しさは認めたい。

本書の中でも筆者の1人大山氏が言っている。「工場は企業のもので、複雑な仕組みと時に政治的な要素と、そして決して明るものばかりとはいえない歴史を持っていることなどが、「工場が何となく好き」と無邪気に言えない理由だと思う。だけど、工場について何も知らなくてもあっけらかんと「好き」と言っていいと思う。むずかしいことは後からついてくる。枠に入っていないものはだんだんと意識されなくなるものだ。そのほうが問題だと思う。」

安中以外にも、川崎や四日市など、70年代の各地での公害問題やその被害者を考えた場合、それを美しいと言うことは不謹慎かもしれない。特に、僕はその真っ只中で生まれ育った。夏休みに光化学スモッグ警報が出ると自宅に戻らなければいけなかったような時代だ。

綺麗に見えるこれらの工場を見ながらも、そのような昔を思い出す。筆者が言うように、工場を美しいと思えることがこのような忘れてはいけないことを思い出せてくれ、過去を知らない若い人にとってはそれらを知ることになるきっかけになるならば、それは良いことだろう。

工場萌えな日々 [DVD]

思えば、僕は「工場萌え」予備軍としてはかなりレベルが高いほうではないかと思う。大学が工学系だったこともあり、いくつかの工場見学をしている。昔、採鉱学科と呼ばれていただけあり、普通の学科では行かないところにも行かせてもらえた。秩父セメントでは発破で山を砕くところを見学させてもらえた。鉱山では山の神が怒るからという理由で女性を入れてくれない(女人禁制)のところがあったのだが、ここもそうだったかもしれない。帝国石油には1週間泊り込みで研修を受けさせてもらった。そのほかにも信越化学、昭和電工、TDK、積水化学など。そのころは単位を取るのに必死で工場を美しいと思える余裕は無かったが、それでも今こうやって本の中の写真を眺め、DVDを見ているとそのころが思い出させる。

でも、このDVDとかを初めから最後まで酒を呑みながら見ているニヤニヤしているのは、やっぱり普通じゃないとは思う。ま、いいけどね。どうせ変態だから。