2015年1月22日木曜日

ルーツ


2011年の震災以降、宮城県や岩手県に行くようになった。

実は、福島県には震災前から会津大学での講演などがあったので、訪問したことがあったのだが、それより北には足を踏み入れたことがまったく無かった。

震災からもうすぐ4年となるが、石巻市には何度も伺った。宮城県だと、他に女川町、南三陸町、そして岩手県は釜石市や陸前高田市、一関市、それと観光で平泉などを訪れた。

驚いたのが、宮城県北部から岩手県南部にかけての沿岸部に「及川」が多いことだ。南三陸町でお話を伺ったときなどは3人連続して及川さんが出てきてびっくりした。

父と母が東北出身で、親戚が岩手にいることは聞いていた。少なからぬ枚数の年賀状が花巻から来ていた。だが、その親戚を訪れることもないまま父は他界し、母も病気になってしまった。

そんなとき、母の家から父の学生時代の卒業証書が出てきた。尋常小学校と高等学校。調べてみると、高校は今の花巻北高等学校のようだ。文武両道の厳しい学校(だった?)とか。父の厳しさはそこから来たのか。

家の家紋が笹竜胆だったことから、勝手に清和源氏に由来があるのかと思っていたが、そんなにはずれてはいないらしい。Wikipedia情報(http://ja.wikipedia.org/wiki/及川氏)だが、出典が書かれていないので、詳しいことは不明だ。だが、これを信じるならば、全国の及川の53%が岩手県もしくは宮城県に、13%が北海道に、7%が神奈川県に、同じく7%が東京都に、6%が千葉県に住んでいるという。南三陸町でたくさんの及川さんに会うはずだ。

こんなことを調べていたら、もっと名前についての由来に興味が出て、「日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと (光文社新書)」を買ってしまった。歴史をたどる形でさまざまな苗字の由来を紹介する。

日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと (光文社新書)
日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと (光文社新書)

結果から言うと、及川のことにはこの本では触れていなかった(それくらい前もって調べてから買えば良かったと言われても仕方ない)。だが、それを抜きにしても、いろいろと名前のことがわかって面白い。

例えば、源という苗字は嵯峨天皇が皇子を臣籍に降下・分家させる際につけた名前だそうであるが、そんなことをしなければいけない理由は、なんと50人も子どもがいて、とても全員を皇統に残すことが(皇室の維持費などを考えても)できなかったからという。ちなみに、50人の子どもを産んだのは、29名の配偶者たちだという。これまたびっくり。

さらには土地に由来する苗字もあれば、逆に使用が制限された苗字もある。歴史の見方がまた変わりそうだ。

先日、仙台で飲んだ時、そこの店のマスターが名前に詳しかった。今度、人に会うときには、前もって、その人の苗字の由来を調べてみようかとも思った。人にそれぞれ歴史あり。