2011年8月28日日曜日

Calling You

私はあなたを呼んでいるわ
ねぇ、聞こえるんでしょう?
あなたを呼んでいるの

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3/11、帰宅難民となった。

帰る手段を無くしたままビルから下を眺めると、深夜になっても多くの人が歩いているのが見える。ネット経由で見るテレビからは都内の混乱ぶりが伝えられる。Twitterなどを通じて多くの人に助けられながら早朝自宅に着いたが、寝たのか寝ないのかわからない状態のまま朝を迎え、その後もラジオとテレビ、ネットにずっと張り付く。

地震もさることながら津波の被害が大きいことがわかり、その被害規模を写す映像に言葉を失った。これはただごとではない。

原発事故に対しては、進行中であるということもあるが、非可逆な事象に対峙し、まったくどのように心を保てば良いかわからなかった。今でも正直どうすれば良いかわからない。

「フォーク」という言葉だけに脊髄反射して購入してしまった「東京人 2011年 09月号 [雑誌]」の中で小室等さんも次のように言う。
でも、3.11は、特に原発によって、再生不可という可能性を突き付けられたわけですよね。再生が可能でさえあれば、どんなに多くの人が行方不明になろうと、次の世代も生まれるし、決壊した川の跡地には滋養ある土地が残されるし、草や木もやがて生育し、すべては再生していく。常に希望がある。でも原発は希望をカットアウトした。もしかしたら再生はない。希望がないならば表現はありえない。

だから希望を回復しなくてはならない。歌い続けるなら。希望を回復するための時代を僕らは生きることになると思うんです。これからね。だから「復興」です。

幼稚だったあの頃からの「復興」(東京人 2011年 09月号 [雑誌]


3/11直後にTwitterではつぶやいたが、私は復刊前の「DAYS JAPAN」を愛読していた。広瀬隆氏の「危険な話」などがベストセラーになったのは私がちょうど大学生のころだ。清志郎はサマータイムブルースを歌った。

斉藤和義さんが「ずっとウソだった」という替え歌を歌ったことに対しては賛否両論があるだろう。だが、誰を責めるでもない。反原発の動きが活発だったときに多感な時期を過ごし、少なくとも雑誌や文庫などで積極的にその情報を集めていた私はその後思考停止に陥ってしまっていたと認めざるをえない。誤解しないで欲しい。反原発運動をすべきだった、今しようと思っているということではない(それも否定しないが)。ただ、考えることを止めてしまったことを後悔している。

先に紹介した「東京人 2011年 09月号 [雑誌]」の中で小室等さんも次のように言う。
僕もそうだけど、みんな、これまで原発に対しては、言うべきNOを言わなかった。言えることは自分の中に内在していたはずなのに、周りの空気を読み取って、なんとなく言わずにきてしまった。言うべきだった。

幼稚だったあの頃からの「復興」(東京人 2011年 09月号 [雑誌]
いったん休刊する前の「DAYAS JAPAN」から中心的だった広河隆一氏については批判もあるし、原発や放射線についての書籍については内容を丸のみしないように注意しているが、氏の「福島 原発と人びと (岩波新書)」で紹介される現地の人のエピソードは心が締め付けられるようだ。
「子どもが桜の花を拾って、私にくれたんです。それで私は、地面の物は手にしてはいけないと子どもをしかりました。我に返って、いったい私は何をしているのだろうと思って……」

福島県に住む草野史子さんは自問していた。子どもに外で遊ぶことを止めさせた時、「風と遊ぶの好きだったのに、どうしてだめなの?」と尋ねられ、彼女は答えに窮したという。

福島 原発と人びと (岩波新書)

自分の生きている間はもちろん、子どもや孫の世代でも再生は不可能な状況に陥った。だが、子供たちは親以上に覚悟を決めている。悲しい覚悟だ。それでも生きていくという悲しいが強い意思。
「友達の娘さんは高校生なんですけど、チェルノブイリの話や放射能の危険について聞かせて、一応本人に「疎開する?」って聞いたら「友達から離れるのは嫌だし、友達置いて自分だけ逃げるのは嫌だ」って。そして最後に「私は将来結婚するとしても、子どもは産みません。そういう覚悟でここに残る」って言ったんですって。だから、そのお母さんは泣いていましたよ。でも、高校生の間では結構そういう話をしているみたいです。

福島 原発と人びと (岩波新書)
同じような話はブログなどでも伝え聞く。

福島の中学生が地元の新聞に「それでも自分たちは戻る」と原発の避難地域になっているところへの想いを綴っているのも読ませてもらった。現実は厳しいことも我々は知っている。

厳しい現実の中でどうやって希望を回復し、非可逆的な方法になるが、再生を図っていくか、それを考える。

3/13の日曜日。まだ混乱がある中、Motion Blue YokohamaではHolly Coleがライブを行った。3/12はさすがにMotion Blueがある赤レンガ倉庫が全館営業停止になっていたのだが、3/13は通常通り営業された。チケットを持っていた私は、同僚が必死に災害時対応をしている中、世の中が「そんな状況じゃないだろう」と言っているような中、行くかどうか非常に迷った。だが、そんな中でもライブを中止しなかった彼女に是非逢ってみたかった。

会場に行くまでずっとネットにアクセスし作業をしていたが、現地に着いてみると、そこはとても2日前に大地震があった日本とは思えないくらいに平和な場所だった。春を感じさせるような晴天。海が広がり、カップルがテラスで食事をとる。ネットにアクセスしない限り、震災があったことなど信じられないほど。

会場内でもそのような話題は一切でない。しばらくしてHolly Coleが登場する。何か言うと思ったが、何も言わずにエンターテイナーに徹する。結局、彼女は最後まで一切震災については口にしなかった。

ただ、日本が大好きだと言いながら、好きな曲だと紹介して「桜(森山直太朗のカバー)」を泣きながら歌った。アンコールでの「Calling You」もおそらく泣いていたのではないか。

人はどうして良いかわからないときでも心を伝えることは出来る。
私はあなたを呼んでいるわ
ねぇ、聞こえるんでしょう?
あなたを呼んでいるの

3/11からもうすぐ半年。どうして良いかわからない。

だが、村上龍さんが震災直後にニューヨーク・タイムズに語ったように、実は震災前から日本においては希望は失われていたのかもしれない。将来に夢を持てない若者。価値観の崩壊に戸惑う大人たち。震災は全てを失わせたが、新たな希望の種をくれたのかもしれない。
全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

危機的状況の中の希望