2009年7月19日日曜日

ジミヘン(Jimi Hendrix)のいたシアトル

マイクロソフトに勤務していたときに年に3回くらいは本社に出張があった。そのうち1回か2回は週末を挟むこともあった。9年も勤務していたし、その前の会社(DECっていう消え去ってしまった会社)のときにも後半はほとんどマイクロソフトのために仕事していたようなもんだったから、年に1回はシアトル/Seattleに出張があった。さらには1993年には約10ヶ月シアトル(正確にはベルビュー/Bellevue)に滞在していた。こんなにシアトル近辺にいたにも関わらず、あまりシアトル観光をしていない。

Mt. RainerやSt. Helensには行ったし、古い人にはお馴染みのTwin Peaksの舞台となったSnoqualmie Fallsにも行った。Vancouverにも車を飛ばして行ったことがある。だが、シアトル近辺の観光ってあまりしていない。

せっかくシアトル(正確には、カークランド/Kirkland)に今回出張でき、さらには移動日を日曜日にしたため、土曜日が一日空いたのだから、少しシアトル観光をしてみよう。今度はいつ来れるかわからない。というか、これが最後かもしれないのだから。今回は実に3年ぶりのシアトル。

シアトル観光と思ってみたものの、ふと気づくと、特に見たいものはあまりない。シアトル観光をあまりしていないと言ったが、マリナーズの試合は3回くらい見ているので、セーフコフィールドも体験済み。航空博物館も行っている。ダウンタウンはもう何度と無く行った。スペースニードルも1993年に滞在していたときにはそれこそ10回以上行っている。ふむ、どうしようと考えているときに思い出した。そうだ、ジミヘンがシアトル出身だったのだと。

ということで、ジミヘンをたどるツアーとしてみた。

まずは、Broadway Avenueにあるジミヘンの彫刻を見に行く。場所はBroadway AvenueとPine Streetの交差点で、Seattle Central Community Collegeの向かい。

遠景で見る。


真正面から見る。


横から見る。


後ろから見る。


プレートを見る。


頭越しにBroadway AvenueとPine Streetの交差点を見る。


次はEMP(Experience Music Project)だ。ここは2000年にできたロック博物館のようなものだ。スペースニードルの敷地内にある。2006年までマイクロソフトにいたんだから、行っていても良さそうなもんだが、何故か行っていなかった。

中は写真撮影禁止なので、一部しか写真が撮れていないが、ここはロック好きならば一回は行くべき。特に、ジミヘンやグランジロックが好きだった人はシアトルに行く機会がある場合は絶対に訪れるべき場所だろう。

玄関はこんな感じ。


マイクルジャクソンの衣装。


ギター(とベース)のオブジェが圧巻。


ジミヘンの歴史を辿るギャラリーがあり。マニア垂涎のお宝満載。彼が使ったギターや直筆の詩などあり。


ここにはほかにもギターやベースの歴史を紹介するギャラリーや米国北西部の音楽を紹介するコーナーもあり(グランジだけでなく、70年代や80年代のシアトル近辺のロックの紹介もあり。Heartってシアトルだったのね。)。また、2階にはいろいろな楽器を楽しめるコーナーやジャムができるような施設もあり。う~ん。うらやましい。こんな施設が10代のころに身近にあったならば。

ジミヘンの旅、最後はお墓。ジミヘンのお墓はシアトルの隣のレントン/Rentonにある。車で30分もあればシアトルダウンタウンからは行ける。

Greenwood Memorial Park & Cemetery
350 Monroe Ave. NE. Renton, WA





良く見ると、彼の顔の部分に多くの人が口づけをしているのがわかる。













The story of life is quicker than the wink of an eye, the story of love is hello and goodbye, until we meet again.
送信者 Seattle 2009 Summer
もう言葉は要らないだろう。

2009年7月17日金曜日

Fourplay at Jazz Alley in Seattle

ストライクス・トワイス

中高と私と同じ学校に通っていたK君は私のギターの先生だった。学校のすぐ近くの鶴巻町に家があるという環境が彼にとって幸せだったのか不幸だったのかわからないが、私との交友が始まるとすぐに、彼の家は私ともう1名の悪友の溜まり場となった。

そんな彼が良く弾いていたのが、Larry CarltonのRoom 335やStrikes Twice。私もすぐに真似をして弾き始めた。当然、まともには弾けない。それでも、彼からヒントをもらい、どうにかStrikes Twiceのイントロの速弾きが弾けるようになったのだが、優に半年くらいは練習しただろうか。もう30年近く前の話だ。

Larry Carltonはその後もアルバムなどで聴く機会はあったが、実は生での演奏はまだ一度も見ていなかった。ブルーノート東京などに来ていたのは知っていたのだが、タイミングが悪く、いつも悔しい思いをしていた。

が、今日でそんな悔しい思いも終わりだ。彼の生演奏をFourplayとして見ることができたからだ。場所はシアトルにあるJazz Alley。ちょうど出張でシアトルに来ていたので、昔こちらに長期間滞在したときに良く行ったジャズクラブであるJazz Alleyには誰が出ているのだろうと調べてみたら、なんとFourplayだったのだ。これも運命だろう。ぎりぎりまで行けるかどうかわからなかったので、午後遅くに店に電話で確認すると、まだ席はあるとのこと。電話でそのままチケットを購入し、普段には考えられないほどの集中力を発揮して仕事を終わらせ、最初のセットである7:30pmの回に飛び込んだ。

実は、ここで予想外の出来事があった。駐車場から店に向かうときに、交差点で信号待ちをしていると、隣にギターを持った男性が。Larry Carltonに似ているなぁと思ったが、声をかけて違ったら恥ずかしいので、声はかけずに、代わりに歩調をゆっくりにして、後ろからついて行った。男性は店に、しかも顔パスで中に入っていく。やっぱりLarry Carltonだった。声をかけなかったことが少し悔やまれるが、手の届く距離で同じ空気を吸えただけでも本望だ。それにしても、本番の30分前に会場入りするなんて、余裕というかなんというか。

Jazz Alleyも久しぶり。おそらく15年ぶりくらいだろう。最初は店内の様子などすっかり忘れていて、こんな店だっけと思っていたのだが、しばらくすると徐々に思い出してきた。

肝心の演奏だが、いや、素晴らしいの一言。この人たち、いったい何歳だっけと思わせるほどの元気ぶり。Bob Jamesが一番見た目は老けているが、それでもお茶目なアドリブなどで全然年齢を感じさせない。Nathan Eastはボーカル(スキャット)でも活躍。この人、こんなに歌うまかったっけ(と思ったら、Wikipediaでもボーカルがうまいと書いてある)。Harvey Masonは私の席からはほとんど見えなかったのだけれど、音から聴く限りはすごい元気。で、Larry Carltonの多彩な演奏は昔と変わらず。Strikes Twiceみたいな派手な速弾きは無いし、Sleepwalkのように艶のある音色をじっくりと聴かせるのでもない(古いアルバムばかりしか例えに出せないのは、私の記憶力の問題です orz)が、肩の力を抜いた感じで、本当に楽しんで演奏している。

エナジー


いやー、良いものを見せて/聴かせてもらった。シアトルってやっぱりいいなぁ。

以下、写真。写真撮影OKだった。

ちゃんとTakuya Oikawaって言ったのに、Pakuya OikawaにされたAdmission Ticket。


おしゃれなテーブル。


端っこの席だけど、Harvey Mason以外はどうにか見える。


Larryの熱演。




正面からだとこんな感じ。


アンコールの後は観客総立ちで送り出す。
送信者 FourPlay at Jazz Alley in Seattle (July 16, 2009)

2009年7月5日日曜日

カラフル

直近にレビューした「つきのふね」の作者の森絵都さんの小説がもう1冊自宅にあったので読んでみた。「カラフル」。これも素晴らしい。

実はこの本、自宅にあったのは気づいていたので一度読み始めていたのだが、出だしのポップな感じが趣味に合わないのと、天使からのチャンスを得て自殺した少年の身体に戻される魂というファンタジーな感じが好きになれそうになく、途中で止めてしまっていた。冒頭は次のような感じだ。
 死んだはずのぼくの魂が、ゆるゆるとどこか暗いところへ流されていると、いきなり見ず知らずの天使が行く手をさえぎって、
 「おめでとうございます、抽選にあたりました!」
 と、まさに天使の笑顔を作った。
主人公の魂が宿ることになった少年、真が自殺したのは恋する女の子が中年オヤジとラブホテルに入るのを見てしまい、そして自分の母親もフラメンコの講師と不倫しているのを知ったからだ。父親も利己的だし、兄貴は無神経で意地が悪い。自身も社会との距離感の取り方に悩む。そんな自分と周りの世界に絶望して彼は自殺した。

一時的に真の身体にホームステイしているだけの主人公は当初こそ自由気ままに、性格が変わったことに戸惑う同級生に構わず、新生真として楽しんでいたが、そのうち自殺の理由であった周りの人たちの本当の姿を知っていくことになる。
 その夜はなかなか眠れなかった。
 父親の話。満の話。増えつづけるとりかえしのつかないものたちの数や、にわかにわいてきたホストファミリーをだましていることへの罪悪感。それらのすべてがぼくを悶々とさせていた。
 今日という一日は、代役で引きうけるにはあまりにも荷が重すぎる。
 ぼくは無念でたまらなかった。こんなに残念なことはなかった。
 今日の父親の話は、本物の真がきくべきだった。
最後の展開は予想できる人も多いのかもしれないが、単純な私はその展開に驚いた。

表面からだけではわからないその人の悩みや苦しみ、そして優しさ。そのようなエピソードの一つ一つに涙した。

私も人付き合いがあまり得意ではない。深く知り合えば知り合うほど嫌なところも見えてしまい、傷つけ傷つけられることも怖い。ちょっと苦手意識を持つ人にはできるだけ近づかないようにしてしまう。何気ない自分の一言が人を傷つけてしまったことも数多くあるし、その逆も多々ある。ついつい不安が増し、人付き合いに慎重に過ぎるほど慎重になる。本書の中での次の言葉はそんな自分への応援メッセージだ。
 「ホームステイだと思えばいいのです」
 「ホームステイ?」
 「そう、あなたはまたしばらくのあいだ下界ですごして、そして再びここに戻ってくる。せいぜい数十年の人生です。少し長めのホームステイがまたはじまるのだと気軽に考えればいい」
本書の中では宗教的な色彩は微塵も無かったが、良く考えると、この考え方は輪廻転生を信じる宗教が言うことと同じだ。もしかしたら、宗教が人々に信じられているのは単純にこの考えがあるからなのかもしれない。

カラフル (文春文庫)
森 絵都

4167741016

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2009年7月4日土曜日

つきのふね

滅亡する人類を救い出す宇宙船の設計図をひたすらに描く。彼らからの依頼で、約束の日までに。

つきのふね」に出てくる智さんの優しい狂気は誰もが抱える自分の内なる世界への憧憬であり、社会との接点の取り方に悩む人すべての代弁でもある。
 「悪いけど、やめるわけにはいかないよ。これはぼくの任務だし、彼らとの約束なんわけだから」
 「彼らなんて知らない」
 「このプロジェクトがつぶれたらみんながこまるんだよ。人類の未来がかかっているんだ」
 「人類なんて知らない。みんな好きにやってるじゃん。ばらばらに、勝手に生きているじゃん。放っておいたってこのまま勝手に生きていくんだよ」
 「そう」と、智さんが突然、瞳を光らせた。「だからこそ、みんなをまたひとつにする船が必要なんだよ」
 「え?」
 「みんながべつべつに生きているのはいけないことだ。このままいくと人類はますますばらばらになって収拾がつかなくなる。地球には人と人をへだてる障害物が多すぎるんだ。そこで彼らは、宇宙船の中で人類をまたひとつにすることにした」
 それこそが、と夢見るように智さんが笑う。
 「それこそが人類を救う唯一の道なんだ」
親友だった梨利と仲たがいをしたさくらに勝田くんが絡んでくるところから始まる。さくらと梨利にいつもついて回っていた勝田くんは、しつこく尾行/調査を行い、さくらの心のよりどころである智さんのこともかぎつける。そしていつの間にか、さくらと一緒に智さんの部屋に入り浸ることに。どうにかして、さくらと梨利を元通りにしようと思いつつも、智さんの心はさらに壊れていき、梨利は売春斡旋疑惑で不登校に。

中学生の語り口で進む物語のスピード感とこの4人の不安定さが心に響く。考えてみると、ノストラダムスを気にしていた我々は本当にノストラダムスを信じていたわけでもなく、ノストラダムスにより決められた約束の日を踏み絵にして、信じられる人たちとの結束を確かめたかっただけかもしれない。物語の中の宇宙船はそのためのシンボルだ。

物語の後半での智さんの友人からの手紙には涙してしまった。涙腺が弱いのは昔からだが、小説で涙するのは久しぶり。少年少女の心を失っていないということにしておこう。人として尊い存在になるためにも。

つきのふね (角川文庫)
つきのふね (角川文庫)

余談: 1999年は私はWindows 2000の開発に追われた年だった。年末近くまで開発していたが、RTMと同時に今度はY2K対策のためにすべてのマシンを古いOSにし、パッチのテストを。大晦日は会社に泊まりこんでいざというときのために備えていた。私の予想ははずれ、まったく何も起こらなかったのだが、オフィスの床に寝袋で寝転がって迎えた新年は今となっては良い思い出。