2015年1月6日火曜日

コルビュジエさんのつくりたかった美術館

コルビュジエさんのつくりたかった美術館
コルビュジエさんのつくりたかった美術館

正月にNHK Eテレで放送された「建築は知っている ランドマークから見た戦後70年」は大変面白かった。戦後70年を振り返る番組は正月三ヶ日ににも多く放送されたし、これからも多く放送されると思うが、焼け野原からの復興とバブルという儚い繁栄を経ての今にいたるまでを建築という観点から振り返るこの番組からは、身近にあるランドマークが作られた背景とその時代を知ることができた。

以下、NHKの番組案内から。

建築は知っている
ランドマークから見た戦後70年

建築は、時代を語る。
東京の代表的な昭和建築と、戦後のエポックメーキングな出来事とを重ね、時代に、時に寄り添い、時に戦った建築家の思考の跡を辿りながら、日本という国の歩みも浮かび上がらせる。
例えば東京タワー→霞ヶ関ビル→貿易センタービル→新宿の副都心摩天楼→サンシャインシティ→六本木ヒルズ…。今も東京を彩る代表的な建築物は、いかなる時代の空気の中生まれたのか?時代のランドマークとなる巨大ビルの変遷は、その形状そのものが、時代を語る、歴史の証人だ。マンションやホテル、ショップ、オフィスという、日本的総合開発の歴史も興味深い。誰でも訪れることのできる社会的な建築物から、戦後史を見直すと・・・?
高度成長期に語られた途方もない夢の計画、バブル前夜の東京新都庁建設の背景にあった攻防戦など、様々なエピソードを織り込み展開。戦後70年となる年に、敗戦の焼け跡から現代日本の混沌まで、時代と共に変化してきた建築の醍醐味を味わう。戦後ニッポンを支えた建築家たちの、その建築にかけた“思考”や“願い”を見ることで、日本の未来への想像力を見いだす、新春特集。



番組を見ながら、どこかデジャヴ感を抱いていた。広島記念公園と広島原爆ドームが直線で並んでいる話などはどこかで聞いたことがあった。2011年の秋に六本木ヒルズ森美術館で開かれた「メタボリズムの未来都市展」で見たのかもしれない。

以前に読んだ「コルビュジエさんのつくりたかった美術館」のことも思い出し、本棚から探しだして読んだ。数年前に建築家の友人からもらったこの本はわずか68ページ。しかも、イラストがその大半を占める。だが、建築を知らない人にそのエッセンスを伝えるにはこれ以上には無いほどの形はないのではないかと思わせるほどのものになっている。

番組の中にも登場した、近代建築の巨匠と呼ばれるル・コルビュジエが上野の国立西洋美術館を設計する際に込めた思いが暖かいイラストとともに説明される。ただ絵を展示する場所としてだけでない、美術館という建築物を提案し、それが世の中に受け入れられていく。本書を読むことで、国立西洋美術館だけでなく、他の美術館や一般の建築物に対しての見方も変わるだろう。

同じく番組で紹介された神奈川県立近代美術館にも訪れたことがあるが、観光地でもある鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の横に、意識しないと行こうとは思わないかもしれない場所に位置するこの美術館もコルビュジェの精神が生きている(詳細は神奈川県立近代美術館の建築の説明へ)。象徴的な存在はピロティだ。

ピロティフランス語Pilotis)とは、建築用語では2階以上の建物において地上部分が柱(構造体)を残して外部空間とした建築形式、またはその構造体を指す。まれにその地上部分の構造体のみの空間自体を指すこともある。フランス語で「」の意味。
1926年ル・コルビュジェピエール・ジャンヌレが提唱した近代建築の五原則「ピロティ・屋上庭園・自由な平面・自由な立面・連続水平窓」の一つとして取り上げられた。
Wikipediaより)

ピロティは意識すると多くの建築物で見ることができる。広島原爆資料館もその1つだ。このピロティだけでなく、建築物に込めた建築家の思いを知ることで、どこかに訪れるときも、そこがただの人や物を収容する場所だけでなく、その場所を、地域を、社会を、そして歴史を形作るものであることを知ることができるかもしれない。

ペーパークラフト 重要文化財 国立西洋美術館 本館 904
ペーパークラフト 重要文化財 国立西洋美術館 本館 904


参考:番組に関係したいくつかのツイート。