2017年2月13日月曜日

Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書



グラフィックレコーディングという言葉を聞いたことがあるだろうか。

IT系のイベントや社会起業の集まりなどで良く見る、議論の内容をテキストだけでなく、親しみやすいグラフィックとともに整理する手法だ。

実物を見てもらえば一目瞭然だろう。



こちらは清水さん作。以前、Tedの動画を題材にしたNHKの「スーパープレゼンテーション」という番組の前後にハングアウトでパネルディスカッションを公開していたことがあったのだが、それをグラフィックレコーディングして頂いたものだ。本書にも掲載されている。NHKスーパープレゼンテーション | Tokyo Graphic Recorderですべて見ることができる。





この2つはどちらも和波 里翠さんグループによる作。テクノロジーにより社会課題解決を図るシビックテック団体であるCode for Japanのサミットの模様。私の中では、清水さんとこの和波さんが日本の中のグラフィックレコーディングの2大巨匠。

この他にもGoogleで「グラフィックレコーディング」で画像検索すれば、山ほど出てくる。また、清水さんのサイト、Tokyo Graphic Recorder にもいくつも紹介されているし、以下のサイトにも詳しく解説がされている。グラフィックレコーディングの紹介だけでなく、練習法も書かれているので、よりイメージが湧くだろう。


このグラフィックレコーディングだが、レコーディング=記録であるとともに、議論を可視化するものだ。本書の中でも、グラフィックレコーディングの効果として「会議の最中で、対話の活性化を引き起こす」ことと「会議後に、第三者を巻き込む記録物になる」と書かれている。後者は想像つくと思うが、前者の効果もとても大きい。同じく議論活性化のためにグラフィックを用いる手法として、ファシリテーショングラフィック(グラフィックファシリテーション)というものがあるが、グラフィックレコーディングは議論の過程も含めての全体像を記録するという違いがあるらしい。本書を読むまで、曖昧にしか、その違いを説明できなかったが、本書ではそれも明快に説明されている。



そして、その会議の活性化だが、本書で書かれている3つのメリット、参加者がどう変わるかが、とてもわかりやすい。
  1. 対個人への感情から、対議論への思考へ --- 「何を言っている」かより「誰が言っているか」を気にしていしまいがちなのが、発言者と発言をグラフィックで切り離すことで、議論に対しての発言となる。
  2. 差異への苛立ちから、広い多様性への理解へ --- 自分の相手の違いに苛立ち、納得してもらう勝ち負けが目的になってしまう状況から、それぞれの違いを整理することで、相手の考えを前向きに理解しようとする状況へと改善される。
  3. 確認することへの遠慮から、発言することへの自信へ --- 確認したいことがあっても、場の雰囲気に圧されて発言できない状況から、グラフィックを通して質問や指摘することで、一人でも発言しやすくなる。
なるほどと思わせる。このような解説が文章と、そしてグラフィックレコード形式のグラフィックで説明されるところが本書の秀逸なところだ。


記録と言えば、以前在籍していたGoogle本社でのミーティングを思い出す。

ミーティングルームには2つのスクリーンがあり、2つのマシンからプロジェクトできるようになっている(リモートからの参加者がいる場合は、片方はビデオ会議兼用となる)。このスクリーンの片方に開発中の製品のデモやモックを映し、もう片方は議事録が映し出される。グラフィックレコーディングとは違うのだが、リアルタイムで議論がログされていくので、事実とは異なる解釈がされている場合はその場で訂正できる。しかも、それがGoogleドキュメントなので、自分で修正してしまっても構わない。製品のUXをレビューするミーティングだったりすると、片側でデモを投影する。出た意見や質疑応答の内容などは議事録にリアルタイムで記録されていく。ミーティング終了とともに、議事録は参加者および関係者に回覧される。

グラフィックレコーディングは、このリアルタイムに議論を可視化できるという利点が、グラフィックというよりリッチなフォーマットで、さらにアナログによる感情の反映のしやすさにより増幅されたものと考えることができる。

さらに、筆者の清水さんは言う。このグラフィックレコーディングという手法は日本でこそ活用されうる、されるべきものではないかと。

日本においては、会議を進行する司会者は、年長者だったり、目上の者という暗黙の了解があり、それを打ち破るのは難しい。また、このような司会者が仕切ることにより、参加者はそこに寄りかかり、思考停止に陥っていしまう傾向が強い。しかし、一方で、「記録」するというのは、新人や目下の者が行う作業とされているので、これを逆手に取って、「淡々と場の記録をグラフィックで行うことで、結果的に場を解決につなげる」ことが可能であろうと、清水さんは言う。

確かにその通りだと思う。外資系に長くいると、日本の会社や組織の会議がひどく不気味に感じることがある。会議になっていないからだ。報告会ならば、まだ良いが、議論を目的とする会議なのに、議論していないことが多々ある。だが、もしそこにこのグラフィックレコーディングでの記録係、いや陰のファシリテーターがいたならば。きっとその会議は議論されるものになりうるだろう。

清水さんが目指す世界も、はじめに に書かれている。

「本書が目指す世界、それは、年功序列、事なかれ主義、責任者不在を打ち破り、凝り固まった後ろ向きな空気に流されずに、どんなに難しくて気まずい関係の会議でも、諦めずに思考停止しない世界です。今もこの瞬間に日本で何万と行われている不毛な会議が、グラフィックでの記録によって前向きな思考と関係性に変えられたら、少しずつ世界は変わるのではないか。そんな想いを込めて本書を届けます」

本書を開いて、このはじめにの最後の言葉を読んだとき、不覚にも涙をこぼしそうになった。方法は違うけれど、私が目指している世界も同じだ。


【補足】次の清水さん自身による、しばらく前の記事も読んで欲しい。グラフィックレコーディングについて誤解されやすい点について解説されている(* このクロ現は私は見なかったので、コメントできないが)。

クローズアップ現代+で導入された 「グラフィックレコーディング」とは一体何だったのか?(清水淳子) - 個人 - Yahoo!ニュース