2021年10月17日日曜日

子どもが自ら学び出す! 自由進度学習のはじめかた

以前に何度か、小学校のプログラミング的思考教育の関係でお話をさせて頂いた蓑手章吾さんに今度またお話を伺わせて頂くことになったので、著作である「子どもが自ら学び出す! 自由進度学習のはじめかた」を読んでみた。

教育関係者でも無かったので、自由進度学習とは何かも知らなかったが、結論から言うと、これは一般ビジネスマンが読んでも参考になる情報が満載だ。

自由進度学習とは

まず、自由進度学習とは何か。

これは学習の進度を子どもが自ら決めるというものだ。教師から全員に対して教えるのは授業の最初の10分のみで、その後、どのように何をやるかは子ども自身が自ら決める。

何をやるか、すなわちゴールは「めあて」と呼ばれる。ある子はプリントを10枚進めるというめあてをたてるが、別の子は今回の内容が苦手だからじっくり理解したいと2枚とする。このように、それぞれ自分で到達目標をたてる。

そして、その めあて に向かってどのように進めるかも子どもに任される。先の例として出した めあて はどちらもプリントだったが、GIGAスクールで子ども達に配布されているタブレットでの学習でも良い。また、ヘッドホンをして音楽をしながら勉強する子、友達と一緒にわからないところをお互いに教え合いながら勉強する子などなど、その学習スタイルもまちまちだ。

授業の最後は振り返りの時間となる。丸付けなどをして学習成果を測り、次の目標(めあて)設定の際の参考とする。

これが一連の流れだ。

詳しくは以下の2つの記事でも読んで欲しい。

このような形態の授業を行っているというだけでも驚きなのだが、このような授業を行う背景やこれを成立させる様々な工夫は社会人にも共通するものだ。

学びは本来楽しいものであるはずなのに、子どもたちはそれを強制させられることで学びが苦痛となってしまっている。思えば、私の小学生時代もそうだった。私は体が小さく、2歳のときに大病をしたこともあって病気がちで、そのため体育が苦手だった。後に体が人並みに大きくなったときにわかったことだが、体が成長するだけで体育という教科のかなりのことは苦なくこなせる。小学生の頃は体の成長が大きく異る。約1年年齢が違うものでも同じ学年になり、そして、他者と競わされる。

体育については、あるイベントで生涯スポーツを進めているその道の大家とご一緒させて頂くことがあったのだが、その方は体育の目的には健康的に人生を過ごすために、生涯を通じて体を動かす習慣をつけることもあるはずだとおっしゃっていた。それなのに、今の体育はルールにうるさかったりして、スポーツ嫌いを作ってしまっていると嘆かれていた。まさに、少し前までの私だった。

蓑手先生も私に「学校とは魅力的なすべてのものの魅力を失わせる場所だ」と冗談っぽく話してくれたが、確かに細かい進度などよりも、学ぶことの楽しさを培うのが重要だ。学ぶことの楽しさとその方法を習得したならば、その子は一生学ぶだろう。

現在、リスキルとかリカレント教育の重要性が謳われているが、その根本にあるのが、この学ぶことの楽しさだ。

日本の生涯学習率は先進国の中で最低だ。

日本の成人の「生涯学習」率は先進国で最低|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

これには様々な背景があるが、1つにはそもそも学ぶことに対する意欲、さらにはその根源にある学びを楽しいと思えることが欠けているのではないか。それには、学びを自らに取り戻すこと、すなわち自由進度学習の考えこそ大人を含むすべての日本人に必要なのではないか。

OKRとの類似点

書籍を読み、自由進度学習の理解が深まる中、これはOKRとも似たところがあるなと感じた。

OKRとは?Google採用の目標管理フレームワークを紹介 - Resily株式会社(リシリー)

子どもが設定する めあて はストレッチゾーンの中にあるものが求められる。

良く、コンフォートゾーンにとどまっていては駄目だ。勇気を出して、自らの殻を飛び出そうというようなことを言うが、それがまさにストレッチゾーンの領域だ。自らの実力を顧みずに、または他の人から強制される形で、まったくできそうにないことに挑戦するのは、もはや危険であり、パニックゾーンと呼ばれる領域に入るものだ。


自由進度学習でも、このコンフォートゾーンから飛び出し、ストレッチゾーンでの目標(めあて)を作ることが推奨される。

蓑手先生の自由進度学習での授業での最後の10分の振り返りでのシーンが書籍では紹介されている。

振り返りで「ぎりぎり達成できませんでした」という子には「お、ぎりぎりのよいめあてが立てられたんだね!」と賞賛し、「100点だった!」という子には「惜しかったね、次はもうちょっと高いめあてを立ててみよう」と声をかけます。

これはまさにOKRでのKey Resultsの設定ガイドラインと同じだ。

Google re:Work - ガイド: OKRを設定する

子どもの場合、学校も親も「発達段階」という「この学年ならばこのレベルまで発達していることが望ましい」という考えに支配されてしまっている。あくまでもガイドラインとして、そのようなものが必要と思うが、先に述べたように、特に小学校段階であれば、その成長スピードは子どもごとに異なる。子どものころから必要以上に他人との比較にさらされてしまうことにより、本来持つ成長の喜びや学習の楽しさが失われている。これが今日の日本の教育現場の実情だ。

これと同じことが日本の会社組織で起きていないか。他部署との比較や他社との比較。それよりも、自らが設定した高い目標(めあて)に対して挑戦することが重要だ。

書籍では別の教師からのエピソードで蓑手先生の失敗に対する寛容さについても明かされる。クラスでトラブルが起きた時、その教師が蓑手先生に相談したところ「いいですねぇ」と笑顔で喜んだという。成長するチャンスだ。失敗は成長のチャンスと言葉では言うものの、実践できない人や組織が多い中、まさにその実践を象徴するエピソードだろう。

OKRとの類似点に戻るが、ストレッチゴールを求められるということの他にも、目標(めあて)がクラスに公開されるということや採点は自分自身で行うことなど、類似点がある。仕事の目標と個人の学習という違いはあれど、この自由進度学習での進め方は参考になるだろう。

山頂だから見える景色がある」。これは蓑手先生が全力を出すのを怖がる子どもたちに言った台詞だ。我々大人もこの言葉を噛み締めたい。

マネージャーのあり方

他にも書籍で社会人にも参考になると感じたのがマネージャーのあり方だ。書籍ではマネージャーではなく、教師のあり方という形で紹介されているが、マネージャーと教師はともに重なる部分も多い。

蓑手先生は教師はコーチであり、メンターであり、ファシリテーターであるべきと言う。教えるという役割はもちろん必要だが、それよりも子どもたち自らが学ぶことを支援する立場として存在すべきだと。

書籍では「大人さえ答えを知らない未知の領域に、突破口を見出して進んでいけ力」を養う必要があると書かれているが、まさに今の多くの組織に必要なのはこれだ。答えが無いものに対して、答えそのものや答えの導き方を教えることはできない。教科書「的」なものはあっても、それはあくまでも答えに到達するための1つの材料でしかない。その教科書に書かれているものも今となってはすでに通用しないのかもしれない。そんな中、教師的な立ち位置も求められるマネージャーがすべきことは、コーチングであり、メンタリングであり、ファシリテーションなのだ。答えを引き出すことや一緒に考えること。それこそがマネージャーが行うことだ。

自由進度学習では教師は最初の10分教えた後は子どもたちの自らの取り組みをひたすら見守るだけだ。教育の現場ではこれを「机間指導」と言うようだ。

机間指導

蓑手先生は1時間の授業で最低10周はすると言う。

マネージャーはともすると、定期的に開催されるミーティングで自分の予定が詰まっていることも多い。しかし、自らの出席が本当に求められているものはどれくらいあるだろうか。部下に任せておいて良いものも多いのではないだろうか。定例のミーティングはひたすら人の時間を奪う。定例化されることにより、すべての議論や結論が次回定例まで先送りされかねない。

それよりも、必要なことを伝えたならば、部下の自主性にまかせ、自分のスケジュールの空白を多くするのが良い。ぷらぷらと歩き回り、自分の部署や他の部署の人たちと会話する。これにより、状況がよりリアルにわかるし、リアルタイムにフィードバックできる(次回定例まで待つ必要もない)。「机間指導」から学べることも多いのではないか。

部下の成長という観点からも、自由進度学習の教師の役割を知ることは良いと思う。

インクルーシブを考える

蓑手先生は4年ほど特別支援学校で教えられてる。まさにインクルーシブを理解し、実践されていた先生だ。

その蓑手先生が新型コロナ感染症の中、子どもたちが学校に登校できないという中で取られた方針も我々社会人にとても参考になる。

休校要請の中、すべての学校が直面したであろう課題は「家庭にインターネット環境がない子どもをどうするか」であった。公平性を考えるあまり、全員にオンラインでの教育を提供できないのならば、オンラインという手段を用いるべきでないという考えもあったし、もしかしたら公立校ではそのような判断をするところも多かったのかもしれないが、蓑手先生がとられたはオンラインを活用すること。

その判断の源となったのは「人はそれぞれ違う。それぞれのよさを最大限に発揮できるのが教育」であるという考えだ。これは特別支援学校での考えと同じだ。一人ひとりはすべて「特別」であり、その特別に合わせて、できることをやるのが教育である。

オンライン環境が用意できるのにそれを用いた教育を提供しないことも不公平であるという考えのもと、オンラインでの学びを提供する。

日本のデジタル化は著しく遅れている。この1年の新型コロナ感染症禍でそれは誰もが知る状況となり、国でさえIT後進国を取り戻すべくデジタル庁を発足させた。その中で「誰も取り残さない」ということを掲げている。この考え方には100%賛同するが、同時に、行き過ぎた公平性には是非注意して欲しい。国民一人ひとりはすべて特別である。「誰も取り残さない」の「誰も」にはデジタルを駆使する人やオンライン環境にはまったく問題ないという人も多くおり、その方々のポテンシャルを発揮できないようにすることも、本来実現できることから考えると「取り残す」ことになるだろう。私が良く言う「1人も不幸にさせないために、全員が平等に不幸になる世界」を目指すようになることだけは避けて欲しいと切に願う。

オンラインにおける学び

リモートワーク推奨になり、同僚や上司、部下とのコミュニケーションに苦労している会社も多いだろう。この状況下で就職してきた新社会人や転職者には災難だったと思う。

新卒社会人や転職者に限らず、異動した人などにとって必要なのオンボーディングも、オフィスで一緒に働いていた仲間との仕事や会話を通じた学びも、そのままではオンラインでは難しい。

学校は会社以上に大変だったのだが、書籍では、学びに必要な要素を「時間」、「空間」、「仲間」の「三間(サンマ)」と紹介している。調べてみたところ、この「三間」という考えは教育現場では以前から言われていたようだ。

この三間だが、空間としての学校や仲間は新型コロナで大きく制限された。一方、時間は拡張された(家にいて、時間は無限にある)。

オンラインにおいて、この3つの「間」をどう再構築するかに多くの学校は苦心されたのだが、書籍ではスクールタクトを用いた様々な工夫が紹介されている。

この取り組みもリモートワークが中心になった、またはリアルトのハイブリッドが必要となった、多くの会社に参考となるだろう。

とりあえず読んでみよう

と、いくつか参考になりそう部分を紹介したが、学びの意味を再確認するにも、今の学校教育の問題を知り、対策を考えるにも、子どもの学びの世界から我々大人社会に参考となるところを知るにも、この本はお勧めだ。なによりも、読みやすいし、刺激をたくさん得られる。蓑手先生の魅力にも触れられる。

興味持った人は是非手にとって欲しい。