2009年6月21日日曜日

デジタル社会はなぜ生きにくいか

IT化された社会(本書ではデジタル社会と呼ばれている)が果たして住みやすいだろうか。本書の冒頭で筆者は次のように書く。
 デジタル社会の光と影の面のとらえ方に二つの見方がある。楽観論と悲観論である。
 楽観論では、デジタル社会の長所の方が短所よりたくさんあって、優勢である。私たちの得るものの総量は失うものの総量よりはるかに多い。一部の困った問題さえ我慢すれば、ずっと大きな利益を手に入れることができるだろうという見方である。
 悲観論では、長所と短所はコインの裏表のように一体である。長所を一つ得るには、同時に短所も一つ付いてくる。得るものの総量と失うものの総量は同じである。したがって長所と短所の両立を常に我慢しなければならないだろうという見方である。
 これらの見方は正しいだろうか?
私自身は非常に青臭いことを覚悟で言うと、コンピュータとソフトウェアとインターネットによって社会を良くできると思っており、その一端を少しでも担えればと考えている。しかし、そんな私でも現状を見るにつけ、疑問に思うことも多い。

これは今に限った話ではないのだが、昼休みの都心のATMの行列を見る度に、何故こんなにも列ができるのか不思議を感じる。実際に手続きが複雑なことも多いのだろうが、なれない端末の操作に手間取っていることも多いはずだ。80年代後半や90年代にOSI(懐かしすぎる?)の議論を先輩としていたときにも、「それよりも、ATM端末の操作を標準化したほうが社会に貢献するんじゃないですかね?」と言っていたほどだ。

この本では、序章でデジタル化元年としての1984年を紹介する。その年と今とでの変化を意識しながら、第1章から第4章でそれぞれの課題を紐解く。

序章 一九八四年の日本とアメリカ
第1章 デジタル化した世界
第2章 情報機器との格闘
第3章 情報洪水の中で
第4章 困難は作られる
第5章 デジタル社会を生き抜く

1984年は私がまだ高校生のころだったが、最初に入った会社がARPA/DARPAなどと最初から接続していたこともあり、序章に書かれていることもほぼリアルタイムに近いものとして私は思い出すことができる。第1章からの今日の課題についても、当事者であることも多いので、身につまされる。ただ、本質的な問題ではないということなのか、それぞれの事象についてあえて具体的な名前を明かさないで語られているのであるが、これなどは章末や巻末などに整理されていても良かったのではないかと思う。

最後の第5章でデジタル社会を生き抜くためのヒントを提示しているのだが、そこで冒頭の楽観論と悲観論に対する筆者の考えが明かされる。聞いてみると当たり前のことであるが、本書を一通り読んだ後だと、説得力が増す。ここでは書かないが、本書を読んでみる人は、是非中を読んでから最後の筆者のメッセージを受け止めるようにして欲しい。

デジタル社会はなぜ生きにくいか (岩波新書)
デジタル社会はなぜ生きにくいか (岩波新書)